2 第一の巡礼

絶望

 試験から5日。朝、ベッドに座って右腕を確かめる。

 皮膚が赤くなった所は消えないそうだ。

 これは無茶をやった戒めだな。


 コンコン、と扉が鳴った。


「賢者ヨヴィ、準備は出来ているか?」


「はい、いま行きます」


 タカ先生に呼ばれて、僕は緑のマントを羽織る。

 胸には貝殻のブローチ。これは巡礼者の証なのだ。

 扉を開け、僕はタカ先生に頭を下げた。


「おはようございます」


「おはよう。腕の調子はどうだ」


「はい、問題なく動きます」


 背筋を伸ばし、胸を張る。

 タカ先生は僕の姿勢を見て、うん、とうなづいた。


 ちなみに試験の翌日から毎朝こうして様子を見に来てくれる上に、巡礼に関する講義もしてもらっている。

 厳しい先生だが、同じくらい優しい先生だった。


「賢者ヨヴィ、今日から第一の巡礼を始める」


「は……、はい!」


 突然のことだったので驚いた。

 ところで、第一の巡礼とは何だろう。


「巡礼は勇者の足跡そくせきを辿るものだ。救世の旅をなぞり、人々に手を差し伸べる。やがてそれは世界を救うことになるだろう」


「はい。司教から受けた恩は忘れてません」


 むにゃむにゃした老司教が僕の能力を見出してくれなければ、僕は今ここに居ない。

 だから僕が神官として人々の手助けをすることが老司教への恩返しとなる。


「あらゆる巡礼者はここ大聖堂から旅を始めることは知っているな。これより賢者ヨヴィに第一の巡礼地を案内する」


 僕は制服の腰に提げた携帯聖典を取り出す。


「やっと旅に出るんですね」


「その通りだ。……と言いたい所だが、第一の巡礼地は大聖堂ここだ」


 タカ先生は地面を指さした。


「ええ!? まだ旅に出れないのか……」


 やっと旅に出れるんだとぬか喜びしてしまった。

 早くエイミを探したいのに。


「そう落ち込むな。その話は追って説明してやる。ついてこい」


 タカ先生はその場で踵を返す。

 コツコツとブーツを鳴らして木造の宿舎を歩いていった。

 僕も慌ててついていく。



 ◆



 筆記試験の会場になったステンドグラスの部屋に来る。

 朝日が紫色に染まり、柱の彫刻を照らす。

 柱にはそれぞれ短剣や鎚矛といった武器が彫られている。


 タカ先生はそのうち鎚矛つちぼこの彫刻に触れた。


「鍵を握る力を解き放ち、封印を解除する! ――扉よ、開けアンロック!」


 鎚矛の彫刻がガクンと縦にスライドした。

 床のタイルがパズルがみたいにカタカタ動いて、地下へ伸びる螺旋階段が現れた。

 今まで見慣れた場所にこんな仕掛けがあったとは。


「おお」


 しかし、暗い。どこまで降りるんだろう。まったく見えないから勇気が要る。

 タカ先生は先に階段を降りた。

 螺旋階段は歩くたびに壁のランプに明かりが灯った。


「この下は聖域だ。下りながら先程のきみの質問に答えよう」


 僕の不安を察してか、タカ先生は階段を先に行ったのかもしれない。

 ともかく僕は少ない勇気で地下への一歩を踏み出した。


「単刀直入に答えよう。大聖堂の地下には勇者が最初に残した石碑がある」


「石碑ですか。勇者の石碑は世界各地にあると学びました。ここにもあったんですか?」


「そうだ。千年も前のものだからな、風化しないように地下で保存しているのだ。そして大聖堂は石碑を暴く者を退ける城塞として築かれた」


 一枚の石碑を守る。ただそれだけのために城を作った。狂った話だ。

 タカ先生は歩くリズムを変えない。コツコツ、という足音は秒針にも思えた。

 しかし、今まで学んできたことと矛盾する。


「先生、おかしいのでは? 各地の石碑を巡礼するのが神官の最初の務めです。なぜそこまで厳重に?」


「それは石碑を見て確かめると良い」


 螺旋階段は終わった。

 最後の段から足を離すと、フロアの天井にランプが1つ灯った。

 暗くて部屋の広さは分からない。でも、明かりの下に僕の背丈くらいの石碑が立っている。


「あれが、勇者の残した石碑か」


 本当に居たんだ。

 書物でしか知らなかったからおとぎ話だと思っていた。


 勇者の振るう剣は魔を断ったという。

 暗黒大陸を統べる魔王は冬になると魔物を送り込んでくる。

 それに勇者は対峙した。


 そう考えると感慨深いものがある。

 僕は石碑の前に立つ。


 そこに記されていたのは――


「『ユウシャ、タビダツ?』」


 カタカナだった。しかも縦書き。

 日本語だ。ギザギザした文字だけど、間違いない。


「賢者ヨヴィ? その文字を読めるのか?」


 混乱する僕にタカ先生が尋ねた。


「あ、いや」


 思わず答えを濁した。

 さすがに言えないだろう。

 僕の前世は日本人で、この石碑の文字を使っていたとは。


 タカ先生は僕のそばに立って腕を組んだ。


「この文字は私たちの世界にない言葉だ。つまり、勇者はこの世界の人間ではない。それこそ大聖堂が、いや、私たち神官が千年ずっと隠してきた事なのだ」


「つまり、異世界人が勇者では、教会にしたら都合が悪いってことですね」


 僕が明け透けな聞き方をしたせいで、タカ先生はちょっと困った顔になった。申し訳ない。


「まあ、その通りだ。ゆえに勇者の名も秘匿されてきた。この世界ではあまり意味の通らない名だからな」


 名前か。もしや勇者の名前も日本人名だったのかな。


「どんな名だったんですか?」


 タカ先生は石碑の左下を指さす。


「これが勇者が元いた世界での名前だと言われている。その名は、エイミ」


 ……。

 僕はその意味が理解できなかった。

 ただ、石碑にはたしかに小さくカタカナで『エイミ』と刻まれている。


「エイミ……?」


「その通りだ。千年も前だからな、どういう意味かは伝わっていないが――」


 先生の言葉が頭に入ってこない。

 何を言っているんだ。

 どういう意味だ。


「ここはエイミのいる世界じゃないのか……?」


「おい! 大丈夫か、賢者ヨヴィ? この世界は女神レゾンが作り、勇者エイミが守った世界だ。学んだだろう?」


 言うな。その続きは。聞きたくない。


「勇者は魔王を討ち、天界へと昇られた」


 僕は耳を両手で塞いだ。

 目を閉じ、その場に膝を付いた。

 女神レゾン。あの時、僕はたしかに願ったはずだ。


『僕をエイミと同じ世界に転生させてくれ』


 それをこんな形で叶えるだと?

 許さない。


 教えでは、巡礼の旅で人を救えば世界の救済になる。

 女神レゾンの作った世界など僕にはどうでも良い。

 エイミの居ない世界なんかどうでも良いんだ。


 僕は生きる意味を失った。

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