転生

 生まれてから4年、僕の意識は急に覚醒した。


「はじめまして、ヨヴィ。今日からここがあなたの家になるのよ」


 優しそうな奥さんが僕をヨヴィと呼んだ。

 それが僕の名前らしかった。


 奥さんが疲れた感じの笑みを浮かべると、ほうれい線のシワが深くなる。

 つまり、僕が僕であるという事に気づいたのは、僕が親に捨てられた瞬間だったんだ。


 奥さん――孤児院の先生に連れられ、石畳の路地を抜け、古ぼけた木造家屋に招かれる。

 まずは風呂場に連れて行かれた。

 冷たい水で体中を洗われると、頭がスッキリした。


「ふむ、これが僕か」


 鏡の前で僕は自分の容姿を確かめる。

 黒髪だけどブルーの瞳。日本人っぽくない顔立ちだ。


 で、全裸なわけだが、4歳だからすべてがチンチクリン。

 脇腹の骨が浮き出ているし、あまり発育が良さそうには見えない。


 それにしても皮肉だな、また捨てられるとは。


 転生前もそうだった。

 唯一の家族は妹だけなんだ。

 まずはエイミを探そう。



 ◆



 エイミの捜索は難航を極めた。

 僕は6歳になっていた。


 少なくとも孤児院には居ない。

 それどころか同じ都市の中には居ない気がした。


 都市の外に居るのだとしたら、会うのは困難だろう。

 7歳になれば僕は下働きとして引き取られ、さらに街から出にくくなる。

 だが、僕には策があった。


 それが、この日曜教会の読み聞かせである。


「救世の勇者は双子山の深い谷を訪れた。そこでは門番が過当な通行税を取っていた。商人から種籾を取り上げようとし、商人がそれを断ると門番は彼の妻を取り上げようとした。そこに割って入った勇者は……」


 壮年の神父がゆったりとした口調で語るのは、魔王を倒して世界に平和をもたらした勇者の伝説だ。

 だが大事なのはそこではない。


 ――この前は岩だらけの平原を行ったから、なるほど、平原の北には山があるのか。


 頭の中で地図を展開した時、僕の服の袖が引っ張られた。

 その方を見ると孤児院で2つ下の子供だ。

 年じゅう洟垂れの坊主である。


「ヨヴィにーちゃ。また地図かいてよぉ」


 で、すぐ上の7歳は働きに出る年頃だから、6歳の僕が小さい子の世話をしている。

 こういう所は前世とあんまり変わってない。


「わかったわかった。だから教会では静かにしてるんだよ」


 自作の地図が見つかってしまって以来、洟垂れにせがまれる日々だ。

 仕方なく僕は白樺の木の皮を剥いで作った地図に木炭の角でゴリゴリと押し付ける。

 三角を描く。双子山だからもう一個だな。隣に三角を描く。


 うん、少しずつこの辺りの地理が分かってきたぞ。


 つまり、僕は勇者の旅路から地図を描いているわけだ。

 僕は下働きに出た後、金を貯めてエイミを探すために旅に出る。その時に使うのだ。

 この世界の地図……というか、読み物を庶民は買えないから自作するしかない。

 働き始めたらきっと地図を書く時間も無いだろうから今なのだ。


「今日の説教はここまで。さて、大聖堂から神官様が参られました」


 いつの間にか壮年の神父は話を終えていた。

 神父に招かれた二人の男が、演台の後ろに並んで立つと、神父はいそいそと壁の方へ寄った。


 へえ、神官なんて初めて見た。

 二人とも緑のマントに貝殻のブローチを付けている。

 そのうちの一人、細目の老人が口を開く。


「ええ、むにゃ、ええと」


「司教」


 隣に立った若い男は老人司教に耳打ちした。

 その後、ギョロリとした目を僕たちに向ける。

 まるで、一言も喋るな、と釘を指すみたいな目だった。


「神がきませり聖日に、民みな良き子であれ」


 老司教は震えながら声を絞り出した。

 たった一言を述べただけで、老人はスンと静かになる。

 もう終わり? と首を傾げかけた時、若い男の方がギョロッと僕を見た。


「これは、敬虔なる信徒ならば説教をよく聞け、という意味だ」


 明らかにこれは僕たちへの警告だ。

 慌てて白樺のメモ帳と木炭を脇に置いた。

 長椅子の木材がコンと鳴って、いやに音が響く。


「ご、ごめんなさい」


 なんてみっともないんだ、僕は。

 恥を思い知らされながら頭を下げると、男は話を続けた。


 話をまとめるとこうだ。

 ギョロ目の神官は巡礼を終えて大聖堂に戻ってきた。

 巡礼では勇者の旅路に沿っていくつかの街を赴いたのだという。


 なるほど、旅路に沿って……。待てよ?

 商人や貴族だけじゃなくて、神官も旅をするのか?

 だが、その話に興味を持ったのは僕だけじゃなかった。


「すごいよ、ヨヴィにーちゃ! 街のお外に出たんだって!!」


 坊主だ。4歳だからじっとしていられないのもあるんだろう。

 僕は口の前で人差し指を立てる。


「静かに。神官さまがお話し中だよ」


「でもでも! ヨヴィにーちゃ言ってたじゃん! お外に出たいって」


「そうだけど……」


 あまり大声で言うことじゃない。

 都市の暮らしを捨てるというのは浮浪者――つまり、野盗になるということだ。


「ヨヴィにーちゃも神官さまになれば……んんんっ!?」


 坊主の口元に黒いモヤが掛かった。

 必死にモヤをひっかくようにするが、まったくどける気配はない。

 なにが起きてるんだ、とギョロ目神官の方へ助けを求めようとしたが。


「よく聞けと言ったろう? それは口封じの術だ」


 そのギョロ目こそ犯人だった。

 坊主はかわいそうに涙目になってもがいている。

 その目が訴えていた。助けて、と。


「よく分からないけど、やめてよ!」


「ならん」


「話したのは悪いけど、子供相手にここまでしなくても!」


「教えてやる。神官は勇者さまから平和を託された。聖なる場での喧騒は静める。それが誰であっても平等にだ」


 よく言えば厳格。でも、今は悪く言おう。こいつは頭でっかち!

 話が通じないんだ。


「待ってろ。今これを取ってやるからな!」


 僕は黒いモヤに手をやる。


「ふん、無駄だ。私は聖神官の術をお前ごときが解けるわけが……何!?」


 バチッと静電気みたいな音がして、黒いモヤが霧散した。

 ギョロ目は目を見開いて、なぜ、なぜ、と呻く。


「聖神官の術を解くだと? そんなことできるのは私より強い魔力を持つ貴族くらいのもの……。お前はいったい……」


 術ってなんだ。魔法とか魔術とかそういう類のあれなのか。

 でも今はそんなことはどうでも良い。


 坊主が大きく深呼吸してから、僕にひっしとしがみついたので、その頭を撫でてやった。

 こいつが無事で良かった。それだけなんだ。

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