月代茜ルート 第7話 女装男、幼馴染のご機嫌取りをする。
茜と共に有栖の芸能事務所に所属することになった日から翌日―――九月二十四日。午前七時。
オレは、いつものように如月楓に扮して、学校へと向かっていた。
少し肌寒くなってきたので、もうそろそろ冬服に着替える時期になるのだろう。
この学校は夏服は上にワイシャツだけなので、猛暑日は、その……他の女子生徒たちの下着が汗で透けて見えることが多々あった。
その度に、オレはいつも、目のやり場に困っていたものだ。
なので正直、早く冬服のブレザーに戻って欲しいところである。
ただでさえ女装生活には罪悪感が拭えないことが多いのだから、ひとつでも、肩の荷は降ろしておきたい。
「あっ……お、おはようございますっ! お姉さまっ!!」
その時。仙台駅の改札前に辿り着くと、背後から声を掛けられた。
振り返ると、ステンドグラス前に、穂乃果、陽菜、花子の姿があった。
穂乃果はどこか緊張した面持ちでこちらに近寄って来ると、眉を八の字にして、口を開く。
「あ、あの、お姉さま。久しぶりに、その……私たちと一緒に登校しませんか?」
「穂乃果さん?」
「夏休みが開けてから、その、お姉さまが私たちを避けていることは、何となく……分かっています。お馬鹿な穂乃果には、理由は分かりません。もしかして、穂乃果が、お姉さまに何か粗相をしてしまったのかもしれませんが……あの、もう一度、私にチャンスをくださらないでしょうか、お姉さま。至らぬ点がありましたら、直しますですっ!」
目をウルウルにさせて、泣きそうな表情を浮かべる穂乃果。
オレが穂乃果を避けていたのは、単純に、このまま男性恐怖症の彼女を騙し続けて傍にいることは、よくないことだと判断したからだ。
だから、穂乃果は何も悪くない。ただ単に、オレが罪悪感に耐え切れなかっただけだ。
「申し訳ございません、穂乃果さん。別に、穂乃果さんが悪いというわけではないのですよ? ただ……私自身、ひとりで今後の自分のことを考えたいなと、そう、思うことが多くなったからなんです。ですから貴方は何も悪くありませんよ」
「あうぅぅ……。で、ででで、でしたら、また、私の傍にいてくださいますかぁ、お姉さま……」
「傍に……ですか?」
「はいです。私にとって、お姉さまは憧れの人なんです。私が目指す女優としての完成形、と、言う感じでしょうか。貴方様のお傍にいて、穂乃果は、楓お姉さまのようにかっこよくて綺麗な女の子になりたいのです。……あと、その、一緒にいてくださると、心がぽわぽわして、とっても楽しいので……今後もお友達として接してくださいますと、その……助かりますです」
……困ったな。
オレは当初、彼女たちとは月に何度かは接触し、その後は自然な形で徐々に会う回数を減らし、フェードアウトする算段を付けていたのだが……。
穂乃果がそこまで如月楓を大切な友達だと認識してくれていたとは、思わなかった。
夏休み明けの席替えで、席順も変わったから、それを期にオレへの関心も薄らぐと思っていたんだけどな。
まさか、彼女がそんなにオレに執着していたとは、考えなかったな。
―――仕方ない。突き放すわけにもいかないからな。ここは、一人になれる言い訳を考えておくとするか。
「……穂乃果さん。実は私、最近、本格的に役者の道を進もうかと考えているんですよ」
「え? 役者の道に、ですか?」
「はい。もう既に、所属する事務所も決めているんです。ですから、今後は、役者のことだけを考えていきたいので……穂乃果さんたちと交流する時間は減ると思うんです。すいません」
「そう、ですか……。それなら、仕方ありませんね……」
悲し気な顔をして、俯く穂乃果。
だが彼女はすぐに顔を上げ、こちらに真剣な表情を向けて来た。
「でも、穂乃果と交流してもらう時間も、あるにはあるんですよね!?」
「え? あ、まぁ……都合が合えば、ですかね……?」
「だったら!! そ、その……ら、来月末にある、文化祭……わ、私と一緒に回ってくださいませんですか、お姉さ―――」
「……ちょっと、改札前で何やってるのよ。邪魔よ! ―――って、これ、あんたたちに言うの何回目だっけ?」
背後を振り向くと、そこには腰に手を当て、口をへの字にしている茜の姿があった。
茜はオレをジロリと睨んだ後、穂乃果へと鋭い目を向ける。
「楓。友情を大事にするのは別に構わないわ。だけど、時には潔くNOと言うのも大事なことだと思うわよ」
「あ、茜さん……?」
「ごめん、さっきからあんたたちの話、盗み聞きさせてもらっていたわ。……まったく。楓、あんたはお人好しすぎるのよ。あんたは今後、あたしとパートナーになって芸能界に進出することになるのよ? お友達と仲良しこよししてる時間なんて、ないと思うんだけど。きっぱり、今後はあんたと遊び時間なんて無いって、断りなさいよ」
「なっ……きゅ、急に出てきて何なのですか、月代さんっ!! 今、私は、お姉さまと大事な話をしていて―――」
「楓は、そんじょそこらの役者とはレベルが違う。良い、柊穂乃果。歴史に名を残す役者になれるのは、才能のある人間の中でも、ほんの一握りなの。本気で役者を目指している才人は、友達と遊んでいる時間も、趣味に没頭する時間もない。毎日、演技をするのが嫌になるほど、血を吐き出すような稽古を繰り返している。楓はまだ、大成するかも分からない原石にすぎないわ。そんな彼女の貴重な時間を奪うつもりなら―――――あたしはあんたを一生、許さないわよ」
ギロリと、茜は穂乃果を鋭く睨みつける。
そんな彼女の姿に、穂乃果は「ぴぎゃう!?」と悲鳴を上げ、後方にいる陽菜と花子の背中へと隠れていった。
茜はそんな彼女を見つめて、フンと、鼻を鳴らす。
そして、オレの手を握ると、「行きましょ」と声を発し、そのまま改札へと向かって歩き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……ちょっと、言いすぎてしまったかしら」
電車に乗った後、茜は扉付近のつり革を持ち、悩まし気にそう呟いた。
オレはそんな彼女にニコリと、優しく微笑みを浮かべる。
「確かに、少しだけ、語気は強かったように思いますが……私は、とても助かりましたよ。私はどうにも、穂乃果さんに対して強くNOとは言えない性質のようでして。茜さんがきっぱりと断りを入れてくれて、すごく、助かりました」
「……あたし、奥野坂との一件から変われたと思ったんだけど……どうやら根は、全然、変わってはいないみたい。むやみやたらに敵を作らないために、いつも言葉は気を付けてるつもりなんだけど、役者のことになるとセーブが効かなくなるみたいなの。はぁ……終始ツンツンしている自分が嫌になってくるわ」
「それも、茜さんの魅力だと思いますけどね。それに、酷い言葉で誰かを傷付けているわけではないですから、良いんじゃないでしょうか。世の中にはツンデレ、という言葉もありますしね」
「なによ。あたしがツンデレだとでも言いたいわけ?」
つり革にぶら下がりながら、茜はこちらにジト目を向けてくる。
そんな彼女にクスリと笑みを溢していると、茜はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
そして、扉の窓ガラスを見つめながら、ポソリと、小さく声を発した。
「……楓。あたしは、絶対に、役者として大成したいの」
窓ガラスの外の世界は、素早く風景が流れていく。
そこに反射するのは、神妙な面持ちをした茜の顔。
オレはそんな彼女に、疑問の声を投げた。
「茜さんはどうして、役者として大成したいのですか?」
「あたしの演技で、魅了したい奴がいるから。そいつにもう一度、役者の世界はこんなにも楽しいんだぞって、伝えたいから。あの馬鹿に、ここに戻って来いって……伝えたいから」
「……」
「だからあたしは、役者で在り続ける。あたしがこの世界に拘り続けるのは、そんな程度のことなの。……楓は? どうして、昨日、あたしと一緒にプロの役者を目指すって、決断してくれたの?」
「私は……そうですね。茜さん、貴方と一緒にまた、演技がしてみたかった……それだけですかね」
「え……?」
茜はこちらを振り向き、目を見開き、心底驚いた表情を浮かべる。
そして、その後、顔を真っ赤にして、突如、慌てふためき出した。
「なっ……何言ってんのよ!? あ、あたしと一緒に演技がしたかった!? そ、それだけのことで、芸能界に行くことを決めたの!? 馬鹿なの!? もっと普通、色んな理由があるはずでしょ!? 有名になりたいとか、お金を稼ぎたいとか、憧れのかっこいい俳優と知り合いになりたいからとかっ!!」
「フフッ。例えが意外にも俗っぽいのですね?」
「う、うるさいわねぇ! 大抵みんな、そんなものでしょっ!? あ、あたしが最初に子役になった理由だって、単に、親に勧められたからで、あと、有名になりたかったからで――――って、何でもないわよ!! 馬鹿!!」
再びそっぽを向くと、唇を吐き出し、恥ずかしそうに顔を真っ赤にする茜。
その横顔を見て、何となく、オレは……可愛いなと、そう、思ってしまった。
……ん? 可愛い……?
いやいやいやいや、待て待て、オレよ。
だって、茜だぞ? 子供のころからオレのことを理不尽に殴って来た、暴力女だぞ?
今までこいつを可愛いなんて一度足りとて思ったこと無いし、むしろオレはこいつを、男兄弟のように見ていた節がある。
実妹のルリカと並んで、異性として見たことがなかった女歴代一位だ。
そんな奴を可愛いだなんて、思うはずがない。そう、思うはずなどない。
「? 何よ、人の顔をジッと見つめて。何かついてる?」
「いえ。茜さんは男らしくて女性として見ることは難しいなと、そう、自分に言い聞かせていたところです」
「……喧嘩売ってる? あたしは別に、この場であんたをぶっ殺してやっても良いのよ?」
「あっ―――な、何でもありません!! い、今のは違います!! 言葉の綾です!! い、いや~茜さんは本当にお綺麗で可愛らしいです!! まさに、大和撫子です!!」
「ふんっ! どうせあたしは男みたいな女よ……ばか」
その後、オレは電車が学校の最寄り駅に着くまで、茜のご機嫌取りに勤しむはめになってしまったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
茜ルート第7話を読んでくださり、ありがとうございました。
みなさまの暖かいコメント、いいねや評価、レビューのおかげで、何とか書くことができています。
本当に、みなさま、ありがとうございました。
度々病んでしまい、本当にごめんなさい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます