月代茜ルート 第38話 女装男、樹の策略に陥る。


 有栖に連れられて、オレは、スタジオの奥にある談話室へと辿り着く。


 その部屋に入ると、有栖は扉の鍵を閉め、近藤さんへと声を掛けた。


「近藤、この部屋に盗聴器の類は仕掛けられてはいないですよねぇ?」


「ええ。既に確認済みです。盗聴、盗撮の類はされていませんので、ご安心を」


「なら、良いですよぉう」


 そう言って有栖はソファーに腰かけると、足を組み、腕を組む。


 オレは恐る恐ると言った様子で、テーブルを挟んで彼女の向かい側にあるソファーへと腰かけた。


 近藤さんは、そのまま有栖の背後に待機し、立っている様子だった。


 その光景をジッと見つめていると、有栖がこちらに視線を向け、声を掛けてきた。


「―――それで、『Daystar』の澄野京香が花ノ宮樹と繋がっている、という話でしたよねぇ、如月楓」


「はい。詳細は、メールで送った通りです。『Daystar』の澄野京香が花ノ宮樹と密会していたのを、『オリオン』の霧島菫が目撃していた。その数日後、彼女は寮に火を放った。その犯行現場も、霧島菫が目撃済みです。そして―――近々、若葉荘に火を放つという言葉も、澄野京香から聞いたそうです」


 その言葉に、有栖は顎に手を当て、目を伏せ、数秒程考え込む仕草を見せる。


 そして、目を開けると、静かに口を開いた。


「何か……できすぎじゃないですかぁ? その光景を、霧島菫が偶然見ていたという点、有栖的にはぁ、非常に微妙に感じられますねぇ。全て霧島菫の作り話、という線はないのですか? 如月楓」


「え……?」


「花ノ宮樹が寄越したスパイが、澄野京香ではなく……霧島菫ではないのか、と、私は言っているのですよ」


 その言葉に、オレは……頭が真っ白になる。


 菫さんが……樹の手の者? そんなこと、考えたこともなかった。


 だって彼女はオレの秘密を知っても誰にも話さずに居てくれて、常に、オレのことを慮ってくれていた。


 あんなに優しい彼女が、そんなはずが……そんはずはない。菫さんが、敵だなんてこと、在り得るはずがない!!


「あ、有栖さん、そ、そんなことは、絶対に在り得ません!! だ、だって、彼女は―――」


 その時、ポケットの中にあるスマホがブブッと音を立て、静かな室内に鳴り響いた。


 オレはゴクリと唾を飲み込み、スマホを手に取り、耳に当てる。


 そこから聴こえて来たのは―――何処かで聞いたことのある、男の声だった。


『……初めまして、如月楓』


「え? ど、どなた、でしょうか……?」


『フッフッフッ……私は君のことは何でも知っているよ。君が正体を隠し、アイドル活動を行っていること。君の正体が、元天才子役、魔性の怪物くんであることも―――全て知っている』


「なっ……わ、私の正体をし、知っている……!? だ、誰なんですか、あ、貴方は……っ!!」


『私の名は、花ノ宮樹。君がよく知る花ノ宮香恋の兄にして、君の目の前に居るであろう不出来な娘の従兄にあたる存在だ。クックックッ、そこにいるのであろう、花ノ宮家の汚点、花ノ宮有栖は?』


 オレは顔を青白くさせながら、目の前にいる少女に視線を向ける。


 すると有栖は首を傾げ、訝し気な表情を浮かべた。


「? どうかしたんですか? 如月楓?」


『フッフッフッ。如月楓、いや、柳沢楓馬。安心すると良い。私は何も、お前の邪魔がしたいわけではないのだ。お前が女装をして何処で何をしていようが、私は別段、お前の目的を害する気はない。お前の父、柳沢恭一郎は私の友人でもあるからな。不用意な敵意を向けてさえこなければ、君を傷付ける気はこちらには毛頭ないのだ。そこだけはしっかりと理解しておきたまえ』


「……では、何のために、今、私に電話を掛けて来たのですか?」


『如月楓、お前は今から月代茜と共にテレビ番組に出演しようとしているな? 確か、ダブルムーンとかいったか。新楽曲をそこで披露する段取りなのであろう?』


「は、はい、そうですが……」


『その番組に、お前は出演をするな。これは取引だ』


「取引……?」


『今、レインの方に写真を送っておいた。それで理解したまえ』


 スマホを耳から離し、急いでスマホの画面を確認する。


 すると、そこに映っていたのは――口にガムテープを張られ、両手両足を縛られ、倉庫のような場所で横たわっているルリカの姿だった。


 オレはその光景に下唇を強く噛んだ後、再びスマホを耳に当てる。


「ふ、ふざけるんじゃねぇ!!!! ルリカに指一本触れてみろ!!!! オレがテメェをぶっ殺してやる!!!!!」


『フッフッフッ!! 落ち着きたまえ。彼女に危害を加えるつもりは私には毛頭ない。だが……君がこの取引を破れば、どうなるのかは分からないな。何分、私のバックに付いている暴力団は血気盛んな武闘派でねぇ。キレると、何をするかは分からない』


「……オレがテレビ番組に出演しなければ、ルリカを解放するんだな?」


『約束しよう。君がテレビ番組にさえ出演しなければ、月代茜も番組に出ることを断念するだろうからな。私としては、その結果さえあれば良い』


「……? 茜……?」


『何でもない。フッフッフッ、では、頼んだぞ、柳沢楓馬』


 そう言葉を残し、通話は終わる。


 オレはスマホを手に持ったまま、力無くダラリと、腕を垂らした。


「き、如月楓、ど、どうかしたんですか? な、何やら、怒鳴っていた様子ですが……?」


「……有栖社長。申し訳ございません。私……今回の番組への出演、辞退させてもらおうと思います……」


「え……? ちょ、ちょっと、如月楓、な、何を言っているの、貴方……!?!?」


「失礼致します」


 何やら有栖が発狂しているように叫んでいるが……もう、どうでもいいことだ。


 オレは談話室を出て、とぼとぼと廊下を歩いて行く。


 この一か月間、オレは、アイドルになるべく努力を重ねて来た。


 それもこれもアイドルになって、役者になって、茜と共に芸能界の頂点に立つためだ。


 だけど……妹が人質に取られてしまったのでは、仕方がない。


 初楽曲収録。このスタートダッシュを間違えれば、番組会社からの信頼は崩れ、まず間違いなく、ダブルムーンのアイドルとしての命は潰える。


 茜とオレは、ますます、芸能界で立場を築き辛くなる。


 クソッ……全てが、台無しだ。全て、オレが甘かったせいだ。


 オレが夢や願い、全てを捨てられるくらいに強かったら、こんなことには―――。


「? 楓? どうしたの、そんな暗い顔をして?」


 荷物を取りに楽屋に戻ると、茜がそう言って声を掛けて来た。


 オレは茜の目が見られずに、そのまま顔を俯かせてしまう。


 ……いったい、何て言えば良いんだ。茜はこの一か月間、この日を目的に、苦手なダンス・ボーカルレッスンを頑張ってきたんだ。


 いったい、何て彼女に声を掛ければ良いんだ……畜生。


「楓ちゃん? え、ど、どうしたの、そんな顔をして!?」


 その時。茜の横から菫が姿を現した。


 オレは菫を睨み付け、彼女に対してドスの効いた声を放ってしまう。


「……これは全て、貴方の計画ですか、菫さん。してやられましたよ」


「え……?」


「まぁ、最早、どうでもいいことですがね。失礼致します」


 オレは鞄を手に取り、楽屋の外へと出る。


 そのまま廊下を歩いて行くと、背後から茜が叫び声を上げた。


「ちょっと、どこに行くのよ、楓!! もうすぐ番組収録が始まるのよ!! 何、帰ろうとしてんのよ!!」


「……申し訳ございません、茜さん。私は、もう……貴方とは歩けません。私と一緒に居ては、貴方の足を引っ張ってしまうと思いますので」


「はぁ!?」


 茜は廊下を勢いよく走って来ると、オレの肩をガシッと掴み、こちらを振り向かせる。


 そして、咆哮を上げた。


「ふっざけんじゃないわよ!! こんな大事な時に何ふざけてんの、あんた!! 番組に出ないだなんて、許さない!! ぶん殴ってでも止めてみせるわ!!」


「……どうぞ。貴方に私を止められるとは思いませんが」


「あんた―――ッ!!!!」


 茜が拳を振り上げ、襲い掛かって来る。オレはそんな彼女の手首を握り、難なく防いでみせた。


「……茜さん、理解してください。力という面において、貴方は私に勝つことはできない」


「ふざけるな……ふざけるな!!!! あんたはあたしと一緒に芸能界に名を残すのよ!! あたし……あたし、あんたがいなきゃ、何にもできない!! 歌も踊りもいっぱい練習したけど、下手なまま!! だけど、あんたが隣に立って、あたしを導いてくれるからこそ、人様に見せられる領域にまでいくことができたの!!!! あたしは、あんたがいなきゃ……輝くことができない。あんたがいなきゃ、上へと行くことができないのよ!!!!」


 頬から涙を流し、茜は綺麗な顔をクシャクシャにする。


 その顔を見て、オレは気が付いた。


 あぁ、オレは……好きな女の子を泣かせてしまったのだ、と。


 それも、二回目だ。オレが役者を引退すると告げてから、二回目。


 何でオレは、こいつを泣かせてばかりなのだろうな。本当に、反吐が出る。


「申し訳ございません……恨んでくれて、構いません」


 オレは茜から手を離し、その場を後にする。


 すると後ろから、茜の叫び声が聴こえて来た。


「待ってる……ずっと待ってるから!! あんたが戻ってくるまで、あたし、一人で歌って、待っているから!!!! だから、だから――――――必ず戻って来てよ、如月楓!!!!」


 その声に涙が出そうになるのを堪えながら、オレはそのまま、身体を震わせて歩みを進めて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る