月代茜ルート 第22話 女装男、朝からものすごい光景に遭遇する。


「……ブーッ、ブーッ、ブーッ」


「―――どこだ、ここ」


 目が覚めると、そこには、見覚えのない天井の姿があった。


 オレは目を擦り、ベッドの宮棚でバイブ音を鳴らしているスマホを手に取る。


 時刻は午前六時。画面には、目覚ましアプリが起床時刻を通知している姿があった。


「そうか……オレ、東京にやってきたんだったな……」


 そこでオレはようやく、先日の出来事を思い出す。


 昨日オレは、茜と共に東京へと降り立ち、寮母の雅美さんに出会い、若葉荘に住むアイドル候補生たちと顔合わせをした。


 そして、深夜、大浴場で菫さんと今宵ちゃんに出会うトラブルがあり――何とかその窮地を乗り切った後、そのまま部屋に戻ると、泥のように眠りに就いたのだった。


 ボリボリと頭を掻く。何だか、全然寝れたような気がしない。


 とりあえず、寝癖を整えて、顔を洗い、身だしなみを整えるとするか。


 化粧にもかなり時間が掛かるからな……周囲に男だとバレないためにも、手は抜けない。


 まぁ、この半年間、オレの化粧の腕も随分と成長したからな。


 最早、師であるルリカと遜色のないレベルと言っても良いだろう!


 あらゆる分野を学び吸収してきたこの二流の天才を舐めるなよ!! ガッハッハッハッ……ハッ……。


「……おい、柳沢楓馬……お前、男が化粧できることに喜んでどうすんだよ……」


 げんなりと、肩を落とす。


 如月楓として芸能活動をすると決めた以上、仕方のないことだとは思うのだが……この女装生活に完全に順応してしまっている自分を改めて客観視すると、こう……死にたくなってくるな。


 オレ、心はれっきとした男の子なのに……獣なのに……バハムートが居るのに……。


「……バハムート、か。ははっ。今となってはその言葉も、懐かしく感じるぜ……」


 花子パイセン、オレ、改めて貴方の存在がいかに大きかったのかを思い知らされました。


 女子高に潜入していても、オレを男と認識してくれる存在がいるだけで、オレは、心にゆとりを持つことが出来たんだ。


 だけど、ここは、住んで居る全員が女子で、尚且つ全員がオレのことを女だと思っている。


 花子や香恋と言ったオレの正体を知る味方は、どこにもいない。


 部屋に戻ってもルリカはいない。男として、素の自分として接することのできる存在は、一人も居ない。


 これからは、自室以外は常に、如月楓を演じ続けなければならない。


 何というか……孤独な戦いだな。


 ずっと舞台の上に立たされているような気分になってくる。


 それも、ひとつでもミスをしたら即終わる舞台。


 そのことを改めて認識すると、胸中を緊張と不安が覆っていき、額に汗が滲んでくる。


「……はっ、何を今更ビビッてるんだ。自分でこの修羅の道を歩むと決めた以上、文句は言ってられないだろ」


 パシッと、両手で軽く頬を叩く。


 ルリカも花子も、オレのこの道は危険なものになると、そう、警告してくれていたじゃないか。


 オレは二人のその警告を受け入れて、茜と共に前に進むことを決めた。


 ならば―――怖がらずに、最後まで演じ切ってやるだけだ。


 オレは、偽りの女優となり、世界を騙すと決めた。


 信念は曲げない。もう、茜を芸能界で一人にはさせない。


 今まで長く待たせた分、今度はオレが、あいつの前に立つ番だ。







「? 何か、焦げ臭いような……」


「あっ、おはようさん、楓はん。今、朝ごはんの支度をしてますさかい、待っとっいてね」

 

 リビングに降りると、着物の上にエプロンを着用した姫カットの少女、三木あずさが台所から顔を出してきた。


 オレはそんな彼女に笑みを浮かべ、朝の挨拶を返す。


「おはようございます、あずささん。……って、うえぇぇぇぇっ!?」


 目の前に現れたあずささんに、思わず驚きの声を溢してしまう。


 何故ならあずささんは、厳めしいガスマスクを被っていたからだ。


 その異様な姿に、オレは再度、恐る恐ると声を掛ける。


「あ、あの……何故、ガスマスクを、被ってらっしゃるのですか……?」


「料理には必需品やさかいね」


「必需品、かなぁ……」


 困惑の声を漏らしつつも、とりあえずオレは軽いジャブとして、普通の質問を投げてみることにする。


「あ、あの、朝食は、あずささんが用意してくださっているのですか?」


「そや。朝は雅美はんがいーひんさかいね。うちが、朝食を当番してるんやで」


「? 雅美さん、居ないんですか?」


「うん。なんか、仕事? みたいで、午前中は寮にいーひんのやで。あの人は結構謎の多い人やねん」


 どうやら、雅美さんは朝方にはここに居ないらしい。


 彼女はここの寮母でもあるが、昨日の言葉から察するに、有栖に忠誠を誓っている配下でもあるようだからな。


 何かしら裏で動いていても、不思議はない、か……。


「……ふわぁ……おはよう……あずさ……」


 その時。リビングに、長い黒髪の少女、黒澤今宵が現れた。


 今宵の姿を見て、あずささんはガスマスク越しに驚いたように目をパチクリとさせる。


「おはようさん、今宵。夜型のあんたが朝早うに起きるなんて珍しいなぁ。どないしたん?」


「……寝てない。ずっと起きてた」


「何で寝えへんかったん? ますます昼夜逆転すんで?」


「……ん、ちょっと、考え事……あ」


 今宵はオレと目が合うと、硬直する。


 だが、昨日のように、すぐに誰かの背後に隠れることはせず、彼女は何故かジッと、オレの目を見つめていた。


 オレはそんな彼女に対して、ニコリと、微笑を浮かべる。


「おはようございます、今宵さん」


「……うん、おはよう、楓……」


 どこかぎこちないが、今宵も小さく笑みを浮かべる。


 昨日の大浴場での騒動の一件は、正直、肝が冷えたが……アレで、どうやら彼女と幾分かは距離を縮めることができたようだな。


 オレが過去を打ち明けたおかげだろうか? 今宵が以前より、オレに恐怖心を見せなくなっていた。


「今宵さん、昨日は上手く挨拶ができませんでしたが、どうかこれから、よろしくお願いいたしま―――」


 ……その時だった。突如、『ピーッピーッ』と、けたたましいサイレンの音が、室内に鳴り響いた。


「――――――あっ! しもうた!」


 あずささんはハッとした表情を浮かべると、急いで台所へと戻って行く。


 オレは首を傾げながらも、今宵と共にそんな彼女の後についていった。


 そうして台所に辿り着くと、そこには――――黒い煙が、周囲に充満していたのだった。


「ゲホッ、ゴホッ、な、なんですか、これは……!?」


「楓はん、今宵、少し、離れといて! ……えっと、消火器は―――あっ、あった!!」


 あずささんは部屋の隅に置いてあった消火器を手に取ると、それを……ガスコンロに向けて噴射し始める。


 すると今度は周囲に白い粉が舞い散り、もう、視界はグチャグチャになってしまった。


 目から涙が止まらず、咳も止まらない。


 オレは、制服のポケットに入れていたハンカチを今宵の口元を当て、そのまま台所から避難する。


「ケホッ、ゲホッ!! な、何なんですか、これは……っ!!」


「……いつものことだよ」


「いつものこと!?」


 至って冷静な今宵にそう問いを投げると、今宵はコクリと、小さく頷きを返した。


「……うん。あずさは、超が付くほどの、料理下手だから」


「な、何でそんな人が朝ごはん作ってるんですか!?」


「……趣味なんだって」


「えぇ……?」


 セクハラ大魔神の菫さんを除けば、この若葉荘の入居者は皆、普通の人だと思っていたのだが……あずささんも相当やばいことが分かってしまった。


 いや、京都弁喋って落ち着いた雰囲気の女の子だから、料理、できそうなオーラあったんだけどなぁ。


 これで、まとも枠はアンリエットと今宵だけになってしまった。


 ……アンリエットも、普通の部類……だよな? 何か怖くなってきたぞ、オレ……。


『ピーッピーッ』


「わぁ、火災警報器止まらへん! うちの背じゃ、届かへんよ~!」


 台所からそんな、悲鳴の声が聴こえてくる。


 オレはあずささんを助けるべく、呆れたため息を吐きながらも、再び地獄絵図と化している台所へと戻って行った。

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