孤独

 はぁ、はぁ。

 ただでさえ勉強ばかりで運動不足なのに、乞食生活でなまった体で全力疾走はキツい。

 貧民街と外壁の間にある雑草が茂る空き地に風が吹いて、汗が冷える。


「助けてなんて頼んでないわ。わたし強いのに。でも、ありがとう」


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 やばい、走り終えた途端に吐き気がこみ上げてきた。

 目の前に居た少女の肩に手を置く。


「えっ、ちょっと!?」


 思ったより華奢だな、とか思った瞬間。


「おぇぇぇぇ」


「きゃああああっ!?」



 ◆



「最低っ! 最悪っ! ゴミ、クズ、甲斐性なし!!」


 彼女の厚着にコップ一杯分を吐瀉った僕は、精一杯の暴言を吐かれていた。


「ごめんなさい……」


 ひとしきり罵られた後、ずっと下げっぱなしの頭を上げる。

 上着を脱いだ少女は、なんというか、素っ頓狂な格好をしていた。

 そう、その、あれだ。ビキニというやつで、しかもアーマーっぽい光沢のある材質。


「ちょっと! 誰が頭を上げて良いと言ったのかしら!?」


「ご、ごめん」


 僕は慌てて下を向く。

 だが、下半身もけっこう際どい露出感である。

 これは見られて恥ずかしくないのか?


「言っとくけどこれは伝統衣装なの。わたしの趣味じゃないんだからねっ」


 どんな伝統衣装だ。

 そう思っていると、僕たちが来た路地から男二人がやってくる。


「俺の顔に傷をつけた上に逃げやがるとは、ただじゃおかねぇからな」


「おいおい、なんだァ? その格好は。ぐへへ、俺らと遊ぼうぜぇ?」


 チャラ男とスキンヘッドだ。

 しかも目の色を変えたスキンヘッドはすぐさま少女に掴みかかる。

 急な走りでふらふらな僕は対応が出来ない。


「……うざ」


 ぽつりとつぶやいて、少女はその手を払う。

 そして、スキンヘッドの体を軽々と担ぎ上げ、両手でバンザイするみたいに男を頭上に持ち上げた。


「はぁ?」


 スキンヘッドが目を白黒させた。

 僕だって意味不明だ。

 そいつはけっこうな筋肉質な大男で、少女が担げるような重さじゃないはず。


「この野郎、離せっ!」


「言われなくてもそうするわ」


 少女は男を担いだ手を振り下ろし、スキンヘッドの丸頭が飛ぶ。


「おいアニキ、こっち来るなっ!」


 チャラ男が喚くが、もう遅い。

 スキンヘッドはチャラ男にぶつかり、その勢いのまま二人は貧民街のボロ壁に激突した。


「痛ってぇな……。なんだあの女は……」


「まだやるの?」


 チャラ男が少女に視線をやると、少女は指をパキポキと鳴らした。


「ひぇぇ! もうやりません!! いつまで伸びてんだアニキ、ずらかるぞ!」


 そうして二人は破れかぶれになりながら、貧民街へ戻っていった。

 結局、僕は何も出来なかった。

 情けない。


 ただ、きっと彼女は今までもこういう風に絡まれてきたんだろう。

 だからあんな分厚いコートを着ていたんだ。

 伝統衣装というのはよく分からないけど。


「ごめん。何も出来なくて。だからこれ」


 僕は自分が付けていたマントを脱いで、少女に手渡した。

 もちろん目はそらして。


「何これ……って、これ神官のマントじゃない!」


 そういえばあの日からずっと着たままだ。


「ああ、そうだね」


「なんであんたが神官のマントを持っているかは知らないけど、乞食のあんたから恵まれるわけにはいかないわ。わたし、勇者だもの」


 はぁ?

 思わず振り向いてしまった。

 堂々としたビキニアーマーが目に飛び込んでくる。


「そんな勇者が居るか?」


「きゃあ! こっち見ないでよ!!」


「うわあ、ご、ごめん! 早くそれ着てくれ。話が進まない!」


 僕は後ろを向く。その間に彼女は服を着たらしい。

 神官のマントはちょっとぶかぶか。おかげでアーマーもすっぽり収まったみたいだ。


「スンスン。んっ、なんかニオうわね」


「あんまり嗅がないでよ。それよりきみ、勇者って何なの?」


 マントを離して、彼女は自分の胸を叩く。黒い布地に隠れたアーマーがカチャリと鳴った。


「きみじゃない。わたしはリゼット。あんたは?」


「ヨヴィ」


「ふーん、ヨヴィね。覚えたわ。もいちど言うけど、わたしは勇者よ。神官なら分かるでしょ、大聖堂に隠された石碑の在り処」


 は?


「どうしてリゼットが大聖堂に石碑があるって知ってるんだ?」


「フフン。わたしの一族は戦士でね、勇者の盾であり、懐刀だったのよ。知ってて当然じゃない」


 鼻高々に笑いながら平然と言ってのけた。あきらかに矛盾してるにも関わらず。


「いやでも、リゼットは自分を勇者だとか言ってなかったか?」


「そっ、そうだったわね! わたしが勇者よ。で、盾で懐刀の……」


 目がぐるぐるしだした。


「嘘は身を滅ぼすぞ。まして大聖堂に行くなら、その嘘は神官たちから要らぬ不信を買うだろうな」


「ぐぬぬ……」


「ふっ」


 おかしなやつだなぁ。


「なに笑ってんのよ!」


「笑ってなんか。……笑ってたのか? 僕が?」


「ヨヴィ以外、空き地にいないでしょ」


 もうずっと笑いもしないし、喋りもしなかったから、頬に強張った感覚がある。

 エイミがもう居ない世界で笑えるとは思わなかった。

 僕を騙したレゾンを女神と崇める世界で、誰にもエイミが僕の妹だと打ち明けることも出来なかった。


「そうか、僕は寂しかったんだ」


 孤独が僕の心を蝕んだんだろう。

 もうエイミにも会えないと分かった。

 僕は本当にこの世界で独りきりになった。


「ちょっと何? 急に泣き出すなんて。わたし何もしてないわよ」


「気にしないで。それより、リゼットは大聖堂に行きたいんだっけか。案内するよ」


 僕は洟をすすって涙をぬぐった。

 リゼットは「変なやつ」とつぶやいて、石の上で日干しにしていた分厚いコートを丸めて脇に抱える。

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