花ノ宮香恋ルート 第2話 「深海の目」


 七月五日 土曜日。


 平均気温27度。梅雨が明けたばかりだというのに、もう既に夏のような空気になっていた。


 燦々と太陽がアスファルトを照り付ける中、バス停の前にあるベンチに座っていると、待ち人がオレの前に姿を現した。


「……待たせてしまったかしら」


 顔を上げる。するとそこにいたのは、白いワンピースと白い帽子を被った黒髪の少女の姿。


 オレはそんな彼女の姿に、思わず唖然としてしまう。


 すると硬直するこちらの様子に、香恋はジト目を向けて、口を開いた。


「何、その反応。何か変なところでもあるの?」


「いや……お前、そんな清楚系の恰好するんだなって、ちょっと驚いただけだ」


「確かに、私の普段着はパンク系のファッションが多いわ。でも、公の場や、人と出会うときは衣服には気を使うのは当然でしょ? 私、これでも資産家の娘ですもの」


「パンク系? そういえば最初に俺と出会った時、ルリカと何か服について盛り上がっていたな。ロックが好きなのか? お前」


「ええ。音楽が好きなの。特に、執筆の時には好んで海外バンドの曲を――――」


「執筆?」


「……何でもないわ。それよりも、何か感想とかないの? 女の子が綺麗に着飾ってきたのよ。誉め言葉のひとつでも言うのが、男の子の責務ではなくって?」


「そう言われると、全然、褒めたくなくなるのだが……まぁ、何だ。お前は素材が良いからな。どんな服を着ても似合っているよ。現に、さっきから通りすがる男たちはみんな、お前に視線を奪われているみたいだからな」


「まぁ、当然ね。私、顔が良いから。どれだけ自分の顔面偏差値が高いかは理解しているわ」


「嫌味な奴だな。だったらオレの誉め言葉なんて求めるなよ」


「隣、座らせてもらうわね」


「あぁ」


 ベンチの隣に、香恋が座る。すると彼女は先程までの朗らかな笑みを引っ込め、神妙な表情を浮かべた。


「昨日プールサイドで私に言ったことは、覚えている?」


「勿論だ」


「貴方は昨日、こう言ったわよね。「お前を花ノ宮家の当主に据えてやる」って。私の本音は、昨日言った通り変わらない。貴方は如月楓として女優活動に専念すべきよ。こんなくだらない後継者争いになんて参加せず、月代茜と共に……未来へと歩むべき」


「何でそこで茜が出てくるんだよ」


「……気付いてないの?」


「何が」


「貴方って人は……。良い? 月代茜と共に再び舞台の上に上がれば、貴方はきっとまた輝くことができるはず。あのロミオとジュリエットの劇で理解したでしょ? 貴方を導き、スポットライトの下に連れて行くのは、他でもないあの子よ。後継者争いなど気にせずに、あの子と一緒に舞台に戻りなさい。こんなところで立ち止っていては駄目」


「嫌だね。悪いがオレはオレのすべきことをする。お前の指図なんか受けてたまるか」


「私が貴方をあの学校に入学させた目的は、私の実績作りのためではあるけれど、半分は貴方の演技をもう一度見たかったからなの。なのに、貴方が私と共に後継者争いに参加しては、私の目的は……。だから、お願いよ。私の願いを聞き届けなさい。私は―――」


「香恋さま」


 その時。バス停のベンチに、一人の少女が姿を現した。


 その少女―――香恋のメイドである秋葉玲奈は、オレに視線を向けると、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。


「香恋さま。もうまもなく、バスが到着します。ですが……まさかこの男を、あの御方の前につれていく気なのですか?」


「……ええ。どうやら諦める気はないのでしょう、この男は」


「柳沢楓馬。貴方は、香恋さまの命令に背く、というのですか?」


 秋葉玲奈が、オレに鋭い眼光を見せてくる。


 オレはそんな彼女に対して、腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。


「何か問題でもあるというのか? 良い加減、如月楓を演じる生活にも飽きていたところだ。香恋を当主に据えて、オレは以前の生活に戻らせてもらう」


「貴方は、香恋さまの下僕のはず。妹と抱き合う写真をバラまかれても良いといのですか?」


「秋葉玲奈。そんなもので――――このオレを縛れるとでも思っているのか?」


 オレは、ただ真っ直ぐと、秋葉玲奈を見つめる。


 すると、玲奈は突如、驚いた表情を浮かべ……すぐに顔をひきしめ、こちらに先ほどよりもキツイ、鋭い目を向けて来た。


「柳沢楓馬、お前……!! 戻ったのか……!!」


「戻った? いったい何を言ってるんだ、お前は」


「その嫌な目!! 過去に一度舞台の上で見た、昔のお前の目だ!! 私が大嫌いな、法十郎によく似た、深海のように暗い瞳……!! 香恋さま!! こいつは、危険です!! 法十郎に似たこの男は、香恋さまに危害を成す可能性が……!!」


「玲奈。柳沢くんはそんな人ではないわ」


「ですが……!!」


「貴方が、お爺様や兄さんに嫌悪感を抱くのは分かる。そして……彼に、複雑な想いを抱いているのも理解できる。だけど、柳沢くんが私や貴方を傷付けることはけっしてしない。彼がこちら側に付くと言った時点で、私たちの敵に回ることは絶対にないわ」


「……ッッ!!」


 香恋に宥められたが、納得がいっていないのか。玲奈は、オレを無言で睨んできた。


 オレはそんな彼女に対して、ふぅと、あからさまに大きなため息を溢す。


「この女は何でこんなにも、オレに対して敵対心を持つのかな。晩餐会の日の夜、家にある監視カメラを取りに来た時も、ナイフなんか向けてきやがったし……意味わからねぇぜ」


「玲奈、柳沢くんにナイフなんて向けたの!?」


「……も、申し訳ございません、香恋お嬢様……」


 しゅんとなる玲奈に、眉間に皺を寄せる香恋。


 そして香恋は首を横に振った後、再度、オレに視線を向けてきた。


「玲奈のことは、いつか必ず貴方に話をしようと思うわ。彼女に関わることは、貴方も……いえ、貴方と瑠璃花さんにとっては、非常に大事な話だから。だから一先ず、彼女の言動には目を瞑ってくれると助かるわ」


「どっちみち、こんな危険な女に関わる気はないさ。……ルリカと同じくらいの年だってのに、全然可愛くねー女だ」


「はぁっ!?!? 柳沢楓馬、貴方に可愛いだなんて、思われたくはない!!!!」


「だから、可愛くないって言ってるだろうが。何だこの女。いちいち突っかかってくんじゃねぇよ」


「突っかかっているのは、そっちです!! 二度と話し掛けないでください!!」


「あぁ、それで良い。お前みたいな奴と会話しているのは時間の無駄、って奴だ」


 オレと玲奈のやり取りに、香恋はため息を溢す。


 その時、バスがこちらに向かってやってきた。


「来たわよ、バス。……柳沢くん。私と共に当主候補戦に参戦するというのなら、ついてきなさい。貴方に会わせたい人がいるから」


「会わせたい人?」


 香恋のその言葉に、オレは首を傾げるしかなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「組長。お加減の方はいかがでしょうか?」


「……おぉ、香恋ちゃんじゃないか」


 香恋に連れて来られた場所。そこは、とある私立病院の一室だった。


 ベッドに横になる老人の傍によると、香恋は椅子に座り、頭を下げる。


「白鷺組長、申し訳ございません。私と愛莉叔母さまでは、兄さん―――花ノ宮樹と、現白鷺組若頭、半田剛三を止めることはできそうにもありません。組長の意向に沿えず、すいませんでした」


「何を言っておるんじゃ、香恋ちゃん。ワシは、お前たち娘っ子二人にそんな無茶な願いは最初からしておらんよ。ワシはな、お主には何もして欲しくはないんじゃ」


「え……?」


「こんなことを言ったら法十郎の奴に怒られそうじゃが……香恋ちゃんは花ノ宮家の当主争いなんて参加しなくても別に良い。ワシの遺産をお主にやるから、家を出て、好きに生きなさい」


「そ、そんなことは、できません! 兄さんが家を継いだら、花ノ宮家は―――」


「? さっきから気になっていたのじゃが、そこにいる青年は、誰なんだい? 香恋ちゃん?」


 香恋は背後を振り返り、オレへと視線を向けてくる。


 そして再び前を向くと、老人に対して口を開いた。


「……彼は、柳沢楓馬です。柳沢恭一郎と花ノ宮由紀の一人息子です」


「ほう……。由紀の倅、か。どれ、顔を見せてみい」


 香恋がこちらに手招きしてくる。オレは大人しく従い、老人の前に立った。


 老人はオレの顔をジッと見つめると……驚いた表情を浮かべた後、大きく笑い声を上げた。


「ハッハッハッハッハッ!! 柳沢楓馬、どんな男かと気になっていたが……なるほど、面白い目をしておおるな!! 若い頃の由紀や法十郎によく似ておるわい!!!!」


「? 爺さん、母さんを知っているのか?」


「柳沢くん、この方を爺さんなんて呼び方をするのは―――」


「呼び方なんて別に構わぬよ。柳沢楓馬、ワシは、法十郎と共に花ノ宮家を大きくした影の顔役―――暴力団、白鷺組の頭、白鷺龍之介じゃ。お主の母親、花ノ宮由紀が赤ん坊の頃、世話をしていたこともある。法十郎は多忙だったからな。ワシが由紀の父親代わりをしていたんじゃ」


「え……?」


「法十郎も、由紀も、まるで深海の底を見ているような……不思議な目をする者たちだった。お主にも、その目の色は宿っておる。柳沢楓馬、お前は父親に似ていない。父親に似ているのは、どちらかというと後ろにいるそちらのお嬢さんじゃろうな」


「後ろ?」


 背後を振り返る。だがそこには、こちらを緊張した面持ちで見つめる玲奈しかいない。


 オレは首を傾げて、再び老人……白鷺龍之介へと視線を向ける。


「わけのわからないことを言う爺さんだな」


「む? 香恋、お主、あのことを柳沢楓馬に教えてはいないのか?」


「……はい」


「そうか……。まぁ、仕方のないことじゃな。じゃが、必ず教えてやれ。柳沢楓馬には、そのことを知る権利がある」


「この話が終わったら、お話しようと思っています」


「うむ。よし、柳沢楓馬。男同士で二人きりで話をしないか。重要な話じゃ」


 そう口にすると、白鷺龍之介はニコリと、笑みを浮かべるのだった。

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