月代茜ルート 第20話 女装男、共同の大浴場に足を踏み入れる。
「それじゃあ、おやすみなさい、カエデ、アカネ!」
「おやすみなさい、楓はん、茜はん」
夕食後。三階のオレたちの部屋の前まで、寮生の三人は送り届けてくれた。
オレはそんな彼女たちに頭を下げ、礼を口にする。
「とても楽しい歓迎会を開いてくださり、ありがとうございました。お優しい方々が同じ寮で、すごく安心致しました」
「もー、カエデは固いなぁ。歳もひとつ上なだけだし、もっと気軽に接してよ!」
「そうどすなぁ。これからはおんなじアイドル候補生なんどすし、もっと打ち解けていきたいところどすなぁ。もしかしたら、一緒のお仕事を受け持つ可能性もあるんどすし」
「そうね。楓はいつも言葉が丁寧すぎるのよ。……ボリボリボリ」
「いや、何で茜さんは同じ新参者なのに、そっち側の視点で立っているんですか? というか……さっきから気になってたんですけど、何を食べてるんですか?」
「え? チョコチップクッキー。さっき、アンリエットに貰ったのよ」
その言葉にアンリエットへと視線を向けると、彼女は後頭部を掻きながら、照れ臭そうに開口した。
「やー、私、お菓子作りが趣味でさー。いっぱい作りすぎたから、二人で食べてって意味でアカネに渡したんだけど……もう殆ど袋空だね」
「なるほど、そうだったのですね……。って、茜さん、何で一人で食べちゃってるんですか……」
「う、うるっさいわねぇ! 甘いものに目がないのよ! あたし!」
そう口にして、茜は口元にクッキーのカスを付けながら、ぷいっと顔を横に向ける。
オレはそんな彼女に、思わずジト目を向けてしまった。
「あははは……ま、またカエデの分も、私、作るからさ! 喧嘩しないで、ね?」
「そうよ。楓は大人げないのよ。……ね、あたしもまた、貴方の作るチョコチップクッキー、貰っても良いかしら。すっごく気に入ったわ」
「え? うん、良いけど……そんなに甘いもの食べて平気? 太らないの?」
「太ったことは一度もないわ」
「えー……羨ましいなぁ……」
……このツインテール女、あれだけ晩御飯のパスタを食べたのに、まだ食い気があるのかよ……。
そういえば昔も、茜って事あるごとに稽古場に御菓子持って行って怒られていたっけな。
床にボロボロと菓子の食いカスを溢すから、めっちゃスタッフに怒られていた記憶がある。
「……じーっ」
「な、何よ。そんなに見つめないでよ。確かに、悪かったとは思っているわ。ボリボリボリ」
ふむ、確かに……よく太らないものだな……。
世の中、どんなに食べても太らない人間がいるとは聞くが、こいつはそんな摩訶不思議人間の部類なのだろうな……。
というか、悪かったと思うのなら、残り少ないクッキーを食べないでくだされ、茜さんや……。
「―――それじゃあ、私たち、この辺で帰るね。今夜は楽しい時間をありがとう、カエデ! アカネ!」
「おやすみなさい、楓はん、茜はん」
そう口にして、アンリエットとあずささんが別れの挨拶をした……その時。
突如、菫さんがオレの方へと近付き、オレの腕をギュッと、胸に抱いて来た。
そして彼女はアンリエットとあずささんに片手を上げると、微笑を浮かべる。
「じゃあねー、アンリ、あずさ~。私はこの子と今日、一夜を共にすることにしたわ~」
「は? えっ、ちょ、菫さん!?」
「ウフフ、真っ赤になっちゃて可愛いわね、楓ちゃん。何も心配入らないわ。お姉さんに身も心も、委ねなさ―――あれ?」
菫さんはオレの腕に視線を向けると、キョトンとした表情を浮かべ、不思議そうに首を傾げる。
「? 何か、今まで触って来た女の子たちと、どこか触り心地が違うような……楓ちゃん、華奢だけど、思ったより腕に筋肉がある……のね……?」
――――――やばい。
彼女は同性愛者、つまりは、女性の身体のことをよく知っている。
何とはなしに身体を触られてしまったが……これは、かなり、やばい状況と言えるのではないだろうか。
男だとバレる、一歩手前と言って良い。
オレが何と返答しようか迷っていると、菫さんが、こちらにまっすぐと視線を向けて来た。
「貴方―――」
「ほら、馬鹿やってないの、スミレ! 早く自分の部屋に戻る!」
「って、痛たたたたっ!! み、耳を引っ張るのはやめなさい、アンリ!」
アンリエットに耳を引っ張られ、強制的にオレとの距離を離される菫さん。
そんな二人の様子に、あずささんは、呆れたため息を吐いた。
「まったく、菫はんは油断も隙もあらしまへんなぁ。こら後で……お灸を据えなあきまへんねぇ」
あずささんの笑みが、不気味な気配のするものへと変わる。
そんな彼女の様子の変化に、菫さんはか細い悲鳴の声を漏らすと、アンリエットの背中へと隠れた。
「ひぃっ!? あずさはガチのドSだから嫌よ!! アンリ!! 助けて!! 今夜は貴方のベッドで寝かせて!!」
「ちょ、あずさから隠れようとして、ナチュラルにお尻触らないでっ!!」
「菫はん、今夜はうちと一緒に寝まひょか? たっぷり、お仕置きしてさしあげますえ?」
「嫌です!! 自分の部屋に帰ります!! さようなら!!」
慌ただしい様子で、アンリエット、あずさ、菫の三人は、自室へと向かって去って行く。
そんな三人の後ろ姿を見送った後、オレは思わず、安堵の吐息を吐いてしまった。
(しかし、さっきのは……危なかったな)
菫さんに、勘付かれていないと祈るばかりだ。
流石に、腕を触られただけで気付かれるとは思っていないが……ちょっと怖いな。
そう、菫さんに対して恐れを抱いていると、隣に立った茜がポソリと呟いた。
「何と言うか、賑やかな連中ね。すっごく個性が強いわ。アイドル候補生だからなのかしら」
去って行った三人の背中をジッと見つめ、茜はどこか真剣そうな表情を浮かべる。
オレはそんな彼女に頷き、言葉を返した。
「そうですね……。アイドルの方々と関わったことはないですが、アイドルは役者よりも人気がものをいう世界ですからね。個人が持つ圧倒的な個性やカリスマ力は、必須なのではないでしょうか」
「今更だけど、あたし、アイドルになれる自信がないわ。そんなに目立った個性、持っていないもの」
「……そうですかね。大食いモンスターな時点でなかなかの個性だと私は思いますが」
「む! 人を食いしん坊みたいに言わないでよ! 何よ! クッキー、全部食べてやるんだからっ!」
そう言ってあっかんべーをすると、茜は自室の扉の鍵を開ける。
オレはそんな彼女に対して、静かに口を開いた。
「ちゃんと歯ブラシするんですよ? 芸能人は歯が命、なのですから。虫歯のアイドルなんて、ファンからしたら興ざめですよ」
「うるっさいわねぇ。勿論ちゃんとするわよ! 楓はあたしのお母さんかっての! いーっだ!!」
そして茜は、そのまま自室の中へと戻って行った。
そんな彼女にクスリと笑みを溢した後、オレも自室のドアを開錠し、中へと入る。
部屋の右脇にベッド、中央にキャリーバックがあるだけの、何もない、まっさらな部屋。
今日からここが、オレの住む部屋になる。
……アイドル活動、か。未だに、男であるオレがアイドルになるなど受け入れることができない。
だけど、その先にある、舞台役者としての道に、オレはとても高揚感を抱いている。
何故だろうな。柳沢楓馬ではなく、如月楓として、危険な綱渡りをしようとしているというのに。
正体がバレたら、オレは即終わりだ。
背後に有栖や香恋が付いていると言っても、花ノ宮家の令嬢である彼女たちの権力は、地元仙台だけの限定のもの。
東京で何かをやらかしても、あの二人がオレを庇える保障はどこにも無い。
だからこそ、オレの正体は、この土地では絶対に他の人にバレてはいけないんだ。
花子の時のようなヘマは、二度としてはならない。
先ほどの菫さんに身体を触れられるような事態は、今後は、避けなければならないだろう。
これからはよりいっそう、身を引き締めなければな。
「―――よし。今日はとりあえず、シャワーを浴びて寝るとしようか。もう、長旅でクタクタだ……」
ふぅと、大きくため息を溢しながら、オレはキャリーバックから寝間着のジャージを手に取る。
そして慣れた手付きでウィッグを外し、バスルームへと入った。
「――――――え? 水が……出ない?」
服を脱いでバスルームに入ると、シャワーヘッドから水が、出てこなかった。
何度も蛇口を回すが、シャワーから水が出ることはない。
もしかして、これは……。
「……シャワー、壊れてる……?」
オレはバスルームの中で一人、思わず、引き攣った笑みを浮かべてしまった。
「……流石に、アイドル候補生の一日目が汗臭かったら……やばいよな……」
深夜午前二時。オレは足音を立てずに、三階から一階のリビングへと降りる。
当然だが辺りは真っ暗闇で、人の気配は感じられない。
そのことに安堵の息を吐き、オレは着替えを両手に持ちながら、一階奥にある「共同大浴場」へと向かって歩みを進めていく。
「えっと……確か、こっちにあるんだよな?」
部屋の中に置いてあった館内見取り図を頼りに、暗い廊下を静かに進んで行く。
……正直、女風呂状態である共同の大浴場に行くのは、大いに気が引ける。
誰かに鉢合わせでもしたら、即アウト、その場で痴漢として逮捕されても良いレベルだ。
だから、こうして、寝静まった深夜を狙って行動しているのだが……はっきり言って、不安しかない。
でも、流石に身体を流さないわけにはいかないしな。
芸能人である以上、身を清潔に保てなければ、仕事を貰えないからだ。
それに、女装がバレないためにも、身を常に綺麗にしておかなければならない。
男臭くてバレる展開なんて、アホらしくてしょうがないからな。
「……っと、あった。ここが、大浴場か」
共同大浴場と書かれたネームプレートがぶら下がった扉を前に、ゴクリと、唾を飲み込む。
中に誰か居る気配があったら、即退散しよう。
そう考え、オレは、引き戸の扉をガラリと――――――慎重に開けてみた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第20話を読んでくださって、ありがとうございました。
毎日いいねを付けてくださる23名の方に、深い感謝を。
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