第4話

 暗闇の中、ガタゴトと律動を刻む音と揺れで、システィーナは意識を取り戻した。薄っすら瞼を開けると、目の前には女が二人腰掛けている。長い黒髪を一纏めにし、眼鏡を掛けた女と、濃茶の髪を短くした女。クロードと共にいた、システィーナを捕らえた二人である。

 使用人の格好をしているが、システィーナを捕える時に見せた動きは素人のそれではなかった。確実に戦闘の訓練を受けたプロだということが、システィーナの素人目でも分かった。


 現在システィーナは馬車で運ばれているらしく、女達の向かいの席に寝かされている。


(わたしが捕まったままだということは、レイは間に合わなかったの……)


 意識を失う直前の記憶を手繰り寄せ、事実に絶望してしまいそうだ。


(このまま何処に連れて行かれるのかしら……やっぱりイデオンに……?)


 上体を起こすことは叶わないが、体感として馬車は山道を走っているようだった。

 クロードの目的は一体何なのか、システィーナには見当が付かない。


 システィーナは再び瞼を閉じる。

 イデオン王宮の牢へと閉じ込められていた時の自分を、助けに来てくれたレイを思う。彼の姿を思い浮かべると、やはり完全に希望を捨てきれない。


 馬車が止まり、システィーナが降ろされたのは、山の上にある神殿だった。

 神殿の中へ入るよう促され、渋々足を踏み入れる。


 奥まで進むと、祭壇の前で背を向けて立っている元婚約者が視界に映る。システィーナの元婚約者、クロードがゆっくりとこちらを振り向いた。


 この既視感は、婚約破棄を言い渡されたあの日のことを思い出されるからだ。

 ついにイデオンの聖女が見つかり、それがパメラだということ。その聖女を害した自分は婚約破棄を言い渡され、挙句捕縛された。


 あの時の言葉、声が鮮明に蘇る。脳裏に焼き付いている。


 違いといえば、以前はイデオン王宮にある聖堂で、現在はヴェルザスの神殿ということ。

 この二カ国は異なる神を崇拝し、互いに自国の神を世界の主神と信じ、もう片方を邪神としている。相反する両国は長きに渡り、関係は良好なものではなかった。

 いつ争いが起こるのか、緊張の続く両国の友好のため、ヴェルザスからイデオン王に輿入れしたのがクロードの母コルネリア妃である。


 クロードは目の前の、古い大きな箱型の物に手を触れながら口を開く。

 材質は何か分からないが、鉄や鋼のように固そうに見える。


「これがヴェルザスの神が眠る箱だよ」


(神?)


 人が何人か入れる程の大きさはあるが、そこに神が入っているとは甚だ疑問である。御神体のような物だろうかと、システィーナは心中で首を傾げた。


「パメラ、聖女である君の力を貸してくれるね?」

「はいっ」


 呼ばれて祭壇下にある、横手奥の間からパメラが兵を引き連れて出てきた。鎧に刻まれた紋章を見るに、彼らがヴェルザスの兵だと分かる。

 ヴェルザス兵を祭壇下に待機させたまま、パメラのみが階段を登ってくる。

 頬を染めながら駆け寄ると、うっとりとした瞳でクロードを見上げた。


 彼女も来ていたのかと、システィーナは心中で独りごちた。

 そしてクロードは、パメラに向けた優しい声音とは真逆の硬い声を響かせる。


「レイ」

「はい」


 システィーナは、まさかという思いで、声がした自身の背後を振り返った。


「え……レイ?」


 漆黒の髪に瞳を待つ青年。紛れもなく、見慣れた自分の従者がそこに立っていた。「どうして?」と声も出ないシスティーナの横を、一切顔を向けずにレイは通り過ぎていく。


 祭壇まで辿り着いたレイは片膝を立て、恭しくクロードに剣を捧げた。


「ここまでご苦労だった」


 受け取ると、クロードは鞘から剣を抜く。

 システィーナはその剣を見たことがある。王宮に飾られている歴代の王の姿絵、その中に描かれているイデオンの宝剣。


(どういうこと?レイはわたしを裏切ったの?わたしをここへ連れてくるのが目的……)


 この神殿に連れて来るために、レイは自分を助けたのだろうか。いや、それにしては回りくどすぎる──システィーナの思索の糸を、クロードの声が断ち切る。


「神に生贄を捧げる儀式を始めよう。システィーナ嬢を前へ」


 両脇に立つ女二人に促され、システィーナは祭壇まで連れて行かれた。

 恐ろしくて堪らないのに、抗う気力すらなくなってしまったようだ。

 クロードが剣を掲げる。

 生贄を捧げると言ったクロードは、その剣で何をするつもりなのだろうか。生贄とはきっと自分のことなのだろう。


 そうシスティーナが確信したその刹那、視界が黒で覆われる。


「お嬢様」

「レイっ!?」


 レイがシスティーナを庇う様に、目の前に立ったのだ。


(何故わたしを庇うの……?)


 クロードが剣を振り上げたのは、きっと何かを斬るため。そしてレイは何故自分を庇うのか。

 疑問の言葉を頭に並べた途端、システィーナは一瞬で身体中の血液が、凍りつく程の錯覚を覚えた。

「駄目!」と叫びながら目の前の背中に抱きつく。


「お嬢様、俺は大丈夫です」


 咄嗟に瞑ってしまった瞼を開け、状況を把握しようとシスティーナは辺りを見渡した。

 クロードの剣は、パメラの胸を貫いていた。


「か、はっ……、どう……して……」

「ひっ……!?」


 血を流しながら問い掛けてくるパメラに何も答えぬまま、クロードは剣を引き抜く。

 鮮血がびしゃりと箱に飛び散った。


 レイはこの惨たらしい光景を見せないよう、自分を庇ってくれたのではないか。そんな考えが頭に過ぎりながら、顔を背けたシスティーナの耳に怒号が響く。


「貴様!!」

「操れていなかったのか!?」


 ヴェルザスの騎士達が、鞘から抜いた剣を手に構えていた。

 怒気を纏い、向かってくる騎士達に、クロードの従者である二人の女が身構える。


「殿下、システィーナ様、お下がりください」


 従者の取り出した暗器が弧を描く。黒髪を靡かせ、剣先を避けながら隠しナイフを投じる。


 パメラを刺した宝剣とは別に、クロードの腰に携えられていた剣を借りたレイが応戦する。


 レイは相手の剣を受け流し、敵の剣が翻る前にその身を突いた。

 金属の交わる音に、システィーナはただ震えた。


 ようやく神殿内に静寂が戻ると、辺りには無数のヴェルザス兵が転がっている。

 死体に向けてくつくつと、喉を鳴らして笑うクロードの瞳には、剣呑な光が宿っていた。


「操られていたよ、最初の三日程はね」


 その言葉にシスティーナは驚き目を見張るも、すぐに背後を振り返った。

 祭壇に置かれた箱がガタガタと音を立てて震え出したのだ。不気味な光景にたじろぐシスティーナをよそに、毅然と箱の方へとクロードが歩み寄る。


「さぁ、ヴェルザスの神のお目見えだ」


 徐々にズレていった蓋が床に落下する。

 箱は更に四方に開かれ、中から出てきたのは古びた兵器のような物だった。


「これがヴェルザスの神が宿る古代兵器か」

「兵器……」


 御神体は箱ではなく、中の兵器の方だったのかとシスティーナが理解した瞬間……。


『ア……アァ……』と呻き声を上げるそれに、システィーナは驚きすくみ上がる。


「生贄を欲するヴェルザスの神は、王族や聖女の血で蘇るとされている。そのような禍々しい存在……やはりヴェルザスの神こそが、邪神だと僕は考えるんだけど、システィーナもそう思うよね?」

「……」

「でも神だろうが邪神だろうが、そんなことはどっちでもいい。

 魔法で操った僕の口から、システィーナに婚約破棄を言い渡すなんて……。あの女、コルネリアも、コルネリアが信仰するヴェルザス神も僕は絶対に許しはしない」

「!?」


『イデオン……』


 兵器から不気味な男性とも女性ともとれない声が、苦しげに呟かれる。やはりクロードの言う通り古代兵器に神が宿り、封じられていたらしい。


「お前の聖女が息絶えて、中途半端な復活となったようだね。昔文献で読んだんだ、過去にヴェルザスは自国の聖女を生贄に捧げて、神を眠りから目覚めさせたことがあるらしい。そしたら力の源である聖女を失って、中途半端な復活になってしまったと。

 聖女の血で蘇った癖に、聖女がいなければ力を発揮出来ないなんて、滑稽で笑えてくるよ」


 声を出して笑い声を上げたクロードが振り返る。


「ごめんねシスティーナ、少しだけ力を貸してくれるかな?共にあの禍々しい神を滅ぼそう」

「え?」

「こちらは神器であるこの剣も、聖女も揃っているから大丈夫」


『神器』と呼ばれるその剣をシスティーナに握らせ、クロードは背後から手を回す。そして彼は剣を握るシスティーナの手に、自身の掌を重ねた。


 システィーナの全身を熱が駆け巡り、頭の中に誰かの声が流れ込んでくる。システィーナはその声を、すぐにイデオンの神だと理解した。

 剣から光が放たれ、光弾は古代兵器を真っ二つに両断し、破壊した。


 呆然とするシスティーナは、倒れているヴェルザス兵を目にした途端、我に返る。


(このままヴェルザスとの関係が悪化すれば、最悪戦争になってしまうかもしれないわ……)


 システィーナの心情を汲み取ったかのように、クロードが口を開く。


「これは僕があの女に魔法で操られた上で起こった出来事なんだから、あの女とヴェルザスの責任だよね。魔法の掛け方を誤ったか、それともイデオンの王子は操られたせいで、気でも狂ったのかもね」


 あの女とは、クロードの実母である王妃コルネリア。自身の母を「あの女」とまで呼ぶクロードは、王妃を恨んでいるのだろう。

 そして操られていたフリをしていたクロードが、実は正気だったと知るヴェルザスの人間はもはや、死体となって転がっている。


「極秘任務のお陰でヴェルザスの兵は少数だったが、長居するのは危険過ぎる。早めに……いや、その前に」


 クロードはシスティーナに片膝をつく。


「君を傷付けて本当にすまなかった。心から謝罪したい。これからも僕の婚約者でいてくれるだろうか……?」

「えっ、は、はいっ」


 人が見ている中で、王子に跪かれたシスティーナは狼狽しながら返事をしたが、その声は裏返っていた。

 何より、辺りに死体が散らばった中では流石に異様過ぎた。


「ありがとう。では、イデオンへ帰ろうか。システィーナ」

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