第02章『髪が長く伸びた頃』
第04話
六月十六日、金曜日。
蓮見玲奈の通う大学の外国語学部は、二年生以降は一年生時と別のキャンパスになる。
キャンパス間は定期バスが走り、移動には約二十分を要する。しかし、通学には使用できない。玲奈は賃貸マンションを新しいキャンパス付近に引っ越したうえで進級し、約二ヶ月半が経とうとしていた。
環境こそ変われど大学生という立場は変わらないため、真新しい気持ちではなかった。
良く言えば『計画』は一点を除き順調だ。だが、悪く言えば退屈な日々だった。
午前十時。玲奈は二限目の講義をキャンパスのラウンジでひとり待っていると、三年生の女性がひとり近づいてきた。四月にここで出会い、何度か身体を重ねた人物だ。
「なぁ、蓮見……。明後日の日曜、暇しとる?」
「特に用事も無いですよ」
「それじゃあ、うちと遊ばん? 観たい映画あんねん。それからご飯食べて、夏服見いひん?」
大学の位置する地域の方言を話す『地元民』だった。玲奈はこの地域で一年暮らし、ようやく方言を聞き慣れた。
嬉しそうな表情で誘われたが――玲奈にとっては予想していなかった提案だった。いや『悪い方向』に傾いたと感じた。過去にも同じような経験を、何度か味わっている。
またコレかと思いながら、ソファーに座ったままの玲奈は、困った表情で女性を見上げた。
「すいません。ホテルだけならいいですけど、そういうのはちょっと……」
相手の要望に合わせることは可能だ。しかし、こちらにその気が無いのだから申し訳ないと思い――そして、実際のところ深い人間関係が面倒であるため、過去から断ってきた。
「えっ、ごめん……。うちとは寝るんはええけど、デートは出来んってこと?」
「はい。そうです」
「アホか!」
拒否の意思を改めて示したところで、女性から頬を平手打ちされた。この結果は、返事をした時点で想定内だった。
周囲の生徒達から注目を集める中、女性は立ち去った。
玲奈としてもこの場には居辛いので、少しの時間を置いてソファーを立った。ヒリヒリと痛む頬を抑えながら、トイレに入った。
手洗い台の鏡で――長いサイドヘアをかき上げ、頬が赤くなっているのを確かめた。
「寝ただけでカノジョ面とか、ほんっとありえないんですけど……」
このような『厄介事』は初めてではない。過去より、身体のみの関係を求めた結果、痛い結末で終わることがほとんどだった。
こちらに全く非が無いわけではないが、勝手に踏み込んできた相手を、これまでは憎んだ。
しかし、現在は――彼女達の気持ちが理解できた。
そう。一年前は、自分も『そちら側』だったのだから。
周囲から驚かれたほど短く切った毛髪は、現在は再び長く伸びていた。明るいコーラルベージュに染め、ゆったりと内向きに巻き、すっかり馴染んでいた。
再びこの長さに戻る頃には、気持ちが一新されていると思っていた。しかし、鏡に映る自分の表情は、どこか浮かない。
まさに現在、痛い目を見たからだろう。玲奈の脳裏に、柔らかいショートヘアのシルエットが浮かんだ。
「はぁ……」
あの日、拒まれて終わりにしたはずだった。未練も無いはずだった。
キャンパスも離れ、もう顔を見ることは無いのに――まだ引きずっている自分に、玲奈は煮えきらない気持ちだった。
その後二限目の講義を終え、玲奈は学生食堂で昼食を摂っていた。
昼食は、まだ仲の良い同級生らと一緒に居ることが多いが、この日は偶然にもひとりだった。
携帯電話でアルバイトの求人サイトを眺めながら、薄口のきつねうどんを食べていると――メッセージアプリが通知を告げた。
『玲奈ちゃん、やっほー。この前バイト探してるって言ってたけど、もう決まった?』
高校生だった頃の同級生であり友人とも呼べる存在の、
通っている大学こそ違うが、同じ地域の学校に進学したため、高校卒業後も交流が続いている。
『ううん。ちょうど今、探してるとこ』
玲奈は大学入学当時に、業者を介して家庭教師のアルバイトを始めた。高偏差値校の学生である身分から、時給二千円と高額だった。しかし、総労働時間は短く、玲奈の思っていたほどは稼げなかった。また、生徒と保護者双方への相手も、煩わしく感じた。
よって時給より時間重視に切換え、この半年ほどは駅前のカフェでアルバイトをしていたが――先日、店主の都合で店じまいとなった。
そもそも『普通の大学生活』を過ごすだけならば、親からの仕送りと家庭教師のアルバイトで充分だった。
玲奈の計画のひとつに、三年生での海外短期留学がある。学校の厳しい審査を通過しての交換留学、さらには奨学金も狙っている。現在の学力ではどちらも現実的だと推察していた。だが、悪い可能性も含め何にしろ、海外留学にあたり財力があるに越したことはない。
計画に対する財力不足が、現在唯一の懸念点だった。高時給かつ長時間働けるアルバイトを探しているところだ。
『もしよかったら、ウチの店に今晩だけでいいから単発ヘルプ入れない? 人いなくて、超ピンチなの!』
英美里からそのメッセージと共に、ファンシーなウサギのキャラクターの『ダメカナ?』というスタンプも送られてきた。
玲奈は携帯電話を一度置き、英美里がどこかのカフェでアルバイトしていることを思い出しながら、うどんを食べた。そして、食器を返却して食堂を出てから、英美里に電話した。すぐに繋がった。
「もしもし、英美里? とりあえず、今日はヘルプ入るわ。……暇してるから」
金曜日だというのに、玲奈は特に予定が無いことに悲しくなった。困っている友人を助けるためだと、自分に言い聞かせた。それに、カフェでのアルバイト経験があるので、力になれるはずだ。
『ほんと!? ありがとう、嬉しいよ。時給二千円は出るから、ガッツリ稼いじゃって!』
「え……そんなに? マジで?」
カフェのアルバイトで、それほど出るんだろうか? 玲奈は喜ぶより、にわかに信じられなかった。週末の夜だから繁忙期扱いなのだろうかと、勘ぐった。
「とりあえず、何時にどこ行けばいい? 今日は三限までだから、三時には出れるけど」
『えっとね……。それじゃあ、四時にあそこの駅で待ち合わせね。詳しい場所は、また後で送るよ』
英美里の口から、この地域の『南部』に位置する有名な繁華街の名前が出た。玲奈はこれまでに、友人らと何度か遊びに行ったことがある。
玲奈のマンションから、電車を含め四十五分ほどの移動になる。少し遠いが、時給が本当なら割に合うと思った。
「うん、わかった。それじゃあ、後でね」
通話を切った後しばらくして、メッセージアプリに待ち合わせ場所の詳細が届いた。そして、おそらくアルバイト先になる店のウェブサイトだろう――『おとぎの国の道明寺領』という言葉と共に、URLも貼られた。
「変な名前ね」
玲奈はおよそ店名とは思えなかったが、三限目の講義が近いので、URLを開くことなく携帯電話を仕舞った。
後になって思えば――どのような店なのかを事前に確認していれば、友人の頼みとはいえ、撤回して断っていただろう。
三限目の終了後、教材を置くためマンションに一度戻った。電車での移動中に確認することは、充分可能だった。情報は与えられていたのだから、確認しなかった玲奈に落ち度はある。
電車に揺られながら、玲奈はぼんやりしていたのだった。時間に余裕が生まれ、思考は悪い方向へ流れていた。
まだ、頬がヒリヒリするような錯覚に陥る。ショートヘアの女性のシルエットが、脳裏から離れない。
過去から、その手の人間関係の結果は――自ら招いたものだと、頭のどこかで理解していた。必ず一点に収束することから、即ち自分に何らかの『欠陥』があると言える。
改善したいのか、それとも自分の一部として割り切るのか、玲奈はそれすら分からなかった。ただ、その事実に打ちひしがれていた。
やがて、電車が目的地へ到着する。たとえ単発アルバイトだろうと、気分転換のつもりで頑張ろうと意気込み、玲奈は電車を降りた。
「あっ、玲奈ちゃん!」
「久しぶりね、英美里」
所定の改札前で、春原英美里と合流した。
小柄な身体に、ベージュ寄りの――明るいミルクティーブラウンの、毛先をワンカール巻いたショートボブが似合っていると、玲奈は思う。無邪気で明るい雰囲気でもあり、同い年のはずが自分より幼く見えていた。
「いやー、今日はありがとうね。コンカフェなのに、キャスト全然集まらなくてさー」
「え? コンカフェ? キャスト?」
聞き慣れない言葉に、玲奈は少し戸惑った。
いくつかの疑問が浮かび、玲奈はここで初めて店を確認していないことを後悔した。英美里に連れられ店へと歩いている現在、今さら訊けなかった。
「まあ、ウチは変なお店じゃないから、安心してよ」
「そ、そうね……」
コンカフェって、世間一般では変なお店扱いなの!?
玲奈に大きな不安が生まれるが、英美里の笑顔を信じるしかなかった。愛想笑いを浮かべ、頷いた。
「着いたよ。ここの地下」
繁華街の、飲食店――といってもバーや居酒屋――が立ち並ぶ中、古びた雑居ビルの前で英美里が立ち止まった。
玲奈は正面玄関の看板から、地上は四階建てだとわかった。そして、看板の中に『おとぎの国の道明寺領』の文字が確かにあった。どうやら、本当に店名のようだ。
正面玄関の隣に、下り階段があった。一階の建物内に入ることなく、直接使用できる。
階段の先は、扉ひとつのみだ。『準備中ですわ』と語尾のハートマークも含め、可愛い手書きの札がぶら下がっていた。
窓が無いため、店内の様子は外から一切わからない。ただ、どう見ても玲奈の知るカフェの雰囲気ではなかった。玲奈は恐怖に似た疑念が込み上げるが、英美里に続いて階段を下りようとした。
しかし、ふと背後に視線を感じて立ち止まった。
時刻は午後四時過ぎ。飲食店区域の一角でも、繁華街だからかこの時間でも人通りは多い。玲奈は振り返るが、こちらに視線を向けている者は特に居なかった。きっと、今の心境から敏感になっているだけだと思い、英美里の背中を追った。
英美里が扉を開けると、意外と明るい空間だった。玲奈は勝手に、薄暗い空間を想像していた。
店内は、花柄――もしくはレンガと窓が描かれた壁紙、天井から垂れたカーテン等、どれも白寄りのピンクを基調としていた。テーブルやソファーのデザインも、同色のアンティーク調だ。可愛いというより、なんともメルヘンちっくな空間だと玲奈は感じた。とても落ち着かない。
それほど広くはないが、置かれた設備としては確かに飲食店の内装だった。準備中のためか、人気は無いが。
「お疲れさまです、領主様! 言ってた助っ人を連れてきましたよ!」
領主様?
玲奈は英美里の言葉にさらなる疑問を持ったその時、奥からひとつの人影が現れた。が――目を疑った。
英美里よりさらに小柄な人物は、明るい黄色のドレスを身に纏っていた。凝った装飾が施され、豪華なものに見えた。
ドレスだけならば、結婚式やテレビで目にする機会がまだある。その人物の長い毛髪は、ドレスに合わせているのか、明るいペールオレンジだった。その奇抜な色も――縦ロールの髪型も、普段は滅多に目にすることがない。
地毛なのかウィッグなのか、わからない。若く見えるが、年齢は見当がつかない。
格好としては、何かのコスプレなのか、海外の中世の貴族だった。完璧に着こなし、妙に嵌っている。
玲奈はただ、異様な雰囲気に気圧され、何も言葉が出なかった。
「よくいらしてくださいましたわね、助っ人さん! わたくしが、領主の
そして、不敵な笑みと甲高い声の挨拶に、玲奈の思考は完全に固まった。
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