花ノ宮香恋ルート 第14話 例え父だとしても


「恭一郎……いや、父さんと母さんに、そんな過去があったんですか……」


 有栖との騒動の一件があり、柊邸におじゃました後。


 オレと玲奈はリビングでテーブルを囲み、恵理子さんから父の過去を聞かされていた。


 恭一郎が母さんと駆け落ちした話は何となくは知っていたが……その詳細を聞いたのは初めてだった。


 あの冷徹なイメージしかなかった父が、決死の想いで母を逃がしたこと。


 その逃走劇に、恵理子さんや、女優科の担任の蘆谷先生、演技指導教員の我妻先生が、一枚嚙んでいたこと。


 彼らが父と母の古くからの旧友であること。


 その全てを、オレは今ここで初めて知ることになった。


 オレは、チラリと、隣に座る玲奈に視線を向ける。


 玲奈も、父と母の過去を聞いて、どこか思案気な様子だった。


 オレはそんな彼女の様子を覗き見た後、再び恵理子さんに視線を向ける。


「恵理子さんは、元々、私……いや、オレのことを、蘆谷先生から聞いていたんですよね?」


「そうだよ。恭一郎と由紀の息子が、自分のクラスの生徒になる……って、あの子から事前に聞かされていたんだ。君のことを、万梨阿はとても気に掛けていたよ。親友の子供だったからね」


 そう口にすると、恵理子さんはニコリと微笑んだ。


 だが、反対に、玲奈の顔は不機嫌そうに曇っていった。


「……香恋さまが兄さんの正体は誰にも話すなと言っていたのに……友人に話すなんて……正直、あの女教師は信用なりませんね。反吐が出ます」


 チッと舌打ちして、眉間に皺を寄せる玲奈。


 オレはそんな彼女に、恐る恐ると声を掛ける。


「れ、玲奈? そんなに怒ることはないんじゃないかな? 蘆谷先生も恵理子さんも、話を聞く限り、オレたちの敵ではないと思うぞ? オレたちは、彼らから見れば、友達の子供なんだし……」


「だからなんですか、兄さん。そもそも私は柳沢恭一郎を信用していません。というか、私はあの男が大嫌いです。だって、あの男は香恋様ではなく、花ノ宮樹の陣営に付いているじゃないですか。それに……そもそも、兄さんを見捨てた人ですよね。兄さんを、いえ、家族を大事にしない人なんて、私は大嫌いです」


「玲奈……」


「香恋さまと兄さん、ルリカさんは信用しています。ですが、私にとって他の人は……全て、敵でしかありません。この方も、真実を話しているとは思えませんね。樹の手の者、という可能性も捨てきれないです」


 そう言ってギロリと、恵理子さんを睨む玲奈。


 そんな玲奈に、恵理子さんは不思議そうに首を傾げた。


「さっきから気になっていたけど……君は、瑠璃花ちゃんじゃないの? 楓馬君から玲奈って呼ばれているみたいだけど?」


「あ、えっと、それは……」


「ええ、そうですよ、柊恵理子。私は、瑠璃花などという名前ではありません。私の名前は秋葉玲奈。柳沢家とは、一切関係のない存在です」


 そう怒りを込めて発言した玲奈の様子に、恵理子さんの隣に座っていた穂乃果は怯え、ビクリと肩を震わせる。


 恵理子さんを鋭く睨み付ける玲奈。


 そんな玲奈に対して、恵理子さんも無表情で、彼女の目をジッと見つめる。


 そうして、数秒程お互いに睨み合った後。


 恵理子さんは突如優しい笑みを浮かべ、席を立った。


 そして、警戒心高めな玲奈の傍に近寄ると――――彼女の身体を、ギュッと、優しく抱きしめるのだった。


「なっ!? 何をするんですか!?」


「君は、間違いなく由紀の子供だよ。お母さんにとってもよく似ている」


「何を言っているんですか!! 私は、秋葉家の人間と言ったでしょう!! 話を聞いていましたか!?」


「どうして君が、別人の名前を名乗っているのかは知らない。でも、察することはできる。君は多分、今まで、身勝手な大人たちの犠牲になってきたのだろうね。でも……ここでそんなに意地を張る必要はないよ。世界は、君が思っているよりも、敵だらけじゃないんだから」


「離せ!! 会ったばかりの貴方に私の何が分かると言うのですか!! 私は、別に、意地なんか張っては―――」


「もう、無理しなくて良いんだよ。私は、貴方の敵じゃない。君は賢い子。だから、それはもう……既に分かっていることなんだよね? 瑠璃花ちゃん」


「わた、しは……瑠璃花なんかじゃ……」


「よく……よく、今まで頑張ったね」


「ぐすっ、ひっぐ、な……なんですか、これ……。なんで、なんで……!! 何で涙が止まらないのぉ……!!」


 堰を切ったように、わんわんと泣き始める玲奈。


 玲奈はきっと……今までこうやって、誰かに抱きしめられたことが無かったのだろうな。


 大人びてはいるが、それは環境のせいで、大人にならざるを得なかっただけ。


 本来こいつは、ルリカと同じ、14歳の少女なのだから。


 優しい大人に、自分の気持ちを受け止めてもらいたかったんだ。


「なんなの、これぇっ……!! 何で私が、泣いているのぉ!! 意味が分からない!! 意味が分からないぃぃ!!」


 その泣き顔を見て、オレは、母を亡くした時の幼い自分の姿にとてもよく似ていると……そう思ってしまった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 その後。


 玲奈は恵理子さんの腕の中で泣き疲れ、気絶するように眠りに就いてしまった。


 そんな彼女を奥にある座敷で、布団を敷いてもらい、寝かしてもらった後。


 再びリビングに戻って来た恵理子さんに、オレは声を掛けた。


「……すいません。玲奈の奴を、急に泊めることになってしまって……」


「君が謝ることじゃないよ。さっき昔話をして分かったとは思うけど、この家は、元々は君たちのお母さんのものだったんだ。楓馬くんと玲奈ちゃんに使ってもらえるのなら、私も本望だよ」


 そう言って恵理子さんはオレの向かいの席に座ると、こちらに神妙な面持ちを向けてくる。


「さて、楓馬くん。君はこれから、どうするつもりなのかな?」


「如月楓に扮して、有栖の陣営に潜り込み、敵情視察をしてきます。一週間くらいを目途に切り上げて、こちらに戻って来る算段を付けています」


「相手は花ノ宮家の人間だよ。スパイなんて行為、一歩間違えば、取り返しのつかないことにもなりかねない」


「そうですね。相手方には、本物のヤ〇ザが絡んでいる。バレたら、タダじゃすまないでしょうね」


「おばさんは、正直、楓馬君にはそんな危ない行為やめてほしいな。私の勝手な予想だけど……恭一郎は多分、君たち兄妹を花ノ宮家から助けるために、花ノ宮樹陣営に付いているんじゃないかと思う。ここは一旦、恭一郎と対話してみて、彼に任せてみても良いんじゃないかな、楓馬くん」


「それは、できません」


「どうして? 自分を捨てたお父さんと会話するのは……怖い?」


「違います。もし恵理子さんの言う通り父がオレたちを想って行動していたとしても……父には協力できません。何故なら、花ノ宮樹が当主になったら、あいつが幸せにはなれないからです。樹側に付いたら、オレは、あいつの望む役者になれないからです」


「あいつの望む役者に……なれない?」


「……オレ、どうしても幸せになって欲しい奴がいるんです。そいつのためだけに、また、役者になりたいんです」


 会話をすれば、すぐに憎まれ口。


 理屈屋で、部屋に来れば紅茶のゴミを散らかし放題のお嬢様。


 思い返してみれば、あの少女と会えばオレはいつも、言い争いをしていたような気がする。


 だけど、オレの頭にはいつの間にか、微笑を浮かべている黒髪の彼女の姿が常にあった。


 ――――――あいつには、誰よりも幸せになってほしい。


 もう、悲しい顔をしないで欲しい。


 あいつの望む、柳沢楓馬という役者を見せてやりたい。


 画面の向こうにいる大勢の人々のためじゃない。


 オレは、花ノ宮香恋のために、舞台を舞う。


「そっか。そっかぁ……。ということは、うちの娘はフラれちゃった、ってことかな」


「え?」


「なんでもないよ。たった一人を笑わせるためだけに役者になる、か。恭一郎と同じ道を行くんだね、君は」


「父さんと、同じ道……?」


「そうだよ。君のお父さんは最初、無名の役者だったんだ。でも、柳沢恭一郎という役者の名が全世界に広まったのは、君のお母さんに出会ってから。あいつはさ、本当にキザで、かっこつけたがりのナルシストでね。私も役者の端くれだから分かるけど、あの男の演技って、全部由紀に向けてのラブレターなんだよ。今でもそうさ。恭一郎は……亡くなった由紀のためにだけ、今も演技をし続けている。彼女を笑顔にするために、舞台の上に立ち続けている」


「……」


 ――――大衆に向けて作った作品は、込められたメッセージが揺れがちになる。


 そのメッセージを受け手側が勝手に解釈して、褒め称えるのならば、それなりの作品として人々の記憶に残ることだろう。


 本人が楽しんで産み出した作品で評価を得られるのならば、それも、それなりの作品として世間に名を残すことになるだろう。


 だが、それは所詮、二流止まり。


 真の芸術家は違う。


 本物は、そこに、誰かに向けた明確なメッセージを残す。


 その作品はもしかしたら、独りよがりだと、世間には叩かれるかもしれない。


 だが後世に名を残した名画、名曲の数々の殆どは、作者が誰かに向けて作った作品が多い。


 例えばショパン。ショパンは晩年、病床の時、恋人に向けた名曲の数々を手掛けている。


 病床時、家に帰ってこない恋人に見捨てられたのではないかと考え、書いた曲。


 自分の人生の終わりを悟り今までの人生で出会った人間たちに向けて書き上げた曲。


 不特定多数へ向けた作品は、本物にはなり得ない。


 一流の作品は、必ず、苦しみの中に産まれてくる。


 産み出す者は必ず、苦しみという呪いを背負わなければならない。


 それが、一流と二流の差だ。


 なんて……今更そんな、幼い頃に父に言われた言葉を思い出すなんてな。


 オレは席を立ち、恵理子さんに視線を向ける。


「父のことが少しでも分かって良かったです。教えてくださって、ありがとうございました」


「楓馬君。もし、この先、お父さんと舞台の上で戦うことがあったら……君はどうするの?」


「叩き潰します。たとえ父だろうとも、舞台の上では敵でしかありませんから。オレは、あいつが信じた役者『柳沢楓馬』として、誰にも敗けるつもりはありません」


「……そっか。うん、やっぱり君たちは親子だよ、楓馬君。見た目は、由紀そっくりな女の子だけどね」


「あ、あはは……今のこの女装姿は、その、次会った時には忘れてもらえると助かります」


 そう言ってオレは恵理子さんに、引き攣った笑みを浮かべたのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「――――――駄目だ。オレの目の前でそんなつまらない演技をするな、遥希」


「ゼェゼェ……」


 深夜。稽古場で膝を付く銀城遥希は、荒く息を吐くと……目の前に立つ義理の父、柳沢恭一郎を睨み付けた。


 その視線に、恭一郎は腕を組み、冷たい目を向ける。


「確かにお前には才能がある。だが、このオレに比べたらまだまだヒヨッコだ。……樹の命令で、お前を例の舞台公演に参加させることになったが……正直、この重要な戦いにお前を参加させるあいつの気が知れないぜ。今からでも現役で活躍している若手を引っ張ってきた方が良いんじゃねぇか?」


「はぁはぁ……父さん! 僕は、この舞台には何としてでも出たいんだ!」


「妙にやる気だな。それはいったい、どうしてだ? お前、今まで学園を卒業するまでは適当に過ごすって、ろくに演技の稽古をしてこなかっただろ」


「楓さんと月代さんが、この舞台に参加するということを……僕は、樹さんから聞いたんだ。あの二人とは絶対に、戦いたい!」


「へぇ。そんなにあいつらのこと買ってるのか、お前。しかし、不思議だな。どうみても、あいつらよりもお前の方が演技力あると思うけどな」


「僕は、ロミジュリの舞台を見て、とても悔しかったんだ。あの観客を魅せる、楽し気な演技は……今の僕にはできないものだ。今まで僕は、日本の若手俳優なんて顔だけが取り柄のくだらない連中だと、そう決めつけていた。広告力が推しているだけの、実力不足の役者ばかりだと。でも、彼女の演技を見た時、自分が情けなく感じたよ。あんな……素晴らしい質の高い演技ができる存在がいるというのに、僕は、今まで何をしていたのかって」


 銀城遥希は額の汗を拭い、立ち上がると、恭一郎に向けて咆哮を上げた。


「僕は、柳沢恭一郎の娘で、いずれ、この日本の役者界でトップになる存在だ!! なら、頂点に立つ前に、一番の不穏分子を叩きのめしておかなければならないのは必然だろう!! そうだろう、父さん!!!!」


 その言葉に恭一郎はニヤリと笑みを浮かべると、コクリと頷いた。


「いいだろう。12月までの五か月間、オレがテメェを一端の役者に仕上げてやる。楓馬にぶつけても、勝てるような存在にな!」


「楓馬? 誰だい、それ?」


「何でもねぇよ。おら、もう一度、最初のところから演技してみろ」

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