月代茜ルート 第26話 女装男、マネージャーに出会う。


《花ノ宮愛莉 視点》


 若葉荘を出た後。鞄の中のスマホがブブッと、震え始めた。


 私は大きくため息を吐きながら鞄からスマホを取り出し、通話ボタンを押して、耳に当てる。


「―――何? 貴方とお話している暇など無いのだけれど? お馬鹿ちゃん?」


 そう口にすると、電話口の向こうから、有栖の怒りに震える声が聴こえて来た。


『……叔母さぁん。何故、私の許可なく勝手に若葉荘に入ったのですかぁ? 香恋とは同盟を組んだといえど、私の敷地内で好きにする許可は出していないですよねぇ?』


「クスクス。お馬鹿ちゃんの癖に、思ったよりも耳が早いわね。寮の周囲に監視の目でも光らせているのかしら?」


『その、お馬鹿ちゃんって呼び方、いい加減やめてもらいませんかぁ? 叔母さんは人の名前すら覚えられないのですかぁ? あっ、もしかしてぇ、お歳のせいですかぁ? もうアラサーですもんねぇ。有栖ぅ、空気読めてませんでしたぁ。ごめんなさぁい』


「クスクスクスクス……。お前のそのくだらない妄言も、今の私の耳には心地よく感じるものね。今、上機嫌なの。特別に許してあげるわ」


『……上機嫌?』


 訝し気な様子でそう呟く有栖。私はそんな彼女を無視して、言葉を放つ。


「私は、大好きな姉に、もう一度逢いたくて仕方がなかった。だけど、当然ながら死した者には再び逢うことはできない。これは、けっして叶わぬ願い。でも―――あの日、舞台の上で、私は死んだ姉の姿を再び目にすることができた」


 目を伏せる。


 そこに浮かぶのは、今年の春に行われた花ノ宮女学院女優科によるロミオとジュリエットの舞台の光景。


 スポットライトが当てられた舞台の上で、冷たくなったロミオを抱くジュリエットは、絶望を振りまきながら胸に剣を突き刺し、ゆっくりと自壊していく。


 あの舞台の上には―――本当の愛と絶望があった。


 序盤の華やかさ、中盤の恋の甘酸っぱさ。


 そして―――終盤の、観衆をも狂わせる、苦しみの嵐。


 愛する人を失った時に生じる、絶望的なまでの痛みと悲しみを、あの子は完璧に再現していた。


 あれは、柳沢楓馬の演技ではない。あれは、私の知るあの子の演技ではない。


 あの演技を上手く言い表すのならば……色彩の権化、とも言うべきだろうか。


 経験した人生そのものを色に変え、キャンパスに塗りたくる。まるで、画家のような役者だ。


「……フフッ。たとえ偽りだとしても、姉さまの面影が残る存在がこの世に在り続けてくれるのなら……私は、それだけで満足だわ。ドブネズミ……いいえ、如月楓。私に貴方の舞台を最後まで見せてちょうだい。姉さまの望んだ未来を、貴方が切り開きなさい」


『……いったい何を言っているのですかぁ、叔母さん?』


「何でもないわ、お馬鹿ちゃん。芸能事務所の社長として、如月楓のことは頼んだわよ。それじゃあね」


『ちょ、待っ―――』


 有栖が何か言い終える前に、私はスマホの通話終了ボタンを押した。


 そして、晴れやかな太陽を眺めながら、一歩、前に歩みを進めて行く。


「……良かったわね、香恋。貴方の願い通りに、楓馬は動き出しているわよ」


 香恋の望み通りに、柳沢楓馬は花ノ宮家のことを忘れ、役者の道を再び歩き出している。


 もし、楓馬が、香恋と共に歩むことを選んでいたら―――あのドブネズミはきっと、あんなに晴れやかな表情はしていなかっただろう。


 この先、香恋と共に歩めば、柳沢楓馬は確実に地獄を見る。


 だから、この道は一番正しいもの。私にとっても、香恋にとっても。


「……」


 私はそのまま街路を歩いて行き、雑踏の中へと消えて行った。




 



「―――初めまして、如月楓ちゃん! 月代茜ちゃん! 私の名前は、秋葉瑠奈って言います! 有栖ちゃんの命令で、これからお二人のマネージャーちゃんをすることになりました!! よろしくねっ!!」


 愛莉叔母さんの騒動があった数分後。


 今度は入れ替わりで、若葉荘に、ちんまりとした少女が現れた。


 三つ編みに結んだ茶色の髪に、小学生と変わらない背丈。


 なのに、黒いスーツを着ていて、ハイヒールを履いている。……胸も、少し出ている。


 そのアンバランスな姿に、オレと茜を除いた若葉荘に居る全員は、不思議そうに首を傾げた。


「カエデとアカネのマネージャーって……貴方、何歳なの? ごっこ遊びとかしてるわけじゃ……ないよね?」


「ほんまに小さおして可愛らしい女の子やな~。今宵と同い年くらいちゃうん?」


「……私の方が、少し、背が大きいよ。この子、多分、年下だと思う……」


「本当? 今宵、ちょっと並んでみてよ」


「……わかった」


 瑠奈さんの隣に今宵は並び、手を使って身長を計り始める。


 そして、自分の方が大きいことが分かると、今宵は何処か勝ち誇った様子で、瑠奈さんの頭を撫で始めた。


「……私の勝ち」


「る、瑠奈は、少し背が小さいだけですよっ!! お、大人の女性の魅力たっぷりなんですから!! 馬鹿にしないで欲しいですっ!!」


 ぷんぷんと可愛らしく怒る瑠奈さん。


 そんな彼女にクスリと笑みを溢すと、菫さんはしゃがみ込み、瑠奈さんに目線を合わせた。


「それで? 本当は何歳なの? 有栖社長の命令でここに来たとか言ってたけど……今宵みたいに保護することになった子、みたいな感じでしょ? ね?」


「? いいえ、瑠奈は、マネージャーになるためにここに来たんですけど……あっ、年齢ですか? 歳は今年で36です」


「……へぇ、そう、36歳なんだ~……って、え゛? さんじゅう……ろくさい……?」


「あぁ、その反応! 言わなくても分かりますよ! よく、見た目より若いって言われますから!! 照れちゃいますね~~!! 二十代前半くらいに見られてるのかな~~!! うふふふ~!!」


 頬に手を当て、クネクネとする瑠奈さん。


 オレは、以前の有栖と瑠奈さんの会話を、はっきりと覚えていた。


『―――瑠奈は、有栖ちゃんが産まれてから18年間・・・・、ずっと、有栖ちゃんのお傍でメイドをやってきました。だからこそ、瑠奈には分かります。貴方は本当は人を傷付けることなんかできない、誰よりも純粋で優しい子だってことが』


『は……はぁっ!? 何、勝手に私のことを語ってるんだ、てめぇ!! 妄想も大概にしろ、このロリババアメイド!! 私が優しいだって? はっ! この花ノ宮有栖には、情なんてものは一切ない!!』


 ―――あの会話から察するに、やはり、この人は……。


「あ、あの、瑠奈さん。秋葉という苗字の通り、もしかして貴方は、秋葉玲奈さんの……?」


「そうですよ、楓ちゃん! 私は、花ノ宮家に長く仕える使用人の一族、秋葉家の長女なんです! 玲奈ちゃんは末の妹に当たります!」


 そう口にすると、秋葉瑠奈は腰に手を当て、鼻を高くするのだった。

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