第42話

 一年後。

 茉鈴が三年生に進級し、約二ヶ月半が過ぎた。

 外国部学部二年生の蓮見玲奈が別のキャンパスに移ってから、もう顔を見る恐れは無い。ようやく、玲奈の記憶が消えていこうとしている時だった。

 午後四時過ぎ――茉鈴は自宅で読書をしていると、ふと携帯電話が鳴った。

 喜志菫からの通話着信だった。しばらく放っておいたが、しつこく鳴り続くため、仕方なく応えた。


『ええか? 今日絶対に、この店に行ってこい。絶対やからな』


 突拍子も無い用件に茉鈴は困惑するが、菫から『おとぎの国の道明寺領』という店名を伝えられた。本当に店名なのかすら、怪しく聞こえた。

 場所は、繁華街に位置するようだ。自宅からの移動に、一時間近く要する。


「えー。遠いじゃん、そこ。ていうか、何のお店?」

『行ったらわかるわ。おもろいもん見れるで』

「まあ……行けたら行くよ」

『アホか! 絶対に行け! 暇してるん、わかってるんやからな!』


 怒鳴る菫から、通話を切られた。一方的な用件に茉鈴は面倒だと思い、読書を続けた。

 無視するつもりだった。しかし、後から菫に文句を言われるのも面倒だった。

 午後八時頃、茉鈴は痺れを切らし、仕方なく自宅を出た。

 菫から伝えられた場所は、飲食店が立ち並んだ一角にある、古びた雑居ビルだった。地下に下りた階段の先に扉があるが――窓が無いため、店内の様子がわからない。店名からも想像できず、いかがわしい店かと疑いたくなる。

 とはいえ、折角ここまで来たのだからと、茉鈴は渋々扉を開けた。


「いらっしゃいませ。おとぎの国の道明寺領へ、ようこそ」


 長い髪が舞った。赤いドレスに身を包んだ女性に、出迎えられた。

 聞き覚えのある声だけではなく――一目見ただけで、茉鈴に既視感が込み上げた。

 ようやく消えようとしていた一年前の記憶が、瞬時に蘇った。


「……あれ? 玲奈?」


 そう。どういうことか、こんな所で蓮見玲奈と再会した。

 美しさは相変わらずだった。茉鈴は、つい見惚れた。


「おひとりさまですね。こちらへ、どうぞ」


 だが、まるで初対面のように、素っ気なくあしらわれた。

 従業員としての対応よりも――やはり一年前に縁が切れていたのだと、茉鈴は寂しかった。

 玲奈に席へと案内され、店内を見渡した。コンセプトカフェという概念を知らない茉鈴は『コスプレした店員に相手をして貰えるバー』だと認識した。

 よく見ると、玲奈の頭にはティアラが載っていた。おそらく、女王を演じているつもりなのだろうと、理解する。

 まさに、理想の通りだった。凛とした気高い雰囲気が、とても似合っていた。

 短く切った髪が徐々に伸びていたのを知っていたが――再び長くなり、コーラルベージュに染めた髪が、とても綺麗だった。


 菫がこの店に仕向けた思惑は、まさしくこれだろう。

 突然の再会に、茉鈴は少し戸惑う面もあった。しかし、それ以上に懐かしかった。

 何も無い、真っ白な一年だった。それより以前、玲奈と過ごした二ヶ月は確かに色づいていたと、現在は思う。

 虚ろな日々を過ごしたからこそ、現在こうして未練が生まれた。再び色を取り戻したかった。

 実に自分勝手であることも、玲奈から嫌われていることも、理解している。

 それでも、手段を選んでいられなかった。何とかして、近づきたかった。


「すいませーん。注文いいですか……レイナ様、だっけ」


 わざわざ源氏名で玲奈を呼び、酒を注文した。


「ねぇ……五分でいいから、ちょっとお喋りに付き合ってよ。ここ、そういうお店なんでしょ?」


 そして、客という立場を利用して、強引に引き止めた。

 一年振りに、玲奈と話した。

 今日だけ、この店で単発アルバイトに入っているようだった。こうして再会したのは、菫の思惑もあるが、幸運としか言えない。

 この日は喜びを噛み締め、帰宅した。


 後日、茉鈴はおとぎの国の道明寺領の求人情報を探した。演者のアルバイトを募集していたので、応募した。

 玲奈に会いたかった。

 確率は限りなく低いが――玲奈がもう一度、単発アルバイトに入ることを期待した。経済的に客として通い続けることは不可能なので、従業員という同じ立場で再会する魂胆だった。キャンパスが分かれた現在、それが唯一の現実的な接点だった。

 その薄い望みは、偶然にも叶う。

 茉鈴が面接で訪れると、玲奈の姿もあった。給料面から、この店で続けて働くようだ。

 玲奈が店主に、事情を話したのだろう。玲奈を含む従業員三人に囲まれ、面接――というより、玲奈と揉めないことに釘を刺された。


「私も、お給料が良いのと……あと、楽しいお店だなって思ったんで。盛り上げるの、手伝いますよ」


 それもまた、志望動機のひとつであった。

 茉鈴は本心を隠し、玲奈とはアルバイトの同僚となった。


 茉鈴は玲奈と、魔法使いと女王というふたりの演者として、人気を博した。

 玲奈には毛嫌いされていたが、それを賃上げへと繋げたいらしい。アルバイトでは仲良くする提案を受けた。

 そして、やがてはアルバイト外でも『友達』になりたいと伝えられた。

 身体だけのかつての関係ではなく、食事や外出等、文字通りの友達だ。茉鈴としても、願ってもいなかった関係だった。


 しかし、その矢先――夜中に玲奈が部屋を突然訪れた。

 ひどく落ち込んでいたのは、アルバイトで喜志菫を相手にしたからのようだ。

 自分の居ない所でふたりの接触があったことに、茉鈴は焦燥感に駆られた。


「わかった。私が玲奈を守るよ。あの子を、玲奈に近づけないようにする」


 玲奈にそう約束した通り、菫が後日部屋を訪れた際、言い聞かせた。


「ねぇ、菫ちゃん……。私のバイト先に、もう来ないで貰えるかな?」

「は? なんで? どこ行こうと、うちの勝手やろ?」


 だが、聞く耳を持って貰えなかった。

 菫が店で何か問題を起こしたわけではない。私情での提案なのだから、当然だ。


「なに? あの女――レイナやっけ? あいつに泣きつかれたん?」


 茉鈴としては、言葉を選んだつもりだった。しかし、下卑た笑みを浮かべている菫には、意図を見透かされているようだった。


「あの子にちょっかい出されると……私が嫌だ」


 だから、真剣な目を菫に向け、正直に話した。

 少しの間を置き、菫は大笑いした。


「え? あいつと仲ようやってんの?」

「そうだよ」

「ほんまに? 万年ぼっちのお前が?」


 玲奈だけでなく菖蒲も含めると、二年で二度も人間関係で失敗していた。真剣な態度を見せたところで説得力が無いと、茉鈴は理解している。

 それでも、今度こそは玲奈と『友達』で居られる手応えがあった。ただの『セフレ』ではない。腹を割って、意思疎通を行えている。


「まあ、ええわ。うちが何もせんでも、絶対ぼっちに戻るで。お前は、そういう人間やからな」


 菫はひとしきり笑った後、素直に引き下がった。

 茉鈴には意外だったが――これ以上無い蔑みでもあった。いっそ、菫が激怒して口論になった方がよかった。

 勝手に自滅する姿に笑いたいのだ。茉鈴は悔しくて、唇を噛んだ。


 それからは言葉通り、菫が店を訪れることはなかった。

 茉鈴は悔しさを忘れるほど、玲奈と楽しい時間を過ごした。

 アルバイトの他、買い物、花火、プール――三年目の大学生活で、最も充実した夏季休暇を送った。

 玲奈とは、良い『友達』関係だった。

 だから、誕生日を知った時は、喜ばせようと計画を練った。焼肉を奢り、理想の象徴である『レイナホワイト』を贈った。とても喜んで貰え、茉鈴としても満足した。


 茉鈴は、玲奈から『余裕』や『大人』の理想を求められている自覚があった。

 それらさえ満たせば、玲奈との関係が続くと思っていた。

 そのためにも、なるべく努力したが――続かなかった。

 格好悪い姿を玲奈に見られたのは、体調を崩した時だけではない。


「茉鈴はカッコいいですよ。いつも落ち着いていて、余裕があって……何に対しても動じないところは、素敵です」


 卒業後の進路を考えるも、行き詰まった。それにも関わらず、玲奈から肯定された。


「玲奈は私を必要としてくれる? 私、玲奈の傍に居てもいい?」


 自分でもわからなかった長所を挙げられ、ひとりの人間として認められた気がした。

 無力な自分を、世界でただひとり――玲奈だけは受け止めてくれると思った。


「私、玲奈のために頑張るね……」


 茉鈴は嬉しくて涙を流すと同時、玲奈への気持ちが『恋心』へと変化した。

 玲奈との明るい未来を望む。そのためには『友達』から、より近づきたい。

 しかし、かつての経験から、踏み込むことに躊躇した。現在の距離感で『妥協』するべきだと思った。

 茉鈴はしばらく悩んだ。


 そんな時、菫が再び店を訪れた。

 思惑通りに事が進まず、腹を立てての行動だと茉鈴は思った。

 ハリエットの応援もあり、菫を出入禁止の警告まで追い込んだが――茉鈴としては、限界だった。

 張り詰めていた緊張感が、この外圧により千切れた。

 茉鈴はもう、気持ちを抑えられなかった。玲奈と、いつも傍に居たかった。

 勉強している玲奈に一刻も早く伝えるため、わざわざ図書館まで訪れた。


「ごめん……。ちょっと、外で話いいかな?」


 踏み込もうと決めたが、ひどく怯えているのが自分でもわかった。

 それでも、玲奈ならきっと受け入れてくれると信じて、屋外へと連れ出した。


「私、玲奈のことが好きだよ。だから、友達じゃなくて……ちゃんと付き合って欲しい」


 人気の無い所で、気持ちを伝えた。

 だが、玲奈の瞳から涙が溢れた。


「ごめんなさい……」


 否定の言葉が、茉鈴の耳に届く。

 どうして? 思いもしなかった展開に、茉鈴は頭の中が真っ白になった。

 蝉の鳴き声がうるさい。強い日差しに目眩がするが、玲奈の声も泣き顔も――紛れもない現実だった。


 終わった。

 茉鈴はただそれだけを理解すると、苦笑して立ち去った。

 踏み込むべきじゃなかった。妥協するべきだった。後悔するが、もう遅い。

 玲奈と過ごした三ヶ月が、淡い思い出へと変わっていく。もう玲奈は傍に居ない。『友達』ですらない。

 原因はわからない。しかし、三度目の失恋は間違いなく自分の手によるものだから――とても悔やみきれなかった。



(第14章『失恋の記憶(後)』 完)


次回 第15章『無理をしてでも』

茉鈴はハリエットと英美里と、今後について話す。

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