第11章『伝えられない気持ち』
第31話
八月十七日、木曜日。
世間の盆休みが終わりを迎えた。おとぎの国の道明寺領は昨日まで営業し、今日と明日が休業日だ。
結局、玲奈は帰省が面倒になり、月末へ先延ばしにした。
「私、ビアガーデン行きたい」
「先輩、どんだけお酒飲みたいんですか? アル中ですか?」
盆営業中、茉鈴とそのように話していた。ようやく一段落ついた今日、玲奈はビアガーデンへと茉鈴を誘った。
英美里には申し訳ないと思いつつ、敢えて声をかけなかった。茉鈴とふたりきりになりたかった。
足を運んだ先は、以前水着を購入した――北部に位置する、この地域最大の駅だ。
昼間は、付近のデパートで衣服の買い物をした。そして午後六時を過ぎた頃、そのデパートのひとつにある、屋上ビアガーデンへ向かった。
入口で四千五百円ずつを払い、入場する。
玲奈はビアガーデンが初めてだった。仕事帰りの社会人が飲みくれているような、場末の酒場のような、あまり良い印象を持っていなかった。
「へぇ。意外と綺麗だね」
だが、茉鈴の感想と同じく――ウェブサイトの写真で見た通り、悪くはなかった。
頭上には安っぽい電飾があるものの、木々に囲まれ、広い床はほとんどが芝生だ。デパートの屋上の割には、綺麗に整理されていた。
また、メニューとしても揚げ物一辺倒ではなく、野菜やスイーツもある。ビール以外の酒も豊富であり、女性でも馴染みやすい場所だと玲奈は感じた。
屋外のため暑いが、開放感はある。食べ飲み放題であることを考えれば、値段相応に思った。
まだ開始から間もない時間帯のせいか、空いていた。今日は平日であるため、それほど混雑しないだろう。
玲奈は、適当に料理を盛った皿とビールを手に、四人がけの丸テーブル席に茉鈴と向かい合って座った。
乾杯してすぐ、茉鈴がジョッキのビールをすぐ空にした。玲奈はペースが早いと思いながら、エビのサラダに手をつけた。誕生日の翌日はひどい二日酔いにうなされたため、今日は飲酒を抑え気味にするつもりだった。どちらかというと、主に食べるつもりだ。
「食べ放題の割には、結構いけますね」
「外で食べると、大体のものは美味しいよ。カップ麺だって、そうだし」
「茉鈴が言うと、説得力ありますね」
確かに、開放的な場所の補正もあるのかもしれない。いつか茉鈴とバーベキューにも行ってみたいと、玲奈は思った。
「そういえばさ……どうして海外留学したいの?」
茉鈴が新しいビールを取って戻ってきた際、ふと訊ねられた。
玲奈は口がぽかんと開き、食べようとしたナチョスが指から皿に落ちた。
「いや……いきなりすぎません? どこからそれが出てきたんですか?」
「なんとなく、外国っぽいかなって」
「な、なるほど」
茉鈴が飲食物のブースに目をやる。
屋台のように並んでいるが、落ち着いた雰囲気は、確かに海外の路上のようだ。そういえば、
茉鈴の言い分に、一応は納得する。とはいえ、突然の質問には驚いた。
「わたしが留学したいのは、語学のためでもありますけど……ぶっちゃけ、就職のためですよ」
玲奈はちょうど現在、交換留学の願書作成に取り掛かっている。内容は本音を軸にはしているが、建前で脚色している部分もある。そもそも、理由付けの根本にあるものは――
「外資の金融で働くとなれば、留学経験はほぼ必須ですからね」
たとえ外国語能力測定試験で高得点を出そうとも、あくまで座学での知識に過ぎない。言語だけでなく、それを含めた異文化の経験も求められる。
だから、その道へ進むならば学校指定の交換留学が理想だ。最悪は自腹を切ってでも経験を積まないといけない。
「へー。玲奈は外資系を狙ってるんだ。えらいね」
「あれ? 言ってませんでしたか?」
「うん。たぶん、初耳……」
玲奈としては茉鈴に言ったつもりだったが、留学の件までだったかもしれないと思った。
そもそも、これまでは話す機会が無かった。
「てかさ、どうして外資系なの? この国じゃ不満?」
「不満が無いわけじゃないですけど……外資はちゃんと実力で評価してくれますから」
玲奈は父親が翻訳家であるため、幼少より海外の文化に触れてきたこともある。しかし、働くとなれば理由は別にあった。
最近でこそ見直されてきているが、この国では様式を重んじる傾向にある――性別の概念を含め。
勤続が短いから。女性だから。それらの理由で働き難さを感じる声を聞き、玲奈もこれまでの学生生活でそのように感じる場面があった。
玲奈は、この国の文化を理解できる。だが、身を置きたいとは思わなかった。
「でも、その分厳しいんじゃないの?」
「厳しい分、待遇も良いですよ」
一般的に外資企業は効率や早さが求められ、成果のみで評価される。義理や人情が付け入る隙は無く、成果を上げられなければ戦力から外される。
性別や人柄などに左右されず、純粋に実力のみで評価される環境を、玲奈は求めた。見合った対価を求めるのは二の次であり、経験を積んでいずれは独立したいと考えている。
だが、そこまでの長期的な『計画』を、まだ誰にも話せなかった。まずは、就職から順に通過していきたい。
「なるほどね……。玲奈はそうなんだ」
納得した様子で、茉鈴がビールを一口飲んだ。
働き方に正誤は無い。何を選ぶのかは人それぞれだ。茉鈴がそれを理解しているように、玲奈は感じた。
「文学部でも、交換留学の希望者は居ますよ」
だが、下手に口を挟んで欲しくないので、論点を反らした。かろうじて始まりの状態に戻したとも、言える。
「へー。玲奈みたいに、外資で働きたいのかな?」
「違いますよ。ほとんどは、学生生活で何もしてこなかった人達が、焦ってるだけです。履歴書とか
玲奈はフライドポテトを摘まみながら、半眼で茉鈴を見る。
居心地が悪そうな様子で、茉鈴は苦笑した。
「え……。私も留学した方がいい感じ?」
「一年ぐらい遅いですよ。茉鈴の場合、大学院で仕切り直すのが現実的かもしれませんね」
「うーん……。それもなんか嫌だなぁ」
「それじゃあ、自己PRに何て書くつもりなんですか? 学生生活で打ち込んできたもの……ひとつぐらいは何かあるでしょ?」
玲奈は空になったグラスを持って、席を立った。酒のブースでは、はちみつ風味のウイスキーが推されていたので、それをソーダ水で割った。
席に戻っても、茉鈴が頭を抱えていた。
「ちなみにだけど、玲奈は何て書くつもり?」
「わたしは留学しかありません。それを軸に、勉強とバイト頑張ってきたんですから……」
玲奈は一年生の時に旅行サークルに入ったが、メンバーが男性ばかりのため、歓迎会にしか顔を出していない。サークルでの実績が全く無いどころか、在籍扱いになっているのかすら不明だった。
茉鈴へ偉そうに言っているが、玲奈も現在まで大した活動はしていない。勉強と外国語能力試験の点数しか取り柄がなく、その成果として留学へ繋げられるなら――かろうじて自己PRが作れる算段だ。そのためにも、必ず留学しないといけない。
「私も、バイトで攻めてみるよ。今コンカフェで、めっちゃ頑張ってるからね」
「いや……。それで話作るの、難しくないですか? ていうか、コンカフェのバイトはあまり言わないほうがよくないですか?」
まだ先のことなので、玲奈は就職活動について詳しくはない。だが、勉学に関することならまだしも――アルバイトでの自己PRを企業側は求めていないと、どこかで聞いたことがある。
現在、茉鈴がアルバイトに精を出しているのは事実だ。それが就職活動には何の意味も無く、玲奈としても残念だった。
「そっか……。あー、そういえば……一年生の時、家庭教師のバイトしてたよ」
「へぇ。初耳です」
玲奈としては意外だが、ふと英美里のことを思い出す。
英美里は、茉鈴が勉強を教えるのが上手いと言っていた。それが事実であれば、家庭教師のアルバイトは茉鈴に適していることになる。
「ちなみに、どのぐらい続いたんですか?」
「うーん……。
「ですよねー」
玲奈も、ちょうどそのぐらいで家庭教師のアルバイトをやめた。給料面が主な理由だが、対人の煩わしさも確かにあった。茉鈴もおそらくそれに耐えられなかったのだろうと、ひとり納得する。
「ていうか、せっかくの楽しい席なんだし、こういう話やめない?」
「振ってきたのは茉鈴じゃないですか」
「えー。そうだっけ?」
「まあ、やめますけど……ちょっとは危機感持った方がいいですよ。たぶん、茉鈴の同級生は今頃、インターンに参加して企業研究してると思います。自己PRなんて、とっくに片付いてるんじゃないですか?」
「マジで?」
玲奈の計画では、一年後は少なくともそのように行動しているはずだ。まだ何も手をつけていない茉鈴には呆れるが――おかげでふたりの時間を過ごせているので、複雑な心境だった。
しかし、茉鈴本人は悲壮感を醸し出していた。
玲奈の『理想』から離れた姿が、残念だった。
「まあ、夏休みはまだ残ってるんですし、今から始めたらギリギリ間に合いそうですけど……。バイトより、そっち優先した方がいいですよ」
だから、玲奈はそのように擁護した。
いくら茉鈴のだらしなさに惹かれたとはいえ、それは『余裕』があってのことだ。本当に路頭に迷っては、元も子もない。
「うん。明日から本気出すよ」
「それ絶対に出さないやつですよね」
「出すよ……たぶん。それにしても、玲奈がしっかりしていてよかったよ」
茉鈴は一変して明るくなり、上機嫌にビールを飲んだ。
「こ、これぐらいは当然です……」
玲奈は照れるのを誤魔化し、手元の酒を飲んだ。
はちみつの甘さとウイスキーの苦みが入り混じった、なんとも言えない味だった。それでも、まだ慣れないビールよりは飲みやすかった。手持ちのマルゲリータピザとの相性も、良いように感じた。
かつては、茉鈴の将来など知ったことではなかった。自分の性欲さえ満たせるなら、茉鈴がどうなろうと構わなかった。
だが、今はこのように心配していた。茉鈴には卒業後、真っ当な社会人として職に就いて欲しい。
やはり、恋愛感情を持っただろうかと思いながら――玲奈は、ヘラヘラしている茉鈴を眺めた。
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