花ノ宮香恋ルート 第17話 太陽の役者に挑む者たち


『その女性は……花ノ宮家から追放された、香恋様の……腹違いの姉です!』


 ワイヤレスイヤホンから聴こえてきたその衝撃的な発言に、オレは思わず目を見開いて硬直してしまう。

 

 そんなオレの様子に、目の前にいる三木あずさは、不思議そうに小さく首を傾げた。


「? どうかしたん? 楓はん?」


「……何でもありません」


 オレは小さく息を吐き、そう言葉を返した。


 現状……花ノ宮家の人間である彼女が何故、有栖陣営に居るのか。その理由は定かではない。


 単純に考えるのならば、有栖の思想に共感を示し、彼女の部下となった……と、そう見るのが妥当な線なのだろう。


 だが、玲奈は、彼女は花ノ宮家から追放されたと、そう言っていた。


 その発言から鑑みて、あの暴君じみた有栖に、追放された彼女が協力する姿勢を見せるものだろうか?


 普通、追放されたとなれば、復讐心を抱くのが当然なのではないのか……?


 だとしたら、彼女は有栖ではなく、別の誰かの陣営に付く人間と見るのが、正しいと線と考えられる。


「クス。そないにうちの顔を見つめて、どないしたん? なんか恥ずかしいんやけど?」


「……すいません。お綺麗なお顔をしていたもので、つい」


「なんか、口説かれてるみたいやな? クスクスクス」


 この子……確かによく見ると、香恋に似た顔立ちをしているな。


 長い黒髪に、キリッとした赤い瞳。口調と性格は大きく異なるが、雰囲気はあいつにとてもよく似ている。


「ほな、アイドル候補生住む寮に案内するなぁ。さっきも言うたけど、そこに、有栖はんがおるさかい」


「はい」


 オレは頷きを返し、彼女と共に歩道を歩いていく。


 東京駅前の道路には、何台もの車がビュンビュンと走っていく姿が見届けられた。


 不慣れな都会――短い付き合いになるだろうが、何事も無く過ごしたいものだ。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




『――――兄さん。先ほども言いましたが、三木あずさと名乗った少女……本名、花ノ宮なずなには警戒しておいてください。彼女は、香恋さまのお父様、花ノ宮礼二郎に、かなりの恨みを抱いていると思いますから。兄さんが香恋さまの陣営であることが彼女にバレたら、何をされるか分かりません』


 オレは、前を歩く三木あずさ――もとい、花ノ宮なずなの様子を見つめる。


 彼女は現在、今宵の手を引いて、仲良さげに会話をしていた。


 こうしてみると、幼い少女にも優しい着物美人にしか見えないが……玲奈の言う通り、花ノ宮家の血縁者である以上、何かしら裏の顔があることは間違いないだろう。


 オレは歩く速度を落とし、小声で口を開く。


「……玲奈。花ノ宮なずなは、何が目的で有栖の陣営に付いていると思う?」


『分かりません。ですが、香恋さまに危害を成すつもりでこの当主候補戦に参加しているということは、何となく察せられます』


「香恋となずなは、会ったことがあるのか?」


『ありません。花ノ宮なずなは、花ノ宮礼二郎が愛人に産ませた子供で……』


 何処か言いよどむ様子を見せる玲奈。だが彼女は続けて、口を開いた。


『花ノ宮礼二郎は、本妻との間の子供である香恋さまが優秀だと知るや否や、保険として扱っていた愛人との子供である花ノ宮なずなに絶縁を言い渡し、親子共々家から追放した……と聞いております。彼女の母は、数年前に自殺したらしいです。恐らくは、花ノ宮礼二郎が何かしらの手を使って彼女を死に追いやったのでしょう。自らの汚点を消すために』


「……相変わらず腐った家だな。ということはあの子は、花ノ宮家が産んだ復讐鬼、といったところだろうか」


 一歩間違えば、オレもああなっていたかもしれない部分がある。


 連中、花ノ宮家には、役者になる夢を奪われ、怪我を負わせられ、虐げられてきた。


 だけどオレにはルリカがいた。彼女がいたからこそ、腐らずに済んだ。


 ある意味、花ノ宮なずなとオレは似た者同士、なのかもしれないな。


 決定的に違うのは、彼女は一人で、オレには妹や愛莉叔母さん、香恋がいたことだが。


 味方がいるのといないのとじゃ、その未来は大きく異なったものになるに違いないだろう。


「……玲奈。あの子……オレたちの味方にすることはできないかな?」


『…………は? え、に、兄さん、私の話、聞いていましたか!?』


 ワイヤレスイヤホンから、玲奈の戸惑った様子が察せられる。


 オレは微笑みを浮かべた後、玲奈に言葉を返した。


「オレが倒したいのは、今、花ノ宮家に巣くっている悪鬼どもだ。正直、なずなも有栖も、手を取り合える余地があるとは思う。樹は……分からないけれどな。とにかく、彼女とここで出会えたことは、何かしらの意味があった、ということなんだとオレは思うよ」


『い、いやいやいや、兄さん、馬鹿ですか!? あの女は、香恋さまの敵なんですよ!? 分かり合うことなんて、最初から無理に決まっています……深い入りしては、兄さんの身も危ないですよ!』


「玲奈。お前とオレも、最初はいがみ合っていたけれど、最終的には分かり合えたじゃないか。同じことだよ。血を分けた姉妹なんだ。一度も会話をしていない状態で、敵対し合うというのは可笑しいと思う」


『兄さん……』


「オレは、役者として、多くの人を知りたい。人を知って、香恋が書いた物語を彩りたい。今回の劇の幕が下りた、その時。観客たちに与えたい感情、それは、『あぁ、この物語を見れて良かった』―――という気持ちだ。エンドロールに相応しい人の感情の色彩、それを、舞台の上で彩ってみせる。そのためには、花ノ宮なずなの感情を、オレは今ここで知っておきたい。花ノ宮有栖の香恋への気持ちを、オレは知ってみたい」


 そう言ってのけると、イヤホンから、呆れたため息が聴こえてくる。


『香恋さまのためではなく、自分の演技のために、花ノ宮なずなとの接触を試みる……ということですか。兄さん、貴方は何処までいっても役者、なんですね』


「玲奈。オレは全ての経験を、糧に変える。香恋に伝えておいてくれ。今回の舞台、オレは、誰にも負けない、と―――」


 そう口にした後、オレは、花ノ宮なずな、黒澤今宵と共に、歩道を歩いていった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「―――――楓! きたのね!!」


 アイドル候補生が住む、芸能事務所の寮、若葉荘。


 なずなの案内で寮の中へと入ると、そこには、目を輝かせてオレを出迎える茜の姿があった。 


 茜はオレへと近寄ると、肩を叩き、満面の笑みを浮かべる。


「楓! あたしたちで、12月の舞台、盛り上げてやるわよ!! あんたと二人なら、越えられない壁なんてどこにも―――……あ、れ?」


 茜はオレの顔をジッと見つめると、何故か硬直する。


 そして、オレの肩から手を離すと、距離を開けて、こちらを鋭く睨み付けてきた。


「……誰、あんた」


「え?」


 突如敵意向きだしになる茜の様子に、オレは思わず、呆気に取られてしまう。


 そんなオレを無視して、茜は吠える。


「あんた、あたしの知っている楓じゃないわ。誰? 別人みたい」


「ちょ、え、茜さん? いったい何を言って―――」


「楓が、そんな目をするはずがないわ!! あんたのその目は―――あたしが最も尊敬して、最も恐れを抱いていた、五年前のあいつと同じ目!! あんた……あたしと会っていない間に、何があったの!? 前までのあんたは、あたしに友人として信頼の情を預けていた……でも今のあんたは、あたしを心の底から見下し、取るに足らない敵として見ている!!」


 ―――――驚いたな。


 オレが役者として、柳沢楓馬として戻ってきたことを、こいつは一瞬で見抜いたというのか。


 少し、計算がずれたな。


 ここで彼女にオレの名前を出されては、周囲に怪しまれる可能性がある。


「その目は、まるっきり、やなぎさ―――ふがぁ!?」


 オレは茜の口を塞ぐ。そして、ニコリと、微笑みを浮かべた。


「茜さん。これから有栖さんとお話がありますので、騒ぐのはまた今度にしてもらっていいでしょうか? ね?」


「もがぁ!? もがががぁ!?」


「それでは、あずささん。有栖さんの元に案内してもらっても良ろしいでしょうか?」


「う、うん。分かった」


 オレたちのやり取りに何処か引いた様子を見せながらも、あずさことなずなは廊下を進んでいく。


 オレは手を離した後、茜の耳元にそっと、声を掛けた。


「……あとで、二人で話をしよう。それまでは、あまり騒がないでもらえると助かる」


「……え?」


 そう告げた後、オレは茜から離れて、なずなの後をついていった。






「……来ましたねぇ、楓さぁん」


 リビングに入ると、一人掛けのソファーに座った有栖が視界に入った。


 ソファーの左右に立っているのは、アイアンブルーのシャツを着たチンピラの男と、ガタイの良い、女装した筋骨隆々の大男?だ。


 オレは向かいのソファーに座り、有栖と向き合う。


 すると有栖はコーヒカップを手に、ニコリと、微笑みを浮かべた。


「貴方が私たちの陣営に付いてくださったことぉ、まずは素直に感謝致しますぅ。これでぇ、私たちの受け持つ役者の戦力は盤石となりましたぁ。月代茜と如月楓。貴方たち二人で、香恋が書いた小説の舞台―――『孤独の夜空』を、素晴らしいものへと変えてくださぁい。貴方たちなら、きっと……私の夢を叶えてくださると、信じていますから」


 最後の言葉だけ、間延びした演技がかった口調ではなかった。恐らく、本心からの言葉なのだろう。


 それにしても……意外だったな。


 有栖はもっと、高圧的にこちらを支配してくると思ったのだが……役者に対して、ある程度の尊重が感じられる。


 こいつ。香恋が昔は仲良かったと言っていたが、やはり、根はそこまでの悪人ではない、のか?


 そう、有栖のことをつぶさに観察していると、有栖は笑みを浮かべる。


「クスクス。随分と驚いた様子ですねぇ。私はぁ、味方には優しいんですよぉう? ただ、目的のためには手段を選ばない……それが、私のポリシーですので。柊家でのことは、必要な脅しだったんです。貴方という、カードを手に入れるためにはね」


「そこまで、私を評価していただいているのですか?」


「勿論ですぅ。貴方と月代茜は、二人で居るからこそ、素晴らしい演技ができる……。二人で居ればこそ、柳沢楓馬を超えることができる……。それは、あのロミジュリの劇で判断済みですので」


「柳沢楓馬……?」


 突如出てきた自分の名前。動揺した様子を見せずに、冷静に、そう言葉を返す。


 すると有栖はフフッと笑い声を溢し、開口した。


「私の夢、それは……自分の事務所から出した役者で、元天才子役、柳沢楓馬を倒すこと。貴方たち二人ならば、復活したあの怪物を倒すことも可能だと、私は、信じているんです」


 そう言って、優雅にコーヒカップに口を付ける有栖。


 オレは、そんな彼女に続けて疑問の声を掛ける。


「役者を辞めた柳沢楓馬が、例の舞台に立つと考えているんですか、有栖さんは?」


 オレのその言葉に、有栖は妖しげに目を細める。


「……ええ。当主であるお爺様……花ノ宮法十郎が、各陣営にそう告げていますぅ。この舞台には、五年ぶりに復活を遂げた柳沢楓馬が戻ってくる、と。あの元天才子役が、香恋陣営の役者として舞台に立つ、とも……ねぇ」


 あの爺さん……何故、オレが舞台に立つことを知っているんだ?


 香恋陣営の誰かが密告したとは考え辛い。


 だとするならば……愛莉叔母さんか、亡くなる前の白鷺の爺さんが告げた線が妥当、か。


 思考するオレを他所に、有栖はそのまま口を開く。


「私は、舞台の上に残り続ける怪物を打倒さなければならないのですよ。それが、香恋との約束ですから」


「香恋との約束……?」


「取るに足らない話ですよ。幼い頃、ある天才子役の舞台を二人で見に行った。その時に、香恋はいつか天才子役を輝かせる脚本を書くと誓った。私は、自分の事務所を作って、彼を倒せる程の役者を産み出すと誓った。これが、最初の約束。……まぁ、その後、香恋は夢を諦め、私は、役者を辞めた柳沢楓馬がいつか復活した時に、彼を迎い入れるための事務所を作ることになって、最初の目的を変えたのですが……それは、まぁ、どうでもいい話です」


 そう言ってコホンと咳払いした後、有栖は目を開き、不敵な笑みを浮かべる。


「ですから、今回は、私の最初の夢を叶えるための絶好の機会なんです。香恋の脚本、柳沢楓馬の復活、それらに相対するのは、この私が選んだ最強の役者―――クスクス。私、今、とってもワクワクしているんです。何の才能もない私が、直接的ではないにしろ、香恋や柳沢楓馬といった本物の天才と戦うことになる……これほど、胸が躍ることは無いですからねぇ」


 なるほど。こいつ……面白いな。


 香恋との約束を果たすために、月代茜と如月楓で柳沢楓馬を倒そうと、そう考えているのか。


 実に面白い考えだが……悪いが、その二人じゃ、オレを超えることはできないな。


 二つの月が、太陽を超す輝きを見せることは絶対にない。


 だが、向かってくるならば容赦はしない。


 柳沢楓馬という男は、そういう役者だからだ。


「……コホン。失礼しましたぁ。勝手に、盛り上がってしまいましたぁ」


 再び演技がかった口調に戻る有栖。オレはそんな彼女に対して、微笑みを向ける。


「有栖さん、その演技がかった口調で喋るよりも……素で喋った方が、貴方らしくて可愛らしかったですよ?」


「…………へ?」


 有栖はオレのその発言に目をパチパチと瞬かせる。


 その後、顔を真っ赤にし、こちらに鋭い目を向けてきた。


「な、生意気なこと言わないで貰えますかぁ? 私がどんな口調で喋ろうが、私の勝手ですよねぇ!?」


「お嬢……褒められ慣れてないからな……すまないな、楓さん」


「近藤!? 余計なこと言わないでくれますかぁ!?」


「……有栖さま、これも良い機会ではないでしょうか。如月楓のことは前から気に入ってましたよね? 見たところ彼女は、有栖様と対等にお話できる器と思えます。この機会に、楓さんとお友達になってみては―――」


「雅美!! 貴方も口を閉じてくれますかぁ!?」


 左右に立った配下に、有栖はからかわれる。


 何というか……アットホームな現場だな。


 玲奈と愛莉叔母さんしかいなかった元香恋陣営には、このような光景は無かったからな。


 こういう主従の形もあるのか。知見を得た。


(隙があれば、有栖を取り込むことも策に入れていたが……)


 この人たちを味方にできたら心強いのだろうが……俺的には、有栖と茜と、舞台の上で戦いたい気持ちがある。


 彼らとならば、とても楽しい舞台が作れそうだからな。


 オレは、本気の有栖とも、本気の茜とも、舞台の上で争ってみたい。


 敵は多い方が、心が躍るものだ。

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