第61話 女装男、悲恋の令嬢として、舞台の上を舞う



「皆さん、今宵は我がキャピュレット家の舞踏会によくぞいらしてくださいました! さぁさぁ、今夜は無礼講! 紳士諸君はご婦人方に声をかけて、パートナーを見つけて存分に踊ってくだされ! いざ、舞踏会のスタートです!」


 キャピュレット卿役のクラスメイトの女子生徒は、そう叫ぶと、両手を広げて舞踏会の開催を宣言した。


 その声を皮切りに、男役と女役に別れたエキストラのクラスメイトたちは互いに手を取り合い、社交ダンスを披露し始める。


 オレは―――ジュリエットは、そんな彼女たちを遠巻きで見つめながら‥‥一人、寂しそうに壁に背を付けていた。


「すいません、僕と踊って下さいませんか?」


 不機嫌そうに髪の毛をくるくると指先で弄んでいると、目の前にロミオが現れ、手を差し伸べてくる。


 オレはその手をジッと見つめた後、顔を上げ、静かに開口した。


「私を選ぶだなんて‥‥奇特な人ね」


「? どういう意味でしょうか?」


「いえ、何でもないです。良いわ、踊りましょう」


 ロミオとジュリエットは手を取り合う。


 そして、ロミオはジュリエットの腰に手を当てると、舞踏会は始まり‥‥2人は軽やかにステップを踏みながら、ワルツを踊り出した。


「‥‥」


「あの‥‥? そんなに見つめられて、どうかしましたか?」


「いえ。貴方は覚えていないかもしれませんが‥‥僕たちは以前、一度会ったことがあるのですよ。アディジェ川に掛かる、橋の上で。その時、崖下で水浴びしていた貴方の御姿は、今でも深く目に焼き付いております」


「フフッ、覚えているわ。確か、三日前に憂いたお顔で川を見詰めていたお方、ですわよね?」


「あぁ、覚えていてくれたのですか! 嬉しいなぁ! 僕は、あれからあなたのことばかりを考えて、追い掛けていたんです!」


「お世辞が上手いのね。舞踏会に参加しているということは‥‥あなたも貴族なのかしら?」


「僕は貴族ではありませんよ。もしかしたらあなたに会えるかと思って、キャピュレット家の門をひっそりと潜ったのです。あの時、水浴していた天使様に再び逢うために、ね」


「お世辞はほどほどにお願いしても良いかしら。私、すぐに真に受けてしまうから」


「けっしてお世辞なんかじゃありませんよ? 僕は、本気で――――」


 オレはその言葉を遮るようにして、彼の口元に人差し指を当てると、足を前へと踏み込み―――ロミオと至近距離で顔を見合わせた。


 その、台本に書かれていなかった突然のオレの行動に、ロミオもとい茜は、思わず目を見開き、動揺した様子を見せる。


「ちょ‥‥かえ――」


「私、そんな軽い言葉で惑わされるような安い女ではないわ。女性を抱きたいだけなら、他を当たってくれる?」


 目を細め、オレは妖しく微笑を浮かべ‥‥そう、ロミオを挑発する。


 そんなオレの姿に、茜は一瞬だけ素の微笑みを見せた後――再びロミオの仮面を被り直した。


「僕は本気です。今の言葉も、軽い気持ちで言ったわけではない。誤解されるのは甚だ不本意だ」


 そう言って、ロミオはオレの顎をくいっと持ち上げると、目を細めて、不敵に微笑む。


 今のこのやり取りは、舞踏会で繰り広げられる甘酸っぱいラブストーリーなどではなく、恋愛の主導権を賭けた殴り合いの戦いだ。


 本来、主人公ロミオヒロインジュリエットを導いていくのがこの物語のセオリーだが‥‥誰も、ヒロインジュリエットが主導権を握ってはダメだと、言ってはいない。


 男性にリードされ、受け身で物語を進行していくジュリエットのヒロイン像を、オレは今日、ここで破壊する。


 オレがこの舞台で見せるのは、主人公ロミオをも喰らう、魔性の女。


 見る者を惑わし、観客を深き森芸能界へと誘う、魅惑の悪女だ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


《柳沢 恭一郎 視点》


「お、おいおいおい‥‥いったい何なんだ、ありゃ‥‥」


 オレはあの二人の演技を見て、思わず火の点いていない煙草をポロリと、口元から落としてしまった。


 お互いに殴り合うような、暴力的な演技の応酬。


 見る者を不快にしかねないほどの、脚本を無視した、勝手な進行、勝手なキャラクター付け。


 街中でやるような大きな舞台であんな演技をしたなら、きっと、観客席からブーイングが起きてもおかしくない。アレは、客のことを完全無視した自分本位な演技。


 普通の舞台監督がこんな劇を見たら、即効中止して、その場で怒鳴り声を上げても良いレベルだ。


 だが――――。


「‥‥‥‥だが、不思議と、あいつらの演技には、観衆を魅了する何かがありやがる。まるで、命を削り合っているかのような‥‥これは、自身の吐いた血で生み出しているかのような、血肉でできた恐ろしい演劇だ」


 如月楓は、何とか平静を保っているように見えるが‥‥その顔には明らかに、疲労の影が見え隠れしていた。


 演技を進める度にその精度は上がって行くが、同時に、その顔色はどんどん悪くなっていく。


 まるで、必死に何かに抗い、海の中から空に向かって手を伸ばし続けているかのような―――そんな、決死の想いで舞台の上に立っているように、オレには感じられた。


 月代茜の方は、そんな彼女を挑発するように、導くようにして、演技を続けていく。


 月代茜は以前とは比べものにならないほど、演技力のレベルが数段上がっていた。


 最近窺えた、精神的成長が彼女をさらに上の段階へと引き上げたのか。


 表現力が、以前とは見違えるほど、各段に変化していた。


 だが――――如月楓はそんな月代の進化のさらに先へ行き、主人公を喰らうような、見たことのない妖艶なジュリエットを演じ、対抗していく。


 そのジュリエットを、月代は今まで培ってきた経験を糧に、技術力で叩き伏せて行く。


 天才型の如月、努力型の月代。


 追い越し、追い抜き合い、奴らは徒競走でもしているかのように、暴力的なロミオとジュリエットを競演していく。


 まるで観衆の目など気にしていないかのように、お互いだけを見つめ合いながら、奴らはリングの上で殴り合いでもしている様子で、奴らは演技の応酬を繰り広げていた。


「ク、クククッ‥‥。こいつは‥‥面白れぇな。オレが想像していたよりも百倍すげぇぜ、お前ら。二人で並ぶことで、お互いに影響し合い、成長していくとは‥‥まるでツガイの片翼の鳥だ」


 確かに、多少の才能があるガキどもだとは思っていたが‥‥まさか、ここまでのものとは思いもしなかった。


 あいつらは二人で並ぶことで、一気に、一流にも届きうるような力を発揮してみせている。


 もしかしたら、あの二人ならば、このオレに届きうるところまで迫ってくる可能性があるのかもしれないな。

 

 それほどまでの、力を、あいつらは今、この場で観衆に見せつけていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


(――――――楽しい。茜と演技するのは‥‥とても心が躍る。こんなに演技が楽しいと思えたのは初めてだ)


 オレと茜は、互いにアドリブの演技を交わしながら、ワルツを踊り、舞台の上を舞い踊っていく。


 彼女と演技の応酬を繰り返していくのは、とても楽しいひと時だった。


 この時が永遠に続けば良いのにと思えるほど‥‥この競演には胸が高鳴った。


 だが‥‥何事にも、終わりは必ずやって来る。


「ジュリエット!! いったい貴方は、誰と踊っているのですかっ!!」


 キャピュレット夫人役の宮内涼夏はそう叫ぶと、オレをロミオから遠ざけるようにして、二人の間に立つ。


「――――ああ汚らわしい! モンタギュー家の子息が、よりにもよってうちの娘と踊るだなんて! モンタギューのロミオ、いったいこれは何の真似ですか!? 忌まわしき悪魔の子め! 即刻、屋敷から立ち去りなさい!! ジュリエット、パリスさんはどうしたのです!! まったく、お父様がこの光景を見たら、どんな騒ぎになるやら‥‥!!」


「え‥‥モ、モンタギュー‥‥? か、彼が、我らキャピュレット家と敵対する御家の‥‥モンタギューのロミオなのですか?」


「そうです。このロミオこそ、モンタギューの息子‥‥憎き敵の血族の跡取りです!」


「そ、そんな‥‥」


「早くこちらに来なさい、ジュリエット! 貴方は、大富豪パリス伯爵の妻となる女なのですよ! 他の男に、その肌を触らせるなど言語道断です!」


 オレは、夫人役の宮内に連れられて、そのまま舞台袖へと移動する。


 その時、フラリと眩暈がし―――オレはそのまま前のめりに倒れ伏し、盛大に舞台の上で転倒してしまった。


 そんなオレの姿に、宮内涼夏は役を忘れて、心配そうな顔でオレの顔を覗き込んでくる。


「だ、大丈夫ですか!? お姉さ―――」


「申し訳ございません、お母様。先ほどの一件のショックが大きすぎて‥‥思わず転んでしまいましたわ」


「あっ‥‥そ、それは仕方ないことです。何と言っても、あのモンタギューの息子と踊ったのですから。体調が悪くなってもおかしくありませんよ」


 オレは自力で立ち上がり、そのまま宮内と共に舞台袖へと戻って行った。


『フゥ、マァ‥‥フゥマァァァァァァ!!!!!』


 背後にいる黒い影が、憎悪を込めて、オレの名前を叫んでくる。


 オレは痛む胸を強く押さえつけながら‥‥ギリッと、奥歯を噛みしめた。

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