第07章『初デートは突然に』
第19話
七月十七日、月曜日。
本来であれば、おとぎの国の道明寺領は定休日だ。しかし、祝日であるため日曜日と同じく、特別に午後から営業していた。
定期試験を終えて長い夏季休暇に入った玲奈は、さっそく昼間のアルバイトに入っていた。
「レイナ様。こちらのご客人が、ラテとコーヒーで悩んでいるようですが、どちらがオススメでしょうか?」
オリーブグリーンのローブに身を包んだ茉鈴から、店内でふと投げかけられる。
「そうですね……。領主様の淹れるコーヒーも、味わい深くて好きですけど……わたしとしては、今は甘い方の気分かしら」
玲奈の本音としては、どちらでもよかった。客には言えないが、この店のコーヒー類は全てカプセル式のコーヒーメーカーで提供している。最低限の味が保証されている中で、僅かでも価格の高いものを、適当な理由をつけて選んだまでだ。
「女王様は、苦いものがダメですもんね……」
客席の隣に佇む茉鈴が、小さく微笑んだ。それに連れられ、客席からもクスクスと聞こえた。
「そ、そんなことありません!」
玲奈は苦味が好きでも嫌いでもなく、人並みには嗜んでいるつもりだ。
大体、茉鈴の前で苦手な素振りを見せた覚えが無い。適当な発言から、幼い印象を客に持たれるのが嫌なため、ついむきになって否定した。
「別に、いいじゃないですか。貴方はいつまでも、私にとって『おてんばなお姫様』なのですから……。苦い味など、知る必要はないですよ」
柔らかな笑みと共に諭されるが、玲奈には言葉の意味がわからなければ、見下されているとしか思えなかった。
「舐めないでください! わたしはもう、立派なレディーです!」
「ふふ……。確かにお綺麗になられましたけど、中身はどうでしょうね」
玲奈は、近づいてきた茉鈴に、片腕で腰を抱かれた。そして、茉鈴の吐息が頬に触れるほど、顔を近づけられた。
突然の行動に玲奈は驚き、自身を落ち着かせることで精一杯だった。結果、降参したかのように、茉鈴の顔から視線を外した。
それらのやり取りで、店内が沸いた。客席は盛り上がり、キッチンカウンターのハリエットも、にこやかにこちらを眺めていた。
満足そうに客席へと戻る茉鈴を、玲奈は何とも言えない気持ちで見送る。今がアルバイトでなければ、文句のひとつでも言っていただろう。しかし、店側と客の期待には応えられたので、ひとまず堪えた。
このような寸劇――いや、くだらない茶番とも言えるやり取りの何が面白いのか、玲奈にはわからなかった。
午後四時になり、店は一旦閉まった。
店内の掃除を茉鈴が引き受け、玲奈は先にスタッフルームへと戻った。
「あっ、玲奈ちゃん。おつかれー」
夜のシフトなのだろう。昼間は居なかった春原英美里が、メイド服に着替えていた。
「うん……。ほんっと、疲れたわ……」
玲奈は着替えるよりも、パイプ椅子に座り水を飲んだ。
店を盛り上げるためなのか、それとも単にふざけているだけなのか――茉鈴に散々振り回され、疲労が重く圧し掛かった。それだけ賃上げへの手応えがあるので、仕方ないと割り切っているが。
「英美里こそ、祝日なのにご苦労さま」
「そうだよ。今日、海の日じゃん。海、行きたいなぁ」
玲奈は祝日と認識していたが、具体的に何の日までかは知らなかった。
海の日だから海に行くという考えは、実に安直だと思う。海水浴場は混雑しているとも思う。そして、英美里の言葉を尊重すると、水着の新調や日焼け対策など、準備が面倒だと思った。
「この前、領主様誘ったんだけどさ……断られちゃった」
「え? 海に?」
「うん。たまには遊びに行きましょうよ、って」
英美里の様子から、冗談を言っているようには聞こえない。本当に海へ誘ったのだろう。
玲奈は、自分ならば絶対に無理だという意味で、その提案には素直に感服するが――それ以前に、ハリエットと海の組み合わせが、全く想像できなかった。水着姿どころか、あの黄色いドレスを脱ぐことすら、見当がつかない。一体、自宅ではどのような格好で過ごしているのだろうと思う。
「てことだから、玲奈ちゃん一緒に行かない? 海かプール」
そのような流れになり、玲奈は考える。
夏季休暇はアルバイトの他、交換留学の願書作成と外国語能力測定試験の勉強に時間を使う計画だ。だから、学校の友人らから小旅行の誘いは、全て断っていた。
彼女達とは、最悪縁が切れてもいいと思っている。だが、英美里は高校からの付き合いであり、アルバイトの同僚でもあり――時間が無く、かつ面倒でも、友人としての絆を大切にしたい。
とはいえ、可能ならば避けたい気持ちが強かった。
「英美里は水着持ってる? わたし無いから……ショッピング行かない?」
玲奈は『とりあえず』と付け加えようとしたが、伏せた。次に繋げるのではなく、これで終わらせたい。
妥協案として浮かんだのが、買い物だった。水着はさておき、夏服やコスメ等、欲しいものは割とある。それに、実際に水着を購入したことを認知させておけば、まだ断りやすい。何にせよ、友人としての時間を使用することが大切だと考えた。
「あっ、いいねぇ。バーゲンまだやってるだろうし、行こうよ。あたし、服見たい」
こちらの思惑通りに英美里が食いつき、玲奈はひとまず安心した。
玲奈の知る限り、有名なデパートやショッピングモールの夏バーゲンは、一部はもう終了している。だが、世間は今月いっぱいという風潮なので、どこかしらは開催しているだろう。
玲奈としても、バーゲンに行こうと思いつつもまだ行けていないので、丁度よかった。
「それじゃあ、いつ行く? わたしは、バイト無い日なら大体はいけるわ」
「うーん……。明日はどうかな? ちょうど休みだし」
ふたりで壁の、シフト表となっているホワイトボードを眺めた。
本来この店は月曜日が定休日だが、祝日の今日に営業している分、明日が代休となる。
「いいわね。明日、行きましょ」
玲奈には明日どうしてもこなさないといけない用事が無かった。先延ばしにするとさらに面倒になるので、早めに片付けることにした。
その後、待ち合わせについて話していると、扉が開いて茉鈴が現れた。店内の掃除を終えたようだ。
「ふー。おつかれー」
「先輩、お疲れさまです」
「あっ。安良岡さん、この前はありがとうございました」
茉鈴の顔を見るや、英美里が頭を下げた。
「おかげで単位取れたと思います。また次も、教えてくださいね」
「それはよかったよ」
「ん? 英美里、まさかこの人に勉強教わったの?」
玲奈は英美里の口振りから、そう理解した。
確かに以前そのように話しているのを耳にしたが、本当に教わるとは思わなかった。学校も学部も違のだ。
「うん。安良岡さんね、勉強教えるの、すっごい上手いんだよ。流石は賢者マーリンだよ」
「へ、へぇ……」
にわかには信じられないが、英美里がここまで感謝していることから、本当なのだろう――教え方が上手いということも含めて。
「いや……私、玲奈にも教えたよね?」
「過去問だけです!」
玲奈は茉鈴に、共通科目の試験内容を思い出して貰っただけだ。その有無で試験の出来は変わらなかっただろうが、伝えられた要所は確かに今年も出題された。
勉強そのものは教わっていない。その必要は無い。
それよりも――過去問を教わるという口実で部屋を訪れ、素肌を重ねていたので、思い出すと恥ずかしかった。
「安良岡さんは、学校の先生とか向いてそう」
「えー。そうかなぁ」
「なに照れて、まんざらでもないって顔してるんですか!?」
だらしなく適当な人間は、教師の適正から最も遠いと玲奈は感じる。教壇に立っている茉鈴の姿が、とても考えられない。
おそらく、それは本人も自覚しているだろう。いくら英美里におだてられても、その道に進む気は無さそうだと、玲奈は思った。
「そうだ。安良岡さんも、明日どうですか? 玲奈ちゃんと、バーゲン行くんですけど」
「え?」
ふと英美里が訊ね、茉鈴本人ではなく玲奈が驚いた。まさか茉鈴も誘うとは、思いもしなかった。
茉鈴は少しの間を置いた後、表情がぱっと明るくなった。
「うんうん。行くよ。絶対に行く。バーゲン、めっちゃいいよね」
何がどう良いのか玲奈にはわからないが、茉鈴は言葉通り、とても嬉しそうだった。
茉鈴も加わり三人で買い物へ行くとなれば、玲奈も内心では嬉しかった。だが、ひとつだけ――経済面を疑ってしまう。
「先輩……。給料日まで一週間ぐらいありますけど、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。全然余裕だから、心配しないで」
「そうだ。あたし、今回のお礼で、ご飯ご馳走しますよ」
「ほんと? ありがとう。わー、明日楽しみだなぁ」
念のため確かめるも、本人がそう言うなら信じるしかない。
それに――食事を奢られることも含め、大いに喜んでいる茉鈴が、子供のように無邪気に見えた。たかが買い物なのに大袈裟だと、玲奈は小さく笑った。
英美里も含めてだが、ようやく『友達』らしいことが出来るのだと思った。
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