第19話 女装男とツインテールの狼女
昼休みが終わり、5限目。
5~7限目は学科ごとの特別授業となり、女優科コースは全員、別棟にある練習室への移動となっていた。
事前に配られていた演技指導の基礎が載っている教科書を手に持ち、オレと穂乃果は雑談しながら廊下をまっすぐと進んで行く。
そんな時、前を歩いているクラスメイトたちの会話が耳に入ってきた。
「え、その話、本当なの!?」
「本当本当!! 声優科にいる私の友達が昼休みに、職員室の前で柳沢 恭一郎を見たんだって!!」
「あの天下の名俳優が、何でこの学校に!? 今、ヨーロッパを中心に活動してるんじゃなかったっけ!?」
ザワザワと、女子生徒たちは楽し気に噂話を続けていく。
‥‥‥‥もう既に、あの男がこの学校に来ていることは生徒の間に広まっているのか。
まったく、面倒なことこの上ない話だな。
あのクソ親父が女優科の講師になるなんて、本当に想定外の出来事だ。
香恋の兄貴め。後継者争いだか何だか知らねーが、とてつもなくウゼェことをしてきやがる。
会話もしたことのない人間を、ここまで嫌いになるだなんて、初めてのことだぜ‥‥。
「? お姉さま、どうかなされましたか? 何だか、苦虫を嚙み潰したような顔をされていましたが‥‥」
「あ、いえ、何でもありませんよ、穂乃果さん。初めての女優科の授業に、少々、緊張していただけです」
「お姉さまでも緊張されることがあるのですか? 私、お姉さまはいつ何時も冷静で、かっこいい御方だと思っていたですよ~」
「持ち上げすぎですよ、穂乃果さん。私だってフツーの人間です。怖いものはたくさんあります」
今は、親父とか、親父とか、親父とかな。
「そうなのですか? でも、でもでも、今朝、私を庇ってあの男の人と戦ったお姉さまは‥‥どんな窮地でも物ともしない、強者然としたオーラが漂っていましたですぅ~!!!!」
そう言って立ち止り、祈るようにして手を組むと、穂乃果は潤んだ瞳でオレを見上げてくる。
そんな彼女に困惑し、引き攣った笑みを浮かべていると、背後から苛立った声を掛けられた。
「ちょっと、邪魔よ。急に立ち止まらないで」
「あぅ、ご、ごめんなさい、ですぅ‥‥」
背後に視線を向けると、そこには紅い髪のツインテールの少女――月代 茜が腰に手を当てて立っていた。
茜はふぅと大きくため息を吐くと、ギロリと、穂乃果に対して鋭い瞳を向ける。
「あんた。さっきから話を聞いていたけれど‥‥随分とその金髪のハーフ女にご執心みたいね?」
「金髪のハーフ女‥‥? お、お姉さまのこと、ですかぁ‥‥?」
「お姉さま、ね。フンッ、笑わせてくれるわ。あんた、この学校の女優科に入ったってことは、曲がりなりにも女優を目指してここにいるのでしょう? それなのに、同じ女優科のライバルであるその子に媚びへつらっちゃって‥‥プライドはないの?」
「こ、媚びているわけでは‥‥私はただ、お姉さまに憧れを抱いていて‥‥」
「憧れというのは、アマチュアだけが持つ感情よ。本気でスターになろうとしている人間には、憧憬の念はただの足枷でしかない。どんなに凄腕の役者だろうが、その身に牙を立てて食らいついていく。そんな気概を持つ狼だけしか、芸能界は生き残れない世界なの。あんたのような弱者では、絶対に、生き残れはしないわ」
その言葉に穂乃果はビクリと肩を震わせ、瞳の端に涙を貯め始める。
オレはそんな彼女の前に立ち、茜と対峙した。
すると茜はフンと鼻を鳴らし、ニヤリと、不敵な笑みを浮かべる。
「何? 何か文句でもあるの? もしかして、子分が泣かされて怒っちゃった?」
「憧れはただの足枷である‥‥ですか。私は、そうは思いませんが。誰かに近付きたい、あの人のようになりたい――などという憧れの感情は、別の何者かを演じる役者にとって不可欠なものかと思います」
「へぇ‥‥? ただの素人の癖に、このあたしによくもまぁ偉そうに意見してくるじゃない?」
そう言って茜は、キスでもしようかという距離で、オレの目をジッと睨みつけてくる。
‥‥あの、近いです。
こんなんでもオレ、男の子なので、ちょっとドキドキしてしまいます、はい‥‥。
「‥‥‥‥‥‥へぇ、面白い。あんた、本当にこの世全ての何者も怖くない、って目をしているわね。このあたしを前にしても、一切の感情を抱いていない‥‥まるで道端の石ころでも見ているような目だわ。ムカツクわね」
「いや、その、私、基本的には無表情でジト目なだけですので! 感情もちゃんとあります! 今、めちゃくちゃ怖いです。ドキドキもしちゃってます!」
「は? ドキドキ?」
「ええ。これだけ綺麗な女の子に顔を近付けられたら、ド、ドキドキもするものです」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥はぁ?」
オレのその言葉に心底呆れたような顔で首を傾げると、オレから離れて、茜はふぅと短く息を吐き一言呟く。
「‥‥‥‥何処かあいつに似た気配があるかと思ったけれど、どうやら勘違いね。ただの馬鹿ね、この子」
そう静かに言葉を残すと、茜はもうこちらに興味を無くしたのか。
振り返ることもせずに、そのまま廊下の奥へと去って行くのであった。
「憧れは足枷、か‥‥」
その言葉は、幼い頃、オレが茜に言った言葉だった。
楽屋にやってきた子役の茜が、オレに「貴方のようになりたい」と言ってきた際に、大人げも無くあいつに対して言ってしまった言葉が、それだった。
それ以来、あの女はオレにライバル宣言をし―――オレが出るオーディションに必ず参加し、頻繁に勝負を仕掛けてくるようになり、『柳沢 楓馬』に異常な執着心を見せるようになったのだ。
何故、アイツがそこまでオレに執着を見せているのかは分からない。
子役の頃のクソ生意気なガキだったオレに相当頭にきていたのか、将又、オーディションでオレに連敗するうちに負けず嫌いが発動してしまったのか。
いずれにしても、今現在でも、もう芸能界にすらいない幻想の『柳沢 楓馬』に執着しているアイツの心情を、一般人に戻ったオレが理解することは難しい、か‥‥。
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