第29話

 八月十三日、日曜日。

 午後四時を過ぎ、おとぎの国の道明寺領は昼営業を終えた。

 玲奈はスタッフルームに入り、疲労感を引きずりながらパイプ椅子に座った。しばらくぼんやりしていると、扉が開いた。


「お疲れさまでーす! って、うわっ」


 夜シフトの春原英美里が姿を現し――すぐに驚いた。


「これ……全部そう?」

「ええ。欲しいのあったら、あげるわ」


 玲奈はテーブルの上を、改めて眺める。客達から貰った誕生日プレゼントで溢れていた。

 スキンケア用品や使い捨ての蒸気アイマスクは、素直に嬉しい。コスメや香水は、実際に合うのかわからないので、何とも言えない。そして、アクセサリー類は――高級ブランドも目につき、とても重く感じた。

 飲食品が受け取れない決まりなので、皆よく考えて選んだと、玲奈は感心する。しかし、この物量には白けた。


「そんなの、お客さんに悪いよ。ちゃんと持って帰るまでが、生誕祭だからね」

「は、はい……」


 とはいえ、一度に持って帰られないほどの物量だ。ハリエットに話し、一部はしばらく置かせて貰おうと玲奈は思った。

 今日の誕生日イベントは、玲奈の感じる限り、大成功だった。

 暑い中、店の外には入店を待つ客の列が出来ていたほどだ。たった三日前から告知したというのに、予想外に集まったと玲奈は思った。

 客達から玲奈は順次プレゼントを受け取り、感謝を伝えたうえで少し喋っていった。休む間がほとんど無かった。

 祝われる側にも関わらず――この店でのアルバイトで、今日が間違いなく最も大変だった。きっと、本当の女王はこのような誕生日なのだろうと、今になって思った。


「これだけ貰えるの、玲奈ちゃんだからだよ。流石はウチのエースだね」


 英美里からそのように言われるが、玲奈に実感は無かった。『蓮見玲奈』ではなく、演者の『女王レイナ』として祝われた。このアルバイトに誇りを持ち合わせていないため、気分は複雑だった。

 しかし、嬉しさは少なからずあった。

 客からプレゼントとして貰ったのは、市販の物品だけではなく――玲奈は可愛い封筒を手に取った。封筒と同じデザインの便箋に、感謝の言葉が手紙として綴られていた。

 他にも手紙はいくつかある。それらを読んでも、今後の動機づけにはならない。だが、これまでこのアルバイトを頑張ってきてよかったと、気分は少し労わられた。


「てことで、これはあたしから。誕生日おめでとう、玲奈ちゃん」


 玲奈は英美里から、小さなショップバッグを受け取る。中には色とりどりのマカロンが、小さなビニール袋に包装されていた。


「本当はケーキやプリンにしたかったんだけど……この時期に生菓子はまだ、ね」

「ううん。甘いの食べたかったから、超嬉しいわ。ありがとう」


 ハリエットが今回の行事に五号のホールケーキを三つ用意したが、玲奈が一口も食べることなく、即完売した。

 玲奈は甘菓子を我慢し、かつ客から受け取れなかったので、嬉しいのは本心だった。今すぐにでも食べたいぐらいだが、時間帯を考え、我慢した。夕飯の食後にと思った。


「おつかれー。あー、しんどー」


 友人から祝われ喜んでいると、扉が開いてぐったりとした茉鈴が現れた。

 今日の茉鈴は店前の行列も含め、客席管理と会計を主に担当していた。そのため、せっかくの行事に関わらず、絡むことはほとんど無かった。

 勿論、魔法使いマーリンから誕生日プレゼントを受け取ってもいない。

 だから、玲奈は英美里からのショップバッグを膝に置き、茉鈴の目から咄嗟に隠した。

 マーリンにしろ茉鈴にしろ、誕生日プレゼントを期待していた。だが、わざわざ強請る真似はしたくなかった。


「今日は本当にお疲れさまです、先輩」

「お疲れさまです! 後は、あたしに任せてください!」

「うん。そうするよ……」


 茉鈴はパイプ椅子に座り、テーブルに溢れる贈物の山ではなく、天井をぼんやりと眺めた。

 玲奈としても、疲労からまだ立ち上がれなかった。

 ふたりを余所に、英美里が衣装に着替え、準備を終えた。


「さーて、夜はどのぐらい来るかなぁ。それじゃあ、頑張ってくるよ」


 玲奈は茉鈴と共に英美里に手を振り、扉を出るのを見送った。

 閉店後、ハリエットがレジで売上を嬉しそうに確かめていたのを思い出した。スタッフルームで、茉鈴とふたり取り残された。


「そろそろ帰りましょうか」

「あ、あのさ――」


 いつまでもこうしているわけにもいかないと、玲奈は立ち上がろうとするが――茉鈴に呼び止められた。

 さっきまでぼんやりしていた茉鈴の垂れ目は、何かに怯えているようだった。いつもの『余裕』が無く、玲奈は違和感を覚えた。


「この後、ご飯でもどうかな? ほら、この前……風邪の看病してくれた時、焼肉奢るって言ったよね?」


 こちらを見上げて話す茉鈴に、そういえばそのような約束をしたと、玲奈は思い出した。

 あくまでも、看病のお礼なんだ。誕生日のお祝いじゃないんだ。

 こうして今日突然誘うにしても、そのような体なのだと残念だった。明らかに取り乱していることからも、遠回しに感じた。


「時間、ある?」


 改めて問われ、玲奈は意地悪をしようかと悩むが――誘ってくれただけでもまあ許そうと、頷いた。

 今日は誕生日だが、これからの予定が特に無いのは事実だ。


「ありがとうございます。焼肉ですからね? 本当に、先輩の奢りですからね?」


 微笑んで見せると、茉鈴の表情がパッと明るくなった。柔らかな笑みは、いつもの茉鈴だった。

 まるで幼い子供のように露骨な変化だと、玲奈は思った。


「うんうん。今日はご馳走するよ」


 玲奈は立ち上がり、茉鈴と共に衣装から着替えた。

 スタッフルームに紙袋があったので、客からの誕生日プレゼントを可能な限り詰め、ふたりで店を出た。


 時刻は午後四時半。まだ夕飯時ではないので、時間を潰すことになった。

 玲奈は重い荷物を一度、駅のコインロッカーに置いた。そして、茉鈴と大手家電量販店や、駅と直結している複合商業施設を歩いた。家電、衣服、コスメ――それぞれの店を眺め、欲しいものは沢山あるが、何ひとつ購入することはなかった。

 茉鈴からも、何も贈られなかった。


「そろそろ食べに行こうか」


 やがて午後六時になり、茉鈴に連れられて焼肉店へ向かった。

 玲奈は、食べ放題のチェーン店だと思っていた。実際、それでも充分嬉しかった。


「ここ、美味しいらしいよ」

「……え?」


 しかし、着いた先は知らない店であった。

 店先にぶら下がった提灯に『一頭仕入れ』と書かれているが『食べ放題』の文字は見当たらない。また、落ち着いた店構えからも、高級感が漂う。

 玲奈は怖気づくが、茉鈴が扉を開けた。


「ちょっと、先輩――」


 大丈夫なんですか?

 思わず引き留めようとしたところ、茉鈴はきょとんとした表情で首を傾げた。

 いつも通り、余裕のある様子だった。無理に背伸びしているように見えないことから、玲奈は少しだけ安心した。

 店に入ると、ショーケースに赤みの牛肉が飾られていた。玄関はまるで精肉店のようだったが――靴を脱がされ、玄関から見える店内はまるで料亭のようだった。


「すいません。予約していた、安良岡です」


 下駄箱にスニーカーを仕舞っていると、茉鈴の小声が聞こえた。

 事前に下調べをしていたようだったが、予約までしていたことに玲奈は驚いた。数時間前に誘っておきながら、もし先約があればどうしていたのだろう。それとも、断らないと確信していたのだろうか。

 何にせよ、茉鈴がこうして準備をしていたことが――茉鈴らしかぬ一面が、玲奈は嬉しかった。予約の件は、聞こえなかったことにした。


 店員の案内で、店内へと進む。

 店先に『全席個室』と書かれていた。飲食店でよくある、仕切りがある程度の半個室だろうと、玲奈は思っていた。

 だが、通された先は、扉付きの狭い密室だった。ふたりが並んで座る掘りごたつの、俗に言う『カップルシート』だ。


「玲奈は奥どうぞ」


 店員とのやり取りで茉鈴は扉側がいいのだと思いながら、言われた通り、玲奈は奥の席へ座った。


「さあ、何食べようか。とりあえず、タンあたりから?」


 茉鈴も座り一息ついたところで、ふたりでメニュー表を眺めた。

 確かに、玲奈は牛タンから食べたいところだが――二種ある牛タンはどちらも一人前が千五百円以上であり、目を反らした。食べ放題ではない焼肉屋にしても、牛タン一人前はおよそ千円ぐらいという認識だった。やはり、相場より高値の、それだけ価値のある店だ。


「わたし、何でも食べますんで……先輩にお任せします」


 遠慮気味の気持ちがある。そして、こうして計画してくれた茉鈴に任せたい気持ちもまた、本心であった。


「オッケー。あー、でも……玲奈はお酒飲む? お肉だと、ビールかワインかな?」


 玲奈は、茉鈴から顔を覗き込まれた。

 質問の意図をすぐに理解した。今日で二十歳を迎え、合法的に飲酒可能になったからだ。

 しかし、やはり茉鈴は誕生日に直接触れなかった。


「はい……。ビールお願いします」


 玲奈は、ビールもワインも口にしたことがほとんど無いため、苦手意識を持っていた。まだ、甘い酒の方が好きだ。だが、折角の誕生日であり――茉鈴に一応祝われていることもあり、この場に相応しいであろう酒を選んだ。

 茉鈴がテーブルのボタンを押し、店員を呼ぶ。注文している声がどうしても聞こえるが、玲奈はなるべく言葉の内容から耳を背け、冷水を飲んでいた。

 注文後しばらくして、まずは牛タンと、ビールの注がれたジョッキふたつが運ばれてきた。


「いいお肉だから、片面だけで充分かな」


 茉鈴はテーブルの網火に牛タンを置くと、裏返すことなく薬味を載せ、玲奈の小皿に運んだ。

 香ばしい匂いと共に、牛タンには脂が滲んでいる。


「それじゃあ、お疲れさま」

「お、お疲れです……」


 乾杯をした後、茉鈴はジョッキの半分ほどを飲み、美味しそうな声を上げた。

 玲奈も一口飲む。よく冷えて爽快だが、やはり苦味が美味しいとは思えなかった。


「無理に飲まなくてもいいからね。お肉食べていって」


 茉鈴に促され、玲奈は薬味を包んだ牛タンを食べる。


「うっわ……やば……。超美味しいですね、これ」


 玲奈がこれまで食べてきた牛タンも、大抵は美味しかったが――これは頭ひとつ抜けていた。薄い割に柔らかく、噛むと肉汁が溢れる。前菜的な位置ではなく、充分に主力となり得るメニューだと思った。

 次に運ばれてきたのが、漆塗りの重箱だった。四つに仕切られ、四種の肉が入っていた。添えられた札にはそれぞれ、特上サーロイン、上カルビ、クラシタ、バラの中落ちと書かれていた。玲奈は知らないが『本日の厳選四種盛り合せ』というメニューだった。


「先輩、クラシタって何ですか? 初めて聞きました。ていうか、写真撮ってもいいですか?」

「撮ってもいいから、ちょっと落ち着こう? まだ酔ってないよね?」


 実際のところ酔っているのか、玲奈はわからなかった。変に気分が高揚するのを感じながら、鞄から携帯電話を取り出した。重箱の写真を撮ると、すぐにSNSへ投稿した。

 それが済んだところで、茉鈴がバラの中落ちから順に焼いていった。


「なんかね、このお店は塩で食べるのが通なんだって」

「へー。意識高いですね」


 テーブルにはタレの他、塩が四種置かれていた。

 茉鈴が小皿の肉に粗塩を『置いた』のを見て、玲奈も真似をした。塩を包んで食べた。


「あっ、意外といけますね」

「お肉そのものが良いやつだから、塩も要らないぐらいだよ」

「ちょっと、なに意識の高いこと言ってるんですか」


 玲奈は笑うが、茉鈴の言っていることがわからなくもなかった。

 確かに、肉そのものに旨味がある。タレはおそらく雑味になるだろうと思った。


「これ、本当にバラですよね? サーロインと間違ってません?」


 それほどまでに美味しいので、念のため確かめるが、重箱には大きめの特上サーロインが残っていた。


「そういうことなら、サーロインは最後にしようか。けど、まあ……あんまり期待しない方がいいよ」


 茉鈴の言葉が理解できないまま、玲奈は順に肉を食べていった。塩だけでなく、チシャ菜に包んでも美味しかった。

 そして、最後にサーロインを食べ――実際に口へ含むと、理解できた。


「ほとんど脂ですね……」

「そういう部位だからね」


 良く言えばとろけるような食感だが、玲奈にとっては不快だった。ステーキのようなものを想像しただけに、拍子抜けた。

 重箱が空になったところで、マルシンと焼しゃぶが皿で運ばれてきた。前者は赤身と脂身の配合が丁度よく、後者は濃い味付けの大判肉を焼き、生卵で食べるという――変わった食べ方だが、美味しかった。

 二皿も空にして、食事を一通り終えた。


「どう? お腹膨らんだ?」

「はい。もう、大満足ですよ。ありがとうございます」


 実際のところ玲奈の腹具合は八分目だが、脂の不快感でこれが限界だった。

 食べ放題の店とは明らかに違う味であり、玲奈にとっては滅多に食べられない御馳走だった。至福のひと時を過ごした。


「良いお肉とビールって、本当に最高だよね」


 茉鈴はビールをジョッキで二杯飲んでいた。玲奈は一杯目の、あと二割ほど残っている。


「先輩、本当にビール美味しく飲んでるんですか?」

「玲奈も大人になれば、美味しさがわかるよ」

「へー。先輩と、ひとつしか違いませんけどねー」


 玲奈は苦笑するが、茉鈴の言葉には不思議と説得力があった。

 このような店でも動じることなく、そして手慣れていたことからも、茉鈴が何らかの経験を得ていると思った。貫禄に近いそれは、とても一年で埋められる気がしなかった。

 やはり、玲奈の抱く理想像通りの人物だった。


 ふたりで席を立ち、店の玄関へ向かう。

 玲奈が鞄から財布を取り出そうとしたところ、茉鈴から制止された。大人しく甘え、先に店を出た。

 時刻は午後七時半だった。繁華街の一角であるここは、人通りが多い。

 少なからず酔ってはいると、玲奈は自覚している。食事の充実感もあり、気分はまだ高揚したままだった。

 数軒隣に『ホテル』が見えた。意図的なのかはわからないが、店同士の連携が取れた配置だと、玲奈は納得した。

 悶々とした気持ちが込み上げる。それを抑えながら、茉鈴を待った。


「お待たせー」

「ありがとうございます、先輩。ご馳走様でした」


 しばらくして出てきた茉鈴に、玲奈は改めて頭を下げた。

 発端は、風邪の看病だった。礼に焼肉を奢ると言われた時は――まさかここまで満足するものだとは、思いもしなかった。

 そして、結果的には玲奈にとって最高の誕生日になった。

 食事代が気になるところだが、訊ねるのは失礼だと弁えていた。


「お粗末様でした。喜んでくれて、よかったよ」


 茉鈴は柔らかな笑みを浮かべた後、ホテルを一瞥した。

 やはり同じなのだと、玲奈は期待しながら茉鈴と向き合った。


「さて――よかったら、私の部屋に寄ってく?」

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