花ノ宮香恋ルート 第3話 「失う痛み」


「それで……人払いまでして、オレと何の話をしようというんだ? 爺さん」


 香恋と玲奈が去った後の病室。オレは一人残り、ベッドに横たわる老人へとそう声を掛けた。


 老人―――ヤクザの親分、白鷺龍之介は、そんなオレに対して「カカッ」と朗らかな笑い声を上げる。


「小僧。ワシが怖くねぇのか?」


「怖い?」


「あぁ。死にかけとはいえ、ワシはあの白鷺組の頭じゃ。白鷺組は、この日本でも裏社会を古くから牛耳ってきた武闘派の暴力団。そんな男を前にして、よくもそんな平然としていられるな? ワシはな、今まで生きていて、何人も人を殺してきた男だぞ?」


「オレの口の利き方に関しては、あんたがさっきどうでもいいって言って済ませただろ。銃でも突き付けられれば態度を変えるかもしれないが、あんたはどう見ても腕の一本すら動かす余力はない。それに加え、あんたは香恋と親しそうな間柄にいた。こちらに敵意を持たない爺さん一人に、ヤクザだからっていちいち怯えても仕方のない話だ」


「フッ、生意気な小僧じゃ。じゃが……その何者も恐れぬ豪胆さ、気に入った」


「そりゃどうも。それで、本題は何なんだ、爺さん」


「柳沢楓馬。お主……香恋に惚れておるのか?」


「は?」


 予期していなかったその言葉に、オレは思わず目を白黒とさせてしまう。


 そんなオレの様子を見て、さも可笑しそうに大きく笑い声を上げる死にかけのジジイ。


 そして奴は一頻り笑うと、目の端の涙を拭き、不敵に笑ってみせた。


「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしおって。それで、どうなんじゃ? 惚れてるのか、惚れとらんのか」


「馬鹿馬鹿しい。オレに、恋愛感情なんてものはないさ」


「では何故、お主は香恋について来て、ワシの元に来たのかのう? お主は確か、花ノ宮女学院に潜入して、役者として大成するべく活動していたはず」


「そこまで知っているのか」


「そのまま大人しく『如月楓』として学園生活を送っていれば、妹の生活は保障され、愛莉や香恋のバックアップの元、お主たち兄妹は何不自由なく生活することができる。香恋が当主候補に敗ける気配を感じれば、同じ有力候補者である樹や有栖の側に付けば良いだけのこと。なのにお主は、先日、香恋を当主候補に据えると言ってのけた。ワシには、それが不可解でならない」


「昨日のこと、香恋があんたに話したのか?」


「ワシは、あの子の親代わりのようなものじゃったからの。お主も知っての通り、花ノ宮家というものは、幼い少女であろうとも道具としてしか見ない。じゃからワシは、幼少の頃から孤独な香恋の話し相手になっていた。お主の母親の由紀も、そして愛莉も同様。ワシは……孤独に嘆く花ノ宮家の娘たちの、世話をしていたんじゃよ」


 そう口にして、白鷺龍之介は天井を見上げた。


 そして目を伏せると、再び静かに口を開いた。


「昨日、あの子から電話が掛かってきてな。また花ノ宮家絡みのことで悲しいことがあったのかと、そう思った。じゃが……電話口から聴こえて来た香恋の声は、妙に弾んでいた」


「……」


「どんなに突き放しても、柳沢楓馬は私を当主に据えると言って譲って来ない。いったいどうすれば彼を月代茜の居る舞台の上に戻せますか?――――とな。その声は真に悩んでいる声音じゃない。好きな男子からのアプローチに、どうすれば良いのか分からないといった様子の……可愛らしく動揺しているものじゃった」


「……」


「柳沢楓馬」


 白鷺龍之介は、こちらに視線を向けると――――射殺すような鋭い眼光で、オレを睨み付けて来た。


「香恋は、ワシの孫娘のようなものじゃ。もしあの子を傷付けたりしたら、ワシは……絶対に容赦さんぞ。この命と引き換えてでも、貴様の首をたたっ斬ってくれる」


「安心しろ、爺さん。それは絶対にない。オレは、あいつを泣かせたりは絶対にしない。約束する」


「フッ……そうか。安心した。それにしても、奇しくも、あの時と同じ状況とはな。運命とは、何とも可笑しなものじゃのう」


「あの時?」


「恭一郎が花ノ宮家から由紀を攫って、海外へ逃亡しようとした時。ワシら白鷺組は先回りして、空港で待機していてな。由紀を花ノ宮家に連れ戻すべく、空港の前で二人と対峙していた」


「え? それって、父さんが母さんを連れて、駆け落ちしたっていう、あの……?」


「そうじゃ。あの時、法十郎の長年の友であったワシは、迷った。花ノ宮家の未来のために由紀を無理矢理花ノ宮家に連れ戻し、南沢家の長男と結婚させるか。それとも、娘同然に可愛がってきた由紀を、このまま恭一郎に引き渡し、自由を与えるか。悩みに悩んだ」


 そう口にして白鷺龍之介は、ポツリポツリと、過去の出来事を話していった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


《白鷺龍之介 視点》


『―――――チッ!! まさか、花ノ宮家が雇ったヤクザどもに、先回りされていたとはな!! 由紀!! オレの後ろに隠れろ!!』


『恭一郎さん、無茶です!! 相手は白鷺組です!! 貴方が怪我したら、私は―――』


『お前を絶対に助けると、オレは誓っただろうが!! ヤクザだろうが何だろうが、相手になってやらぁ!!』


 空港の前で、30人程の子分を引き連れたワシを前にしても柳沢恭一郎は怯むことはなく。


 こちらに向かって、奴はそのまま突進してきた。


『……血気盛んな兄ちゃんだな。おい、剛三。少しやってやれ。あぁ、勿論、武器は使うなよ? カタギ相手に獲物抜いたとなれば、他の組に良い笑いものにされるからな』


『へい』


 ワシの部下の中で一番のステゴロ自慢の若衆、半田剛三が前へと出る。


 半田剛三は元プロのボクサーだ。試合相手を殺害してしまったことから、表の世界に居られなくなった壊し屋。


 俳優くずれの素人である柳沢恭一郎に、相手になるレベルではない。


 しかし――――――。


『ぬぅっ!?』


 柳沢恭一郎は、異種格闘に優れた、経験者だった。


 様々な格闘スタイルを身に着けており、その動作は柔道、空手、ボクシング、テコンドーと、多岐にわたる。


 奴はありとあらゆる武術をまんべんなく、一流ではないにしても、それなりに習得していた。


 戦ったことのない変幻自在の動きに翻弄され、半田剛三は腹部を蹴られ、ついに膝を付く。


 ワシはその光景を見て、「ほう」と、思わず感嘆の息を溢してしまった。


『はぁはぁ……次は誰だ! そこの親分と思しきオッサンか!?』


 その不躾な言葉に子分が前へと出ようとするが、ワシはそれを手で押しとどめる。


 そして、恭一郎の前へと出ようと、歩みを進めた。


『お前――――――』


『ま、待ってください、白鷺さん!!』


 恭一郎の前へと出て、彼を守るように両手を広げる由紀。


 彼女は怯えた表情を浮かべながらも、再度、大きく口を開いた。


『恭一郎さんをこれ以上、傷付けないでください!! 彼は……彼は、私を守るためだけに、ここまでしてくれたんです!! ですから、お願いです!! この人に、酷いこと、しないでください……っ!!』


 今まで、自分の意見を言えることもなく、ただ流されるように生きて来た無口な少女。


 暗い瞳で花ノ宮家の世界を見つめてきた彼女は、今、愛する人を守るために精一杯の勇気を振り絞っていた。


『……由紀。お前さん、その男が本当に好きなんだな』


 ワシのその言葉に、由紀は涙を流しながらコクリと、力強く頷いてみせる。


 その姿にワシは短く息を吐くと、恭一郎へと鋭い視線を向けた。


『柳沢恭一郎。ワシはその子を、赤ん坊の頃から面倒見て来た。由紀の産まれた年に花ノ宮旧邸に桜の木を植え、多忙の法十郎の代わりに暇があればプレゼントを抱えて様子を見に行き、夜泣きが酷い時は本を読み聞かせたりもした。由紀は、ワシの娘も同然の存在じゃ。もし、その子を泣かすようなことがあれば―――ワシは貴様を地の果てでも追い駆け、縊り殺してやるぞ』


『……なるほど。あんたは、由紀の本当の父親、だったということか』


 恭一郎はそう静かに口を開くと、由紀の隣に立ち、彼女の手を握る。


 そして頭を下げ、大きく声を張り上げた。


『娘さんは、オレが絶対に幸せにしてみせます。愛莉ともそう誓いました。彼女を絶対に不幸にはしません』


『おう。なら、さっさと行け。もうじき、花ノ宮家の追手がここにやってくる。ワシらはここで何も見なかったことにしてやるよ』


『恩に着ます』


 恭一郎は由紀の手を握りしめ、ワシの横を通り過ぎる。


 その時。背後から、由紀の声が聴こえて来た。


『白鷺さん……!! いえ……お父さん!! 今までありがとうございました!! 愛莉のこと……よろしくお願いいたします!!』


『達者でな。幸せになれよ、由紀』


 こうしてワシは、あの子を異国の地へと旅立たせた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ワシは、恭一郎と由紀をこの手で送り出したんじゃ。じゃが……それが、あの子との最後の別れじゃった。由紀はお主を産んだ10年後、肺ガンでこの世を去った」


「…………」


 ……そうか。この爺さんは、花ノ宮家の唯一の良心、だったのか。


 花ノ宮法十郎と白鷺龍之介は、表と裏でこの御家を盛り上げて来た。


 皮肉なものだな。表の人間が悪となり、裏の人間に情が芽生えるなんて。


 この人のおかげで母さんは自由になれたんだ。そのことには、感謝してもしきれない。


「どれ……もう少し、その顔を見せておくれ、柳沢楓馬」


 痩せこけた手が持ち上がり、オレの頬をそっと撫でる。


 その手はとても冷たく、凍えるように冷たくて……力が殆ど宿ってなかった。


 オレはその手をギュッと握りしめ、白鷺龍之介の顔をジッと見つめる。


 オレは……この人の顔をこの場で覚えておかねばならない。そんな気がした。


「ホッホッホッ。やはり、女子のような顔をしておるな。若い時の由紀にそっくりじゃわい」


「……母さんの世話をしてくれて、ありがとう、爺さん」


「ワシは……幼い頃から家族に恵まれなくてのう。日の当たらない、このような稼業で生きるしかなかった。じゃから……家族というものに非常に憧れを抱いておった」


「だから、母さんの世話を?」


「そうじゃ。……楓馬。お主に、ワシの財産の相続権をやる」


「……は? それは、さっき、香恋に継がせるって……」


「お主なら、香恋を幸せにしてくれるんじゃろう? これから先、当主候補の戦いに身を置くのなら、金は必要じゃ。兵隊もくれてやりたいが……過半数を樹派閥の剛三に持っていかれ、愛莉にも残りを持っていかれて……少ないが……ワシの元には二人しかいない。その二人をくれてやる。好きに使え」


「あんた……死ぬのか?」


 完治したと思っていた、封じていたと思っていた黒い渦が、心の中に再び湧き出てくる。


 寝た切りの老人を見て、母さんを失った時の痛みが、苦しみが、トラウマが、再び顔を出してきた。


 オレはその痛みを必死で抑える。


 だが……その時。白鷺龍之介はオレの頭をポンと撫で、笑みを見せて来た。


「人は、いつか必ず死ぬ。その痛みは生きている限り一生ついてまわるものじゃ、柳沢楓馬。忘れて前へと進むこともできるが、香恋と一緒に居ることを選んだ以上、お主はその痛みを生涯忘れることはできはしないだろう。痛みを抱えたまま、前へと進む。人生とは、まさに氷河。一生、極寒の冬の中を歩いて行くようなものじゃ」


「……もう、誰かが死ぬを、オレは見たくはない……」


「生きる以上、失うことは避けられない。お主のこれから歩む道は、地獄そのものじゃろう。じゃが……けっして、その心を折るな。役者であるならば、心に留めておけ。痛みを知らないものに―――見る者を感動させる作品を生み出すことなどできはしない。芸術とは、痛みの中で産まれるもの。楽しみの中に産まれるものではない」


「偉そうなことを言う爺さんだ。あんたに芸術の何が分かるってんだ?」


「趣味で絵を描いていてな。生涯、一枚も売れることはなかったよ」


「それで芸術家気取りかよ」


「ゴッホしかり、ゴーギャンしかり。真の芸術家は生きている内に日の目を浴びることはないんじゃよ」


 そう言って、母の親代わりだった人は――――朗らかに、笑ってみせた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……長かったわね。話は終わり?」


 病室の外に出ると、そこには、香恋と玲奈の姿があった。


 オレは二人に頷きを返し、静かに口を開く。


「あぁ。白鷺の爺さんは寝るってさ。久々に人と話して疲れたんだと」


「そう……。それで、どんな話をしたの?」


「ん、爺さんの財産と兵隊を貰ったよ。これからお前を当主にするためには何と言っても武力も金も無かったからな。ちょうど良かった」


「「は……?」」


 オレのその言葉に、二人は呆然とその場に立ち尽くしていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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