第3話
独房から逃れて以降、システィーナの装いは、レイの用意してくれた旅装となっている。目立つ髪はフードで隠して行動しているが、ここ隣国で生活していても「イデオンにて、処刑が決まっている侯爵令嬢がヴェルザスへと逃げ込んだ」との情報は入ってこない。
他国にいる人間を裁くのは難しいのだろう、ヴェルザスに来てからというもの、平穏無事に時間が流れていた。
現在レイが持って来た路銀で生活しているが、それが尽きても侯爵から預かっている宝石類を売りながら、当分不自由なく暮らしていける。
自分の帰りを待ってくれている両親の支援あって、ようやく自分は生きることが出来ている。そして何よりレイが側にいてくれることが、システィーナの大きな心の支えとなっていた。
彼がいなければ、買い物の仕方すら分からなかった程だ。
港町から移動し、現在は街道沿いにある商業都市へと身を寄せている。ここを生活の拠点として、一月が経過しようとしていた。
宿では隣接する二部屋を借りている。ヴェルザスでの暮らしに、システィーナは大分慣れつつあった。
侍女がいなくとも一人で着替えをしたり、少しずつ自分の力で出来ることを増やしている。最近では、お茶の淹れ方も覚えた。
そして現在システィーナは宿の自分の部屋で、街の通りを眺めている最中である。
レイが買い出しに行った後、システィーナはこうして彼の帰りを待つことが多い。
商人が多く訪れる町とあって人口も多く、行き交う人々の活気で溢れている。
しばらくそうやって町の様子を眺めていると、レイの姿を見つけた。
荷物を抱えて宿の方へ向かっている様子から、買い物を終えた後だと予想がつく。
宿に入り、階段を登ってこの部屋の扉をノックするのに、そう時間は掛からないはずだ。
レイは外出した後、宿へと戻るとシスティーナへ帰宅を知らせるため、この部屋を必ず訪れて報告してくれる。
レイが戻ったら一緒にお茶の時間にしよう。そう頭の中で呟きながら、浮き足だった様子で扉前に立ち、レイを待つ。
少し経って扉が叩く硬い音がし、システィーナはすぐに扉を開けた。
「お帰りな──」
「見つけた、システィーナ」
最後まで言い終わらず、言葉が霧散した状態で固まるシスティーナの眼前には、イデオンの王子クロードが立っていた。
紅玉の瞳でシスティーナを見下ろすクロードは、にこりと微笑みを浮かべる。
(クロード様……!?)
「久しぶりだね、システィーナ」
かつて自分の婚約者だった筈のクロード──以前と変わらぬ微笑みを浮かべる彼が、何故ここに居るのか。そして今一体何を思っているのか分からず、システィーナはただ恐ろしかった。
動きも思考も停止してしまったが、なんとか扉を閉めようと、震える身体に力を込める。
だが華奢なシスティーナの力がクロードに敵うはずがなく、簡単に阻まれてしまい、扉は大きく開かれた。
(どうしてクロード様が……レイはどこ……)
宿生活に慣れ、つい扉の向こうにいるのは誰なのか、確認を怠ってしまった浅はかな自分を呪う。どうして今日に限ってと。
(もう少しでレイが戻るはずなのに……)
クロードの後ろに控えていた使用人姿の女、二人のうち一人が素早くシスティーナの背後に回り込む。
あっという間に抑え込まれ、身動きが取れない中、辛い記憶が頭に過ぎる。
──このままイデオンに連れ戻され、再びあの寒くて寂しい独房へと戻されるのだろうか。
(それだけは絶対に嫌!)
レイが戻れば、きっと助かる。一縷の望みに縋る様に、彼の名を呼んだ。
「いやっ、レイ、レイっ!!」
だが口を塞がれ、それ以上叫ぶことは叶わなかった。
もう一人の女がシスティーナの顔の前に手を翳す。途端システィーナの全身から力が抜けていく。遠のく意識の中、クロードの「丁重に扱え」といった指示が聞こえたのが最後、そのまま眠りへと堕ちていった。
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