月代茜ルート 第19話 女装男、寮生たちと出会う。


 午後六時四十分。一通り荷支度を終えたオレは、隣の部屋の扉をコンコンとノックした。


「茜さん、そろそろリビングに行きませんか?」


「楓? うん、ちょっと待ってて」


 ドタバタと物音が聴こえた後、ガチャリと扉を開け、私服姿の茜が顔を出す。


 思ったよりも可愛らしいピンク色の服を着るのだなと、彼女の服を見つめていると……茜は、訝し気に首を傾げた。


「……? 楓、何で、ジャージを着ているの? 普段着には着替えなかったの?」


「えっと……一応、これが普段着なのですが……何か、変でしょうか?」


「へ……?」


 茜はポカンと、心底驚いたような表情を浮かべる。


 そして、彼女は驚きながらも再度、口を開いた。


「他に服はないの? あんたのことだから、清楚系のワンピースとか着てるかと思ったんだけど」


「勿論、他にも衣服は持って来ていますよ?」


「どんなの?」


「無地のトレーナーとパーカー、後は、ジーパンくらいですかね」


「……ず、随分とラフな格好を好むのね。まるで、男の子みたいだわ」


「え゛」


 …………オレは今まで、女装をする時は、花ノ宮女学院の制服を着用していた。


 だから、普段着を着る女性のことまで、頭が回っていなかった。


 そう、だよな……女子は、普通、衣服に拘るもの……だよな……?


 ……いや! 普段着にジャージやパーカーを着る女子だって、いるはずだ!!


 皆が皆、服に拘りを持っているわけではないはずだ!!


 だから、オレのこの格好も間違ってはいないはず!! うん!!


「勿体ないわね。せっかく素材が良いのだから、色んな服を着れば良いのに」


 そう口にしてため息を吐くと、茜は部屋を出て、自分の部屋の鍵を閉める。


 そして鍵をスカートのポケットに仕舞うと、こちらを振り返えり、ニコリと微笑みうを浮かべた。


「何だったら、今度、あたしがあんたに似合う服を選んであげても良いわよ? 渋谷にでも行く?」


「……い、いえ。今はその、お金があまりないので……遠慮させていただきます」


「そう? 気が向いたらいつでも誘ってよ。あたしも、新しい冬服、見に行きたい頃合いだし」


 茜さんや……オレはできれば女物の服なんて着たくはないんスよ……。


 なんて、そんなオレの想いが、あのツインテール女に届くわけもなく。


 オレは、前を歩く茜にとぼとぼとついて行った。







「―――それじゃあ、新しく若葉荘にやってきた、カエデとアカネを歓迎して……かんぱーい!」


 オレンジジュースの入ったコップを、テーブルの中央でカンとぶつける。


 現在、オレと茜は一階のリビングで、四人のアイドル候補生たちと共に机を囲んでいた。


 長テーブルの上座にオレと茜、その左右両端に二人ずつに、候補生たちがそれぞれ座っている。


 左側に座っている二人組は、手前がアンリエットさん、奥が菫さん。


 右側に座っているのは……まだ、会ったことがない、顔の知らない二人組だった。


「じゃあ、まずは、自己紹介しようか! もう先に名前名乗ってるけど、もう一度ね! 私は、この若葉荘の監督生、アンリエット・チェルチ・シャストラール!  ravi de vous rencontrer《はじめまして》!」


 胸に手を当て、元気よく挨拶してくるアンリエットさん。


 オレはそんな彼女に、先ほどから気になっていた疑問をぶつけてみた。


「アンリエットさんは、純粋なフランスの方、なんですよね? すごく流暢な日本語を話されていますが……日本に居た時間が長い、ということなのですか? 以前、花ノ宮女学院でもお見かけしましたし……」


「あー、ううん、日本には去年の12月に来たばかりなんだ。日本語が話せるのは、日本のアイドルが好きな影響で、フランスで日本語学校に通ってたからだよ。花ノ宮女学院に居たのは……パパに無理やり入学させられてね。少しでも花ノ宮家との交流を持ちなさい、って、私の大好きなアイドルを餌にされたからなの」


「アイドルを餌に……?」


「ほら、あの学校って、アイドル科があるじゃない? 私、子供の頃から日本のアイドルに憧れててね。だから、アイドル科を餌にまんまと騙されて、あの学校に入学させられたの。まさか、婚約者と縁のある花ノ宮家の学校とは思わなかったよー。私、アイドルになりたいから、まだお嫁さんにはなりたくないのにさー。私のパパも御祖父ちゃんも、花ノ宮家との縁を作るために、すごい強引なんだもん。酷いよねー?」


「ということは、アンリエットさんはもう、花ノ宮女学院の生徒ではないのですか?」


「うん。君と出会った翌日に、学校は辞めて、一人で東京に出て来たの。でも、パパにすぐに捕まっちゃってねー。大喧嘩の末、花ノ宮家の芸能事務所に入ることで、納得してもらったんだー。それで、アイドルになれなかったら、すぐに花ノ宮家に嫁ぐことを約束されちった。あはははー」


 ……なるほど。フランス旧貴族家の令嬢である彼女は、花ノ宮家との繋がりで、この芸能事務所に入ったと。


 この情報は、オレも香恋も知らなかったことだ。


 まさか有栖の手に、オレの婚約者となる少女がいたとは、な。


 恐らくは何かのカードとして切れないかと、有栖はこのことを秘密にしていたようだが……現状、オレと香恋が有栖と手を組んだことにより、この件は隠す必要が無くなった、と……これは、そういうことなのだろうか。


「アンリ、そんな見ず知らずの男と結婚する必要はないのよ。貴女には、私がいるのだから」


「いやー、スミレは嫌かなー。すぐおっぱい揉んでくるし」


「フフフ……貴女もすぐに、こっち側の素晴らしさに気付くことになるわ。さて……」


 菫さんは不気味な笑みを浮かべると、オレと茜にニコリと、笑みを見せてくる。


「私も先に自己紹介しちゃったけれど、もう一度しちゃうわね。私は、霧島 菫。顔面レベルの高い可愛い子ちゃんとイチャイチャするためにアイドルを目指しているわ。よろしくね」


「えぇ……」


 その堂々とした異様な発言に、思わずドン引きの声を漏らしてしまう。


 すると、菫さんは耳に長い髪を掛け、フフッと笑みを溢した。


「楓ちゃん、後でお姉さんと一緒にお風呂に入りましょうか。この寮は、各部屋にバスルームが付いているけれど、一階に共同用の銭湯があるのよ」


「せ、銭湯……ですか?」


「そうよ。元々この寮は、銭湯付きの民宿を改良して作ったものらしいの。外観はヨーロッパ風なのに、変な感じよね」


「正しゅうは、雅美はんのイタリア好きが生じた結果で改修工事が行われたのが、本当のところらしいんどすけどなぁ。あ、うちの名前は、三木あずさと申します。よろしゅうおたのもうします」


 右側の手前に座っている、着物を着た黒髪姫カットの少女が、そう、まっすぐ切り揃えられた前髪の奥からこちらに視線を向けてくる。


 オレはそんな彼女に、ペコリと小さく頭を下げた。


「初めまして。如月楓と申します。……京都の方、ですか?」


「はい、そうなんどすえ。よろしゅうおたのもうしますね、楓はん。ほんで、こっちの子が……いけますか? ちゃんと、喋れるのん?」


「……平気。喋れる」


 あずささんの隣に座る、小柄な体格の少女が、おどおどとした様子でオレたちに視線を向けてきた。


「……わたし、黒澤 今宵。10歳。雅美叔母さんの、養子、です……」


「養子……?」


「うぅぅ……」


 今宵と名乗る伸ばしっぱの長い髪の少女は、呻き声を漏らすと、すぐにあずさの影に隠れてしまった。


 あずささんは頬に手を当て、困ったように吐息を漏らす。


「堪忍え、二人とも。この子は、あまり人に慣れてへんで」


「人に、慣れていない……?」


「うちもよう事情は知らへんのどすけど、以前、ご両親から非道いネグレクトをされたらしくて。それ以来、人間不審になってるみたいやで」


「そう、なのですか……」


 オレが少女に憐憫の眼差しを向けていると、トレイに豪勢な料理を乗せて、雅美さんが姿を現した。


「その子は、有栖お嬢様が、私の元に連れてきてね。一応は私の親戚の者だから、ここで預かっているのさ」


「え? 有栖さんが……?」


 オレが疑問の声を溢すと、雅美さんは料理の器を配膳しながら、静かに口を開く。


「親戚中たらい回しにされた、身寄りのない子でね。私が引き取りたいと決意したら、不憫に思った有栖お嬢様が、ここでアイドル候補生たちと一緒にこの子を世話することを提案なさってくれたんだ。候補生じゃないけど、ぜひ二人とも、仲良くしてやっておくれ」


 今まで無表情だった強面の雅美さんが、初めて、その顔に小さな笑みを見せた。


 オレはそんな彼女に、同じようにして笑みを返す。


「優しい御方なんですね、雅美さんは」


「いいや、優しいのは私じゃなく、有栖お嬢様だ。かく言う私も、あの御方に救われた身でね。普段の言動で勘違いされやすい御方だが、あの人は、社会に見捨てられた人間に積極的に手を差し伸べるお優しい人なんだよ。私や今宵だけじゃなく、多くの社会的弱者が、あの方に救われてきたんだ」


「有栖さんが……そんなことを?」


「弱者の痛みは、弱者だからこそ分かる―――有栖お嬢様がよく口にしていた言葉さ」


 そう言って、雅美さんは何処か優しい表情を浮かべながら、料理を配膳していくのだった。

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