第09話

 六月二十四日、土曜日。

 玲奈は昨日『おとぎの国の道明寺領』のアルバイト面接で採用が決まってすぐ、店主とシフトを話し合った。玲奈としては金銭を稼ぎたいため、早速今日から入った。

 今夜は学校の友人らと食事に行く予定があったが――カフェとしか言えないが、アルバイトだと理由を話して断った。実際のところ、つまらない談笑より遥かに有意義だった。

 以前と同じく真っ赤なドレスとアクセサリーを纏い――女王レイナとして、飲食物を運んでいた。


「お待たせしました。『魅力的な赤』と『つよつよメンタル』になります」


 玲奈は、この店独自の変わったメニュー名を、まだ全て覚えていない。カシスソーダーとジントニックを、ソファー席に並んで座る女性客ふたりに差し出した。


「レイナ様ですよね? 美人で最高です!」

「マジで女王様って感じで、めっちゃ素敵やん!」


 客から興奮気味に騒がれ、玲奈は少し考える。

 ハリエットから与えられた女王レイナの設定は、気品ある女性だった。柔らかい笑顔や大きく笑うのは駄目だと言われたが、普段通りに振舞えば問題無いとも言われた。

 役に関する具体的な注文は『絶対に照れるな』ひとつだった。玲奈はそれのみを意識していた。

 客から褒められ、恥ずかしくもあり照れくさくもある。しかし、この店で演者として働く以上――自らの意思で賃金を要求する以上、コンセプトは厳守しないといけない。

 視線を外して俯きたくなるが、強引に凛々しい表情を作り、ふたりに向き合った。


「ええ。当然です」


 ちょっとナルシストっぽかったかな。

 玲奈は自分の対応に、更に羞恥心が込み上げる。だが、客の黄色い声を聞いて安心した。客が不快でないならそれでいいと、思うことにした。


「レイナ様、とってもいい感じですわー」


 こちらの様子を眺め、ハリエットはにこやかに頷いていた。

 この働きに本当に満足しているのか、玲奈には見当がつかない。しかし、いつか賃上げを要求するためにも、この調子で続けようと思った。


「玲奈ちゃん、いい感じじゃん。ここのバイト、楽しいでしょ?」

「いや、それは無いから……」

「えー。そうは見えないんだけどなぁ」


 玲奈はキッチンカウンターに戻り、英美里と小声で話した。

 英美里やハリエットのような心から楽しんでいる立ち振舞は、おそらく一生出来ないだろう。彼女達を尊敬はするが、憧れはしない。

 全国のコンセプトカフェで働く人達は、どちらかというと自分寄りの志が多いと思う。しかし、玲奈の知る限り、この店には『楽しんでいる側』が少なくとも三人居る。


「期待のルーキーがふたりも増えたんだから、これからどんどんお客さん増えていくよ」

「わたしはそんな逸材タマじゃないわよ。ていうか……なるべく注目は浴びたくないんだけど……」


 玲奈は本音を漏らしながら、英美里と一緒に店内のある人物を眺めた。


「はーい。ご注文は『対魔法使い特効薬』ね。うーん……私にそれ頼んじゃう? 私のこと、嫌い?」

「そんなことないですよぉ。マーリン様のハートを射止めたくて!」

「あははは……。それなら、この『クラーケンの宝玉』も一緒に注文してくれたら、私にダメージ与えられるよ? いやー、クラーケンは私でも強敵でね」

「それもお願いします!」

「まいどー。愛してるよー」


 よくもまあ適当なことを喋りながら注文を取れるなと、玲奈は呆れた。ちなみに、ソルティドッグとたこ焼き――客には言えないが、ただの冷凍食品――になる。

 オリーブグリーンのゆったりとしたローブに身を包み、木の杖を持ったキャストは、茉鈴だ。ハリエットが、かの有名な伝承に登場する『魔法使いマーリン』の役を与えた。

 長身かつ無造作な動きのショートヘアが、ローブ姿と似合っていた。さらに、元々の穏やかで物柔らかな雰囲気が、胡散臭さを醸し出している。玲奈の目からも、恐ろしいほど嵌っている役柄だった。楽しく演じていることから、志望動機に説得力があった。

 実際に、客からの反響は女王レイナよりも良く、今夜は領主であるハリエットに迫る勢いだ。


「対魔法使い特効薬と、クラーケンの宝玉――お願いします、エミリーさん」

「かしこまりました、マーリン様!」


 茉鈴がキッチンカウンターに戻り、改めて注文内容を伝える。英美里は茉鈴に親しみを覚えているのか、上機嫌だった。

 ふたりの様子に、玲奈はどこかいい気がしない。ふたつの飲み物をトレイに載せ、茉鈴と場所を入れ替わるようにキッチンカウンターを去った。


 その後も、玲奈は女王レイナとして仕事を続けた。店内の混み具合は、前回と同等かそれ以上だった。

 玲奈は新顔ということがあり客からの注目を浴びたが、やはり茉鈴の方がより盛り上がっていた。

 それを横目で眺めていた時だった。


「あの。レイナ様って、おいくつなんですか?」

「前はどこか、別のお店……別の領地の女王だったんですか?」


 ふと、客からそのような質問を振られ、玲奈の思考は固まった。


「えっと……」


 想定外の会話だ。『現実』をどの程度話していいのか、わからない。コンセプトを崩すことだけは避けなければいけないので、慎重に答えなければいけない。

 ハリエットに助けを乞おうと――ちらりと視線を送るが、別の客との談笑に夢中のようで、気づかれなかった。

 この状況に、玲奈の中で不安が込み上げる。凛々しい態度を求められているのに、表情にまで溢れそうだった。


「お嬢さん方や……ウチの女王様にデリケートな質問をぶつけるのは、ちょっと無礼だよ」


 その声と共に、玲奈は背後から何かに包まれた。

 暗い緑色のふわりとしたものはローブの袖だと、木の杖を掴んだままの手が視界に入り、理解した。


「どうしても知りたいならさ、女王様の側近――王宮魔法使いの私を通してね」


 すぐ後ろから、穏やかな口調の声が玲奈の耳に届いた。

 身体が覚えている、懐かしい感覚だった。混乱していたというのに、不思議と落ち着いていた。

 そう。玲奈は茉鈴に、背後からそっと抱きしめられていた。

 少しの間を置いて状況を理解するや否や、落ち着きなどすぐに消え――嫌悪感が込み上げる。振り解こうと、反射的に身体が動こうとする。


「しっ。暴れないで、じっとして」


 しかし、茉鈴から耳元で囁かれ、この場は踏み留まった。

 玲奈は一呼吸つき、冷静に考えた。確かに、女王たる者がこれしきのことで取り乱しては、客を幻滅させる。

 質問に困っていた状況を、茉鈴が役を生かして助けてくれた。茉鈴の客への態度はとても失礼だったが、マーリンの役だから、まだ許されるのだろう。

 茉鈴の手助けなど玲奈にとっては不本意だが、まずはこの状況を切り抜けなければいけない。


「そうです。領外のご質問は、側近のマーリンを通してください」


 え? わたしの側近だったの? 王宮魔法使いって、どういうこと?

 玲奈は茉鈴の台詞を思い出してひとまず話を合わせたが、どちらも初めて耳にした設定だった。ふたりの事情を知っているハリエットが作ったとは思えない。間違いなく茉鈴の即興だと、察した。


「レイナ様……。私めは、心より貴方を慕っていますよ」


 背後から抱きしめたまま、茉鈴が首を伸ばして玲奈の顔を覗き込み――小さく微笑んだ。

 玲奈の鼻に吐息が触れる。頬が擦れるほど、顔が近い。

 不快感が込み上げるが、玲奈はなんとか、引きつりながらも笑みを浮かべた。結果的に、至近距離で見つめ合うことになる。

 この場面に、周囲の客席が一斉に湧いた。店内は黄色い歓声に包まれ、今日一番の盛り上がりを見せた。

 これのどこに受ける要素があるのか、玲奈には理解できない。しかし、茉鈴に助けられたことは、これ以上ない不覚だった。


「まあまあ。とっても仲睦まじいですのねー。おふたりの絆に、わたくし妬いてしまいますわー」


 これほどの騒ぎになり、ようやく気づいたのだろう。満面の笑みを浮かべた――玲奈には怒っているように見えた――ハリエットが、ふたりに近づいた。

 その機会に、玲奈は茉鈴の腕を振り解いた。そして、三人で周囲に頭を下げ、この場は収まった。


 やがて、午後十一時になり、玲奈は業務を終えた。

 前回と同様――今後も、終電の都合でこの時間までとなる。それは、玲奈だけではなかった。


「おつかれー」


 スタッフルームでひとりで着替えていると、茉鈴が入ってきた。玲奈は茉鈴のアパートの所在を知っているので、上がる時間が重なるのは仕方ないと理解していた。


「おつかれさまです……」


 玲奈は軽く会釈をした。

 茉鈴とは他人として、ただの同僚として接するつもりだった。

 それなのに――店内が最も盛り上がった瞬間を思い出す。まさか、初日からあのように接触されるとは考えもしなかった。

 茉鈴に助けられたかたちなので、あの場で回答に詰まった自分に非がある。感謝する立場にあることは、理解している。

 だが、役とはいえ茉鈴の言動に苛立ちもあり、結果的に何とも言えない気分だった。

 そして、一瞬とはいえ――茉鈴の抱擁に、懐かしさと共に心地良さを覚えたこともまた、事実だったのだ。


 玲奈は悶々としながら着替えた。スタッフルームで茉鈴とふたりきりの状況で、僅かながらも下着姿を晒すことには何も思わなかった。特に視線は感じなかった。

 自分以外にもうひとつ、衣服の擦れる音が聞こえる。茉鈴もまた着替えている最中なのだと思ったが、玲奈は背中を向けていた。


「それじゃあ、お先です」

「うん。またねー」


 最低限の挨拶を交わし、玲奈は店を出た。

 茉鈴に多少は警戒をしていたが、結局は何も無かった。あのような手助けがあったにしろ、こちらの主張を律儀に汲んでいるようだ。

 だからこそ、茉鈴が何を考えているのか、わからなかった。


 六月の下旬は、この時間帯でも蒸し暑い。繁華街は、この時間帯でもまだ賑やかだった。

 玲奈はふと、コンビニに立ち寄った。喉が乾いたので、ペットボトルの麦茶を取った。

 レジに向かう際、棚にミルクキャンディの袋が見えた。それも手にして、会計を済ませた。

 疲れているから、甘いものが欲しくなっただけ。玲奈は自分にそう言い聞かせた。苦さの中にある甘さを、欲した。

 それだけではない。気づいていないが――暑い時に舐めていたものとして、印象づいていたのだった。



(第03章『女王と魔法使い』 完)


次回 第04章『短い夜』

玲奈はハリエットからの要求に対し、賃上げの交渉をする。

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