旅立ち

 ステンドグラスの講堂に戻ってすぐに僕はリゼットと別れ、すぐさま自室で旅支度をした。

 いざ出発。ドアを開ける。そこにはタカ先生が仁王立ちしていた。


「賢者ヨヴィ、また黙って出ていくつもりか?」


「……すいません」


 先生は猛禽類らしい狭い額に手を当てた。


「やれやれ、きみという奴は。それよりもだ、リゼット様の姿が無い。案内はどうした?」


「石碑の部屋を出て、講堂で別れました」


 タカ先生はあからさまに肩をすくめる。


「ここだけの話だが、リゼット様は大の方向音痴なのだ」


 知ってる。

 もちろん案内を放ったつもりは無かったが、タカ先生の所まで案内するべきだった。

 自室に戻ったのは僕のはやる気持ちのせいだ。


「分かりました。僕がリゼットを探します」



 ◆



 僕は大聖堂を巡る。


 捨て子だと馬鹿にされて隅の方で食べてた食堂。

 初めて炎素を操って周りの見る目を変えた中庭。

 それでも友はできず一人の寂しさを慰めた屋上。


 草の匂いがする風が吹いて僕はマントの襟を抑えた。

 茜色の空に白い鳥が天高く羽ばたく。

 目で追った先にリゼットがいた。


 屋上の少し高くなった縁に立ち、束ねた金髪を風に揺らしながら、街を見下ろしている。

 碧い瞳は憂いているように見えた。


「わたし、勇者になるのよ。そうでなければ誰も報われないから……」


 そんな独り言を聞いてしまった僕は妙な胸騒ぎを覚える。


「リゼット!」


「わっ! って、ヨヴィ? わたしを脅かすだなんて良い度胸ね」


 腕組みをして僕を睨みつけた。

 さっき感じた胸騒ぎはもう無い。


「そんなつもりは。それよりよかった。なんだかリゼットがここから飛び降りてしまうんじゃないかと思ったから」


「わたしが? はん、そんな馬鹿な真似しないわ。それよりこんな所で何してるの?」


「それは僕のセリフだよ」


「ここは眺めが良いじゃない。わたしは次の行き先を考えてたの」


 たしかにここの眺めは最高だ。

 太陽が沈む先を西とするなら、南には海、北には平原。

 平原には大きな道があるのが見える。


「リゼットも石碑を巡るの?」


「そうね。街道沿いにあるそうだから」


 千年前にエイミが歩いた道はそのまま街道になった。

 街道に沿って石碑がいくつもあるという。

 できることならすべての石碑に触れてエイミの想いを知りたい。


「ああ、そうだった。はやく旅に出たいんだ。リゼット、先生が探していたぞ」



 ◆



 講堂に戻ると、タカ先生はほっとした顔をした。

 リゼットに丁寧なお辞儀をした後、僕に小さな麻袋を手渡した。

 おや、この感触は。


「私からの餞別だ。受け取ってくれ」


 布越しに少し揉んだら良い香りがした。

 薬草だ。ハーブ系の爽やかな香りが鼻腔に広がる。


「こんな高価なもの、良いんですか?」


「構わない。大聖堂のエリクサーに使う原料だ」


 エリクサーは激苦の酒だ。

 前世と現世の年齢を足したら僕はバリバリ成年なので一度飲んだのだが、舌がまだ子供で全然美味しくなかった。


 さておき、薬草は大抵の物と交換できる。

 それに神官の僕が持ち歩くのもおかしくない。

 もし道中で見つけたら拾って干して路銀にしようと思っていたところだ。


「ありがとうございます。次の街で稼ぐ手間が省けそうだ」


「賢者ヨヴィ、もし薬草を拾って干そうと思っているなら、考えが甘い。都合よく薬草が入らない土地ならどうする?」


「その土地で手に入るもので腹を満たします」


「それもなければ?」


 さすがに限界の状況だ。

 街道沿いでそんなことあるとは思わないけれど。


「死んでしまいます……」


「きみは愚かだな。死んではならないよ。かならず生きて戻ってきなさい」


 タカ先生は無理難題を仰る。

 まさか僕を旅に出したくないのか?


「無理です。食べなければ人は死にます」


「その通りだ。巡礼の旅に出る神官たちは、みな貴族や金持ちである。だが、きみは特別だ。金も用心棒も何も無い」


 大聖堂で僕を疎む人たちは、こぞって『お前は神官になれない』と言ったのを覚えている。

 あのギョロ目だってそうだった。


 僕が限界の状況にならないためにはどうする?


 考える。

 でも分からなかった。


「では、どうすれば?」


「リゼット様に同行し、行き先を案内しなさい」


「え? それはどういう――」


 僕とタカ先生の会話を黙って聞いていたリゼットは西に沈む太陽を見ながら、


「同行者なんて不要よ。わたしなら問題なく旧魔王領のある北に行けるんだから」


 と言って、ビシッと左手で南を指さした。


「やれやれ……」


 タカ先生が頭を抱えた。

 そうだ、こいつはとんでもない方向音痴なのだ。

 僕は西日を見て右手を伸ばした。


「リゼット、そっちは南だ。北はこっち」


「うるさいわね。そんなの知ってるわ」


 嘘つけ。

 タカ先生が僕らを見ながらくつくつと笑ったので、僕らは先生の方を向く。


「リゼット様はヨヴィとたいへん仲が良いようですね。ぜひ彼を同行させてもらえませんか?」


「仲良くない!」


 ぷん! とそっぽを向いた。

 言っておくが、僕だってそうしたい。

 しかし、またこいつが道に迷うのは見ていられないのも事実だが。


「なぜリゼットなんですか?」


「ふむ。リゼット様は教会にとって大事な客人だ。リゼット様の旅は教会が支える。つまり、路銀が出る」


「なるほど、それが僕の生きる道か」


 リゼットと旅を共にすれば、僕も路銀をもらえてラッキー。

 リゼットが僕と旅をすれば、道に迷わなくてラッキー。

 ウィンウィンの関係だ。


 だが。


「リゼット、僕は北に向かって旅をする予定なんだ。勇者の石碑を辿ってね」


 素直に同行させてくれなんて言えるわけがなかった。


「あら、奇遇ね。わたしもそうしようと思っていたところなの」


 こいつも僕と同じ気持ちなんだろう。


「リゼットは道に迷うだろうから、途中までなら一緒に行ってもいいけど?」


「ヨヴィはお金に困ってそうだし、少しくらいなら分けてあげてもいいわよ」


 タカ先生が今日で何度めかの「やれやれ」をして、僕らの同行が決まった。



 ◆



 翌朝、街の出入り口で、僕は馬にまたがる。

 リゼットのために教会が用意したのは馬2頭に路銀と防寒着だ。

 夏ももうすぐ終わる。遠くに入道雲が見えていた。


「先生、今までお世話になりました」


「まさかきみからその言葉を聞けるとはな。はは、なんだか名残惜しくなってきた」


 タカ先生は見た目こそ厳しそうだが、話してみると本当に優しくて暖かい人だった。

 今だって泣くのを我慢してるみたいだし。

 なんか泣きそうになってくる。


「ちょっとヨヴィ! 何してるの!? 出発するわよ!」


 だが、その余韻も吹き飛ばしてリゼットが発破をかけてくる。


「行くよ! ずっとこの時を待ってたんだからな」


 僕はタカ先生と大聖堂の街に別れを告げ、リゼットの乗る馬に急いで付いていく。

 広い草原が広がる。それを真っ二つに割るように、街道がまっすぐ伸びている。

 エイミの生きた証を道しるべに、僕は巡礼の旅を始める。

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