第42話 女装男、狼女に過去を打ち明ける。


「オレが役者を辞めたきっかけ‥‥それは、母親が亡くなったからだ」


「え‥‥?」


 その言葉に、茜は目を丸くさせ、驚いた顔でこちらを見つめていた。


 オレはそんな彼女にニコリと微笑んだ後、静かに、口を開く。


「オレの母さんは、肺癌を患っていてな。ずっと長い間、狭い病室の中で闘病生活を余儀なくされていたんだ。そんな彼女が唯一楽しみにしていたのは、テレビに映る、父の姿だった」


「フーマのお父さん‥‥それって、柳沢 恭一郎のことよね?」


「あぁ、そうだ。‥‥母さんはいつも、親父の出るドラマをいつも楽しんで見ていた。でも、親父が他の女優とキスするシーンの時には、浮気野郎めーって、いつも叫んで暴れ回っていたっけな。ははっ‥‥とにかく、母さんは恭一郎のことを深く愛していたんだ。マザコンのオレが嫉妬するくらいにはな」


「げっ、あんた、マザコンだったの? ちょっと引くわー‥‥」


「うるせぇな。オレは何よりも母さんと妹が大好きなマザコンシスコン野郎だったんだよ。だから‥‥だからこそ、親父に対抗して、オレも役者の道を選ぶことにしたんだ。病室にいる母さんを、少しでも喜ばしたくてな」


「‥‥‥‥そう、だったんだ。お母さんを喜ばしたくて‥‥」


「あぁ。案の定、オレが子役として売れ始めたら、母さんは喜んでくれたよ。楽しみな番組が増えたって、頭を撫でてくれたのは今でもよく覚えている」


 オレは、ただ一人の人間を喜ばせたくて、役者となった。


 父が出演していたテレビドラマを笑顔で見ていた母さんは、まるで病気のことを忘れているような様子だったから‥‥だから子供ながらに、演技という力は病気を治せるんじゃないかって、本気でそう思ったものだ。


 でも‥‥‥‥演技で病気を治せるなんてそんな夢物語は、当然、現実には存在しなかった。


「母さんの死に際の姿は、今でも鮮明に思い出すことができる。よく、ドラマやアニメの中では、人が死ぬ瞬間はやすらかな描写がなされるものだが‥‥実際はそうじゃない。人が死ぬときは、苦しんで逝くものだ」


 そう言葉を放った後、オレは茜に、五年前の過去のことを話し始めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


『楓馬。私ね、もう長くないと思うの』


 余命数日と医者に診断された母は―――モルヒネを打たれ、病室のベッドの上で力なく横渡り、儚い笑顔をオレに見せてきた。


 そんな母の手を握り、幼いオレは震える唇をこじ開けて、何とか口を開く。


『‥‥母さん、僕、またオーディションに合格できたんだよ? 日本ではもう、僕の名前を知らない役者は殆どいないんだ。お金だっていっぱい稼いだ。賞状だって、トロフィーだって、たくさん受け取ってきた。全ては母さんを喜ばしたい一心で。だからっ―――だから、死なないでよ、母さん‥‥』


『‥‥楓馬、これからはお母さんだけじゃなくて、他の人を喜ばせられる役者になりなさい。貴方は、目に見えないたくさんの人たちを元気にさせられる力があるの。それって、とっても凄いことなのよ? たくさんの人たちが、画面の向こう側で、貴方の演技を楽しみに待っているの。だから、頑張りなさい』


『い、嫌、だよ‥‥母さん、これからも僕の演技を見ていてよ‥‥。一人になるのは、嫌だよぉ‥‥』


『まったく、何を言ってるのこの子は。貴方にはルリカやお父さん、そして、たくさんのファンの人たちがついているじゃない。どんな時でも、貴方はけっして一人なんかじゃないわ。たくさんの人が、貴方を待っていてくれている』


 母がもうじきいなくなってしまうということを考えると、孤独感に苛まされて、どうにかなってしまいそうだった。


 無償で自分を愛してくれる存在が、世界からいなくなってしまう。


 常に自分を支えてくれていた愛する人が、いなくなってしまう。


 そのことが、たまらなく辛くて仕方がなかった。


『――――楓馬。大丈夫よ。私が亡くなっても、それは、目に見えなくなるだけのことだから』


『え‥‥?』


 やせ細った腕で、殆ど力もなくなっているというのに‥‥母はギュッと、オレを安心させるために、優しく手を握りしめてきた。


 そして、ニコリと、いつものように柔和な微笑みを浮かべると、優しい声音で再度開口した。


『私が例え死んで、灰になったとしても。私がいるのはお墓やお仏壇の前じゃない。私はいつも、貴方の傍にいるのよ、楓馬。常に、貴方のことを見ている。だから‥‥だから、お父さんを超えるような、すごい役者さんになりなさい。貴方ならできるわ。ファン一号である私が保証する。私に貴方の輝かしい未来を見せて頂戴、楓馬』


『母さん‥‥母さん‥‥っ!』


『フフッ。でも、唯一の心残りは‥‥瑠理花の旦那さんとか、貴方のお嫁さんがどんな子なのかが見れなかったことかなぁ。あっ、楓馬、女性関係には十分に気を付けなさいよ? 芸能界っていうのはスキャンダルにうるさいんだから。綺麗な女優の子に現を抜かしていると―――――うっ』


『母さん?』


『うっ、くっ、あぁぁぁぁっ、ああぁぁぁぁぁぁ!!!! 痛い、痛い痛い痛い痛い!!!!!』


 モルヒネが切れたのか、母さんは、先ほどの穏やかな様子とは一変。


 ベッドの上で跳ね上がり、痛みに、悶え苦しみ始めた。


『やだ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!! 嫌だぁ!!!! ‥‥殺して、殺してぇぇぇぇ!!!!!』


『母さん!!!!!! だ、誰か、早く! 看護師さん、お医者さん、来てください!!!!!』


 痛みというのは、極限状態に陥ると、人の人格さえも変えるものだ。


 いつも、明るく前向きで、死にたいだなんて一言も言わない母が、殺してくれと死を懇願するその姿は‥‥子供のオレの目には衝撃的な光景に映っていた。


 モルヒネが切れると、そこに居るのは、まるで母じゃない別の何かのように見えてしまったからだ。


『母さん‥‥母さん‥‥っ!!』


 そして、この日の二日後。


 母はまともにオレと会話をすることもなく‥‥ただ呻き声を上げながら、この世を去って行ってしまった。





 ―――――1か月後。


 母の遺言通りに、オレは父を超える役者になるべく、よりいっそう稽古に時間を費やすようになっていった。


 だが‥‥オレの演技は、以前に比べて、精彩を欠いたものに変化してしまっていた。


『‥‥楓馬。てめぇ、何だ、その演技は』


『‥‥‥‥え?』


『今のお前の演技は、薄っぺらい、ただの表層をなぞっただけのおままごとだ。てめぇ、ふざけてんのか?』


 恭一郎に稽古を付けてもらっている時、父から、そんな言葉が飛んできた。


 オレは父に鋭い目を向けて、口を開く。


『ふ、ふざけてなんかいない! 僕は、真面目にやっている!』


『あ? だったらもう一度、今のところをやってみろ』


 台本を開き、演技に集中する。


 恭一郎に渡された台本は、原作が短編小説の、親子の愛を主題に描いた物語だった。


 ―――――母が息子に向ける、無償の愛情。


 それは、今のオレには耐え切れない、辛くて仕方がない内容の物語だった。


『‥‥‥‥オェッ』


 気が付いたら、オレは、床の上に吐しゃ物をまき散らしていた。


 警鐘を鳴らすように心臓は素早く鼓動を鳴らし、腕や足は震え、思うように立つことができない。


 眩暈がし、視界がグニャリと歪んでいるように見える。


 そんなふらつくオレに恭一郎は近寄り、腕を掴むと、静かに開口した。


『―――――やはり、か。前々からお前の演技が、何処か故意的に力を抑えているような気がしてならなかったが‥‥これでようやくはっきりしたな。お前、『愛情』というものがトラウマになっていやがるな?』


『‥‥え?』


『お前のマネージャーが、最近のお前の演技の質の低下をオレに相談してきてな。最初は、由紀が亡くなったショックで、心が不安定になっているのだと思っていたんだが‥‥事は、想像よりも悪い方向に進んでいた、か』


 そう言って頭を左右に振ると、恭一郎は眉間に皺を寄せ、再度、口を開いた。


『ここ一か月の間の、お前が出演した演劇やドラマを見させてもらった。その結果‥‥お前が、イップスのようなものに罹っていることが分かった』


『イップスって‥‥何?』


『主に、スポーツ選手や楽器演奏者がなりやすい心の疾患だ。集中しなければならない状況で、プレッシャーにより緊張を生じ、無意識に筋肉の硬化を起こし‥‥思い通りのパフォーマンスを発揮できなくなる症状を指し示す。まさに、今のお前の状況と同じだろう、楓馬よ』


『‥‥‥‥』


『お前の場合は、深く集中して演技に潜り、脚本の中に【愛情】が関係する演目の場合でのみ、その症状が現れるようだな。まったく、由紀だってお前にそんなふうになって欲しくはなかったはずだぜ。母ちゃんをあまり悲しませるんじゃねぇよ、楓馬』


『‥‥‥‥‥‥母さんが亡くなる瞬間に、いなかったくせに』


『あ?』


『父さんは、母さんの傍に最後までいなかっただろ!! 母さんがどれだけ苦しんでいたのか見ていなかっただろ!! それなのに、母さんの気持ちを代弁してんじゃねぇよ!! クソ親父!!』


 そう叫び声を上げると、父はふぅと大きくため息を吐く。


 そして、こちらを見下すような目で――――威圧的に、オレのことを見下ろしてきた。


『楓馬。お前は―――――役者としては欠陥品だ』


『何‥‥?』


『演技に私情を挟む奴はプロじゃねぇ。役者は、台本の中にある人物の心を完璧にトレースし、別の存在へと自分を昇華させ観客を騙す、舞台の上で踊り狂う詐欺師だ。だが、今のお前は柳沢 楓馬として演技をしている。別の誰かになれないお前は、三流以下だ』


『‥‥え?』


『お前はもう二度と、面舞台には立つな。お前みたいなやつが柳沢の性を名乗って、役者の世界に立っていたら、オレの名が穢れる』


『‥‥‥‥は? なに、言って‥‥んだよ‥‥? 父さん‥‥?』


『母親の死を乗り越えられなかったお前に、価値はない』


 その言葉を最後に、父、柳沢 恭一郎はオレに一切の興味を示さなくなっていった。


 完全に父に見限られたオレは、それでも何とか役者業を続けようとするが――――イップスを抱えているオレが、まともな演技ができるはずがなく。


 非情な現実に打ちのめされ、ボロボロになった後。


 オレは、役者を辞めることを、決意したんだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「‥‥‥‥と、まぁ、こんなくだらねぇ理由だよ。オレが役者を辞めた理由はな」


「‥‥‥‥」


 オレの過去の話に、茜は終始無言のまま、辛そうな顔で聞いてくれていた。


 こいつは、ツンケンとしている性格だが、何だかんだ言って優しい奴だ。


 だが、それと同時に‥‥こいつも恭一郎と同じ、プロの役者でもある。


「‥‥‥‥悪いけれど、フーマ。役者としては、あんたに同情はしてあげられないわ」


「あぁ。そうだろうな。分かっている」


「私たち役者は、別の人物を演じ、観客に偶像の世界を見せて、楽しませるのが仕事よ。素の自分を見せてしまっては、それは全ての舞台を台無しにすることに繋がる。イップスである貴方が、役者に戻れないことは当然のことよ」


「そうだな。その通りだ」


 役者としての柳沢 楓馬は、五年前に死んだ。もう、面舞台に上がってくることはない。


 これで、茜の奴も踏ん切りがついたんじゃねぇのかな。どんなに頑張っても、オレが役者の世界には戻れないということを、理解してくれただろう。


「‥‥茜。お前は、オレの行けなかった先まで走っていけ。お前ならできる。何たってお前は、過去のクソ生意気な役者時代のオレの‥‥唯一のライバルだったのだからな」


 役者としての柳沢 楓馬に別れを告げるように、彼女にそう言葉を告げる。


 すると、茜は何故か呆けた表情を浮かべて、開口した。


「は? 何言ってんの? 昔、約束したじゃない。芸能界の頂点の俳優になるのは、あんたとあたしだって。あたしたちは一緒に役者の世界の果ての頂に行くのよ、フーマ。何、諦めた空気出してんのよ!」


「え‥‥? い、いや、話、聞いてただろ? オレはもう、昔のように演技をすることは‥‥」


「だから何? だったら、そのイップス?とやらを治す方法をあたしと一緒に探していけば良いだけのことじゃない。簡単な話でしょ?」


「は‥‥?」


「ねぇ、フーマ。あたしと初めて出逢った時に、あんたにあたしが言った言葉、覚えてる?」


「な、何のことだ?」


「忘れたの? しょうがないわね。なら、もう一度、言っておくわ。―――――この先の未来で、役者の頂点に立つのは、あんたとあたしよ。あんたが日本アカデミー賞で主演男優賞、あたしが主演女優賞を取る。そしてその後も、お互いに競い、戦い続けて行くの。これからの芸能界を牽引していくのは、あたしたちよ、フーマ」


 子供の頃の乱暴な言い方とは違い‥‥成長した茜は、優しい声色で、そう、オレに宣言してきた。


 その時、ふいに、亡くなった母の言葉が脳裏によぎった。


『どんな時でも、貴方はけっして一人なんかじゃない。たくさんの人が、貴方を待っていてくれるわ』


 何故か、茜の優し気な微笑みに、その姿に‥‥オレは思わず、瞳を潤ませてしまっていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「それじゃあ、スニーカー借りていくけど‥‥本当に良いの?」


 玄関口でオレのスニーカーを履いた茜が、首を傾げながらそう声を掛けてきた。


 オレはそんな彼女に、コクリと頷きを返す。


「当たり前だろ。靴下姿のままで帰らせられるか。てか、それ、サイズ大丈夫か?」


「うん、びっくりするくらいにぴったり。それにしても、フーマってば‥‥背丈だけじゃなくて、足も小さいのね。まるで女の子みたいで笑っちゃうわ」


「あは‥‥あははは‥‥。割とけっこう、それ、今の状況だと、傷付くな‥‥」


 女装している身としては、変装していない状況で女っぽいと言われるのは、何だかメンタルにくるものがあるな‥‥。


 うなだれているオレに、茜は不思議そうな表情を浮かべた後、彼女はコホンと咳払いをし、真剣な表情をして口を開いた。


「ねぇ、楓馬。五月三十日って、予定、空いてる?」


「あ? そりゃ、その日はロミジュ――――いや、何も無いな。うん、予定は何もない」


「そう? それじゃあ‥‥その日、仙台市市民会館まで来てくれる? あたし、そこで、学校の行事で演劇することになっているのよ。しかも主役。だから‥‥その、劇、見に来てよ」


「あ、あぁ‥‥行けたら行くよ」


 オレも一緒に劇に出る、それも相方のジュリエット役で出演するなんて、口が裂けても言えないな‥‥。


「行けたら行く、じゃなくて、絶対に来て。あたしの今の演技を、貴方に全力でぶつけてあげるから。あんたがもう一度立ち上がれるように‥‥イップスなんて吹き飛ばしてみせるくらいの演技を、あたしが見せてあげる。あんたのライバルが、どれだけ凄い奴なのかを、フーマに教えてあげるわ!」


 そう言って目を細めてニコリと微笑むと、茜は手を上げる。


「じゃっ、今日はこれで。あたし、今日はすっごく嫌なことがいっぱいあったんだけど‥‥何だかふっきれたような気がするわ! 今ならいじめっ子たちにも、如月 楓にも、勝てそうな気がする。全部フーマのおかげね。そ、それじゃあ‥‥またねっ!」


 そう言って踵を返すと、茜は外に出て、勢いよくドアを閉めて去って行った。


 夜も遅いし、本当は送って行きたかったところだが‥‥あいつに、いつ、オレの正体がバレるかは分からないからな。


 極力、側には居ない方が得策、か。


「‥‥にしても、あの女、本気でオレを‥‥役者の世界に連れ戻したいんだな」


 昔は暴力的で高圧的で、オレに異常に固執する変な女としか見ていなかったが‥‥改めてあいつを見てみると、茜は、かっこいい奴だな。


 こんな、役者として価値が無くなり、父に捨てられたオレを必要とし、ずっと待っていてくれているだなんて‥‥。


 そんな頼もしい存在が前に立って、早く来いと、手招いてくれているんだ。


 それだけで、オレの心は何処か、軽くなったような気がするな‥‥。

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