第11話
午後十一時過ぎ。玲奈は茉鈴と店を出ると、まだ雨が降っていた。
「どこで話す?」
ビニール傘を広げた茉鈴が、振り返る。
玲奈は場所を考えずに、茉鈴を誘った。この天気では、缶コーヒーを片手に道端で――というわけにもいかない。
理想はカフェだが、どこも閉まっている時間帯だ。逆に、現在開いている飲食店は、周辺にあるバーや居酒屋が目につく。しかし、そのような店にふたりきりで入りたくない。他に何かないかと、この近辺の地理を思い浮かべた。
「そうだ……駅前のファミレスに行きましょう」
玲奈は、全国チェーンの有名なファミリーレストランが、駅近くの雑居ビルの二階にあることを思い出した。看板に書かれていた営業時間が玲奈は印象的であり、朝方まで開いていると認知していた。
玲奈も傘を広げ、ふたりで歩き出した。
「いいね。私、お腹ペコペコ」
「え? 食べる気ですか? 賄い、出ましたよね?」
「うん。いっぱい働いて、カロリー使ったから」
確かに、玲奈としても今日に限らず、アルバイト上がりはいつも小腹が空く。だが、体重や健康面から、食べるのは控えていた。
せいぜいドリンクバー程度の注文を想定して、ファミリーレストランを選んだ。しかし、飲食が趣旨だと勘違いしているような茉鈴に、やはり調子が狂いそうだった。
一年前の茉鈴の、不健康なほど痩せた裸体を玲奈は思い出し――慌てて首を横に振った。
嬉しそうにヘラヘラしている茉鈴と数分歩き、目的地に到着した。
店内はこの時間帯だからか、空いていた。疎らに居る客は、どの席もひとりだ。うとうとしている、或いはぼんやりと携帯電話を触っていた。テーブルに何かしらの飲食物が置かれているが、ほとんど手がつけられていない。
対面のテーブル席に通され、茉鈴と向かい合って座った。
「なーに食べようかなぁ」
テーブルに置かれたタブレット端末を、茉鈴が早速手に取った。特に悩む様子も無く操作すると、玲奈に差し出した。そして、席を立ってどこかに向かった。
おそらく飲水を汲みに行ったのだと思いながら、玲奈はタブレット端末のメニューを眺めた。
茉鈴が何を選んだにせよ、やはり自分はドリンクバーのみを注文するはずだった。しかし、トップ画面の一押しメニューであるイチゴと抹茶のパフェに目がいった。
「くっ」
小腹が空いているのは事実だ。特に、労働後には甘いものが食べたくなる。その欲求が込み上げるが――カロリーを想像し、何とか抑えた。
とはいえ、食欲は完全には消えない。仕方なく、何か軽いものを口にしようと、メニューを眺めた。
結果、蒸し鶏とキノコのサラダで妥協した。
注文を終え、タブレット端末を定位置に戻す頃、茉鈴が戻ってきた。手には、水の入ったグラスがふたつあった。
「はい、これ」
「ありがとうございます……」
玲奈はひとつを受け取り、一口飲む。外は蒸し暑かったので、冷たい水でも美味しく感じた。
正面では、茉鈴が上機嫌に微笑んでいた。
ファミリーレストランの不味い料理が、それほど楽しみなんだろうか。それとも――ふたりの時間を過ごせることが、嬉しいんだろうか。玲奈はそのように考えるが、意識はすぐに、茉鈴の髪へと向いた。
今日は終日雨が降り、湿気も高いからだろう。カーキグレージュの癖毛が、ひどくうねっていた。本当に、綿菓子のようだ。
「先輩……余計なお世話ですけど、縮毛しないんですか? 凄いことになってますよ」
これまで何度、そう思ったのかわからない。当時は性交以外の干渉をなるべく避けたので黙っていたが『他人』である現在は、忌憚ない意見として口に出来た。
「だって、キミがこれを好きだって言ってくれたから……」
茉鈴はテーブルに肘をつき、小さく微笑んだ。優しい垂れ目で、玲奈を見つめた。
本心なのか、もしくは何か意図が含まれているのか、わからない。だた、玲奈には恨み節のように聞こえた。
――わたしは今の茉鈴の髪型……好きですけど。
かつて、確かに言ったことを覚えている。自身の発言が『呪い』になったように感じた。まるで、こちらが加害者だ。
だが、あの時そう思ったのは、紛れもない事実だった。
「何ですか、それ……。ばっかみたい……」
玲奈は思わず視線を外し、小声を漏らした。
茉鈴を責める言葉ではない。自身の愚かな言動を、悔いたのであった。
「だったらせめて、良いトリートメントでケアとか、ヘアスプレーでセットとか……しましょうよ」
偉そうに言える立場ではないと、理解している。『事後』としての改善案を提示したつもりだ。
「そうだね。バイトの給料出たら、考えるよ」
玲奈は視線を戻すと、茉鈴はテーブルに肘をついたまま、柔らかな笑みを浮かべていた。
まるで、子供の行動のみを見守る母親を彷彿とさせた。本当に話を聞いているのか、わからない。適当に相槌を打っているようにも感じた。
やはり調子が狂うが、本題へ入るには丁度いい流れだと思った。
「バイトのお給料なんですけど……。今日、領主さんから何か言われました? わたしとなるべく絡んで欲しいとか」
「うん。キミからあからさまに避けられてたから、諦めてたけど」
そのように感じさせたことが、なんだか申し訳なくも、恥ずかしくもある。だからこそ、玲奈としては今後のことを話さなければいけない。
水を一口飲み、改めて茉鈴の目を見た。
「ぶっちゃけ、わたしは嫌です――周りから、先輩とそういう風に見られることが」
これまでの態度から、茉鈴本人を嫌っていることは伝わっているだろうが、この状況で面と言えなかった。適当に付け足し、誤魔化した。とはいえ、それも事実だ。
「それでも、先輩と絡んでお客さんをワーキャー言わせることが出来れば……賃上げを考えてくれるみたいなんで、わたしは頑張ろうと思います」
これを伝えるために、わざわざ茉鈴に声をかけたのであった。
現在の関係は『知人』と言い表すことすら難しく感じる。このままでは、ふたりの仲が自然に馴染むことはあり得ない。時間だけでは解決しない。
自分勝手な内容だが、腹を割って話すしかないと、玲奈は判断したのだ。
「だから、わたしに協力してくれませんか? 先輩も、お給料もっと欲しいですよね?」
正直に話した。説得に至ったと思った。
「うーん……。それってつまり、私と友達になってくれる、ってこと?」
「は?」
しかし、茉鈴の解釈に、玲奈はぽかんと口を開けた。
「お店で、友達みたいにしてればいいってことだよね?」
その補足で、一応は納得する。
だが、客やハリエットが求めるふたりを『友達』と言うには語弊があるように感じた。かといって、他に的確な表現が玲奈には浮かばない。
「まあ……そういうことです」
玲奈は難しく考えることがバカらしくなり、それで済ませた。正しくはないかもしれないが、間違ってもいないだろうと思った。
「やったー。玲奈と友達になれて給料も上がるなんて、このバイト最高じゃん」
嬉しそうな笑顔を見せる茉鈴に、玲奈はなんだか釈然としない。
思考放棄から許容したが『友達』という言葉に、今になって別の意味合いが強く感じた。過去を思い出させた。
「いいですか!? バイトでだけ友達、ってことですからね!」
セフレに戻るわけじゃないですからね――思わずそう言いそうになったが、公共の場であるため控えた。何にせよ、こうして念を押しておけば万が一の『勘違い』を防げる。
こちらの意図を理解しているのか、わからない。笑顔のまま頷く茉鈴に、玲奈は少し不安になった。
話が一段落したところで、料理が運ばれてきた。
茉鈴の前には、鉄板のハンバーグの他、ライスとビールも置かれた。
「こんな時間なのに……マジでがっつり食べるんですね」
「うん。折角だから」
鉄板で音を立てているハンバーグに茉鈴がナイフを入れるのを、玲奈は白けた目で眺めた。食べるにしても、フライドポテト程度だと思っていた。
茉鈴の食生活は、おそらく一年前と同じだろう。これが彼女にとって『まともな食事』なのだから、確かに時間帯を気にしている場合ではないと納得した。
「玲奈は、それで足りるの? ハンバーグ、ちょっとあげようか?」
「大丈夫です!」
余計なお世話だと思いながら――ハンバーグが鉄板に焼ける香ばしい匂いを目の前にして、玲奈はフォークでサラダを突いた。
「てかさ……どうしてそこまでお金にこだわるの? 私みたく、困ってるわけでもないよね」
ビールを一口飲みジョッキを置いた茉鈴から、ふと訊ねられた。
その質問に、玲奈は違和感を覚える。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? わたし、三年生で海外に短期留学するつもりですから……」
「へー……。たぶん、初耳だよ。留学のためにお金貯めるなんて、超偉いじゃん」
その計画は、少なくとも一年前にはあった。だが、思い返しても――確かに、言った記憶が無い。
学部は違えど同じ学校に通っていたのに、学校に関することすら、互いに話さなかった。あの時は、互いを知ろうとも、知って欲しいとも思わなかった。
話だけではない。こうしてふたりで外食することも初めてだと、今気づいた。ふたりで居る時は、茉鈴の部屋から出ることはなかった。
実につまらない関係だったと、現在になって玲奈は思う。それでよく踏み込もうとしたと、かつての自分の愚かさに、おかしく笑った。
なんだか、気持ちが少し軽くなったように感じた。
「やっぱり、わたしも何か食べます」
気が緩んだ途端、目の前から漂う匂いに、中途半端に満たそうとした食欲が屈した。玲奈は、タブレット端末を手にした。
食欲を開放するが、ハンバーグのように重いものは流石に抵抗がある。何か、程よいものは――メニューを眺めると、ハーフサイズの明太クリームパスタが目に留まり、注文した。
「そうそう。食べたい時に食べればいいんだよ。食べた分は明日動けばノーカンだって」
「いや……これ、絶対落ちにくい
背徳感はあるが、この際気にしないことにした。
きっと、深夜のファミリーレストランの、明るく静かな雰囲気のせいだと、玲奈は思う。不思議と安心感があり、自制心を鈍らせるのだと、自分に言い聞かせた。
これに似た安心感を、知っている。深夜、すぐ側の食事に連れられることといい、なんだか懐かしかった。
しばらくして、小さい皿に載ったパスタが運ばれてきた。その頃にはもう、茉鈴は全て食べ終わり、テーブルの空いた食器が回収された。
「あのさー。ちょっと言いにくいんだけど……」
玲奈が上機嫌に、パスタに手を付けようとしたところ――茉鈴が苦笑しながら口を挟んだ。
「これもう、終電乗れないやつだよね」
「え?」
玲奈は、テーブルに置いていた携帯電話の電源ボタンを押した。
画面に表示された時刻は、午後十一時五十五分だった。
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