第17話 女装男、お嬢様の思惑を知る。


 瞬く間に時間は過ぎていき――――ようやく迎えた昼休み。


 ゴーンゴーンと鐘の音が鳴り響き、クラスメイトたちは疲れた様子で大きく手を伸ばす。


 そして皆、各々仲の良い生徒と共にお弁当を広げたり、食堂へと向かったりと、行動を移していった。


 そんな光景をボーッと眺めていると、前の席から穂乃果が無邪気な笑みを浮かべて声を掛けてくる。


「お姉さま! 今日も一緒に昼食を摂りませんか!? 陽菜ちゃんと花子ちゃんも食堂で待っていると言っていたですよぉ!!」


「あっ、申し訳ございません、穂乃果さん。今日はこの後、先約がありまして‥‥」


「先約、ですか?」


「はい。本当は皆さまと昼食を摂りに行きたいのですが‥‥止むに止む得ない複雑な事情が――――」


「‥‥如月 楓」


 突如、感情のこもっていない、抑揚のない声色で名前を呼ばれる。


 声がした方向に視線を向けると、教室の入り口に、黒髪セミロングヘアの少女が立っていた。


 メイド服と合わせてよく着用される、白いフリル素材のヘッドドレス―――ホワイトブリムを頭に付けたその無表情の少女は、オレの顔をジッと見つめると、静かに口を開く。


「‥‥お嬢様がお待ちです。ついてきてください」


 そう言葉を発すると、少女はスタスタと廊下を進んで消えて行く。


 オレは慌てて教室を出て、その少女の後をついて行った。


「ま、待ってください!」


 まっすぐと、キビキビとした動きで廊下を歩いて行く、メイドのような恰好をした女子生徒。


 置いて行かれないようにそんな彼女の背後をついていくが‥‥少女はこちらに対して一言も開口することはなかった。


 オレは恐る恐るといった様子で、そんな彼女の背中に声を掛けてみることにする。


「あの‥‥昨日、お昼の時間に香恋お嬢様の背後にいたメイドの方、ですよね?」


「‥‥‥‥」


「お、お名前を窺っても、よろしいですか‥‥?」


「ナンパですか?」


「‥‥‥‥はい?」


「私は、貴方の中身が性欲に飢えたケダモノだということを知っています。ですから、貴方の魂胆は見え見えですよ。大人しそうな幼気な少女である私を懐柔し、その身体を貪ろうとしているのでしょう? まったく、これだから性欲だけで生きているおと‥‥生物というのは。困ったものです」


「‥‥‥‥‥‥ええと、あの、そんな気は一切ないのですが‥‥」


「玲奈です」


「はい?」


「私の名前は秋葉 玲奈あきば れなです。花ノ宮家の香恋お嬢様に仕える、メイドです」


 そう一方的に名前を名乗ると、玲奈と名乗ったメイドの少女はそのまま静かに歩いて行った。


 ‥‥この少女とは昨日顔を見合わせたばかりの、ほぼ初対面のはず、だよな?


 それなのに、どうしてオレに対してあんなに怒ったような態度で話してきたのだろうか。


 オレは首を傾げつつ、メイドの少女の後を大人しくついていった――――。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「柳沢くん。来たわね」


 屋上に辿り着くと、そこにはレジャーシートを引いて優雅にサンドウィッチを食べている香恋の姿があった。


 香恋はオレの姿を見つめると、ニコリと微笑みを浮かべ、「どうぞ?」と向かい側に座るように促してくる。


 オレはその言葉に従い、彼女の正面に正座で腰かけた。


「さて。私が貴方を呼び出したのは、ある件についてよ。今からそれについて話をさせてもらおうと思うわ」


「‥‥‥‥今朝の騒動の件、だよな?」


「え? 今朝の件? あぁ‥‥もしかして、貴方が痴漢男を成敗したこと?」


「あれ? もしかして違う? てっきり、男バレするリスクを冒してしまったことへの、お叱りの言葉があるのかと思ったのだが‥‥」


「別に、アレに関しては問題はないんじゃないかしら。周囲の状況を推察してみても、貴方を男だと疑っている人は少ないわ。むしろ、これを機に人気者になって良かったじゃない? これで、花ノ宮女学院の『華』に一歩近付けたのではないのかしら」


 そう言ってカラカラと笑みを浮かべると、香恋はサンドウィッチの最期の一切れを口に入れて、ナプキンで口元を拭き始める。


 そしてふぅと短く息を溢すと、疲れたような表情を浮かべた。


「貴方に話したいのは別件の話よ。昨日、花ノ宮家の本邸で親族一同を集めた晩餐会があるって話をしたわよね?」


「あぁ、確かに、そんなことを言っていたっけな」


「花ノ宮家の事情に疎い貴方は知らないでしょうけれど‥‥今、花ノ宮家では後継者争いが起こっているのよ。長男の娘である私を筆頭に、兄弟、従妹同士で、お爺様の跡目を継ぐために競い合っているの」


「へぇ~、そりゃまぁ、何とも大変な話だな。ん? てか、後継者って、長男である香恋の父親とかがなるんじゃないのか? 何で、孫世代で跡目争い?」


「それが‥‥若者の方が長くグループを経営できるから、と、お爺様のそんな意向があってね。だから、花ノ宮傘下の会社を孫世代全員に任せて、お爺様はその経営の手腕を見て、跡目に誰が相応しいかを審査しているってわけなの」


「会、社‥‥? ちょっと待て。香恋ってオレと同い年の15,6歳、だよな? なのに会社経営してるの? マジで?」


「あら、言っていなかったかしら。私、これでも二つほどの会社を経営している社長なのよ。それに加えて、お爺様から託されたこの学校―――花ノ宮女学院の理事も担当しているの。もっとも、理事長の座には明確に名前を残しているわけではなくて、影から運営している感じ、なのだけれどね」


「は、はぇ~‥‥。何かスケールがでかすぎてわけがわからねぇ話だな‥‥」


「何だか他人事みたいに言うけれど、一応、この件に関しては貴方ももう既に足を踏み込んでいるのよ?」


「は? 何で? オレ、花ノ宮家の後継者どころか忌子なんて呼ばれているんですけど?」


「私、この学校の運営をお爺様託された、と、そう言ったわよね? この学校の利益が大きければ、私の経営の手腕が良いと、お爺様に認められる‥‥そう、これは謂わば後継者の審査。フフッ、もう、分かったのではなくて? 貴方が何故、この学校に入学させられたのかを、ね」


「‥‥‥‥‥‥あー、なるほど、な。香恋お嬢様の実績を作るべく、オレは女装してこの女子高に放り込まれた、と。なんだよ、花ノ宮本家からの命令とかじゃなくて、これ、お前が主体でオレに命じていたことなのかよ」


「正解、拍手ー、パチパチパチパチー」


 そう言って目を伏せて数回拍手をすると、香恋は口元に手を当て、不敵に微笑みを浮かべる。


「貴方がこの学校に入学していることを知っているのは、花ノ宮家でも、私と、私の陣営に付いている愛莉叔母様と、私に忠誠を誓っているこの子――――メイドである玲奈しかいない。だから、忌子である柳沢 楓馬が、女装して女子高に通っているだなんてこと、花ノ宮家でも殆どの人が知らないの」


「‥‥‥‥はぁ。んだよ、あの叔母さんが本家がどうたらこうたら言うから、てっきり本家のお偉いさんからのお達しなのかと思っていたんだが‥‥そうじゃなかったんだな‥‥」


 そう言って大きくため息を吐くと、香恋は笑みを消し、突如真面目な様相で声を掛けてくる。


「ここからが本題なのだけれど‥‥。私と跡目争いをしている他の兄弟たちの動きが、最近、何だか怪しいのよね。近頃、妙に花ノ宮女学院のことを気にかけ始めていて‥‥少し気がかりなのよ」


「それって、お前の兄弟がこの学校に対して何か仕掛けてこようとしている‥‥とか、そういうことを言いたいのか?」


「ええ。そうよ。今、後継者争いは、純粋な経営力を試す場ではなくなっているの。お互いが運営する会社に間者を潜ませて、裏から攻撃をする‥‥醜い足の引っ張り合いになっているのよ」


 そう言ってふぅと短く息を溢すと、香恋はティーカップを手に取り、紅茶の水面を静かに眺めた。


「柳沢くん、貴方は以前命令した通りに、この学園でトップの女優を目指して励みなさい。でも、絶対に男だとバレないように心がけて。今日のようなことはまだ大丈夫な部類だとは思うけれど――決定的なボロが出ないように、常に気を配りなさい。この学校に他の後継者派閥の陣営から派遣された密偵がいても、おかしくないのだからね。彼らにこのことがバレたら‥‥私は間違いなく、経営者として問題を指摘されることになるわ」


「なるほど、な。分かったよ、香恋。しかし‥‥実績を出すために、随分と無茶をしたものだな。お前、そこまでしてこの学校にオレを入学させる意味なんてあったのか?」


「それは‥‥‥‥私が―――――――」


 その時だった。


 屋上の扉が開け放たれ、シスター服の女教師が姿を現す。


 その女教師―――――オレのクラスの担任教師である蘆屋 万梨阿は、膝に手を当ててゼェゼェと息を吐き出すと、慌てた様子でオレたちに対して口を開いた。


「た、大変です、香恋さん! 実は、今、職員室に―――――」


 その言葉と、後に続けられた言葉に、オレと香恋は思わず、無言で互いに顔を見合わせてしまっていた。

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