第08話

「もしかして、ここでバイト続ける感じ?」


 あろうことか、アルバイトに応募したもうひとりは、安良岡茉鈴だった。

 その事実に、玲奈は頭が痛くなった。もう二度と会うことは無いと思っていたが、僅か一週間で再び顔を合わせた。


 再会は望んでいなかった。新しい気持ちで前を向こうと、切り替えたばかりだった。

 玲奈はただ、この状況に気落ちするばかりだった。

 この世の終わりのような様子だったのか――それとも、面接に遅れたにも関わらずヘラヘラしている茉鈴に対してなのかは、わからない。ハリエットと英美里のふたりから、玲奈は白けた空気を感じた。


「面接は必ず行いますので、少々お待ち下さい」


 ハリエットが茉鈴に断り、玲奈の手を引いてスタッフルームへと向かった。途中、英美里を手招きした。


「あの人って、確か……玲奈ちゃんに絡んでた人だよね?」


 スタッフルームで茉鈴を除く三人になるとすぐ、玲奈は英美里から訊ねられた。

 客としての茉鈴が、よほど印象的だったのだろう。一週間前にも関わらず覚えていることに、驚いた。


「ただのお友達……ではなさそうですわね」

「はい。学校の先輩で……ぶっちゃけると、元カノみたいなものです」


 振られた立場なので大きく違うが、選んだ言葉がそれだった。セフレとは恥ずかしいので、言えなかった。


「えっ、マジで?」

「まあ! ということは、ストーカーさんですの?」


 ふたりは驚くが、それだけだった。

 高校の同級生だった英美里は、当時より玲奈の性事情を理解している。そのうえで、過去より友人関係が続いていた。

 ハリエットもまた同性愛に理解があるようで、掘り下げない優しさに玲奈は感謝した。


「そうじゃないと思います。先週来たのも、本当に偶然っぽいんで……。別れて一年ぐらいですけど、今日会ったのが二回目です」


 ストーカーだとすれば、一年もの開いた時間や接触頻度が不自然に感じた。

 今回のアルバイト応募にしろ、玲奈が先週居たのは単発だと知っているはずなので――接触の意図は捨てきれないが、現実的には考えにくい。この件も、おそらく偶然だろう。


「ていうか、そもそも……フォローするわけじゃないですけど、ストーカーするような人とは思えません」


 玲奈は安良岡茉鈴という人物を、詳しく知らない。だが、たった二ヶ月の時間、身体だけの関係だったにしろ、およその人柄は理解できる。

 茉鈴は明るいというより穏やかであり、少なくとも陰湿さは無かった。


「ご本人がそう仰るなら、信じましょう」

「それで……どうします?」


 英美里がハリエットに訊ねた内容を、玲奈は察した。

 この事情で、茉鈴を雇うのか――決定権はあくまで、店主のハリエットにある。


「わたくしとしては……正直に申しますと、おふたりを雇いたいですわ。ただ、レイナ様がご無理なら、それで構いません。まだレイナ様に分がありますので、そちらを優先します」


 淡々とした台詞と共に、ハリエットが玲奈を見上げた。

 大きな瞳に一切の情が無いことを、玲奈は察した。冷淡ですらなく、ふたりの事情には文字通り『無関心』なのだろう。初対面に近い人間相手に、至極当然の対応だ。また、経営者が従業員をただの『駒』と考えるのは正しいと思う。

 決して薄情ではない。むしろ、ここのアルバイトの経験があるだけ有利に捉えてくれたことに、玲奈は感謝したいほどだ。

 台詞からも、頷かせる圧は全く感じなかった。どう答えようと、ハリエットの関係が拗れることはないだろう。素直に受け入れてくれるはずだ。

 つまり、茉鈴の雇用の権利は玲奈に委ねられた。

 だが、ハリエットの態度がどうであれ――玲奈の意思は揺るがないものだった。


「わたしは大丈夫です。人材ひと、欲しいんですよね? だったら、あの人も……安良岡さんも、雇ってあげてください」


 玲奈もまた、ハリエットへの気遣いは無かった。人手不足という店の事情を、最優先に考えたまでだ。


「本当に玲奈ちゃんはそれでいいの? 大丈夫?」

「ええ……。寄りを戻したいとは全然思ってません。少し気まずいかもしれませんけど……オンもオフも、当たり障りの無い程度には接することができます……わたしは。シフト重なっても大丈夫ですよ」


 英美里に心配されたことを、玲奈はハリエットに話した。

 玲奈としても、茉鈴への気持ちは無関心に近い。忘れようとしている現在、存在が近ければ、全く弊害にならないわけではないが――この際、ひとりの他人として割り切ることは可能だ。これまで何度も対人関係で厄介事になり、その度に事後はそうしてきた。


「実際どうなるのかは置いておき――となれば、後はあの方次第ですわね」


 ハリエットの言う通りだと、玲奈も思っていた。

 こちらが問題無くとも、一緒となれば茉鈴が退く可能性はある。ハリエットの様子から、そうなれば引き留めることも解決策を話し合うことも無いだろう。それほどの淡白さを、玲奈も望む。


「すいません。差し出がましいですが、わたしにちょっと時間をくれませんか? わたしのスタンスだけ、あの人に喋らせてください。ふたりっきりじゃなくていいんで……」


 何かの勘違いが生じ、ハリエットも巻き込んだ事後で揉めることを、玲奈は最も恐れた。茉鈴が退くにしろ残るにしろ、当事者ふたりで接し方を事前に擦り合わせておきたい。


「それが手っ取り早いですわね。よろしくお願いしますわー」


 素っ気ないがハリエットの許可を得たところで、三人でスタッフルームを出た。店内では茉鈴がひとり、退屈そうに突っ立っていた。

 玲奈はふたりを背に踏み出し、茉鈴と向き合った。


「お久しぶりです、先輩」


 一週間だから、その挨拶は適切ではない――口にした後、玲奈は思った。一年という時間に比べれば、僅かなものだ。

 こちらは笑みを浮かべない。かといって、敵意も出さない。茉鈴に対しては、あくまで赤の他人ニュートラルを装った。

 だが、茉鈴は優しく微笑んでいた。


「わたし、このお店でバイト続けることになりました……お給料、良いんで。だから、先輩もとなっても……昔のことはナシ、初対面のつもりでお願いします」


 玲奈はこうして発言すると、責任を押し付けてるかのような錯覚に陥った。

 一年前、自分は気持ちを拒まれた側であり、拒んだのは紛れもなく目の前の人物だ。それを正当化の手段とした、一方的で我侭な主張だと思う。しかし『被害者』だからこそ許されるとも思う。


「先輩のことは、どっちかというと嫌いです。でも、わたしも大人ですので……バイトでなら割り切ります。特別仲良くするつもりは、ありません。『ただの同僚』でいきましょう」


 眠たげな垂れ目で、茉鈴は黙って聞いていた。僅かな動揺すら無く、余裕すら感じられる。

 玲奈は平静を装い、一定の抑揚で包み隠さず曝け出すと、下がった。

 代わりに、次はハリエットが前に出た。


「ちゅーわけや……。あんた、志望動機は? 玲奈ちゃん目当てか? 正直に言うてみ?」

「玲奈がここで単発バイトしてたのは知ってましたけど、違います。私も、お給料が良いのと……あと、楽しいお店だなって思ったんで。盛り上げるの、手伝いますよ」


 どちらかというと、自分より英美里に近いのだと玲奈は感じた。

 客として一度訪れ、こうして人懐こい笑みでハリエットに話すことから、一応は説得力がある。

 これが本心とも、或いは別の意図があるとも思える。

 茉鈴が何を考えているのか、わからない。


「嬉しいこと言ってくれるやんか……。信じたるから、玲奈ちゃんと揉めるんだけはナシやで。それでええか?」


 ハリエットの淡々とした声からは、嬉しさを感じられなかった。おそらく茉鈴の言葉を信じていないのだろうと、玲奈は察した。非現実な格好をしている割に、考え方は現実的だと思っていた。

 とはいえ、店を含めての擦り合せは完了した。これで、茉鈴から仕事以上の強引な接触があった場合、責めることが出来る。

 そのうえで茉鈴がどのような返事をするのか、玲奈は待った。


「はい。玲奈とのことは、わかりました。私としても、揉めるつもりはありません。よろしくお願いします」


 茉鈴はすぐに頷いた。迷う時間が無ければ、表情にも変化は無かった。


「まあまあ! 我が領土に新しい民が二名も追加ですわー!」

「あのー……。おめでたいのは分かるんですが、あたしからひとついいですか?」


 ようやく嬉しそうな声を上げるハリエットの一方で、英美里が手を挙げた。


「おふたりの事情とは別で……出来れば、和気あいあいとした笑顔の絶えない職場にしません?」

「エミリー、それは諦めなさい。遊びじゃないんですよ?」

「ええ。わたしも、領主様に賛成」

「あははは……。なるようになるよ」

「ええー。なんですか、このよくわからない空気」


 英美里が白ける通り、確かに従業員間でまとまりは無いように玲奈は感じた。接客業となれば、不安要素となる。

 だが、この場に居る過半数の者は利害が一致しているため、崩壊までは至らないだろう。それもまた、客には見えないが『コンセプト』のひとつだと、玲奈は思った。順守したうえで、計画のためにしっかり稼がなければいけない。


 茉鈴と同僚になることは、全くの想定外だった。しかし、こうして事前に念を押したせいか、あまり不安ではなかった。

 それだけではない。もしも、恋人として破局していたなら、割り切れなかったのかもしれないと、ふと思った。

 結果的に、あの結末でよかったのだと――茉鈴の笑顔を横目で見ながら、玲奈は自身に言い聞かせた。

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