第20話 女装男、初めての女優科の授業を受ける。



「皆さん、初めまして。これから女優科コースの指導を担当することになった、講師の我妻 雄二あがつま ゆうじです。元、舞台俳優兼脚本・演出家です。よろしくお願いします」


 そう言って、我妻 雄二と名乗った男は、練習室に集まった総勢30名の女優科クラスの生徒たちに軽く頭を下げる。


 そして顔を上げると、クマの深い目を閉じ、彼はふぅと短くため息を溢した。


「‥‥‥‥本来であれば、基本的に僕が、君たちの演技指導をすることになっていたのだけれど‥‥ちょっと今日、アクシデントがあってね。もう一人、新しい講師が来ることになったんだ」


 彼はチラリと、後方にある控室の方へと視線を向ける。


 すると控室の扉が豪快に開け放たれ、そこから一人の男が姿を現した。


「よぉ! 将来有望な若き女優の卵の諸君! オレ様は柳沢 恭一郎! 今日から非常勤でテメェらの演技を見ることになったナイスガイだ! いっちょよろしく頼むぜ! ひっく!」


 缶ビール片手に登場した恭一郎に、我妻先生は疲れたように眉間に手を当て、口を開く。


「恭一郎‥‥まさかお前、酒を飲んでいるのか‥‥?」


「おうよ! こんな時じゃなきゃ酒なんて飲めねぇからな! 実質休暇みてぇなもんだぜ!」


「講師の仕事を休暇呼ばわり、か‥‥。相変わらずだな、お前のそのめちゃくちゃさは」


 名俳優である柳沢 恭一郎の登場に、周囲の女子生徒たちはキャーッと黄色い声を上げ始める。


 そんな光景を一瞥した後、我妻先生はこちらに向き直り、静かに口を開いた。


「‥‥ということで、君たちの演技指導を、彼―――柳沢 恭一郎も担当することになった。とは言っても彼は非常勤だから、いつも稽古の現場にいるとは限らないのだけれどね」


「よろしく頼むぜ、ガキども。あぁ、一応言っておくが、オレは伸びしろの無い奴の指導をする気はさらさらねぇ。時間の無駄だからな。オレが見るのは、才能のある人間だけだ。凡愚はとっとと役者の夢を諦めて他の科に移ることを推奨する。以上」


 その発言に、女優科の生徒たちはゴクリと大きく唾を飲み込む。

 

 オレは最後列で体育座りをしながら、久々に見る父親の顔を、無表情で見つめていた。


 (才能のない人間に指導をする気はさらさらない、か)


 幼い頃、オレと一緒に、ルリカも役者を目指していた時期があった。


 父に演技指導を受けていたルリカは、不器用ながらも何とか懸命に、演技の稽古を続けていた。


 だが、ルリカに役者の才能が無いことを悟ると、父は妹の指導を早々に切り上げた。


 そして父は、妹に、こう言葉を掛けたのだ。


 ―――――ルリカ。お前は役者を目指すのはやめて、他のことをした方が良い、と。


 そう言われたルリカは、泣きじゃくり、二度と演技の稽古をしなくなっていった。


 あの男は、徹底した才能至上主義だった。


 だから柳沢 恭一郎は、オレによく、こう教えを説いていたのを今でもよく覚えている。


 『芸術とは、天才にだけが許された道である』


 『芸術の道は、才能がある人間だけが勝ち上がり、凡人は辛酸を舐め続けることしかできはしない』


 『努力は簡単に人を裏切る。努力は裏切らないと言っているのは、単に、その人間が才能のある人種だったからだ』


 奴は、努力は裏切らないという言葉を心底嫌っていた。


 本気で夢を目指す人間にとって、努力することは当たり前。


 問題は、努力をした結果、成功を掴めるかどうか、だと。


 勝者だけが、成功者だけが、この社会では発言が許される。


 敗者がヒーローインタビューされることなど、ありはしない。


 テレビの画面に映るのは、どいつもこいつも勝者しかないのだ‥‥と。


 だから、ルリカだけじゃなく、奴にとってオレは――――――――――。


「……凡人のレッテルを張られたオレは、奴にとって敗者そのもの、なのだろうな」


 楓馬。今のお前には才能がない。今のお前の演技はただの表面をなぞっただけの紛い物だ。


 見ていてまったく、美しくない。


 母の死を乗り越えられなかったお前に、価値はない‥‥。


 過去、あの男に言われた言葉が脳内で反響し始める。


 その瞬間、胸がズキズキと痛みだした。


「お姉さま? どうかなされましたか? 苦しそうに胸を押さえてらっしゃいますが‥‥痛いのですか?」


 隣から、不思議そうな顔をして、穂乃果がそう声を掛けてくる。


 オレはそんな彼女にニコリと、平静を装って微笑みを返した。


「いいえ、何でもありません。大丈夫です」


「そうなのですか? でも、何だか、汗、すごいですよ~?」


 そう口にして穂乃果はポケットからハンカチを取り出すと、オレの額にポンポンと当て、汗を拭ってくれた。


 オレはそんな彼女に、眉を八の字にして、謝罪を返す。


「ありがとうございます、穂乃果さん。すいません、ハンカチを汚してしまって‥‥」


「全然平気ですよぉう! それに、お姉さまの汗が染み込んだハンカチなんて、宝物みたいなものですからぁっ!」


「へ、た、宝、物‥‥?」


「え、わ、私、何言ってるんだろ‥‥な、なんでもないですぅ!! え、えへへっ!!」


 恥ずかしそうに頬を掻くと穂乃果は前を向き、柳沢 恭一郎へと視線を向ける。


「‥‥それにしても、すごいですよね、お姉さま。まさか、あの有名な俳優の柳沢 恭一郎さんに演技指導をしてもらえるだなんて‥‥。で、でも、私、その、ちょっと怖いことがありまして‥‥」


「怖いこと? ‥‥あぁ、男性恐怖症のことですか?」


「は、はいです。これくらい離れていればまだ大丈夫なのですが‥‥男の人が至近距離に来ると、ちょっと、まだ怖くて‥‥」


「後で、私が先生に申告しておきましょうか? 生憎、一年の女優科コースの講師はどちらも男性の方のようですし‥‥」


「あぅぅ‥‥何から何まで申し訳ございません、お姉さまぁ‥‥。私、お姉さまがいなかったら、この学校での生活もろくに送れていませんでしたですね‥‥本当に、ダメダメな子ですぅ‥‥」

 

「いいえ。そんなことはありませんよ。私も何かあったら穂乃果さんに頼らせてもらいますし。お互い様です」


 そう言ってウィンクすると、穂乃果は頬を上気させ、オレの顔を潤んだ瞳を見つめてくる。


 な、何か今朝の騒動の一件から、穂乃果がオレを見てくる瞳に、尊敬とは別の感情が宿っているように思うのは‥‥気のせいかな?


 まるで、獲物を狙う、肉食動物のような―――こちらが思わず身構えてしまうような、そんな瞳の色が宿っているように感じてしまう。


 そのキラリと光る眼光には、ちょっと、流石の女装変態男も恐怖を感じるものがあります、はい‥‥。


「‥‥‥‥お姉さま、私‥‥私‥‥」


「さ、さて、授業に集中致しましょうか、穂乃果さん! ね?」


 佇まいを正し、オレは再び講師たちへと視線を向けた。


 すると柳沢 恭一郎が、一枚の紙を取り出し、何やら生徒たちに大きく声を張り上げている姿が見て取れた。


 その紙には、『市民会館特別イベント、春の演劇祭り』の文字が書かれていた。


「―――――――というわけで、お前たちにはさっそく、この市民館で行われるイベントの劇に出て貰おうと思う。開催日は5月28日。来客に来るのは地域のジジババたちだろうが、絶対に手は抜くな。全力でことに望め。良いな?」


 そう言い放つと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、奴は再度、口を開く。


「では、これから、その劇で使う脚本を雄二に配ってもらうとしよう。脚本を無事に貰い受けたら、各々で自由に二人一組のペアを作り、主役とヒロインの演技の練習を開始しろ。期限は今日の七限目まで。その短い時間で、より良い演技ができた生徒を、主役とヒロインに抜擢する。以上、各自決死の思いで稽古に励め」


 そう、捲し立てるように早口で言うと、恭一郎は缶ビール片手に控室へと去って行くのであった。


 その突然の展開に、誰もついていくことができず。


 女優科コースの生徒たちは、皆、呆然とした様子でその場に固まったままなのであった。

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