花ノ宮香恋ルート 第11話 「月下の逢瀬」
「『孤独の夜空』の作者が―――香恋、だと……?」
手紙を読み終えた後、オレは、隣の席に座る香恋へと視線を向ける。
すると彼女は俯き、身体を小刻みに震わせていた。
……確かに、思い返してみれば、この小説の内容と香恋には奇妙な共通点があった。
この小説は、とある財閥家に産まれた令嬢が、舞台の上で踊る役者に恋をする悲恋の物語だった。
――――家族から虐げられた孤独な少女は、とある子役の少年に密かな恋情を抱く。
彼女は引っ込み思案で、人と会話することを苦手としていた。
そんな彼女の背中を押すのは、二人の幼馴染の少女だった。
口は悪いが、少女のことを真に想ってくれる従姉妹の姉と、敵対する家の出身ながらも、少女のことをライバルと認めリスペクトしてくれている年上のご令嬢。
信頼している友人たちの言葉に従い、少女は勇気を振り絞って、演劇を終えた彼の楽屋へと足を運んでみる。
しかし、そこには先客がいた。その先客とは、彼と同じ子役の紅い髪の少女だった。
彼女は扉の背後で隠れる少女の目の前で、こう言った。「貴方を倒すのは、自分だ」と―――。
少女はこの時、静かに悟る。自分は、舞台の下にいる、端役だということが。
「……」
香恋は何も言わない。ただ俯き、身体を震わせている。
そんな主人の姿に、玲奈は短く息を吐くと、状況が呑み込めず困惑する皆に声を掛けた。
「申し訳ございません、皆様。集まって貰って何なのですが……今日は、お引き取り願えないでしょうか? 香恋さまのご調子が、あまり優れていないようですので」
玲奈のその言葉に、七人の友人たちはコクリと頷きを返す。
こうして、花ノ宮香恋陣営結集会の一日目は―――予期しない結末で、終わりを迎えたのだった。
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「……まさか、素性不明の謎の小説家、『雪篠 暦』の正体が香恋だった、とはな」
オレは手に持った一冊の小説の表紙を見つめた後、ソファーの上で横になっている少女に視線を向ける。
結集会を解散し終えた後。香恋は電池が切れたかのように、パタリと倒れ、ソファーの上で眠り始めた。
毛布を被りながら眠っているが……表情は苦悶に満ちている。
よほど、香恋にとってこの秘密は、オレに知られたくなかった―――ということなのか。
「ただいま戻りました。晩御飯の買い物してきましたよ」
「帰ってきたよ、おにぃ!」
玲奈とルリカが買い物袋を両手に持って、キャンピングカーの中へと入って来る。
オレはそんな二人に、優しく笑みを浮かべる。
「お帰り、二人とも」
「めっちゃ重かったよ~。あれ、香恋さん、まだ寝てるの?」
「香恋さまに何か変化はなかったですか? 兄さん」
「見る限り、そんな目立った変化は無かったよ。……なぁ、玲奈。こんなことを聞くのもあれだが、香恋はこのことをオレには黙っていたかったのかな?」
「……はい。ご察しの通り、香恋さまは幼い頃から……役者であった兄さんのファンでした。ですから、兄さんの役者人生を終わらせた自分の作品に対しては……複雑な感情を抱いていたんだと思います。それこそ、才能に満ち溢れたご自身の執筆の筆を折るくらいには」
「アレは、オレの心の弱さで引き起こしてしまった結果だ。けっして、香恋の作品のせいなんかではない」
「どんなにそう訴えても、香恋さまは、役者「柳沢楓馬」を殺してしまったのは自分と花ノ宮家の存在だと、そう思っています。自分の作品の中に『亡き母』の面影を匂わせた描写を入れてしまったこと、花ノ宮幸太郎によって、貴方の腹部に消えない傷を残してしまったこと。その全ての責任を、あの御方は今も尚ずっと抱えています」
「それって……おにぃが叔父さんから私を庇った……花ノ宮家に来た当初のあの、出来事……だよね?」
オレは腹部に手を当て、当時の傷の跡に触れる。
そして大きくため息を溢すと、頭を横に振った。
「流石に抱え込み過ぎだ。小説のこともそうだが、あの件は、恭一郎に恨みを持つ叔父が暴走した結果、ルリカとオレに暴力を振ってきただけのことだ。確かに、イップスに加えあの怪我で、致命的に演技ができなくなったことは事実だが……香恋は一切関係ない」
「香恋さまは本当に、貴方の演技が心の底から好きだったんです。ですから、自分に関係ないと、そう割り切ることはできないんだと思います」
「ったく……重たい女だな……」
オレはチッと舌打ちを放った後、再びソファーの上で眠る香恋に視線を向ける。
香恋は相変わらずハァハァと荒く息をして、眉間に皺を寄せながら眠っていた。
そこで、オレは、もう一度手に持っている小説に目を向ける。
何故だか……とても嫌な予感がした。
この小説の最後で、少女は、どうなったのか。
この『孤独の夜空』という作品は、香恋が自身の未来を予想して書いたものなのではないのか。
そう考えると、オレは……怖くて怖くて、仕方がなくなってしまった。
「? 兄さん? どうかしたのですか? 突然顔を青ざめさせて……?」
「おにぃ、大丈夫?」
二人の妹が、オレに対して心配そうにそう声を掛けてくる。
オレは二人に何でもないと首を横に振り、キッチンに向かって歩みを進めた。
「とりあえず、夕ご飯はオレが作るよ。玲奈とルリカは香恋を見てやってくれ。熱がないか、買ってきた温度計でチェックもぬかりなくな。病気だとしたら、すぐに病院に連れて行ってやらないといけないからな」
「分かりました。温度計は私がやるので、ルリカさん、水を汲んできてもらえますか? タオルもお願いします。香恋さまの汗をお拭きしたいので」
「うん、わかったよ、玲奈ちゃん」
こうしてオレたちは、それぞれの作業を行うべく、キャンピングカーの中を行き来していった。
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その後、香恋が目を覚ますことは無かった。
特に熱は無かったが、無理に彼女を動かすのは良くないと考え―――今夜は四人でキャンピングカーに泊ることになった。
まさか、新たな塒で寝泊まりする最初の一日で、香恋が体調を崩してしまうとはな。
香恋と玲奈はソファーで寝かせ、ルリカは後部座席、オレは、運転席で毛布を被りながら眠った。
……しかし、なかなか寝付けない。
今日は、色々なことがあったから、頭が整理しきれていないのだろうか。
法十郎が突如寄越した手紙には、香恋の小説を再び舞台化する事が書かれていた。
それぞれの陣営から、役者が選出されるということは……以前、職員室で見た、樹と交流があった恭一郎も、この舞台に参加する意志があるのだろうか?
だとしたら、誰もあの男には勝てないだろうな。
海外ならいざしれず、日本に居る役者であの男の演技力に勝るものを持っている奴は早々居ない。
「……」
俯き、考え込んでいた……その時。
背後でゴソリという物音が聴こえ、ガラリと、何者かが車のドアを静かに開ける音が聴こえてきた。
オレは窓ガラスに視線を向ける。するとそこには、草原に佇み、満月を見上げる黒髪の少女の姿があった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「起きてもう大丈夫なのか? 香恋」
外に出てそう声を掛けると、香恋は静かにこちらを振り返った。
月明かりに照らされるその横顔は、とても……儚気に見えた。
例えるのなら、月に帰る直前のかぐや姫、だろうか。
美しく、幻想的で、触れれば消えてしまいそうな――――そんな雰囲気を、彼女は纏っていた。
「心配かけてごめんなさいね」
「身体は良いのか?」
「平気。最近、睡眠不足で、疲労が溜まっていたせいかしらね。身体が疲れていたんだと思うわ」
そう言って肩を竦めて見せると、香恋は車の出入り口付近に立つオレに対して、まっすぐと視線を向けて来る。
その瞳は、何処か、不安気に揺れていた。
「柳沢くん。もう、知っているでしょうけど、私は……」
「お前、マジの天才だったんだな?」
「え?」
オレのその言葉に、目を丸くさせる香恋。
そんな彼女にクスリと笑みを溢すと、オレは香恋の隣に立った。
「オレと同じ歳で、しかも、5年前に小説を出していたわけだろ? 10歳であんな大人顔負けの文体の小説を書きあげるとは……恐れ入ったよ。完全にあの内容は、成熟した大人の女性が書いているものだとばかり思っていた。内容が暗すぎてな。ガキが書けるもんじゃねぇよ、アレは」
「私は子供の頃から基本的に何でもできたわ。勉強、運動、芸術。どんなことをやっても天才と呼ばれてきた。文章も、その延長線上でしかないわ」
「……何だオイ、自慢かオイ。ムカツク奴だな」
「貴方も似たようなものでしょ? それ、嫌味にしか聞こえないわよ?」
「オレは天才ではないよ。ただ、努力を限界まで積み重ねた結果、二流止まりだっただけだ。全ての分野で一流になれるお前とは違う。オレは指導者から、天才だと呼ばれたことは一度もない」
「それだって才能よ。普通の人間は、自分が二流だと知って、限界まで努力できるものではないわ。それと、貴方は役者としては超一流の存在よ。私が知るどんな高名な俳優の中でも、貴方は群を抜いていた。そろそろ、自分を二流だと卑下するのはやめなさい。怒るわよ」
「超一流の存在、か。それは……柳沢恭一郎よりも、か?」
「勿論。貴方は間違いなく、お父様よりも才能があるわ」
力強く、オレにそう頷いてみせる香恋。
オレはそんな彼女にふぅと呆れたため息を吐くと、夜空に浮かぶ満月を見上げた。
「オレはそんな大層な存在じゃないよ。茜もお前もオレを持ち上げるが、それは勘違いだ」
「勘違いじゃないわ。貴方は魔性の怪物。舞台の上で他者を圧倒する芸術の権化。天才役者柳沢楓馬が本気になれば、どんな者であろうとも舞台の上では端役になる。柳沢楓馬という役者の凄さは、誰よりも私が理解しているわ」
そう言うと、香恋はオレと同じように月を見上げ――――再度、口を開いた。
「……私は、ずっと、貴方がまた舞台の上に立つことを祈っていた。正直に言うわ。私は、当主の座なんかよりも、役者、柳沢楓馬の復活を望んでいるの」
髪を耳に掛け、香恋はオレに切なそうに笑みを向けてきた。
……声が出なかった。その表情を、その諦念のこもった顔を、オレは前にも一度見たことがあったから。
そんなわけが、ない。そんなわけがないんだ。
もし、オレの想像通りだとしたら、神様という存在は残酷すぎやしないか。
だから、違う。オレの頭に浮かんだあの人の顔と、彼女の顔は重ならない。
絶対に、重ねては……駄目なんだ……!!
「ゲホッ……ゲホッ……」
香恋は咳込むと、もう一度月を見上げる。
そして、静かに口を開いた。
「ねぇ、柳沢くん。もう一度……舞台の上に立って、貴方の演技を私に見せてちょうだい。また昔のように、輝く貴方の姿を見せてよ」
「……」
「子供のころから、貴方は……私のヒーローだったわ」
そう呟くと、香恋は自身のことについてポツリと、呟き始めた。
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