第09章『夏を楽しむ』
第25話
八月一日、火曜日。
ここ最近は『真夏日』が続き、最高気温の推移にさほど変化は無い。しかし、暦が八月になったことで、玲奈は一層暑くなったように感じた。
午後四時過ぎ、日傘の下で汗を流しながら、おとぎの国の道明寺領へと向かった。
「お疲れさまです」
「レイナ様ー、ごきげんよう。本日も、よろしくお願いしますねー」
店内でハリエットに挨拶をして、スタッフルームに入る。まだ他には誰も居なかった。
玲奈はテーブルに鞄を置くと、水を飲みながら壁のホワイトボードを眺めた。
今月の十一日から十六日、俗に言う『お盆期間』も、この店は営業する。サービス業なのだから、世間の大型連休は繁忙日になるのだろうと、玲奈は納得した。
ただ、まだ現在のところは誰もシフトを入れていない。そして、おそらく集まり難いと推察する。その意味では、自分がなるべく入れて、帰省を後ろへずらす――幸い、十七日と十八日は休業日だ――ことを考えた。
しかし、八月十三日に目をやった。
この日、玲奈は二十歳を迎える。誕生日は、家族に毎年祝われている。今年は特に節目の歳だ。これに合わせて帰省すべきだろうかと、考える。
とはいえ、玲奈としては割とどうでもよく、本音は帰省自体が面倒くさい。それでも、親から学費と仕送りを受けている身であり、これまでの感謝もあり――どうしようかと悩んでいると、扉が開いて茉鈴が現れた。
「ちわー。暑いね、今日も」
「お疲れさまです、先輩」
茉鈴はパイプ椅子に座ると、鞄からうちわを取り出して自分に扇いだ。
そういえば、誕生日をおそらく茉鈴は知らないのだろうと、玲奈はふと思った。少なくとも、伝えたことがない。これまで話題に挙がることもなく、玲奈もまた茉鈴の誕生日を知らない。
「先輩は、お盆どうするんですか? 実家に帰るんですか?」
だが、わざわざ口にはしなかった。偶然知られるなら、まだしも――何かを期待して自分から伝えるのは嫌だった。
「うーん……。まあ、帰れたら……」
「それ、絶対に帰らないやつですよね」
暑いことも相まってか、茉鈴は露骨に面倒そうな表情だった。
家族をどう思っているのかはわからないが、実に茉鈴らしいと、玲奈は呆れた。
「そうだ。玲奈の地元に行きたいなぁ。ここも都会だけど、さらに都会なんでしょ?」
「別に、都会じゃないですよ。出やすいというか、アクセスは良いですけど……」
玲奈の実家は、この国の東側、首都に近い所に位置する。広さと人口の規模、利便性で言えば、現在暮らしている街と同程度だ。生活に不自由は無いが、何か珍しいものがあるわけでもない。
「どっちかというと、先輩の地元の方が、まだ観光地じゃないですか」
対して、茉鈴の実家はこの国の西側――現在の地域よりさらに西寄りだと、玲奈は聞いている。田舎というわけではないだろうが、豊かな自然や温泉があり、料理も美味しそうな印象が強い。
「いやー。世間はそうなのかもしれないけどさ……昔っから住んでると、パッとしないよ」
「へぇ。そんなもんですか」
隣の芝生は青い。玲奈の頭に、その言葉が浮かぶ。互いに、理想や憧れを持っているだけだ。
それは地元だけではないように思うが――
「お疲れー! おっ、ふたり共居るじゃん!」
勢いよく扉が開き、春原英美里が現れた。手には何か、雑誌を持っていた。
「水着買ったんでしょ? 夏真っ盛りだし、泳ぎに行くよ!」
そう言って掲げた雑誌は、この地域の情報誌だった。
そういえば二万円も出して新しい水着を購入したことを、玲奈は思い出した。
かつて英美里から誘われた時は嫌な気持ちであり、断る説得材料として水着を購入するつもりだったが――現在は割と楽しみだった。
茉鈴と一緒に水着の買い物をしたのは、楽しかった。それだけではなく、夏季休暇をアルバイトと勉強でほとんど過ごしている現在、単純に何か気晴らしが欲しい。
「いいねぇ。ぱーっと、遊びに行こう」
「どこにする? 海? プール? 河もアリかな?」
英美里がテーブルに広げた雑誌を、三人で眺めた。
雑誌としてはナイトプールを推しているようだったが、玲奈はこじんまりした感じよりも、爽快感を求めた。
「わたし、ウォータースライダー滑りたい」
かしこまる仲でもないので、正直に話した。もし子供っぽいと思われても、構わない。
「それなら、あそこは? 世界中のお風呂があるところ」
「あー。ここから目と鼻の先にあるトコですよね」
英美里の補足もあり、茉鈴が提案している所を玲奈は把握する。
近場のスーパー銭湯だ。行ったことが無いが、ウォータースライダー付きの屋内プールもあったと、何かの映像で見たことを思い出した。
だが、玲奈はあまりよくない印象を持っていた。
「うーん……。近くすぎて遊びに行く感じしませんし……それに、あのへんはちょっと……」
英美里が苦笑しながら、言葉を濁した。どうやら同じ印象を持っているようだと、玲奈は理解した。
そのスーパー銭湯がある地域は串カツが有名だが、良く言えば昔ながらの街、悪く言えば治安が悪いと聞く。だから、これまで学校の友人らとも足を運ぶことはなかった。
「確かに、あんまり綺麗じゃないよね。それじゃあ、別の所にしよう」
茉鈴の言葉に、割と真っ直ぐな表現をするんだなと思いながら、玲奈は雑誌のページを捲った。
ナイトプールを除くと、子供連れで遊べるプールの紹介がほとんどであり、どれも今ひとつに感じた。
「あっ、ここよくない?」
しかし、その中でひとつ、玲奈の目を引いたものがあった。
遊園地に併設されているプールだ。目玉のウォータースライダー二種は有料だが、それだけの価値を期待できる。
「うんうん。いいんじゃない? スライダー、面白そうだよね。あたし、ここでいいかも」
「へー。水着のままで、遊園地にも行けるんだって」
玲奈は記事を読むと、入場料はプールと遊園地が共通であり、確かに移動が可能のようだ。雑誌に遊園地の写真も掲載されているため、水着姿で居るところを想像した。
「いやいや、そこは分けましょうよ。また涼しくなってから、遊園地に行けばいいじゃないですか」
「ん? もしかして、玲奈は恥ずかしい感じ?」
「ち、違います! 体力的にしんどいですし、二兎追う者はなんちゃらですよ!」
図星だった。
遊園地は私服姿の客が多いだろう。いくらグループで行動するにしても、水着姿の少数派なら間違いなく周りから視線を集めることになる。ふたりがどうなのかわからないが、少なくとも玲奈は嫌だった。
「玲奈ね、結構攻めた水着買ったんだよ」
「へー。それは楽しみです」
「ちょっと! 聞いてます!? 大体、薦めたのは先輩ですよね!?」
玲奈は必死に弁明するが、届いていないような気がした。
「まあ、ここにしようか。えーっと……来週の月曜でいい?」
英美里に連れられて、玲奈もホワイトボードを眺める。
月曜日はこの店が定休日であり、集まりやすい。無難な提案だと思った。確か、その日は特に予定も無かったはずだ。
「そうね。お盆前だから、混雑もちょっとはマシじゃないかしら」
「了解。何がなんでも空けておくよ」
「今度こそ遅刻厳禁ですからね!」
玲奈は、ヘラヘラしている茉鈴に今から念を押すが、前例があるため不安だった。当日は集合前から連絡を取るよりも、現地まで一緒に行く方が確実だと思った。
場所と日付が決まったところで、英美里がインターネットでチケットを事前に購入することになった。玲奈は茉鈴と共に、二千六百円ずつを現金で渡した。
「みなさーん、何をなさってるんですのー?」
従業員がいつになってもスタッフルームから出てこないため、心配になったのだろう。ハリエットが扉を開けて、姿を見せた。
「あっ、領主様。来週、みんなでプールに行くことになったんですけど、領主様もどうですか?」
「あらー。そうなのですか。楽しそうですわねー」
英美里が何気なく誘ったところ、ハリエットが引きつった笑みを浮かべた。
その瞬間、玲奈は空気が凍ったのを感じた。英美里に悪意が一切無いとわかっているだけに、余計にたちが悪いと思う。
いや、過去に一度断られているはずだと思い出した。人数が増えれば来てくれると、英美里は考えたのだろうか。それでも玲奈は、分が悪いと感じる。
「エミリー、何度言えばわかるんです? わたくし、お陽様にあたれば死んでしまうんですよ?」
「えっ、吸血鬼みたいな設定あったんですか?」
茉鈴が口を挟む。玲奈も全く同じことを思ったが、流石に言えない空気だと察していた。
ハリエットが茉鈴を一瞥したところで、玲奈は茉鈴の背中を軽く叩いておいた。
「行くなとは言いませんけど……とりあえず今日の準備してくださいね」
「ちょっと、領主様!」
茉鈴の一言が効いたのか、ハリエットは呆れた様子でスタッフルームを出ていった。その後を、まだ私服姿の英美里が追った。
「うーん。領主様、泳げないのかな?」
「そうかもしれませんね……」
玲奈もまた、呆れた目で茉鈴を見る。
おそらく、どれだけ説得してもハリエットを誘うことは不可能だろう。何にせよ一段落ついたところで、玲奈は衣装に着替えるために服を脱いだ。
「そうだ。ちゃんと、ムダ毛の処理はしようね」
「は?」
ふと、茉鈴がひとり言のように漏らし――茉鈴の視線を感じ、玲奈は手が止まった。茉鈴を見ると、苦笑していた。
玲奈はこの店での衣装も含め、脇や脚を露出した服を着ることは無い。しかし、季節に関わらず、無駄毛の処理は念入りに行っているつもりだった。
大体、特に灯りを消すことなく素肌を重ねているのだから、茉鈴がよく知っているはずだと思った。冗談混じりの注意にしては、あまり気分が良くない。
「先輩こそ、ちゃんと剃った方がいいですよ」
玲奈もまた、茉鈴がきちんと処理をしていることを知っている。『お返し』のつもりだった。
「私は大丈夫だよ。ほら」
半裸――上半身ブラジャー姿の茉鈴が、片腕を上げて脇を指さした。
乳房も若干見える。だから、玲奈は下品というより官能的に感じ、恥ずかしさから思わず視線を外した。
「触る? ツルツルだよ?」
「触りませんよ!」
余裕のある声にからかわれて反発こそするが、玲奈の気分はモヤモヤしていた。アルバイトの直前だというのに調子が狂い、項垂れる額を手で抑えた。
茉鈴と一緒に水着を購入したが、試着した姿は互いに見ていない。
だから、玲奈は着替えを再開しながらも、茉鈴の水着姿を想像していた。あの時は茉鈴に似合うものとして選んだつもりだが、今は官能的な印象が強かった。
より想像力を働かせるため、同じく着替え中の茉鈴を横目で見ようとして――堪えた。
悶々とする気持ちを抑え、プールに行く当日が楽しみだった。
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