第36話 女装男、窮地に陥る。


「‥‥は?」


「へ?」


 男子トイレの中で鉢合わせし、無言で見つめ合う、オレと恭一郎。


 辺りには何とも言えない、きまずい空気が漂っていった‥‥。


「‥‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥いや、ここ、男子トイレ、だよな‥‥?」


 そう言って、恭一郎は一度外に出て、壁に取り付けられている室名札を確認する。


 そして再びこちらに戻ってくると、後頭部を掻いて、どこか困ったような笑みを浮かべた。


「あー‥‥っと、如月、お前、何でこんなところにいるんだ‥‥?」


「そ、それは、そ、その‥‥」


「トイレ掃除‥‥な訳ねぇよな。まだ昼休みでもないし、そもそも職員用の男子トイレは女子生徒が掃除する範囲でもねぇし」


「‥‥ええと‥‥これは、ですね‥‥その‥‥」


 ど、どうすれば良いんだ‥‥? 


 まさか恭一郎が男子トイレに現れるだんて予想していなかったから、咄嗟に上手言い訳なんて思い浮かばねぇぞ‥‥!!


 困惑したまま引き攣った笑みを浮かべ、呆然とその場に立ち尽くしていると‥‥恭一郎の背後から香恋が現れ、助け船を出してくれた。


「申し訳ございません、先生。彼女、突然具合が悪くなったみたいで‥‥私がここまで連れてきたんです」


「如月の具合が悪くなった、か。花ノ宮、ひとつ問わせてもらうが、ならば何故‥‥女子トイレに如月を連れて行かなかった? 何故、わざわざ男子トイレを選択したんだ? 答えてみろ」


 その切り返しの鋭さに、オレは思わずゴクリと唾を飲み込み、緊張した面持ちを浮かべてしまう。


 そんなオレとは違い、香恋はにこりと微笑み―――余裕な様子で静かに口を開いた。


「先生。それを、私の口から発するのは‥‥些か躊躇があります」


「どういう意味だ?」


「察してはくださいませんか‥‥仕方ありませんね。‥‥如月さん、申し訳ないけれど、貴方の事情を柳沢先生に話してしまっても良いかしら?」


「は、はい‥‥?」


「ごめんなさいね。貴方のことを話さないと、先生、納得しないみたいだから」


 そう言ってやれやれと肩を竦めると、香恋は紅い眼を細め、恭一郎へと口を開く。


「彼女、生理なんです」


「は‥‥‥‥?」


「それも、すっごく重たい奴みたいで。彼女、人気ひとけの多い女子トイレで後始末をするのに、どうやら恥ずかしくなってしまったみたいなんです」


「そ、それで、男子トイレを利用した‥‥の、か‥‥?」


「はい。ほら、ここって女子高でしょう? 休み時間になると基本的に女子トイレって、女子生徒たちの井戸端会議の場所になんてしまうんですよ。ですから‥‥私が彼女に『人気の無い男子トイレで処理したらどう?』って、提案したんです」


「‥‥‥‥」


「先に男子トイレに誰もいないのを確認して、他の人がトイレに入らないように、私が見張り役としてドアの前で立っていることにしたんです。それなのに、先生、私を無視してトイレに入って行ってしまうんですもの。困りましたよ」


 そう口にして、香恋はジロリと恭一郎を睨みつける。


 恭一郎はというと、呆気に取られたようにポカンとした様子を見せた後、申し訳なさそうな顔をして、こちらに視線を向けてきた。


「そう‥‥だったのか。いや、すまない。デリカシーが足りていなかったな。謝罪しよう」


「い、いえ‥‥こ、こちらこそ、何の事情も説明せずに、男子トイレを使用してしまって、申し訳ございませんでした」


 ペコリと、恭一郎に向けて頭を下げる。


 すると、香恋がオレの元に近付いて来て‥‥手首を掴み、引っ張ってきた。


「ほら、行きましょう、如月さん。ここに居たら、柳沢先生もおちおちトイレができないでしょうからね」


「は、はい」


 オレは香恋と共に、男子トイレを後にする。


 肩越しにチラリと恭一郎の様子を伺ってみるが、奴はこちらに対して疑問を持っている様子はなく。


 ただただ、申し訳なさそうに眉を八の字にしていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 職員用の男子トイレから離れ、人気の少ない校舎裏へと辿り着いた香恋は、オレから手を離し――ふぅと、大きくため息を吐いた。


「今のは危なかったわね、柳沢くん。流石の私も肝が冷えたわ」


「いや、さっきのはマジで助かった。オレじゃあ、あんな言い訳の仕方、絶対にできなかっただろうからな」


「まぁ‥‥さっきの言い訳も、よくよく考えたら結構矛盾があるものなのだけれどね。でも、男性である柳沢先生には、女性のことなど分かるわけもないでしょうから。多分、大丈夫でしょう」


「矛盾?」


「ええ。男子トイレには基本的に、サニタリーボックスは無いの。汚れたものを捨てる場所がないのよ」


「サニタリーボックス‥‥? って、何だ?」


「‥‥‥‥まぁ、貴方もそんななりしていて男子だものね。知らなくても当然、か」


 そう言って、大きく息を吐いた後。


 香恋はオレへと視線を向け、再び口を開く。


「とにかく、午後の授業は正体がバレないようによりいっそう気を付けなさい。学科の違う私が、常に貴方の近くに居ることはできないし、いつ何時、さっきのような窮地に陥るのかは分からないのだからね。常時、女性の仮面を被り、男性である素を見せないようにしなさい。良いわね?」


「あ、あぁ、その点に関してはいっそう気を付けて行きたいとは思っている。だが、香恋‥‥その、だな‥‥」


「何?」


「あの、オレ、これから学校でトイレに行きたくなった時‥‥いったいどうすれば良いんだろう? トイレの度に、お前と同伴して職員用の男子トイレに行かなければならないのかな‥‥?」


「‥‥‥‥」


「‥‥‥‥」


 香恋と無言で見つめ合っていると、ゴーンゴーンと、授業の始まりを告げる鐘の音が鳴り響いて来た。

 

 その音に香恋は眉間に手を当てて頭を振ると、背中を見せ、ぽそりと小さく声を放つ。


「‥‥‥‥はぁ。そうね。その課題についてはこれから考えていかなければならないわね。とりあえず、今は授業に向かいましょう、柳沢くん。トイレのことは後回しにしましょう」


「そう‥‥だな」


 互いに何処か沈痛な雰囲気を漂わせながら‥‥オレたちは四限目の授業を受けるために、急いで教室へと向かって歩いて行った。

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