第05話

「よくいらしてくださいましたわね、助っ人さん! わたくしが、領主の道明寺ハリエットですわー! 本日は、よろしくお願い致します!」


 強烈な人物の登場に、玲奈の思考が固まった。理解することを放棄した。

 その反応にハリエットと名乗る女性は戸惑い、英美里を小さく手招きした。


「ちょっと、エミリー。助っ人さん、フリーズしてますわよ。こういう所だって、説明したんでしょうね?」

「ちゃんとサイトのアドレス送りましたよ。あれ見て、大体のことはわかってくれてると思ってたんですが……」


 ふたりのコソコソ話す内容が、玲奈の耳に届く。そういえば、英美里からメッセージアプリで送られてきたことを――そのウェブサイトを一度も開いていないことも、玲奈は思い出した。


「すいません、わたしの確認不足です。……というか、普通のカフェだと思ってました。まあ、ここまで来た以上は付き合いますんで」


 駅からここまで歩いた時の英美里の会話から、嫌な予感は少しあった。

 それでも、想定していたものと目の当たりにしているものとの隔たりがあまりに大きいため、認識が追い付かない。どちらかというと、認識したくない。いっそ、今すぐこの場から逃げ出したいぐらいだ。

 だが、内容を確認せず高時給に釣られ、ここまで訪れたことは自分に責任がある。騙されたとは言えない。英美里にも騙す意図が無かったのは、わかる。

 玲奈は正直に告白すると、ハリエットは両腕を組み、難しそうな表情を浮かべた。


「うーん……。説明もしますけど、見て頂いた方が早いですわ。エミリー、着替えてらっしゃい」

「了解です、領主様!」


 英美里は敬礼し、店の奥へと消えた。

 明るいペールオレンジの縦ロールと、黄色いドレス。現実離れした格好の人物と、玲奈はふたり取り残された。説明を受けるというより――英美里がわざわざ着替えなくとも、もう大体のことは察したつもりだった。


「さて……。あの扉をくぐると、ここはおとぎの国。そして、この空間はわたくし道明寺ハリエットの領地。……ここまでは、ご理解できます?」


 落ち着いた口調の説明でも、玲奈は理解を拒みたいぐらいだった。だが『おとぎの国の道明寺領』という、変わった店名を思い出す。つまり、目の前のふざけた人物は――


「要するに、貴方がこのお店の店長さんってことですよね?」

「店長? 領主ですわー」

「いやいや……店長さんですよね?」

「領主ですわー!」

「わかりました……領主さん」


 満面の笑みで強引に押され、玲奈は頷かざるを得なかった。

 そして、コンセプトカフェというものを、ようやく理解できたような気がした。この店に限っては『店』ではなく『おとぎの国の領地』であり『店長』ではなく『領主』という――設定コンセプトなのだ。

 目の前の女性は、領主を自称するだけあり、容姿や口調から令嬢を演じているのだとわかった。恥じらいもなく、役者顔負けの成りきりには、素直に凄いと思う。

 つまり、コンセプトを保ったうえでカフェとして営業する。英美里が言っていた演者キャストの意味も、高時給の理由も、納得した。

 そのうえで、似た概念の店種が、玲奈の知識にひとつあった。


「えっと……コンカフェとメイドカフェて、何がどう違うんですか? わたし、メイドカフェに一回も行ったことないですけど……」

「メイドカフェはコンカフェのひとつですわ。あれは、メイドさんがコンセプトのお店」

「な、なるほど……。ここもメイドカフェみたいなものなんですね」

「全然違いますわー。わたくしも、流石にそろそろキレますわよ?」


 ピキピキという音が聞こえそうな引きつった笑みをハリエットが浮かべていた、その時だった。

 店の奥から、ひとつの人影が現れた。


「メイド長エミリー、参りました!」


 着替え終えた英美里だった。丈の短いフリル付きのエプロンドレスに身を纏い、頭にはそれに合わせたホワイトブリムが載っていた。本人は何故か誇らしげな表情であり、両手で可愛くハートマークを作っている。

 コスプレの知識に疎い玲奈でも、英美里の格好を何と呼ぶかは知っていた。


「やっぱりメイドカフェじゃないですか! わたしにも、あんな格好させる気ですよね!?」


 玲奈は英美里を指さしながら、ハリエットに抗議した。

 当の英美里本人は、状況を飲み込めないようで、ポカンとしていた。


「落ち着いてくださいまし。この子は領主のわたくしに仕える、メイド長のエミリーですわ。……この領地に、メイドは今のところひとりしか居ませんけど」


 ハリエットだけでなく英美里本人も『エミリー』と外国名のように呼んでいることに、玲奈は気づいた。

 おそらく、この店での英美里の源氏名なのだろう。

 外国語学部の学生である玲奈の知識では――エミリーという名は、とある地域の『勤勉』や『努力』が由来になる。

 それが転じ『働き者』となったのだろう。だから、二世紀ほど昔、別の地域の女主人は、メイドの本名がどうであれ第一メイドをエミリーと呼んでいた。ちなみに、第二メイドがジェーン、コックがシャーロット、キッチンメイドがメアリーとなる。それら四つは、貴族間での定番の呼称だった。

 よって、英美里をエミリーとしてメイド長に置くことは、ある意味で理に適っていると玲奈は納得した。

 ただの偶然なのか、誰かが意図した名付けなのか――英美里にその知識があるとは思えないため、ハリエットの感性を疑い、少しだけ興味が湧いた。だが、それも一瞬。


「いや、だから……わたしもこんな恥ずかしい格好しなければいけないんですか?」


 エミリーの設定を聞かされたが、質問の回答になっていないことに気づいた。


「ちょっと、玲奈ちゃん! 別に恥ずかしくないよ! と否定はしますけど……玲奈ちゃんまでメイドだと、普通にメイドカフェになりませんか、領主様」

「そうですわねぇ……。メイドが無難なんですけどねぇ……。助っ人さんのキャラ付け、どうしましょう」

「キャラも何も、何かの被り物程度でよくないですか? ねぇ」


 小難しそうに悩んでいるふたりに、玲奈は改めて言葉を挟んだ。

 仕方なくアルバイトは履行するつもりだ。しかし、ふたりのようにコスプレのうえキャラクターに成りきるまでは、なるべく避けたかった。


「貴方……レナさんでしたっけ? ノリが悪すぎますけど、よく言えば落ち着いて……どちらかといえば上品で……まあ、割とキツめのお顔で……」


 玲奈は、ハリエットから眺められながら分析された。的確に捉えていると思うが――褒めているのか貶しているのかわからない内容に、あまりいい気はしなかった。


「わかりましたわ! イを付け足して、レイナ……女王レイナでいきましょう!」

「流石は領主様! 天才です!」

「は?」


 ハリエットの表情がパッと明るくなるが、玲奈にとっては予想もしていなかった言葉が出てきた。

 決定された内容より、レイナという名前に思考が働いた。とある国で、その名は確かに『女王』を意味する。自分の名前をそのように触れられたのは、初めてだが。

 やはり、偶然ではない。統治者ハリエットと名乗っていることからも、この得体の知れない女性は博識だと、玲奈は素直に関心した。


「それでは、こちらにいらしてください」

「え? 決定なんですか?」


 とはいえ、ハリエットに店の奥へと案内されると、憂鬱になった。この人物のひらめきに対し、拒否権は無いようだ。

 店内の隅にある扉を一枚隔てた先には、キッチンと――パイプ椅子とテーブルの置かれた部屋があった。壁際にはロッカーと、ハンガーに掛けられたコスプレ衣装が並んでいることから、玲奈はスタッフルームだと理解した。

 ハリエットは衣装の中から、真っ赤なドレスを手にした。長い丈のワンピース状で、オフショルダーのものだ。クリーニング済みなのか、ビニールカバーが被せられていた。


「これにお着替えください……。サイズはたぶん、大丈夫ですわ」


 玲奈は受け取り、しぶしぶ着替えた。ハリエットの言葉にどのような根拠があったのかわからないが、確かに驚くほどフィットした。裾は床に触れない程度であり、肩以外の目立った露出は無い。


「わぁ……。なんか、凄いわね」

「玲奈ちゃん、とっても似合ってるよ!」


 姿見鏡の前に立ち、自分の姿を確かめた。英美里の言う通り、悪くはないと思った。長いコーラルベージュの巻髪と真っ赤なドレスが、合っている。

 だが、ドレスなど滅多に着ないため、新鮮味があるどころか、自分ではないかのようだった。

 おそらく、種類としてはパーティードレスなのだろう。コスプレというより、めかしている気分だ。これならば、まだ人前に立てると思った。


「まあまあ。わたくしの見立て通りですわね。それでは、これも着けてくださいまし」


 いつの間にか消えていたハリエットが、別室からトレイを持って現れた。

 トレイに載せられていたものは、ゴールドのネックレス、赤い石のイヤリング、そしてシルバーのティアラだ。玲奈は順に着けていった。


「すっごい! 本当に女王様みたい!」

「イメージ通りですわね。わたくしの目に、狂いはありませんわ」

「そうなんですけど……そうなんですけども……」


 先程までは、パーティーに参加する一般人だった。だが、仰々しいアクセサリーを着けることで、玲奈はパーティーの主役に躍り出た気分だ。

 確かに姫もしくは女王のような格好であり、ここで初めて玲奈にコスプレの実感が湧いた。羞恥心が込み上げると共に、不安な表情になった。


「しっかりせえ!」


 ハリエットから、その声と共に腰を軽く叩かれた。


「ええか? 無理に笑わんでも、客と喋らんでもええよ。何やったら、いっそ無愛想な方が都合はええな。あんたは女王やで。気高く、凛としとるだけで、充分絵になるんや。それだけは気にしてな。頼むで」


 姿見鏡越しに、ハリエットから顔を見上げられた。おそらく、これがこの人物本来の口調なのだろう。

 無理することなく、かつ素材を最大限まで生かす役柄としては、まさに最適だと玲奈も思う。ハリエットの店長としての気遣いと、これを選んでくれた感性には、心中で感謝した。


「わかりました……。今夜は自分なりにしっかり働きますので、時給二千円でお願いします」

「ええ。ちゃんとお支払いしますので、よろしくお願いしますわね――レイナ女王」


 玲奈は腹を括り、レイナとしての自覚を持って頷いた。ハリエットから、満面の笑みを向けられた。

 その後、ハリエットと英美里の両名から最低限の説明を受け、午後五時に店が開いた。


 店内にはカウンター席が四つと、二人がけのソファーが三つある。今日が週末だからか、終始七割ほど埋まっていた。客は若い人間がほとんどであり、男女は半々ほどだった。

 カフェとは名ばかりで、アルコール飲料も扱っていた。注文もそれがほとんどであり、カフェというよりバーだと玲奈は思った。


 事前の打ち合わせ通り、英美里がキッチンで飲食を用意し、玲奈はひたすら客へと運んでいた。店内はハリエットが仕切り、客の相手に追われていた。たまにキッチンから英美里も顔を出し、ふたりは役になりきりながら客と喋った。

 コスプレで酒の相手をしていることから、水商売のようだと玲奈は感じた。しかし、下品さが無いためか、軽蔑はしなかった。


「ねぇ。お姉さん、ちょっとお喋りしましょうよ」

「あらー。レイナ女王にそれは、無礼ですわ。まずは、わたくしを通してくださいまし」


 アルコールのせいか、たまに客から絡まれそうになるが、ハリエットがすかさず擁護に入った。

 領主の下で女王が働いているのも、おかしな話だ――慣れた頃には、店の設定に疑問も浮かんでいた。


 やがて、午後九時。三人の従業員が、ローテーションで休憩を取っている時間帯だった。

 ちょうどハリエットが休憩に入り、店内はただのバーと化していた。玲奈は、客に警戒する余裕が無いほど忙しかった。このまま最後まで、勢いで乗り切るつもりだった。

 ふと店の扉が開き、新たな客を迎えようと駆け寄った。


「いらっしゃいませ。おとぎの国の道明寺領へ、ようこそ」


 人影は、ひとつ。教わった挨拶と共に、頭を下げた。


「……あれ? 玲奈?」


 聞き覚えのある声だった。

 玲奈は顔を上げると――暗いカーキグレージュの、広がったショートヘアが真っ先に目に映った。

 髪型、長身、猫背。それだけでも、物柔らかな人物だと連想は可能だった。

 しかし、飄々とした雰囲気を玲奈が一層強く受けたのは、その人物を知っているからだった。

 いや、厳密には詳しく知らない。一年前に、二ヶ月ほど身体を重ねただけなのだから。

 あの時は、心地良さを感じていた。それをより求め、独占欲が湧いたのが最後だった。

 そう。あの時、確かに終わったはずだった。

 どうして――玲奈は口を少し開くが、声が出ない。頭の中が真っ白になり、目が見開いた。


「やっぱり玲奈じゃん。わぁ、綺麗だね」


 客は玲奈の顔を覗き込むと、小さく微笑んだ。

 懐かしい仕草だと、玲奈の感性が受け止めた。不快な笑みではなかった。

 だが、直感は惨めな過去を思い出させた。髪を切った自分を――醜いカエルになった自分を。

 悔しさに似た感情から、ようやく思考が働く。状況を理解する。玲奈は下唇を噛み、目の前の客を睨みつけた。

 接客を忘れ、そのような態度を取るが、客は動じることなく落ち着いた笑みを浮かべていた。

 眠たげな垂れ目がとても印象的だと、玲奈は感じた。


「久しぶり……。まさか、こんな所で会うとはね」


 安良岡茉鈴が、客として現れた。

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