魔法

 日曜教会はそのすぐ後にお開きになった。

 ギョロ目神官は僕のそばにやってくる。

 僕は坊主を背中に隠した。


「おいお前! いったい何をした!」


「こっちが聞きたいくらいだ。子供相手に酷いことを。それになんだあの黒いモヤは」


「口封じの術だ。それよりもその魔力……、平民、いや捨て子か? そんなお前がどうして。神の寵愛でも受けているのか」


 女神と会って転生しました、と言って信用されたためしがない。

 だから僕は沈黙した。

 すると、ギョロ目は傍らに置いた地図を取り上げる。


「ん、なんだこの落書き。まさか地図か? ならば、これが双子山だとすると、ふむ、ならば南は勇者が魔獣を払った岩の平原か」


 す、すごい。

 僕の地図をこの男はすぐさま理解した。

 その瞬間、ギョロ目が僕を見て、腕を軽く振った。


「詳しく話せ」


 急かされながら事情を説明する。

 地図が買えないから、勇者聖典の読み聞かせを元に地図を描いたのだと。


「すごいな。お前、名前は?」


「ヨヴィです」


 ストレートな称賛に、思わず敬語で返してしまった。


「名字は?」


 頭を横にふる。


「ふむ、やはり平民か。だが、平民の分際で地図か。ならばヨヴィ、なぜ地図を描いたんだ?」


「妹を探すため、だ。ならこっちも聞かせてほしいな。神官になれば旅に出れるのか?」


 男はギョロ目をまぶたに仕舞って、あごに手をやった。

 幾ばくかの間を空けて、皿のような瞳に僕を映す。

 ねぶるように僕の全身を見て、ため息を吐いた。


「ヨヴィ、お前は捨て子だな。捨て子は神官になれない。じゃあな」


「待って! 僕はどうしても妹を探したいんだ」


 去ろうとする神官のマントを掴んだ。


「おい、汚い手で触るな!」


 僕の手は払いのけられた。

 怒気を孕んだ声が教会に響き、帰りかけた礼拝者たちの視線がこちらを向く。

 神官が礼拝者たちの方を見ると、空気が張り詰めた。


「これこれ」


 礼拝者たちを見送っていた老司教が嫌な気配を払ってくれる。

 おかげで礼拝者たちの関心が僕らから外れた。

 老司教は僕の手を取る。そして肉厚な手が僕の手を包んだ。


「……ありがとうございます」


 謝るべきか迷ったが、口を衝いて出たのは感謝だった。

 握手が終わる。老司教の手も木炭色になっていた。


「むにゃ、むにゃ。君は神官になれるよ」


 震えた声で言うから、聞き間違いかと思った。

 彼は続ける。


「かすかな声に耳を傾けなさい」


 老司教は立派な装丁の本を懐から取り出した。

 こんな間近で本を見るのは転生してから初めてだ。

 それを僕に渡そうとしてくる。


「司教! 大事な聖典をこんな捨て子に……」


「読みなさい」


 ギョロ目の忠告なんて聞かずに老司教は僕に聖典を手渡した。

 本が汚れてしまう。

 僕は慌てて服で手を拭って本を受け取る。


「司教、捨て子は読み書きが出来ません。まして神官など!」


 目玉をひん剥いて若い神官は抗議する。

 老司教は白くなった眉をハの字にして神官の肩に手をやった。


「問いなさい」


「問う、のですか? 読み書きも出来ない子供に?」


 何か僕の知らない話を二人は交わした。

 そしてギョロ眼をこっちに向けて、枯れ枝のような不気味な指を僕へ突き出す。


「ヨヴィ、お前はこれから言うページを読んでみろ。レゾン記の3。私の一番好きな話だ」


 そんなこと言われても、文字は読めない。

 ギョロ目の好きそうな話なんか絶対わからない。

 すがるように老司教を見るが、穏やかな表情はそのままだ。


 ――どうしろって言うんだ。


 聖典の豪華な表紙を開く。

 この世界の文字は音符に点や払いが付いたような形で、日本語でも英語でも無い。


「ああ、聖典が汚れてしまう。司教、捨て子には無理です」


「待ちなさい」


 ギョロ目と老司教が会話をしている。会話だ。

 ならどうして言葉が分かるのか。

 日本語じゃないのに意味は伝わる。


 ――もしかして。


 僕は聖典を閉じ、表紙に手を置く。

 かすかに声がした。鼓膜を震わす声じゃない。

 これは聖典に宿った想いだ。


 ある文を繰り返す読む子供の声が聞こえる。

 僕はその子供の声を頼りに復唱した。


「『その男は勇者を裏切り、悪魔の館へ置き去りにした。勇者の仲間たちは裏切り者の男を各々の言葉で罵った。罵倒を糧に悪魔は姿を見せて、勇者に罵倒すれば良いとけしかけた。勇者は悪魔に問うた。男が自分の意思でそうしたのか、と。悪魔がそうだ、と答えると、勇者は納得して罵倒しなかった。彼には彼の立場があって、正しいと思ったことをした。悪魔は怯み、勇者の剣のに触れただけで消え去ってしまった。悪魔が消え去ると、一人の子供が残されていた。それは男の息子であった』」


 とても長い文を、僕は本を開かずに読み切った。

 自分でも不思議だが、その声が僕を導いてくれた。


「ま、間違いない。レゾン記の3だ。それに、私がだと読み間違えていたことまで、なぜ分かったんだ?」


 ギョロ目の男は眼をさらにギョロリとさせていた。


「声が聞こえたんだ。子供の声だった」


 神官は口元を隠した。

 老司教に視線をやると、にこやかな笑みがあった。


「ほっほっ、それが魔法だよ。君には万物に宿った想いを聞く力があるようだ」


 そういえば老司教は『かすかな声に耳を傾けなさい』と言っていた。

 だとしたら、聖典を読むように言ったのは、まるで最初から見抜いていたからなのか。

 さらに、しわくちゃの手を聖典の上に置いた僕の手に重ねる。


「わしの魔法は、人の能力を知る魔法だよ。だから改めて伝えよう。君は神官になれる」


 気がついたら僕は老司教の手を両手で握っていた。

 そして僕は神官見習いとして選ばれた。


 坊主を連れて孤児院に戻った僕は事情を話すと、乳母たちは喜んだ。

 そして、この街で一番大きな建物――大聖堂へ送り出してくれた。

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