第32話
八月十九日、土曜日。
おとぎの国の道明寺領は二日間の『盆休み』を終え、今日から再び営業を再開した。玲奈はシフト通り、さっそく出勤した。
「みなさーん、リフレッシュできましたかー? 今日もはりきっていきますわよー」
午後四時過ぎ、にこやかなハリエットに迎えられた。
この人は、どのような休日を過ごしたんだろう。帰省したんだろうか。玲奈はそのような疑問を持つも、とても訊ねられなかった。
「うーん……。全然休んだ気がしなかったなぁ。でも、頑張らないとね」
英美里は帰省したようで、スタッフルームのテーブルには土産の菓子箱が置かれていた。
「偉いわね。往復するだけでも、疲れたでしょ?」
「そうだよ。とんぼ返りで、全然ゆっくり出来なかったもん」
実家の位置する地域が近いため、玲奈は英美里の苦労を察する。
一方の玲奈はというと、一昨日は茉鈴とビアガーデンへ行き、昨日は自宅でゆっくりと過ごした。疲労も気だるさもなく、程よく休めたと思う。
「ちょっと、マーリンさん!? 貴方、大丈夫!?」
茉鈴も同じはずだが――どうしてか、ひどくやつれていた。
玲奈は体調を崩した姿を一度見ているので、それではないとわかる。どちらかというと精神的に、憂鬱さに参ったかのようだった。
「だ、大丈夫です……」
「ほら。しっかりしてくださいよ、茉鈴。もうちょっとでお店開きますから」
とはいえ、玲奈はおよその原因を察していた。ビアガーデンで再び見せた明るい笑顔は、何だったのだろうと思う。
そもそも、アルバイトより就職活動を優先すべきだと伝えた矢先、こうして来ている。もしかすれば、決定済のシフトに対し、責任感あっての行動なのかもしれないが。
「安良岡さん、何かあったの?」
「たぶん、自分探しで心が折れただけよ」
英美里から小声で訊ねられ、玲奈は呆れた様子で答えた。
だが、英美里はそれだけで理解できないようで、首を傾げた。
午後五時になり、店が開く。
茉鈴は少し持ち直したものの、ぎこちない態度だった。いつもの胡散臭さは無く、客席からは不安げな視線が送られていた。
「マーリン……貴方、どうしたの? 今日は、なんだか変よ?」
玲奈は、とても見ていられなかった。仕方なく、助け舟を出したつもりだった。
いつものようにヘラヘラと笑い、ふざけた返答をしてくると思っていた。
「ええ……。私、自分の将来がとても不安でして……」
「は?」
だが、抑揚の下がった声でぽつりと漏らしたのは、予想外だった。
魔法使いマーリンを演じることすら、放棄している。これではただの安良岡茉鈴だと、玲奈は思った。
玲奈だけでなく、客席もざわついた。特に、一際強い――ハリエットの視線から、振った以上は事態を収拾つけなければいけない責任を感じた。
「貴方、何を言ってるの? 王宮魔法使いでわたしの側近なのに……将来? まさか、女王の座を狙っているのかしら?」
玲奈は焦るも、上手く返したと内心で自賛した。
不敵に笑った後、客にわからないよう一瞬だけ目を見開き、茉鈴へ強い視線を送った。こちらの意図に気づいてほしかった。
「女王様の座など、とんでもない。時々、ふと思うわけですよ……。私は何者で、何のために生まれてきたのだろう、と」
「まあ。貴方、中学二年生ぐらいの悩みを持っているのね」
茉鈴はようやく気づいたようだが、なんとも言えない方向に話を運ばれた。
思ったことを玲奈はそのまま口にしたところ、客席から笑い声が聞こえた。これでは茶番ではなく漫才だと、恥ずかしかった。
このままではいけないと思い、遠いところを見ているような目の茉鈴に近づく。そして、正面から渋々抱きしめた。
「何を言ってるのですか……。貴方は貴方ですよ。わたしの側近であることに、もっと誇りを持ちなさい……他の誰にも務まらないのですよ? それとも……そのように悩んでしまうほど、不満なのかしら?」
いつもは大抵、マーリンから抱きしめられる。レイナからは、玲奈の知る限りおそらく初めてだ。
それは客にとっても意外なのだろう。感嘆の声が、客席から聞こえた。
「これは無礼を働きました。レイナ様のお側に居られるほどの幸せは、他にありません。きっと……幸せボケだったのでしょう」
「わかればよろしいわ」
茉鈴が客席を見渡しながら、芝居がかった態度で話をまとめた。
客席から、拍手が響く。一時はどうなることかと思ったが、無難な落とし所だと玲奈は安心した。
しかし、横目で茉鈴を見ると――どこか浮かない表情だった。
やがて午後十一時になり、玲奈は茉鈴とスタッフルームに移った。
いつもであれば、茉鈴に振り回された疲労を感じる。しかし、今日は茉鈴の調子が終始悪かったため、それが無かった。玲奈としては欲しいわけではないが、なんだか奇妙な感覚だった。
代わりに、物足りなさは焦燥を引き寄せた。
「ちょっと、今日どうしたんですか? いくらなんでも、ひどすぎですよ」
玲奈は茉鈴とふたりきりになるや、問い詰める。
今日のハリエットからの視線は、明らかに悪い感触だった。先日、賃上げの口約束を交わしたばかりだというのに――取り消される可能性を、玲奈は危惧した。
「就活の準備を優先してくださいって、言いましたよね? 中途半端な気持ちでバイトに来ないでください」
なんだかプロ意識が高い台詞だと自覚するが、玲奈にとって率直な意見だった。
茉鈴への恋愛感情とアルバイトの業務は別だと、割り切っていた。いや、今日の茉鈴は『理想』からかけ離れ過ぎて、まるで別人のようだった。
「そうは言われても……。もう何をどうすればいいのか、わからなくさ……」
玲奈は着替えながら、茉鈴のどこか投げやりな声を聞いた。
三年生は通常の講義の他、就職活動の説明会を学校が開催しているはずだ。おそらく茉鈴がそれに出席しなかったと玲奈は以前から思っていたが、確信に変わった。
自業自得だと言えば、それまでだ。しかし、茉鈴はもはや『身内』であるため、放っておけなかった。
「わたしでよかったら、ちょっとは相談に乗ります」
「ほんと? ありがとー」
茉鈴の表情がパッと明るくなり、玲奈は小さく溜め息をついた。
二年生の夏、玲奈本人はまだ就職活動に取り掛かっていないため、断片的な知識しか持っていない。それでも、茉鈴よりは詳しいと思った。
そして、恥もなく下級生を頼る茉鈴に、呆れるばかりだった。
ふたり共着替え終えると、裏口から店を出た。人気は疎らだが、まだ明るい繁華街の夜道を歩いた。
「ちゃんとした話は、次の休みにでもするにして……そもそも、茉鈴は何の業種を狙ってるんですか?」
駅に向かいながら、ふと訊ねる。
以前から就職活動に触れることは度々あったが、玲奈はそれすら知らなかった。自己PRの話を作るにしても、業種に沿ったものでなければ意味がない。まずはそこを抑えようと思った。
玲奈は、茉鈴の頭が悪いとは思っていない。むしろ、学生としての能力は高く買っている。だから、最低限の方向性さえ定めれば、自ずと進める気がした。
「うーん……。ごめん、私にもわからない……」
「は?」
ばつが悪そうに苦笑する茉鈴に、玲奈は開いた口が塞がらなかった。このまま立ち止まり、道端にうずくまりたいぐらいだ。
「それ『わからない』じゃなくて『働きたくない』ですよね?」
「まあ、そうとも言うね……」
「今から将来の夢を考えましょう、なんて絶対に言いませんからね? 嫌でも働かないと食べていけないんですから、どこで『妥協』するのか考えてください」
「うう……手厳しいなぁ」
ヘラヘラしている茉鈴本人が事の深刻さを理解していないと思い、玲奈は大きく溜め息をついた。
自己PR以前の問題だった。
「だいたい、文学部の就職実績って、何があるんですか? みんな作家にでもなるんですか? 茉鈴は小説とか書いてるんですか?」
「いや……どんな人生送ったら、小説を書こうだなんて趣味に行き着くの? たぶん、そんなレアな人、文学部にもまず居ないよ」
玲奈は偏見を口にするが、白けながらも現実的に答える茉鈴に、少し腹が立った。
そもそも、どうして文学部を志願したのかも訊いたところで、まともな回答が返ってくるとは思えない。おそらく、なんとなく入学して、なんとなく過ごしてきたのだろう。そう考えると、この現状に納得した。
玲奈は携帯電話を取り出し、文学部の就職先についてインターネット検索をした。
「へぇ。広告代理店とか新聞社、出版社が多いみたいです」
ここでようやく、玲奈の中で文学部の印象がついた。
同時に、どれも激務な業界だと思った。茉鈴との相性が良くないものばかりだろうが、この際贅沢は言ってられない。
「出版社なんて、どうですか? 茉鈴、本好きじゃないですか。自分で書かなくても、企画とか編集とか、これまでの知識と経験が活かせそうですけど」
読書している茉鈴が頭に浮かび上がり、かろうじてそのように繋げると、玲奈はしっくりきた。
むしろ、これが唯一の『正解』とさえ思う。他には何も考えられなかった。
「うん……。確かに、それでいいんじゃないかな。玲奈が言うなら、間違いないよ」
隣を歩く茉鈴を見上げると、納得したように頷いた。人生における重大な選択肢を、いとも簡単に即決した。
まるで、水着を購入した時と同じだと、玲奈は思った。信頼されていることは嬉しいが――根拠とされると、責任を感じる。素直に喜べない。
かといって、他の案が浮かばないことは事実だった。茉鈴が思考放棄しているとはいえ、やはりそれしかないように思える。
だから、時に大胆な決断も必要なのだと、玲奈は前向きに考えた。
「それじゃあ、その線で……次の休みに考えていきましょう」
「ありがとう。玲奈が居てくれて、助かるよ」
茉鈴に優しく微笑みかけられた。
これでいいんだ。間違っていない。不安を払い除けながら、玲奈は自分に言い聞かせた。
しかし――そもそも、自分なんかが進路相談に乗ってよかったのだろうかと、ふと思う。
出版社と結びつけたのも、読書している姿の『外観』からだ。本当に茉鈴が本好きなのかすら、定かではない。
茉鈴のことを、どの程度知っているのだろう。最後に残ったその不安は、小さいが――払い除けられず、じっとりと張り付いていた。
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