月代茜ルート 第43話 ダブルムーン
―――――五年前の記憶が、脳裏に過る。
『――――ぐすっ、ひっぐ、うぅぅ……』
夕陽が差し込む、稽古場の裏。そこで、幼い茜はひとりで泣いていた。
オレはそんな彼女に何も声を掛けずに、ただ目の前に立ち、ジッと見つめていた。
『……』
弱いな、と、その時のオレは思った。泣いている理由は、オレにはよく分からない。
ただ、練習の後に隠れて涙を流している奴じゃ、この世界は生き残れないと、そう、思ったことはよく覚えている。
『…………ずずっ……何よ。あたしのことを無言で見つめて。馬鹿にでもしているの!?』
『いや、そんなつもりはないよ。ただ、君は弱いなと、そう思っただけのことだ』
『……ッッ!! フーマって、本当に冷たい奴よね!! 女の子が泣いていたら、普通、優しい言葉を掛けるものなんじゃないの!? 冷血人間!!』
『君に優しい声を掛けたところで、僕には特にメリットがない。……少し、不思議に思ったんだ。君は、僕を倒すと息巻き、常に強気な態度でいる割に、そういう弱い一面も併せ持っているのだな、と。泣いている理由を聞いても良いかな?』
『…………家の事情で……お父さんとお母さんが離婚したの。ただ、それだけのこと』
『離婚、か。はぁ……本当にどうでもいい話だったな。時間の無駄だった』
オレは興味を失い、稽古場の方へと戻って行く。
今思い返しても……茜の言う通り、この時のオレは冷たい人間だったと思う。
演技に関係ないものには一切の興味を抱かない。ただ、病室の母を喜ばせるために、舞台の上を舞う。
世間では天才子役、柳沢二世などと持て囃されていたが、そんなものは関係ない。
オレは一人だ。一人で、この世界の頂きに立っていた。
芸術とは、孤独であるべき。孤独の縁に立ってこそ、洗練された美を産み出すことができる。
誰かに頼るなど、愚の骨頂。芸術の世界では、同業者は仲間などではない。敵だ。
限られた少ない席を奪い合い、蹴落とし合う、それが、芸術に生きる者の運命。
だから、茜がここで脱落しても、オレには特に問題のないこと。ひとつ席が空き、そこに新たな者が座る、そう、考えていた。
『――――待ちなさい、フーマ!!』
背後から声を掛けられる。振り向くとそこには、夕陽に照らされ、涙目でこちらを睨み付けている茜の姿があった。
茜はゴシゴシと目を擦ると、オレの元へと駆け寄って来る。
そしてオレと並ぶと、フンと鼻を鳴らした。
『あたしも稽古場に戻るわ! あたしは絶対に、あんたと一緒に芸能界のトップに立ってやるんだから!!』
『一緒に……?』
『そうよ! あんたとあたしは、お互いに追い越し、追い駆け合う運命にあるの!! 表裏一体? って関係なの!! 簡単に言うのなら、お月様と太陽みたいな関係ね!!』
『意味が分からない……。それに、君に一度も追い越された覚えは、僕にはないんだが』
『うるっさいわねぇ!! あんたのライバルは、あたしなの!! ライバルは、あたし以外にいないの!! 良い!?』
『……くだらない』
『あっ、ちょっと、待ちなさいよ! フーマ!! あたし以外をライバルだなんて認めちゃ、駄目なんだからね!!』
何度オーディションで負けても、茜はまっすぐとオレだけを見据えて立ち上がって来る。
他の子役連中は、オレの演技に圧倒され、引退する者が殆どだと言うのに。
こいつだけは、何故か、オレの前から消えない。
実力なんてたかが知れている。一般的な子役の中でもそれなり、といったレベルだ。
柳沢恭一郎を本気で倒そうとしている、既に大人顔負けの演技をしているオレの足元にも及ばない。
脅威とすら感じたことも無い子役。だけど、こいつは―――諦めることを知らなかった。
オレだけを追い駆け、追い駆け、追い駆け続ける。月代茜という役者は、そういう異端の役者だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《月代茜 視点》
「……」
目の前に広がるのは、観客席に座るお客さんの姿。
デュオのアイドルだというのに、ソロで出て来たあたしのことを、皆、不思議そうに見つめていた。
あたしは深呼吸した後、マイクを手に取り、口を開いた。
『初めまして。ダブルムーンの月代茜です。先ほど司会の方が説明された通り、あたしの相方の如月楓が、まだ、スタジオ入りしていません。でも……あたしは彼女がここにやってくると、信じています。信じて……歌います。ダブルムーンのデビュー曲―――――『ムーンライトランデヴー』です」
照明が消え、頭上から、あたしだけにスポットライトが照らされる。
綺麗。まるで月光のよう。なんて……そんなこと考えている場合じゃないわね。
あたしは、一人でも歌う。あいつをここで待ち続けて、そして――――フーマにあたしの想いを届ける。
前奏曲が鳴り響く。そしてあたしはマイクを口元に当て、歌い始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……なんか、しょぼくね? 一般人がカラオケで歌っているみたいなレベルだろ、あれ」
「大人しく役者やってれば良いのに……月代茜って、前々から性格悪いって有名だったけど、アイドル舐めてるのかね?」
月代茜の歌を聞いて、目の前に座る観客二人がそんな会話をヒソヒソと話し始める。
私―――ゲイノウビジョンの記者である有坂美咲は、後ろから彼らの席に向かってガンと蹴りを飛ばしてしまった。
怒り心頭である私の顔を肩越しに確認すると、彼らは口を閉ざし、佇まいを正し始める。
……まったく。ここに彼女たちのファンがいることを、忘れないで欲しいわね。
如月楓ファンクラブメンバー107番にして、月代茜のファンでもあるこの私が、いるのだから。
不愉快だわ、まったく。
「……それにしても」
私は如月楓の顔が載っているウチワを握りしめ、訝し気な様子で、月代茜を見つめる。
ロミジュリの二人がアイドルデビューしたって話は、私も知っていたけれど……何故、楓ちゃんは、この場にいないの?
どうして二人が役者ではなく、アイドルデビューしたのかは不思議だったけど、今はそんな場合じゃないわ。
茜ちゃん……何か、無理して歌ってない? 苦しい中、必死に歌を歌っている感じしない?
まるで、水の中を、必死に酸素を探して泳いでいるような―――そんな、印象。
あの二人は、二人一緒でいるからこそ、あの舞台の上で誰よりも輝きを放っていた。
だけど、これじゃあ……さっきの連中が言っていた通りに……。
私が思ったことを、周囲の人間も感じ取ったのか。観客席は、歌唱中だというのに、ザワザワとざわめき始めるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……茜」
テレビ画面を食い入るように見つめる、宮内涼夏。
そんな彼女を呼ぶように、魚屋の店先から、声が飛んできた。
「涼夏ー、ちょっと、店番手伝ってくれるかー?」
「お、お父さん、今、友達がテレビで頑張って歌っているの!! ちょっと待ってて!!」
再び画面に視線を向け、宮内涼夏は祈るようにして手を組む。
「どうして……どうして、楓お姉さまは、茜の隣にいないの? 何で、茜は一人で歌っているの……!? どういうことなの、これは!!!!」
涼夏の心配気な声が、和室の中に静かに、響いていくのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……ねぇ、花子。これ、どういうこと?」
花子の部屋で、ノートパソコンの画面を見つめて訝し気に首を傾げる陽菜。
そんな彼女に、花子は無表情で、首を横に振った。
「フランチェスカさんです。……見た通りの結果、なのではないでしょうか。月代さんが一人で歌い、青き瞳の者はいない。しかも月代さんの歌唱力は素人レベル。悲惨な状況ですね、これは」
「何、冷静に言ってんのよ、あんたは!! ちょっと待って、楓っちに電話するから!!」
「それはやめた方が良いですよ、ビッチ」
「何でよ!? 今すぐスタジオに行けって、アタシが……!!」
「よく考えてみてください。あの青き瞳の者が、理由なく月代さんを一人で歌わせると思いますか? あの人は、月代さんを助けるために、いじめっ子たちの元へ自ら特攻するような人ですよ? 彼女が誰よりもお人好しであることは……私たちがよく知っていることなのではないのでしょうか?」
「それは……そうだけど……じゃあ、何で……」
「……信じて待ちましょう、ビッチ。少なくとも、月代さんはまだ諦めていない様子。必死に、足掻いて、足掻いて、足掻いて―――足掻き続けて、彼女はあの場に立っている。ならば、私たちも余計な横やりはしない方が良いです。……如月楓の、友人として……」
「花子……」
「む……、電話が掛かってきました」
花子はバイブレーションで震えるスマホを手に取ると、通話ボタンを押す。
すると、そこから、大きな叫び声が聴こえて来た。
『は、花子ちゃんんんん~~~~っっっ!!!! お、お姉さまが、お姉さまが、テレビに出てなくて!! 月代さんが一人で!! ど、どどどどど、どういうことなんですかぁ、これはぁっっ!!!!』
「……くっ、ほ、穂乃果、声が大きすぎます。鼓膜が裂けるかと思いました」
『あ、ご、ごごご、ごめんなさいですぅ~~!!!!』
慌てふためく穂乃果。そんな彼女の様子に、花子と陽菜は顔を見合わせて、お互いにため息を溢すのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ハァハァ……!!」
タクシーを飛び降りて、急いでビルの中に入る。
全身、汗だくだ。もしかしたら、ウィッグや下着の位置が少しズレてしまっているかもしれない。
しかし……止まってなどはいられない。オレは、オレは、もう……茜を待たせることはしない。
あいつはずっとオレのことを待っていてくれたんだ。あいつはずっと、オレがまた舞台の上に上がるのを待っていてくれたんだ。
なら、オレのすべきことは―――――。
「!? 電話!?」
廊下を駆け抜けながら、スマホを取り出すと、画面には意外な人物、花ノ宮愛莉からの着信があった。
通話ボタンを押し、耳に当てる。すると、叔母さんの声が聴こえて来た。
『ドブネズミ。ミジンコの……ルリカの身柄は確保したわ。花ノ宮樹も、貴方の正体を今すぐバラすほどの余力は無くなった。安心して、スタジオ入りしなさい』
「叔母さん……ありがとうございます」
『ミジンコに代わるわ』
『お兄ちゃん!!』
その声を聞いて、オレは思わず安堵の吐息を吐く。
そして、エレベーターの前に立つと、ボタンを押した。
……遅い。向かう先は七階だが……待ってなどいられない。階段を行こう。
階段を駆け上がり、オレはスマホ越しにルリカに向けて、口を開いた
「ルリカ、無事で良かった! 怪我はしていないな!?」
『うん! 愛莉叔母さんに助けてもらった!』
『……叔母さんって呼ばないでくれる? まだ私、そんな歳じゃ……』
『おにぃ!! 聞いて!! 花ノ宮樹さんは、茜さんの――――――』
「悪い、ルリカ! 話はあとにしてくれ!! オレは今すぐ、番組に出なきゃいけないんだ!! 切るぞ!!」
オレはスマホの電源を切り、無造作にポケットへと仕舞う。そして、二段飛ばしで階段を駆け上がっていき―――――楽屋の前に辿り着いた。
楽屋に辿り着くと、そこには、瑠奈さんの姿があった。
瑠奈さんはオレの姿を捉えると、ニコリと、微笑を浮かべる。
「また戻って来ると信じていましたよ、楓さん……いえ、柳沢楓馬さん」
「瑠奈さん? 何故、オレの本名を……? って、何でも何もないか。香恋が有栖にオレの正体を話したんですからね」
「さぁっ、楓馬さん。アイドル衣装に着替えて、早く、茜さんの元へ!! 準備は既にできています!! こちらへ!!」
瑠奈さんは荒く息を吐くオレの腕を掴み、楽屋へと引っ張っていく。
オレはそのまま彼女に引きずられ、控室の中へと入っていくのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『―――――月明かりの下、私は貴方と出会い、恋をした♪ だけど貴方は私のことなんて、眼中に入っていない。分かっているわ、そんなこと――――』
「……下手くそー! アイドルなんてやめちまえー、月代茜ー!!」
観客席から、そんな言葉が飛んでくる。その野次を皮切りに、あたしに向かってどんどん容赦の無い罵詈雑言が飛んでくる。
「俺たちは、アイドルの歌を見に来てるんだー! 何だその下手糞な歌はー!!」
「ダンスもぎこちないぞー!! なんだそれはー!!」
……分かってる。今のあたしが、練習に出していた時の十分の一も力を発揮できていないことは、分かってる。
だけど、あたし一人の力なんてこんなもの。あたし個人なんて、大したことは無い。
……アイドルじゃなくて、役者としてのあたしも、同じ。
あたしの演技は、全て、柳沢楓馬へ向けたものだから。
彼に再び振り向いて欲しくて、彼に再び舞台の上に上がって欲しくて。
あたしは、その感情を演技に乗せていたからこそ、役者としてそれなりの知名度を稼ぐことができた。
だから、全部、あたし一人の力で成し遂げたものじゃない。あたし個人の力なんて、こんな程度のもの。
あたしは……フーマと楓がいなければ……舞台の上で輝くことすら、できはしない。
「ぐすっ、ぅぅぅぅっ……!!!!」
涙を堪える。駄目だ。こんなところで折れちゃ、駄目だ。
あたしは、いつか太陽を落とす女なのだから。あたしは、こんなところで終わる女じゃ、ないのだから……っ!!
「帰れ! 帰れ! 帰れ!」
『つ、月と太陽は、ぐるぐると空を駆け抜け、追い駆けあう……まるで、貴方に恋する私は、月のよう……』
「やめちまえー!! つまんねぇんだよ、素人アイドルが!!」
思わず、歌う声が止まる。あたしは、マイクを……下げてしまう。
……ここまで、なのかな。
あたしは、もう、舞台の上で輝くことは……できないのかな……。
フーマ……楓……あたし、あた、し……。
『―――――太陽を射止めるのは、貴方じゃないわ♪ 私と貴方は二つの月、そして、二つの月は、夜空を駆けるの――――――』
「えっ……?」
スポットライトが、スタジオ袖に照らされる。
そこから現れたのは――――長い白金色の髪を揺らし、真っ白な衣装に身を包んだ、絶世の美少女の姿。
幻想的な、絵本の中から飛び出したかのような彼女のその姿は……観客席を唖然とさせた。
少女は髪を揺らし、不敵な笑みを浮かべながら、あたしの傍へと近寄って来る。
そして、小さく、言葉を放った。
「まさか、そこで貴方は終わるつもり、なのですか?」
「か、楓……?」
「私は絶対に、貴方と一緒に芸能界のトップに立つ。貴方のライバルは、私。私以外に、茜さんのライバルはいない――――そう、なのでしょう?」
楓が言ったその言葉は……いつかのあたしが、フーマに言ったものと同じ言葉だった。
……何か、ちょっと、分かった気がする。この子の、本当の正体が。
あたしは目をゴシゴシと擦り、頬をパチンと叩く。
そして、楓と隣り合わせで並んで、観客席を見据えた。いや……睨み付けた。
「……遅いのよ、楓! 危うく、あたし一人でこの会場を盛り上げてしまっちゃうところだったじゃない!」
「フフッ、そうはいきませんよ。私たちは二人で、この芸能界を駆ける月となるのですから」
「――――行くわよ、楓」
「ええ、茜さん。ヘマをして、私の足を引っ張らないでくださいね」
「冗談。あんたがあたしの足を引っ張らないでちょうだい」
二人で同時に、マイクを口元に当てる。
漆黒のドレスを着たあたしと、純白のドレスを着た楓。
あたしたちは、観客席を睨み付け、そして――――同じように、挑発的な笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第43話を読んでくださって、ありがとうございました。
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