花ノ宮香恋ルート 第12話 「花ノ宮香恋」

 

 ――――――私、花ノ宮香恋は、産まれた時から家族の『愛情』というものを知らなかった。


『……貴方! 外に愛人がいたのね! それも、子供までいたなんて……!!』


『黙っていろ、香澄。花ノ宮家の次期当主の座を狙うためにも、俺には、優秀な才能を持った子供が必要なんだ。故に、香恋が駄目だった時の保険として、外様でも子供を作っておかなければならないんだよ。万が一にも……弟の幸太郎の娘、有栖に家督を取られるわけにはいかないからな』


『人をモノとしか思っていないの、貴方は!? 子供は実験動物なんかじゃないのよ!? 樹のことと言い……もう、付き合いきれないわ!! 二人を連れて、私は出て行きます!!』


『樹を連れて行けば、お前は南沢家に殺されるぞ。俺は南沢家と取引をして、お前の流産した息子の戸籍を使い、《樹》を、花ノ宮家の人間として育ててきたのだからな。この取引を破れば、お前も俺も香恋も、終わりだ。一家もろとも海に沈められるだろうな。南沢家は、花ノ宮家よりも強大な力を持っている家だ』


『子供は関係ないでしょう!? もうこの子たちを巻き込むのはやめ――――』


『この俺に反意を示し、尚且つ樹の秘密を知っている以上……お前にはそれ相応の痛みと苦悩を与えるぞ、香澄。これは躾だ』


 ――――――パァン。


 ゆりかごの中に入っている私の頬に、紅い血がべっとりと付く。


 私の母は、赤ん坊である私の目の前で肩を撃たれ、大怪我を負った。


 私は、一度見たものをけっして忘れない、瞬間記憶力を持った子供だった。


 だから、この時の出来事を今でも鮮明に覚えている。


 ……私が産まれたこの場所に、愛はない。


 赤ん坊ながらに、そのことを、私はすぐに理解したのだった。






『……ぐすっ、ひっぐ、うぅぅぅ……』


 十歳の頃。私は小学校に通わせられずに、家で苛烈な教育を受けてきた。


 毎日毎日、勉強にスポーツにピアノに美術。


 成績が落ちれば父親に何度も頬を打たれ、寝る時間も殆どない。


 私は、周囲から天才と呼ばれていた。


 こんなにもの覚えの良い子供は早々いないと、そう親族は私を褒め称えた。


 でも、私は、普通の子に産まれたかった。


 テレビで見る、ごくごく普通の家庭に産まれる子供になりたかった。


 温かい家庭に産まれ、両親に愛され、幸せそうに食卓を囲む普通の子供に。


 私は一日のカリキュラムを終えると、寝る前の開いた時間に、暗い部屋でよくテレビを見ていた。


 最初は楽しかった。でもそのうち、全てが嘘の紛い物であることが分かった。


 ドラマで愛を語る俳優は全てつくりもの。


 バラエティー番組の笑いも、すべて設計されたもの。


 ―――――ここに本物はない。


 家族欲しさに子供らしく人形遊びをしてみるが、それも全部紛い物にすぎなかった。


 人形に「如月楓」という名前を付けて、仮想の友人を作ってみるが、そもそも人形は喋らないし私に愛情を向けてくることは絶対にない。


 暗い部屋でテレビを点け、ひとりで人形遊びをし、寂しさを紛らわそうとする荒んだ目をした少女。それが、幼き日の私の姿。


 このまま……消えてしまいたい。


 花ノ宮香恋という存在を元から、この世から無かったことにしたい。


 散らかった部屋の中で、私は、テーブルの上にあるカッターを手に取った。


 そして、そのカッターの切っ先を、おもむろに喉元へと当てがう。


 ……怖かった。本音を言えば、生きていたかった。でも、もう限界だった。


 孤独に耐え切れなかった。この地獄の日々から開放されたかった。


 震える手で、カッターを喉に突き刺そうとした―――――その時。


 テレビの画面に、白金色の髪の少年が現れた。


『―――――まだ、諦めるのは早いよ。人生、生きていれば、きっと君の味方になる存在は現れるはずだ。勿論、僕は何があってもずっとずっと君の味方だよ』


『……ぇ?』


 それは、あるドラマに出演していた、子役の台詞だった。


 いじめが原因でひきこもってしまった友人に、扉の向こうからそう声を掛ける金髪の少年。


 連続テレビドラマ『海沿いの街の少年』。


 柳沢楓馬という名の子役が、日本で有名になった最初の作品だった。


 薄暗い部屋で唯一光を放っている、55インチはあるだろう大きな薄型テレビ。


 そこに、色彩のような輝く演技をする少年の姿が映し出される。


 ――――テレビ番組など、所詮、全ては金で作り出した偶像。


 嘘が透けて見える、作り物の世界。


 私の世界も、それらと同様のものであった。


 両親も、親戚も、誰も本気で愛し合ってなんかいない。


 この世界はすべて虚構で作られているのだと、幼い私はそう悟っていた。


 だけれど―――――。


 だけれど、彼の演技だけは、違った。


 彼の演技には、嘘が透けて見えなかった。


 すべてが、真実だった。


『……やなぎさわ、ふうま……』


 子供離れした卓越した演技力。見る者を恐怖させる底の知れない深い青い眼光。


 彼の叫びは、見る者の魂を揺さぶった。彼の演技は、物語がフィクションであることを忘れさせた。


 そのドラマが放映された後。


 異常な才能に、人々は彼を、恐れを抱いてこう呼んだ。『魔性の怪物』―――柳沢 楓馬、と。


 私は、もう少しだけ、生きてみたくなった。


 彼の演技を、もっと見てみたくなった。





『え? 柳沢楓馬に会いたい……?』



 月に一度ある晩餐会の日。


 私が唯一、この家でまともに会話をする従姉妹―――花ノ宮有栖に、私はそう、あるお願い事をしてみた。


 有栖お姉ちゃんは花ノ宮家の人間で唯一、私の味方になってくれた人だった。


 元々、お母さんは私の味方だったのだけれど……五歳の頃、お母さんはお父さんに愛想をつかし、家を出て行ってしまった。


 ……あの人は……私を、この家に捨てていった。


 だから、お母さんは味方じゃなかった。


 本当の味方は、有栖お姉ちゃんだけだ。


 あとは……私とよく遊んでくれる白鷺のお爺様と、家の交流会でよく会う、櫻子お姉ちゃんくらい。


 樹お兄様は多分、味方じゃない。


 あの人は笑みの裏に、得体の知れない雰囲気を持っているから。


「柳沢楓馬に会いたいって言っても……普通の役者ならいざ知らず、あの子は柳沢家の人間だからねぇ……。お爺様に言っても、多分、会わせてはもらえないと思うよ?」


「? 柳沢家の人間? どういうことなの、有栖お姉ちゃん?」


 何でも私のお願いを聞いてくれる有栖お姉ちゃんが、難色を示した。


 彼女は眉間に皺を寄せながら、顎に指を当て、口を開く。


「あれ、香恋ってば知らないの? 私たち花ノ宮家に大きなダメージを与えた、忌むべき役者の一族がいることを……」


「知らない。花ノ宮家のことなんてどうでもいい。やなぎさわふうまに会いたい」


「まったく。貴方は我儘なんだから……。だったら、櫻子の力を借りようかな。ええと、確か、来週の土曜に、東京の方で柳沢楓馬の舞台がやる予定って聞いてたから……それに合わせて、何かしらの理由を付けて香恋を外に連れ出すとするわ。貴方のお父様を説得するのは酷だけれど、私に任せなさい! 有栖お姉ちゃんは、妹には優しいんだから!」


「うん。ありがとう、有栖お姉ちゃん。大好き」


「ふ、ふん。この借りは将来、必ず返してもらうんだからね!」


「――――――こら、有栖!! 何故、敵である香恋と仲良く喋ってるんだ!! それと、言葉遣い!! 社交場では常に丁寧な言葉を喋るように言っているだろう!! お前は花ノ宮家の当主になる女なんだぞ!! 自覚を持て!!」


「あ、は、はい、お父様!! ……コホン。香恋さぁん? せいぜい、この私の足を引っ張らないように生きてくださいねぇ? 何たって私は花ノ宮家の当主になるのですからぁ」


 突然、演技がかった口調で私を罵り始める有栖お姉ちゃん。


 大人が見ている前では、私たちは仲が良くない演技をしなくてはならない。


 でも、有栖お姉ちゃんのその演技に、私はいつも笑いそうになってしまう。


「有栖お姉ちゃ―――有栖さん。当主になるのは私です。ふざけたことを言わないでください」


「あらあらまぁまぁ。多少勉学ができるからと言って、調子に乗らないでくださいねぇ?」


 この家に産まれた以上、みんな、貶し合わなくてはならない。


 みんな、自分の席を奪われないために、家族を攻撃する。


 だけど、私と有栖お姉ちゃんはそうではない。


 表面上、そういう演技をしているだけ。


 私と有栖お姉ちゃんには、当主の座なんて、本当はどうでもいいものなのだから。


 親同士が勝手に……争っているだけのことなのだから。


 だから、私たちだけは、本当の家族だった。





 ブザーが鳴り、舞台の幕が閉じる。


 柳沢楓馬の演技を直に見たが、正直、開いた口が塞がらなかった。


 私は財閥家に産まれたので、高級品というものはよく見慣れている。


 価値のあるものと価値のないもの。


 芸術の良し悪し、美しくないものと醜いもの。


 その違いが判る、審美眼は持っていると思っていた。


 でも……柳沢楓馬の作り出すその世界は、私なんかが計れるものではなかった。


 心を揺らす、圧倒的な演技力。形容し難い、深淵を除いたような恐ろしさ。


 彼は、誰かに何かを伝えようとしていた。必死に、誰かに「生きて欲しい」と訴えていた。


「いなくならないで」「僕はここにいる」「僕を見て」


 あれは、大衆に向けられたものではない。たった一人に向けられた、メッセージ。


 ……そこにあったのは、「愛情」だった。


 私が欲して止まない、本物の「愛情」だった。


 だから、彼の演技は人の心を打つんだ。


 こんなにも、見ていて、心が震えるんだ。


「……彼に会ってくる」


「え? ちょ、香恋!?」「どこに行くんですの!?」


 有栖お姉ちゃんと櫻子お姉ちゃんの制止の声を無視して、ホールを出る。


 そして、私は関係者だけが入れる通路へと入り、彼のいる楽屋を目指して走って行った。


 会って……直接話してみたかった。

 

 私のような、陰気で、長い前髪で目元が隠れた変な女など、彼は見向きもしないかもしれない。


 彼は、人々を輝かせる太陽だ。


 私は……私は、何だろう。


 冥王星、とかかな? 惑星から仲間外れにされた、小さなお星さま。


 太陽の目になど入らない、端役のお星さま。


 でも、会いたい。彼に、会いたいんだ、私は。


「はぁはぁ……着いた、ここだ……」


 柳沢楓馬の楽屋に辿り着いた私は、大きく深呼吸をする。


 そして、楽屋の扉を開け、声を掛けようとした、次の瞬間――――部屋の中から、大きな声が聴こえてきた。


『柳沢 楓馬……いいえ、フーマ!! いつか、絶対に、あんたにあたしを認めさせてやるからんだから!! この先の未来で、役者の頂点に立つのは、あんたとあたしよ!! あんたが日本アカデミー賞で主演男優賞、あたしが主演女優賞を取る。そしてその後も、お互いに競い、戦い続けて行くの。これからの芸能界を牽引していくのは、あたしたちよ、フーマ!!』


 楽屋の中に居たのは、紅いツインテールの……私とは全然違う、はきはきとした女の子の姿。


 私はその光景を見て、即座に理解した。


 私は――――――やっぱり、物語のヒロインではないということを。


『言っている意味がよく分からないんだけど……つまり、君は僕をライバル視する、ということなのかな?』


『そういうことよ!!』


『そうか、分かった。正直、君程度じゃあ、僕の相手にすらならないと思うけれど……ついて来られるものならついて来なよ』


『すごいな……あの子。柳沢楓馬に言いたい事言って、認められて……』


 私は、観測者。天才役者たちを見守るだけの、観測者。


 でも、それでも良い。


 私は、彼の演技が見れるだけで元気になれるのだから。


 観客で良い。


 この二人が織り成す世界を、観客席でずっと見ていれれば、それで良い。


『……そうだ。物語を作ろう』


 少しでも、柳沢楓馬に認知してもらえるために、私は、物語を綴ることを決意した。


 あの二人の、その後の物語を観測し続けるために。


 あの二人に、少しでも……近付きたいがために。


 私は、裏方になることを決めた。




『オレを痛めつけるのなら、好きにすれば良い。だけど、妹に手を出す気なら―――オレは絶対にお前らを許さない』


 叔父、花ノ宮幸太郎が、柳沢楓馬の腹部に消えない傷を残した事件。


 御屋敷で晩餐会をしていたその日、私は、ただただ唖然とするしかなかった。


 だって、あんなにすごい演技をしていた彼の身体を、私と同じ花ノ宮家の人間が傷付けたのだから。


 信じられなかった。


 私が書いた小説が脚本となった舞台で引退してしまい、挙句、彼は私の叔父に暴力を振るわれた。


 どれだけ……どれだけ、この家の人間は、酷いのだろう。


 どれだけ、柳沢楓馬を虐めれば気が済むのだろう。


 私のヒーローは、この日をもって、完全に――――死んでしまったのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「その後、私は貴方を再び舞台に立たせるために、あらゆる計画を練った。そして、ひとつの策を思い浮かべ、行動に移した。それが―――」


 香恋は一呼吸挟み、再度、口を開く。


「それが、柳沢楓馬ではない存在として、貴方を役者として再起させる作戦。そう、私が花ノ宮女学院の理事になり、如月楓が産まれたのは、全て、私がまた貴方の演技を見たかったから仕組んだもの……。今までのことは全て、そんなくだらない理由が発端なのよ……柳沢くん」


 オレは香恋の話を聞いた後、大きくため息を溢す。


 そして、彼女の隣に並び、空に浮かぶ月を見つめた。


「回りくどすぎんだよ、お前は。オレを役者として復活させるためだけに、花ノ宮女学院の理事になり、オレを女装させて別人の役者にさせるとか……意味わからなさすぎるだろ」


「これしかないと思ったのよ。貴方のイップスは、柳沢由紀の死が原因となっている。だから、多くの人々との関わりを経て、月代茜と再会して―――別人、如月楓として完成した貴方なら、乗り越えられるんじゃないかと思ったの。母親の死も、私の小説『孤独の夜空』の舞台で貴方が失敗してしまった出来事も……忘れることができるんじゃないか、ってね」


「そうか。お前はそんなにも……オレの、柳沢楓馬の演技を好きでいてくれたんだな。もう、オレのファンなんて、この世界にどこにもいないんだと思っていたんだが……ここに一人、いたんだな」


 最初は、多くの人間がオレの舞台を見てくれていた。


 だけど、今、オレが再び舞台に立ったとしても、その時のファンは見向きもしないだろう。


 数百人近くの観客席を埋めたかつてのオレだが、今のオレじゃ、恐らく観客席はガラガラ。


 飽きられたらそこで終わり。


 新たな作品を産み出し続けなければ、表現者はそこで潰える。


 だけど、こいつは、たったひとり、五年間――――オレの観客席に座って、待っていてくれたんだな。


 オレが再び立ち上がる、開演の、その時を。


「香恋。オレは……お前のためだけに、舞台にもう一度立つよ」


「え……?」


 隣に立つ香恋が、驚いた様子でオレの横顔を見つめてくる。


 オレはそんな彼女にクスリと笑みを溢し、その目を見つめて口を開いた。


「オレの演技は、病室に居る母さんを喜ばしたいだけのものだった。だから、今度は――――お前を笑わせるためだけに演技をする。たった一人待っていてくれたお前のために、オレはもう一度「柳沢楓馬」として舞台に立つ」


「柳沢、くん……」


「だからさ、もう、そんなに気負う必要はないんだよ。お前は何も悪くない。オレはお前を、端から恨んでなんかいない。いや……そもそも、誰も恨んでなんかいないさ。だって、オレはまだ、折れちゃいないのだから。お前が信じた柳沢楓馬という役者は――――誰よりも、最強な役者なのだから。そうなんだろ? 香恋」


「……ッッ!! 柳沢くんっっ!!」


 オレの胸に勢いよく抱き着いてくる香恋。


 オレは驚きながらも、そんな彼女を抱きしめる。


「花ノ宮法十郎が開催する舞台。誰が来ようとも、オレは、けっして敗けはしない。香恋。お前を縛っていたものは全て、このオレがぶっ壊してやる」


「……柳沢くん、ありが……とう……」


「? 香恋?」


 フッと、香恋の力が抜ける。


 慌てて彼女の身体を腕で支えるが、香恋の身体は、想像したよりもずっと軽かった。


「香恋!? どうしたんだ、香恋!?」


 荒く息を吐き、苦悶の表情を浮かべる香恋。


 オレはそんな彼女の様子に、思わず、顔を青ざめてさせてしまった。

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