第06章『優しくされる理由』

第16話

 七月九日、日曜日。

 午前十一時、玲奈はアルバイトのため、おとぎの国の道明寺領へ向かった。


「念のため確認しますけど、本当に試験大丈夫なのかしらー?」

「はい。もし何かあっても、責任はわたしにあります」

「ほならええわ。頑張ってな」


 昨日、シフトを急に申し出たので、ハリエットから一応心配された。

 失礼なので、玲奈は本音を言えないが――実際のところは、試験勉強を根詰めて行っていたから、気分転換のつもりだった。勉強が充分なのは、事実だ。

 それに、この店の『昼営業』に興味があったので、初めて参加した。

 従来は午後五時から店を開けるが、日曜日のみそれに加え、正午から午後四時までも営業している。その時間帯はアルコールの提供が無く、コーヒー類と茶菓子のみであった。


「こちら、カフェラテとチョコレートケーキになります」


 店主にどのような意図があるのか、玲奈にはわからない。それらにこの店独自のおかしなメニュー名は無かった。

 夜間でも、アルコール以外の注文が全く無いわけではない。しかし、現在は文字通り『カフェ』らしい営業をしていることが、玲奈はなんだか新鮮だった。一年前、一般的なカフェでアルバイトをしていた頃の感覚に近い。もっとも、この店では、昼間でも変な格好をして客と喋らなければいけないが。

 違うのは、メニューだけではなかった。

 この店は風営法の届出が無い『飲食店』扱いであるため――二十歳未満にアルコールを提供できないにしろ、入店自体に年齢制限は無い。

 しかし、玲奈は夜間に比べ昼間の客層が若く感じた。


「お待たせしました。ロイヤルミルクティーがおふたつになります」


 ソファー席に並んで座る、高校生ほどの少女ふたりに、ティーポットと温めたティーカップを差し出した。

 この手の店に慣れていないのだろう。ふたり共どこか落ち着きが無く、物珍しそうな――純真無垢な瞳を、玲奈は向けられた。初々しい様子が、可愛く見えた。

 

「あの……めっちゃ綺麗です」

「女王様なのに、配膳するんですね」


 頑張って話しかけてくれたように玲奈は感じ、小さく微笑んだ。


「女王だからこそ、わざわざ訪れてくださったお客様をもてなすのですよ。どうか、お楽しみくださいね」


 少女達から黄色い声を浴び、玲奈はふたりがどこから来たのかを、まずは訊ねた。その後、学校やこの店のことを、五分ほど喋った。

 それからも、入代わり立ち代わりの客を相手に、アルバイトの業務を続けた。

 この店に窓が無く、夜間と同様に店内は明るい。しかし、普段と違うメニューや客層から、玲奈は確かに昼間だと実感した。店内に明るい陽射しが差し込んでいるかのようだった。狙い通り、丁度いい気分転換となった。

 あっという間に午後四時を迎え、店を一旦閉めた。玲奈は今日、ここまでとなる。


「お疲れさまでした、レイナ様。お時間あるようでしたら、わたくしとティータイムでもいかが?」

「はい。ありがとうございます」


 スタッフルームに移り、ハリエットがコーヒーとチーズケーキをふたつずつ用意した。

 玲奈はドレス姿のままパイプ椅子に座り、ハリエットと小休憩にした。この時間に甘いものは罪悪感があるが、疲れた身体には染み渡った。

 業務外で客の目が無いにも関わらず、ハリエットの飲食作法は慎ましく、とても上品なものだった。見せかけの黄色いドレスだけではない。いついかなる時も令嬢に成り切っているように、玲奈には見えた。

 道明寺ハリエットという人物の本名も素性も、玲奈は未だに知らない。他の従業員がどの程度興味を持っているのか知らないが、少なくとも店内では触れてはいけない雰囲気となっている。

 また、割と現実的な考えを持ち、手厳しい意見を吐くことからも、玲奈はハリエットが苦手だった。

 しかし、この点には触れたかった。


「すいません。すっごい失礼なこと訊きますけど……もしも昼間だけの営業で成り立つなら、夜は閉めたいですか?」


 店の立地、従業員のシフト、そして客層――様々な理由から、平日も含め昼間だけの営業では経営が不可能だと、アルバイトの目線で感じていた。

 ハリエットはフォークを置き、やはり上品な作法でコーヒーを一口飲んだ。


「どうしてそれが気になるのかしら?」

「昼間の方が……領主様が、なんだか活き活きしているように見えたからです」


 夜間主体の店が昼間も店を開けることは、普通に考えれば売上狙いとなる。

 だが、玲奈の目には、店主の様子が普段よりも一層楽しんでいるように見えた。おそらく『昼営業』の売上自体は二の次だろうと思った。


「コンカフェのほとんどが、お酒も出して夜もやっていますわ。でも、それが不要で――昼間だけで充分に稼いでいるお店は、ゼロじゃありません。ほんの一握りというか『上位』のお店と言えますわね」


 ハリエットから業界事情を説明され、玲奈はひとまず納得した。


「わたくしには、メルヘンなカフェを持ちたいという夢があります。そりゃ、好き好んでお酒出してキャバクラもどきをやりたいわけじゃありませんけど……現実的には難しいのですわー。出来ることなら、昼オンリーでやっていきたいに決まってますわー」


 落ち着いた口調だったが、途中から投げやりだった。ハリエットは、テーブルに上半身を載せるような真似をした。

 やはり、玲奈の察した通りのようだ。経営として仕方なく、夜間主体で営業している。


「えーっと……苦労してるんですね」


 こちらから話を振った手前、玲奈は苦笑しながら相槌を打った。

 玲奈がこの店でアルバイトに従事するのは、海外留学へ行くまで――長くとも、あと一年ほどだろう。賃上げを望むが、店の発展自体は無関心だ。そのために頑張るなど、無責任な発言は出来ない。


「まあ、昼オンリーでも『オプション』ゴリゴリの荒稼ぎで、下手なキャバよりもヤバいお店が中にはありますけどねー」


 ハリエットはテーブルに肘をつき、不貞腐れるように漏らす。

 確かにこの店は水商売紛いだが、まだ節度を守っている方だと玲奈は思っていた。演者への別料金でのオプションサービスが無い他、外で強引な客引きどころかチラシを撒くことすらしない。この繁華街には、他にもコンセプトカフェがいくつかある。情報や宣伝でしか知らないが、それらの差を感じていた。

 おそらく、それがハリエットの経営方針なのだろう。誇りを捨てるつもりは無いようだと、玲奈は思った。


「自分の夢をしっかり持って、それに向かって頑張ってる領主様は立派だと……わたしは思います」


 結果的に擁護にはなるが、玲奈の本音だった。

 玲奈もまた、外資系金融企業に就職し三十歳までキャリアを積むという、確かな夢を持っている。だから、たとえ道半ばでも、ハリエットの姿勢には素直に尊敬する。

 ハリエットは驚いた表情を見せた後、小さく苦笑した。


「あんたも、これからいろんな壁にぶつかると思うけどな……やっぱり、全部が上手くいかへんもんや。妥協を強いられることもある」


 妥協という言葉に、玲奈はとても納得した。

 仕方なく夜間営業しているハリエットは、まさにその状態なのだろう。本心では、昼間のカフェのみで経営したいのだ。


「でも、妥協してそれで終わりとちゃうねん。一旦立ち止まるんはしゃーないけどな、考えて整理して、もう一回歩き出すんが大切や」


 そう。この女性は、まだ諦めていない。自分の店をより発展させたい気持ちをまだ持っていることが、玲奈に伝わった。

 だからこそ、陳腐な言葉でも、強い説得力があった。


「……と、わたくしは思いますわー。ババアのくっさい説教だと思って、聞き流してくださいまし」


 口調が戻ったことから、照れているのだろう。ハリエットは、テーブルの空いた食器を重ねると、立ち上がった。


「とってもタメになりました。ありがとうございます」


 玲奈は頭を下げた。やはりハリエットの素性は謎のままだが、人生経験を積んだ年上の人間として、敬った。

 もっとも、演者として手助けする気持ちは芽生えないが。


「あ、あらー。そういえば、牛乳切らしているのを忘れていましたわー。ちょっとコンビニまで行ってきますわね」

「え? その格好で、ですか?」


 玲奈は思わず訊ねるが、ハリエットは早い足取りでスタッフルームを出た。

 ペールオレンジの縦ロールヘアと、黄色いドレスだ。コンビニどころか、店から外へ一歩でも出た時点で、注目の的になるだろう。

 おそらく本人に羞恥心は無くとも、関係者として想像しただけで恥ずかしかった。

 いや、それよりも――現在、この店には自分ひとりだと玲奈は気づいた。アルバイト上がりだが、これでは離れられない。


「ちわーっす」


 その時、扉が開き、安良岡茉鈴が気だるそうに現れた。午後五時から『夜間』のシフトのようだ。


「あれ? 今日玲奈いたの? いや、ていうかさ……なんか、領主様があのまんまで外出ていったけど……大丈夫?」

「知りませんよ。コスプレは大丈夫なくせに、自分語りで自爆してるんですから……」

「え?」


 心配そうな茉鈴に、何があったのか説明する気にはなれなかった。

 それよりも、自分の代わりの『留守番係』が登場したことに安堵した。


「ということで、お店には先輩ひとりですので、後よろしくお願いします。わたしは上がりますので」

「いやいや……マジでどういう状況?」


 玲奈はパイプ椅子から立ち上がると、困惑気味の茉鈴を余所に、ドレスを脱ごうとした。

 早く帰宅して、試験の見直しを一応やっておきたい。休憩を終えた今、頭はそれでいっぱいだった。

 だが、茉鈴に正面から抱きしめられた。


「今ふたりっきりだってことは、理解したよ……」


 耳元で囁かれた後、玲奈は唇を重ねられた。ドレスを脱ぎかけているところに、強引なキスだ。

 いきなりの行動に驚くが、しばらくして茉鈴を力ずくで退けた。


「ちょっと! なに考えてるんですか!?」


 ふたりきりであることは、玲奈も理解できる。しかし、茉鈴のように『夜間組』がいつ現れてもおかしくない状況でもある。

 もしも、そうでないにしても――まさか、アルバイト先でキスをされるとは、思いもしなかった。


「お客さんの前だと、絶対に盛り上がるよね。賃上げ間違い無しだよ」


 さっきまでの気だるさは消え、茉鈴は柔らかな笑みを浮かべていた。

 彼女なりの冗談のつもりだ。しかし、玲奈は全く笑えないどころか、気が立った。


「わたし今、そんな気分じゃないんですよ! 相手のことも、場所も……とにかく、空気を読んでください!」

「うーん……。ごめん……」


 ヘラヘラと謝る茉鈴に、玲奈はさらに苛立った。

 早々と着替えると、茉鈴にはこれ以上何も告げず、無言で店を出た。


 時刻は午後四時半。外はまだ明るい。

 日曜日の夕刻は、電車が混んでいた。吊り革を持って揺られていると、ようやく落ち着いた。

 茉鈴への怒りは完全に消えないが、代わりにふと、今回のことを客観的に眺めた。

 ふたりの気分が一致しないにしろ、茉鈴が突然求めてきた。

 今回はそうであったが、それ以外はどうだっただろうか。いつも何の連絡も無く、茉鈴の元を突然訪れていた。茉鈴にとって迷惑でないとは――とても言い切れない。表情には見せないが、このように怒っていた可能性は充分にある。

 結果的にはお互い様であり、一方的に怒ることは筋違いだ。そう理解すると、玲奈の気持ちは煮え切らずにいた。


 かつての『セフレ』なら、面倒なことを考えずに済んだ。しかし、立場が近い『友達』の現在、そういうわけにはいかない。

 最早、ただの都合の良い存在ではないのだ。相手のことを考え、知る必要がある。


「はぁ……」


 あの日、茉鈴の部屋で腹を割って話し合ってから、まだ日が浅い。

 アルバイトにしろ、それ以外にしろ――どのような距離感を保てばいいのか、玲奈には難しかった。

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