第21話
英美里が去り、玲奈はうどん店のテーブルに茉鈴とふたり取り残された。
内心で溜息をつき、携帯電話を取り出す。インターネットで、これからどこへ行けばいいのかを調べた。
「……水着売り場は、六階のイベントスペースらしいです」
なんだか気分は憂鬱だが、英美里に念を押されている以上、行くしかないのだと腹を括った。
「へぇ。楽しみだなー」
茉鈴と席を立ち、ひとまず食事の会計を済ませた。英美里が置いていった三千五百円に、玲奈が不足分を加えた。
店を出ると、エスカレーターで下った。
「海とかプールとか、泳ぎに行くのなんて、いつ以来だろ。玲奈は泳げる?」
「わたし、泳げませんけど……。ていうか、ガチ泳ぎするつもりですか?」
「え? 泳ぎに行くんじゃないの?」
「何言ってるんですか、先輩……」
きょとんと訊ねる茉鈴に、玲奈は頭が痛くなった。
英美里の詳しい提案内容がわからないが――茉鈴の考えている内容と合致する可能性は、ゼロではないにしろ限りなく低いと思う。海やプールにしばらく行っていないにしても、同世代の女性として茉鈴の認識が大幅にずれていると感じた。良くも悪くも浮世離れしているのは、玲奈の印象通りだが。
「水着でそういう所に行っても、せいぜい軽い水遊びぐらいですよ……わたし達ぐらいの『女子』の場合」
「え? そうなの?」
「写真撮ったり、ムードを楽しんだりするもんです」
そうは言うが、玲奈は昨年、とあるホテルのナイトプールに同級生らと行った時のことを思い出す。
そのような楽しみ方を、一応は理解できるが、玲奈としてはつまらなかった。中には、水着姿にも関わらず、プールに一度も入ることなくずっと自撮りをしていた者も居て、驚いたぐらいだ。
海ならバナナボート、プールならウォータースライダー。本音としては、そのようなもので派手に遊びたい。
「まあ、毎日暑いんだし、涼しむだけでも充分じゃない? 何にせよ、とりあえず水着だよね」
茉鈴は残念がることなく、前向きに考えているようだった。
能天気だなと玲奈は思っていたところ、あることに気づいた。
普段と違う格好の茉鈴を、まだ見慣れない。めかし込んだ茉鈴とふたりでデパートを歩いているのは、デートに該当するのかもしれない。しかも、初めてのだ。
いや、英美里と一緒に買い物するのと、何が違うのだろう。自分にとって茉鈴は英美里と同じ『友達』なのだから――そう割り切ろうとするが、素肌を触れ合っている以上、出来なかった。
やはり、そのような行為があるからだろうか。どうしてか、デートと捉えてしまう。
「あれ? どうかした?」
「何でもないです!」
玲奈は考えたせいで、歩く速さが落ちていた。振り返り首を傾げる茉鈴に、恥ずかしさを誤魔化した。
トートバッグを肩に下げている茉鈴の、両手が空いているのがふと見えた。手を繋いで歩く姿を一瞬思い浮かべるが、首を横に振った。
やがて、水着売り場に到着した。
いつから売り出していたのか玲奈は知らないが、訪れる時期としては遅いと思う。人気のあるものは、おそらくもう売り切れているだろう。それでもまだ、同世代の女性達が何人か、自分達以外にも客として居た。
ずらりと並んだ水着の間を、ひとまず茉鈴とふたりで見て歩いた。
「ねぇ。これ、玲奈に似合いそうじゃない?」
その声に振り返ると、茉鈴が赤い水着を持っていた。
三角ビキニだ。布面積が小さいように、玲奈には見える。
「先輩のエッチ……」
半眼で、それのみを漏らす。
「いや、確かにエロいけどさ……玲奈にはクールなものが似合うって」
「クールな水着って、絶対にエロいに決まってるじゃないですか!」
茉鈴の言い分を、玲奈はそう捉えた。露出の高いデザインのものを着せたいだけとしか、思えない。
しかし、聞き流すことが出来なかった。
昨年はオフショルダーワンピースのものを購入した。流行に乗ったつもりだったが、可愛いデザインが自分に似合わないと感じていた。
かといって、露出の高いものには抵抗がある。この場合どうすればいいのか、英美里の意見を聞きたいところだが――居ないことを悔やんだ。
その悩みを解決するものを探して歩いていると、あるものが目に留まった。
黒い花柄の、クロッシービキニだ。同じ柄のパレオまでもある。
「先輩こそ、これ似合うんじゃないですか?」
自分のものを探しているつもりだったが、ゆったりかつ落ち着いたデザインにそう思った。
手に取ってみると、ブラジャー部にはワイヤーがあり、さらにパッドまで付属している。胸を盛れるだけではなく、クロッシー紐にはウエストラインを細く見せる効果がある。
これらの機能には白けるが、茉鈴の着た姿が安易に浮かぶほどだった。
「いいじゃん。私、それ買うよ」
茉鈴は笑顔で、玲奈から水着を、パレオも含め取り上げた。
冗談でも皮肉でもなく、純粋に気に入っているように玲奈には見えたが、即決の行動には戸惑った。
「え? 本当に、それでいいんですか?」
「玲奈が私のために選んでくれたんだから、間違いないよ」
その理由を、玲奈は理解に苦しむ。
まだ売り場全てを見ていない。他にも選択肢があるかもしれないのに、棄てた。
そして、自分の意思ではなく他者の決定に委ねたことから――玲奈は、責任を押し付けられたように感じた。
「……後で文句言ってきても、知りませんからね」
「大丈夫だって。私も気に入ってるから」
茉鈴がにこやかに頷くが、玲奈はどこか腑に落ちなかった。とはいえ、こうして念を押したのだから、後は無関係だと割り切った。
予想外に早く茉鈴の分が決まったが、玲奈はまだだ。再び、ふたりで見て回った。
「ねぇ。これなんて、玲奈にどうかな?」
茉鈴が取ったものは、赤いビキニだった。
またかと玲奈は思ったが、先程の三角ビキニよりは布面積が大きい。形状としては、首の後ろでカップと一体になった紐を結ぶものだ。
そう。ホルタービキニだった。
「紐解くこと、考えましたよね?」
「確かにちょっとは妄想したけど、そんなことするわけないじゃん。純粋に、玲奈に似合うなーって思ったの」
半眼を投げかけると、茉鈴はいつも通り落ち着いた様子で説得した。
玲奈としてはビキニに抵抗があるが――昨年の反省から、興味もある。
茉鈴から取り上げ、直に確かめた。ワイヤーが入っていないが、形状としては胸が自然に寄せ上げられ、着心地も悪くはないはずだ。体系にあまり左右されないため、初めてのビキニとしては馴染みやすいと思った。
そのように、なるべく前向きに考えた。
そして、茉鈴が自分のために選んでくれたことが、少なからず嬉しかった。
「わかりました……。これにしますよ」
渋々になるが、玲奈は観念したように頷いた。
決断への要因のひとつに、茉鈴の水着を選んだことがある。茉鈴が嬉しそうに受け入れたのだから、こちらも茉鈴の選んだものを受け入れなければいけない。義務感のようなものが、芽生えたのだ。茉鈴はこれを見越して先に動いたとさえ、今になって疑う。
「うんうん。やっぱり、玲奈はクールじゃなくっちゃ」
満足そうな茉鈴に感謝するわけではないが、嵌められたにしても、結果的には踏み出せて良かったと思う。きっと、ひとりではこれを選ぶことはなかっただろう。
「ていうか、どうして赤なんですか? バイトのイメージ、そんなに強いですか?」
茉鈴が取ったものは、無地の赤色のものだった。他に黒色と青色があるが、玲奈としてもこの三色では赤色を選んだので、文句は無い。
先ほどの三角ビキニも、茉鈴は躊躇なく赤色を選んだ。
おそらく、アルバイトでの赤色のドレスが強く印象付いているのだと、玲奈は思った。
「確かに、玲奈には赤色も似合うんだけど、私としては一番はさ……うーん、やっぱり無いや」
茉鈴は見渡すが、目当てのものは無いようだった。
奇抜な色や柄は避けたいため、玲奈は茉鈴を連れて試着した。下着の上からなので正確ではないが、およそのサイズとイメージに問題は無かった。
その後、レジへ持っていくと、それぞれ二万円だった。衣服より高額であることを玲奈は思い出しながら、クレジットカードを取り出した。
この出費では衣服までを購入する気にはなれないので、茉鈴を連れてデパートを一度出た。見るだけでも欲しくなることから、元を断っての禁欲だった。
買い物が済み、今日の用事は片付いた。茉鈴も特に用は無いため、後は帰宅するだけだ。
その前に、カフェで休憩しようと――駅から長いエスカレーターを上がった。詳しい構造を、玲奈は知らない。しかし、ビルの最上階である十一階に、全国チェーンのカフェがあることは知っていた。
桃とヨーグルトのシャーベット状の飲み物を、テイクアウトで購入した。茉鈴も同じものを選んだ。
それを手に訪れたのは、ビルのテラスだった。ちょうど、カフェと面した場所になる。
芝生が手入れされたそこは、広々とした開放感がある。暑いというのに、映画館にも面しているからか、人通りはそれなりだった。
玲奈は、屋根のあるベンチに、茉鈴と並んで座った。時刻はまだ、午後二時前だった。
高所ならではの強い風――湿って、ぬるいが――に吹かれながら、冷たい飲み物で喉を潤した。
「今日は、ありがとうね。玲奈とのショッピング、楽しかったよ」
隣から、茉鈴の声が聞こえる。
落ち着いた抑揚から、実際の感情は読み取れない。それでも、玲奈は本音として受け止めた。
「英美里には内緒ですけど……正直、最初は海もプールも行く気なんて、ありませんでした」
だから、当初の事情を正直に話した。
テラスのオブジェが、芝生に短い影を作っている。明るい世界で、真っ黒だった。玲奈はそれをぼんやりと眺めた。
「でも、水着を買った以上は、行かないとですね」
痛い出費があったからこそ、自棄気味になっていた。
いや、せっかくの夏季休暇に勉強とアルバイトに明け暮れるのは、流石に勿体ない。夏らしい思い出のひとつでも作りたいと、前向きに考えた。
「ちなみにだけど、私も行ってもいいんだよね?」
「さあ……。英美里に聞いてください」
茉鈴の質問に、玲奈は悪戯じみた笑みを浮かべて答えた。
「えー。ハブられたら、これどうしよ」
茉鈴は水着の入った袋を掲げるが、わざとらしい棒読みの声に不安は無かった。
おそらく、三人で予定を合わせて出かけることになるのだろうと、玲奈は思う。口にはしないが、今では楽しみだった。
今日も、茉鈴と一緒に食事をして、買い物をして――楽しかったことは、胸内に秘めておく。
「先輩。次は、服見に来ましょうか。わたし、選んであげますよ」
「あー……うん。バイトの給料、入ってからね」
「ご飯も行きましょう。先輩の奢りで」
「ねぇ、ちょっと……聞いてる?」
玲奈は隣の茉鈴を覗き込むと、穏やかな笑みを浮かべていた。
このまま胸にもたれたいぐらいだが、公然の手前、我慢した。
食事も買い物も『友達』と行うことは、何らおかしいことではない。
しかし、玲奈にとって茉鈴と過ごした時間は、やはりデートだった。昂る気持ちを抑えていた。
どうしてそう捉えるのか、玲奈はわからなかった。
ようやく叶ったというのに――かつての願望から、気持ちから、目を逸らしていたのであった。
(第07章『初デートは突然に』 完)
次回 第08章『理想の姿』
玲奈は風邪をひいた茉鈴を看病する。
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