花ノ宮香恋ルート 第1話 「暗闇」
共通ルート、第2章87話からの続きです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……」
―――チクタクと、時計の音だけが暗い室内に鳴り響く。
静寂。暗闇の中、オレは、ただベッドの上で天井を見つめる。
―――オレが後継者候補に任命された、花ノ宮家の騒動から一か月後。七月一日。
結局のところ、オレはあれ以来、香恋とは一度も会っていない。
定期的な情報交換の事務的なメールのやり取りなどは行っているが、あの一件以降、あいつがオレの元に姿を現すこともなく。
オレたちはお互いに協力者としての立ち位置を確立し、オレは、香恋の言う通りに花ノ宮女学院で『如月楓』として、偽りの女優を演じる道を選んでいた。
…………………………いや、『偽りの女優を演じる道』を選んでいた、だと?
そんなわけないだろ。
オレは、何も選んじゃいない。そもそも、オレが何かを選ぶわけがない。
以前、愛莉叔母さんにオレが土下座した時、あの人は、こう言っていたな。
プライドも何も無い、空っぽな人間だからこそ、そんな無様な行為ができるのだ―――と。
そうだ。オレは、空っぽな人間だ。
最近は穂乃果や花子、陽菜や銀城先輩、花ノ宮女学院のクラスメイトたちに囲まれ、何か勘違いしていたようだが……オレは、元よりそういう人間だ。
空虚。母のためだけに踊り狂っていたゼンマイ仕掛けの人形。それが、柳沢楓馬の本質。
ただ勝利だけを追い求め、ただ勝つことだけに拘った、狂った獣。
魔性の怪物と呼ばれた役者は、そういう男だったはずだ。
「ブーッ、ブーッ……」
テーブルの上のスマホが震えているのが見える。
誰かから着信がきたのだろうか。
……関係のないことだ。出たところで、意味は無い。
「……」
目を伏せる。
すると、段々と睡魔が襲い掛かり……オレは、夢の中に誘われて行った。
――――――夢を見ている。在り得たかもしれない、別の世界線の夢を。
『楓馬くん、見てくださいですっ! 赤ちゃん、笑いましたですよ!』
桜の木の下で、赤ん坊を抱く大人になった穂乃果。
その傍に佇む、自分とは思えない別人のような幸せそうな笑みを浮かべる、大人のオレ。
そこには、『幸せ』で暖かな、春の世界が広がっていた。
視界が暗転する。
『フーマ! 次は、パリの公演よ! 行くわよ!』
長い紅い髪を揺らし、美しい夜景が広がる異国の街を歩く大人になった茜。
そんな彼女の背後を、スーツ姿の自分が、茜に似た娘を抱きながら……困った笑みを浮かべてついていく。
慌ただしくも、忙しない毎日。だけど、そこには、確かな『幸せ』がある、冬の世界。
これらは、在り得たかもしれないもしもの世界の話。
だが、オレが『柳沢楓馬』であり続けるのなら、絶対に在り得ない物語の話。
オレが誰かを選ぶなどあり得ない。オレが誰かと一緒になるなど、在り得ない。
お前が真に人を好きになることなど、あるはずがない。
何故ならお前は、ただ、舞台の上で踊り続けるだけの、人形でしかないのだからだ。
機械仕掛けの人形は、ただ観客を楽しませるだけに存在するもの。
さぁ、踊り狂おうじゃないか。さぁ、踊り狂おうじゃないか。
もう、お前を縛る
お前は自由だ、何者も恐れることはない。
好きに―――この舞台を彩ってやれ。
第1部 高校生編 開幕 序章 「狂騒のワルツ」
七月四日
三日後。オレは、穂乃果と花子、陽菜と共に、学校へと続く坂道を登っていた。
いつもと変わらない、日常の風景。何の変哲もない、平穏な毎日。
オレは、坂道の先に聳え立つ花ノ宮女学院と、それに向かって歩く女子生徒たちを見つめながら、大きく欠伸をした。
「……ふわぁ」
「? 珍しく大きな欠伸ですね、お姉さま」
すると、隣から穂乃果が、キョトンとした顔でそう声を掛けてくる。
オレはそんな彼女に対して、ニコリと優しく微笑みを浮かべ、口を開いた。
「すいません、昨日、あまり眠れなくて。どうやら、寝不足になってしまったようです」
「そう……なのですか?」
不思議そうに首を傾げる穂乃果。
そうして彼女は、ジッと、オレの目を見つめ始める。
「? どうかしましたか?」
声を掛けると、何故か穂乃果は突如怯えた様子で「ヒッ」とか細い悲鳴の声を漏らした。
その様子に思わず瞠目して驚いていると、穂乃果は慌てて佇まいを正す。
「あっ、い、いえ、その……い、一瞬、お姉さまの目が、その……怖く感じてしまって……」
「私の目が……怖い?」
そう、言葉を返すと、前を歩いていた陽菜と花子が振り向き、こちらに顔を見せた。
「どったの、穂乃果」
「な、何でもありませんです!! 陽菜ちゃん!!」
「? 青き瞳の者に、そのでかい乳房を揉まれでもしたのですか、巨乳女」
「そ、そんなことお姉さまはしませんよっ!! 変なことを言わないでくださいーっ!!」
ポカポカと可愛らしく、穂乃果に頭を叩かれる花子。
そんな二人のやり取りを、呆れたように眺める陽菜。
友人たちの仲睦まじい、暖かな日常の風景。
今までは、彼女たちとこうして会話するのは楽しいものだと、そう思っていた。
だけど、何故だろう。
今のオレは、その風景の中、自分がここにいるのは極めて異質であると……空虚だと、何故かそう、思ってしまった―――。
「―――はい、それでは、二時間目は女優科初のプールの授業ですよ~。みなさん、水着を持って、女子更衣室に移動してください~~」
倫理の授業が終わり、シスター服を着た担任教師、芦屋万梨阿は教科書を教壇の上でトントンと整えながら、そう、クラス全体に声を掛ける。
その声に、女優科のクラスメイトたちは「「「はーい!!」」」と大きく返事をして席を立つと、水着を取りに教室の後ろにあるロッカーへと、向かって行った。
……さて、困ったな。ついに、危惧していたこの時間がやってきた。
体育の時は、香恋と花子の協力で何とか難を凌ぎ切っていたが、プールとなるとそうはいかない。
何故なら体操着とは違い、プールは、皆、裸になって水着に着替えるからだ。
そんな場に居ることなど、男である自分は断じて認められないし、そもそも、裸になったらオレがパッドやら何やらで胸を隠していたこともバレてしまう。
前々からプールの授業をどうやって乗り越えようかと悩んでいたのだが……ついに、避けられない問題の日が来てしまったようだな。
「如月さん」
名前を呼ばれ、俯いていた顔を上げる。
すると目の前に、万梨阿先生の姿があった。
万梨阿先生はキョロキョロと辺りを見回した後、オレに顔を近づけ、そっと、小声で話しかけてくる。
「……あの、香恋さんから貴方のプールの授業をサポートするように言われていたのですが……今日はとりあえず、体調が優れず見学ということで処理しておきましょうか? 他の先生方に話を通しておきますので、保健室で待機しているのがよろしいかと~……」
「そう……ですね。その方が、無難ですかね」
そういえば、万梨阿先生は一応、オレの正体を知っていたのだったな。
今まであまり関わりはなかったが、この人も玲奈と同じで、香恋陣営の人間だった。
……そうだな。一先ず、彼女の言う通り、ここは病欠で欠席するのが良策、だろうか……。
オレは万梨阿先生に顔を向け、頷き、口を開く。
「では、その方向でお願いしま―――」
そう言葉を言いかけたところで、一瞬、脳裏に香恋の姿が過った。
一か月前の、晩餐会のあの日。あいつは、バルコニーで、悲しそうな笑みを浮かべて月を眺めていた。
あの笑みが、あの日から、何故か……頭から離れてくれない。
「―――そうだな……」
オレは頭を横に振る。
そして再度万梨阿先生に顔を向けると、ニコリと、笑みを浮かべた。
「万梨阿先生。今日、香恋さんは学校に来ているのでしょうか?」
―――プールサイドの端。
ちょうど屋根が日陰になっている場所に、水着を着た、真っ白な肌の少女が体育座りをしていた。
彼女は近付いてくるオレに顔を向けると、ジト目を向けてくる。
「……わざわざこんなところで見学しなくても良いんじゃないかしら。保健室の方が、エアコンが利いていて快適よ?」
「いや、お前もここで見学してるじゃないか」
「私は、少しは泳ぐつもりでここに来たのよ。貴方は端からプールに入れるわけないのだから、ここで見学する必要はないと思うのだけれど。……まさか、水着の女の子見たさに、ここに来たわけじゃないでしょうね?」
「なわけあるか!!」
「本当かしら……」
相変わらずの憎まれ口。
そんな変わらない彼女の様子にクスリと笑みを溢すと、オレは香恋の横に腰かけた。
「久しぶりだな。一か月ぶりか」
「そうね」
「今日は、普通科と女優科の合同授業で助かったよ。こうしてお前と二人で話す機会が、できたのだからな」
「別に、たまに学校には来ているのだから、いつでも話しかけて来れば良いじゃない。話しするくらいなら、構わないわよ」
「話しかけても、お前は如月楓として女優を目指せ、としか言わないだろ? どうせそう言い残して、オレから逃げていくだけだ」
「……だから、わざわざここに来たというの? それも、私がプールを見学しているのを事前に把握してまで?」
「いや、お前がプールを見学しているのは知らなかったよ。万梨阿先生から聞いて、これはチャンスだと、そう思ってここに来たんだ」
「…………あの教師。私が貴方と話したくないというのを、理解しているだろうに。困ったものね」
そう言って香恋は大きくため息を吐く。
そして、ピーッとホイッスルの音と共にプールに飛び込む生徒たちを静かに見つめると、長い髪を耳に掛けた。
「私の答えは変わらないわ。貴方は花ノ宮家とは今後一切関わらずに、如月楓として、役者の道を進みなさい。それが私の願いであり、月代さんの願いでもあり……
「香恋、悪いがオレは、お前の命令には従わない」
「……なんですって?」
隣から、こちらを鋭く睨みつけてくる香恋。
オレはそんな彼女の横顔を一瞥した後、入道雲が浮かぶ夏の青い空を仰ぎ見る。
「この前、一日考えてみて、こう思ったんだ。オレは、オレのやりたいようにやって、生きてやる……ってな。だから悪いが、お前のおままごとに付き合ってやる余裕は無くなった」
「……」
「オレは、自分の道は自分で決める。そうして、答えを決めた。お前を花ノ宮家の当主に据えてやる、ってな」
「随分と上から目線ね。私が一人で当主になれないと、そう思っているのかしら?」
「あぁ。思っている。お前は、晩餐会のあの日、不安そうな顔をしていた。オレの目には、一人で孤独に震える、小さな女の子に見えたよ」
「…………好き放題言ってくれちゃって。私は―――」
「これが! オレのやりたいことだ。オレはお前の命令じゃなく、自分の意志で、お前の実績を作ってやる。だから……これからのオレは、お前のお人形の如月楓じゃない。オレは――――――ただの俳優、柳沢楓馬だ」
そう言って歯を見せて笑うと、香恋は驚いたように目を丸くさせた。
そして、オレの頬に触れようと、震える手を持ち上げるが……彼女は寸前でその手を止めた。
そして、前を向き、俯くと……涙声で、口を開く。
「……私と一緒に来るということは、地獄を見ることになるのよ。絶対に貴方は不幸になる。私は……貴方を、不幸になんかしたくない。私は、貴方を幸せにするために、この学校に連れて来たの。だから……やめてよ……」
「何言ってるんだ。このオレが居るんだ。地獄なんかに、お前を連れて行きはしないさ」
「……ッ!!」
両手で顔を覆い隠す香恋。
彼女はそのまま、静かに、口を開いた。
「まるで人が変わったみたいね。会わない間に、いったい何があったというの?」
「別に。自分というものを改めて見つめ直した。ただ、それだけのことさ」
柳沢楓馬という人間の本質。それは、ただ、己の勝利だけを確信して、前に突き進むということ。
オレが香恋を当主にすると決めたのなら、そこに、敗北という二文字は無い。
傲慢で自信過剰、それが、子役時代のオレだった。
なら、徐々に取り戻して行けば良い。
演じるのではない、取り戻すんだ。
過去の、自分の姿を―――柳沢楓馬という、本来の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます