月代茜ルート 第32話 女装男、花ノ宮家と南沢家の事情を考察する。
《花ノ宮樹 視点》
「……まったく。事は思い通りには進まないものだな」
そう口にして、私―――花ノ宮樹は、ポケットから棒の飴を取り出し、包みを剥がして、口へと入れる。
どうにも私は、イライラすると甘いものを食べたくなってしまう性質のようだ。
将来糖尿病などのリスクを考えると、糖分は控えるのが良いのだろうが、こればかりは止められない。
口の中で飴を転がし、公園のベンチに腰掛け、ふぅと大きくため息を吐く。
チラリと前方に視線を向けると、公園ではサッカーなどで遊ぶ子供の姿が散見された。
都内では、公園の数も少ないだろうからな。都心の子供は遊ぶ場所が限られるのが定めなのだろう。
何とも、悲しき光景だ。まるで水槽に入れられた魚のようだな。
憐れと思えるが……家賃の高い都心に住んで居る以上、あの少年たちの家庭は裕福と推察できる。
子供は幼少時代に窮屈を強いられるが、代わりに家庭環境は安定したものを得ている。
果たして、幸せというものは、何なのだろうな。ひとつの括りで判断できないのが難しいところだ。
「……樹さま。東京に来てから随分と、苛立っていらっしゃるご様子ですね」
ベンチの背後に立っている秋葉里奈が、そう、私に声を掛けてくる。
私はその言葉にふんと鼻を鳴らした。
「当たり前だろう。東京は、かの南沢財閥が幅を利かせている土地だ。花ノ宮家が所有する土地は、有栖が支配している事務所くらいのもの。現在有栖と敵対している私にとって、この場所は四方八方敵しかいない地獄のような場所といえる」
「…………樹さま。
里奈のその発言に、私は思わず胸中に怒りが込み上げる。
肩越しに鋭く里奈を睨み付けると、私は仮面を外し、素の自分で言葉を発してしまった。
「貴様、今すぐここで殺されたいか? お前の代わりなど、いくらでもいるのだぞ?」
「……も、申し訳ございません。不用意な発言でした。お許しください」
「良いか、里奈。私にとって花ノ宮も南沢も、どちらも踏破すべき敵でしかないのだ。我が野望は財界の頂点に立つこと。故に、私に情などというものは無い。実の妹であろうが……目的のためなら私は簡単に殺してみせるぞ? この手でな」
「……」
「計画は、当初の予定とは大いに狂い始めている。有栖と香恋が手を組んだこともそうだが、月代茜が再び芸能界デビューを果たそうとしていることが、一番の想定外なことだといえるだろう。本来であれば奴は私の手で沈み、日の目を浴びることなく役者の道を閉ざされる運命にあった。それなのに―――有栖め。凡百の癖して、あの娘の価値を理解しないまま、あろうことか再び芸能界の舞台に上げてしまった。クズが、我が覇道を邪魔しおって」
「樹さま。何なりと、私にお申し付けください。この秋葉里奈、樹さまが当主になるためなら、どんなことでもしてみせ―――」
突如里奈は口を閉ざすと、警戒した様子で前方を睨み付ける。
彼女のその視線の方向へ顔を向けると、そこには―――白いスーツを着た赤髪の男が、こちらに向かって来ている姿があった。
その男は二人の黒服を引き連れ、私の前に立つと、下種な笑みを浮かべる。
「部下からお前が東京に来ていると報告があったが……まさか本当にここに居るとは思わなかったぜ? 花ノ宮樹」
「……南沢財閥家現当主、南沢彰隆……か」
「おいおい、呼び捨てかよ? 俺はお前よりも二回りも年上なんだぜ? もっと敬えよ」
「悪いが私は、貴様のような下種に媚びへつらう気はない」
「あぁ? 相変わらず口の減らないガキだな。昔のように躾してやっても良いんだぜ? 野良犬の子」
そう言って南沢彰隆は俺の隣に腰かけると、こちらに下卑た笑みを見せて来た。
「で? 花ノ宮家での当主活動は順調なのか? スパイさんよぉ」
「……ぬかりはない。あと一年もあれば、私が当主の座に就くのは確実だ。そうなれば花ノ宮家の株価や資産は南沢財閥に渡り、南沢家が財界で頂点に立つことは明らかとなる」
「そうかそうか! 良かったぜ、お前がちゃんと十二年前に話した計画を覚えててくれてな! 流石は俺の―――」
「話は終わりか? ならばさっさと立ち去ると良い。流石に花ノ宮家の長子と南沢財閥の当主が密会していては不自然極まりないだろう? 自分の愚かなミスで全てが台無しになる前に、速攻、消え失せるんだな」
「相変わらずお前は固い奴だな。まぁ、分かったよ。じゃあ、一年後にまた会おうぜ。あぁ、そうだ。……当主になったからといって、調子に乗って俺に謀反を起こそうだなんて考えるんじゃないぞ? てめぇはどちらにしても、俺の手から逃れることはできない運命だ。お前のその血の秘密が明らかになれば、お前は花ノ宮家から追放されることになる。そこのとこ、ちゃあんと頭に入れておけよ、樹お坊っちゃん」
ハハハハハと笑い声を上げながら、南沢財閥当主、南沢彰隆はその場を去って行った。
私はその背中を見つめた後、チッと、舌打ちを放つ。
「良い気になっているのも今の内だぞ、下種が。花ノ宮も南沢も、全てを手に入れ頂点に立つのはこの私だ。フ……フハハハハハハハハハハハ! 今から楽しみだな、貴様が私に足元を掬われ、吠え面をかく日がな!! 南沢彰隆!!」
花ノ宮法十郎も、南沢彰隆も、私にとってはどちらも踏破すべき敵でしかない。
……恐らく、私に残された時間は少ないだろう。
推察するに、花ノ宮法十郎は私の正体に既に勘付き始めている。
だから、あの晩餐会の日に、あの老害は突如柳沢楓馬を当主候補者に推挙し始めたのだ。
戸籍や血液検査などのデータは事前に改竄済みだが、法十郎は馬鹿ではない。
あの老人は現花ノ宮の一族の中では、最も頭が良く、厄介な存在だ。
……柳沢楓馬も、あの老人に似て、嫌な目をしていたな。
香恋や有栖などはこの私の相手にすらならないだろうが、気を付けるとするならば、一に法十郎、二に柳沢楓馬だな。
香恋や有栖とは違い、柳沢楓馬は花ノ宮家の『嫌な部分』をちゃんと受け継いでいる。
まだ若いが、厄介な存在になり得る可能性を秘めた存在といえるだろう。
「……そういえば、里奈。柳沢楓馬の監視はどうしている? あれから何か異変はあったか?」
「いえ。晩餐会の日の後から夏休みの期間まで監視してみましたが、特に異変はありませんでした。基本的に家に引きこもっているのか、出掛けるのは休日くらいですかね」
「当主候補戦に巻き込まれた以上、高校は休学し、香恋のマンションに引きこもった、という感じか。監視は確かマンションの入り口だけに絞っていたな」
「はい。香恋さまの土地でありますから、不用意に中には侵入はできませんでした。……そういえば」
「ん? 何だ?」
「いえ。香恋さまのマンションでありますから、自然なことだとは思いますが……如月楓も、同じマンションに住んで居る様子でした。香恋さまはご自身の配下を、できる限り自分のマンションに住まわせているんでしょうかね?」
「管理がしやすいから、そうしているのかもしれないな。……しかし、如月楓か。何かと如月楓とは縁があるな。彼女は確か今、月代茜とコンビを組んでアイドルになっているのだったな?」
「はい。月代茜と共に、若葉荘という寮で共に暮らしているようです」
「……若葉荘、か。以前の有栖が持っていた寮は火事で焼け落ちてしまったからな。ふん、存外奴も、派手なことをしたものだな」
そう口にして、私はクククと、不気味な嗤い声を上げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
深夜一時。俺はふぅと大きく息を吐き、英語の教科書を閉じた。
そして椅子の背もたれにもたれかかると、ふと、今日の朝にあった出来事を思い返す。
「―――茜が、南沢財閥家のご令嬢、か」
不思議なものだな。
まさか、幼い頃からの知り合いだったあいつが、母さんと恭一郎の因縁の相手の血縁者だったなんて。
オレも両親の詳しい背景はよく知らないが、幼少期に、恭一郎から軽く聞かされた覚えがある。
大学生時代に、家の意向で南沢財閥家家の長男と母さんは婚約をした。
だけど、その長男がろくでもない人物だったようで、母さんは苦しんでいた。
そんな母さんを見かねて、恭一郎は手を貸したが―――その道中に二人は恋仲になって、イギリスに駆け落ちした……と。
まぁ、花ノ宮家と柳沢家、そして南沢家が絡んだ複雑な御家騒動というのは、端的に説明するのならばこういうことだ。
花ノ宮家は母さんを恭一郎に奪われたことで、南沢財閥家と不仲になり、多額の損失を背負うことになる。
その結果、花ノ宮家の連中はオレとルリカ、そして恭一郎を目の仇にするようになった。
南沢家は花ノ宮家を敵対視するようになり、未だに富豪の家同士で睨み合いが続いている。
そんな背景に、花ノ宮の血を継いだ役者としてオレが、そして、南沢家の血を継いだ役者として茜が、双方の家の事情など知らずに芸能界で出会うことになった―――と。
……何か、知らない間にすごいことになってたんだな。
まるで本当にロミオとジュリエットだ。
「もしかして、花ノ宮樹は、茜が南沢家の血を引いていると知っていたから……圧力を掛けていたのか? 花ノ宮家とは敵対する家の令嬢だから?」
普通に考えれば、その線が一番在り得そうだが……だけど、茜って正式な一族の出ではないんだよな。
妾の子である彼女を、次期当主候補である樹が、それほど危険視するだろうか?
花ノ宮樹とはあまり関わったことが無いから、何とも言えないが……あの男は多分、花ノ宮家の一族の中では法十郎と同じくらい、危険な存在のように思える。
香恋や有栖とは何か違う。晩餐会のあの日、面と向かって対峙してみて、それは何となく理解した。
「……オレは別に、有栖や香恋を当主にしたいわけではなく、ただ茜と共に役者をやりたいだけなんだが……」
だけど、どっちかといえば、有栖や香恋に当主になってもらった方が、オレとしては都合は良いな。
面識のない樹が当主になった場合、オレとルリカの立場が危うくなる可能性がある。
オレはどうなろうとも良いが―――ルリカが外交の道具に使われたりするのは、何としてでも避けなければ。
「……ふぅ。考えることが山積みだな。とりあえず……風呂にでも入るか」
そう口にして、オレは席を立ち、背伸びをすると、衣服を取り出すべくクローゼットを開いた。
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