第8話 女装男、お姉さまになる。
交番で事情聴取を終えたオレたちは、二人でバスに乗り、花ノ宮女学院へと向かっていた。
窓際の席に座りボーッと外の風景を眺めていると、隣に座っていた穂乃果が頭を深く下げて、オレへと謝罪してくる。
「ほ、本当に、何から何までありがとうございましたっ! 外国人のお姉さん!」
そう言って顔を上げると、彼女は瞳を潤ませて笑みを浮かべていた。
オレはそんな彼女にニコリと微笑みを返し、優しく声を掛ける。
「お気になさらないでください。それに、私が助けたというよりも、私の友人が犯人を捕まえたようなものですから。自分は何もしていませんよ」
「いえいえいえいえっ! お姉さんがいなかったら、きっと私、何もできずにいたと思いますから‥‥全部、お姉さんのおかげですよぉう!! 本当、何とお礼を言えば良いのか分かりません~っ!!」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。私が好きでやったことですし‥‥何より、私もあのような卑劣漢が許せなかったですから。ですから、ね? 頭をお上げになってください、穂乃果さん」
あの痴漢男は交番に着くと、一貫して容疑を否認していたが‥‥オレが盗撮動画の件を警察に告げると一気に弱気な態度へと変わり、何も言うことができなくなっていった。
その後、証拠があり、尚且つ第三者の目撃者もいたことから、警察は痴漢男を有罪と断定し――無事、奴はお縄になることとなった。
いやー、ちゃんと変態が処罰されて何よりだな。
もしもオレの可愛い妹があんなクズ野郎に痴漢されたらと考えると、ブチギレすぎて怒髪衝天、腸が煮えくり返りそうになるしな。
我が
「? 急に頭を抱えて、どうしたんです?」
「‥‥い、いえ、何でもないです。大丈夫です」
ごまかすようにコホンと咳払いすると、お団子少女穂乃果は緊張した面持ちでオレに声を掛けてきた。
「あ、あの、すいません、お姉さんのお名前を、聞かせてもらってもよろしいでしょうかっ!」
「え? あ、あぁ、そうでしたね。私、まだ名前を言っていませんでしたね。私は――――
数日前に香恋と共に作った偽名を名乗ると、穂乃果は祈るように手を組んでキラキラとした瞳を見せてきた。
「如月 楓さま‥‥見た目通り、すっごく綺麗な名前ですねっ! それに女優科‥‥はわぁ~、とってもかっこいいですぅ~! あ、あのあの、楓さまのこと、お姉さまって呼んでもよろしいでしょうかぁ!?」
「え゛? お姉、さま‥‥?」
「花ノ宮女学院には、最も尊敬する先輩を、お姉さまって呼ぶ伝統があるそうなんですぅ。ですから、そう呼んでもよろしいでしょうか、楓さま!」
「ちょ、あの、私、穂乃果さんとは同級生ですし、なんだかそういう風に呼ばれるのはむず痒いと申しますか‥‥」
「だめ、ですかぁ?」
瞳をうるうると潤ませ、不安げに眉を八の字にする穂乃果。
オレはそんな彼女に対して、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。
「‥‥‥‥ええと、その‥‥」
「私、この先どんな素敵な先輩に出逢っても、きっと楓さま以上に『お姉さま』と呼びたいと思う人はいないと思うんですぅ~。先ほど私を痴漢から助けてくださった時、電流が走ったかのようにビビッと胸が打たれたんですぅ~、これは運命だなって、そう思ったんですよぉう~」
「‥‥で、でも、私、お姉さまって器じゃありませんし‥‥」
「お願いしますぅ! 一生のお願いですぅ~、楓さまぁ~」
「‥‥‥‥‥‥えっと、その‥‥じゃあ、はい、分かり、ました‥‥」
「本当ですか!? やった! ありがとうございます、
喋る度に徐々に顔を近づけさせてくる彼女のものすごい押しに屈し、オレは思わず、コクリと頷いてしまっていた。
いや、オレ、お兄ちゃんだけどお姉さまではないよ? どこにでもいるただの童貞男ですよ?
そんなオレの困惑を他所に、穂乃果は顔を引っ込め、嬉しそうにはにかむ。
「楓さまが私のお姉さまになってくれて、とっても嬉しいです~! さっき私を助けてくださった時なんて、ホント、王子様みたいでしたもん~。写メ取って待ち受けにしたいくらい‥‥楓さま、本当に綺麗でかっこよすぎるんですよぉ~」
中身はれっきとした男なので、綺麗と言われるのは何とも複雑な心境だが‥‥今はちゃんと女性として見られていることに、喜ぶべきところなのだろうか。
どう反応して良いか分からず苦笑いを浮かべていると、穂乃果は再び口を開く。
「あっ、そうそう、私も今年度から同じ女優科に通う者なんですよ~! 不束者ですが、これからどうぞよろしくお願いしますね、お姉さまっ!」
「女優科‥‥なんですか? 穂乃果さんって確か、グラビアアイドルの方、ですよね? アイドル科では無いのですか?」
「あっ、私がグラビアアイドルやっていたこと知っていたんですね~。そうですね‥‥私、グラビアをやっていましたが、実は、子供の頃からの一番の夢は役者でして。ですから、その、夢を諦めきれずにこの学校に来たんですよ~。実家からも近かったですし~!」
そう言ってあはははと笑い、照れたように頬を掻く穂乃果。
そんな彼女に、オレはニコリと微笑む。
「そうだったんですね。では、これから同じ女優科の生徒として‥‥よろしくお願いしますね、穂乃果さん」
「はいですっ! ‥‥あの、お姉さま、さっきから気になっていたことをひとつ、お聞きしてもよろしいですか?」
「? 何でしょうか?」
「出会った時から気になっていたんですけど、お姉さまって、ハーフ? なんですか? 名前も日本人っぽいですし、流暢な日本語を喋っていらっしゃいますし‥‥」
「そうですね。この見た目ですからよく勘違いされますが、私は日本人です。父方の祖母がアイルランド人で、クォーターなんですよ」
「はぇ~、そうなんですねぇ~」
そう彼女が納得気に頷いていた、その時。
バスが停車し、扉が開き‥‥車内にスーツを着た男性が乗車してきた。
彼はキョロキョロと周囲を見渡し、開いている席を探すと――――最奥にある席へと向かって、歩みを進め始める。
その男性が、オレたちが座る窓際の二人席の横を通り過ぎた瞬間、通路側に座っていた穂乃果がヒッとか細い声を上げ、オレの腕に抱き着いてきた。
男性はそんな彼女の様子に一度立ち止まって首を傾げると、そのまま後部座席へと向かって歩いて行った。
そして、再びバスは発車し、道路を走り始める。
「‥‥穂乃果さん?」
腕に抱き着いた彼女のその顔を覗くと、青ざめ、恐怖の色に染まっている様子が見て取れる。
オレはそっと小声で、穂乃果に声を掛けた。
「どうかしましたか、穂乃果さん? 具合が悪いのですか?」
「あっ、ご、ごめんなさい、お姉さま‥‥。私、男の人が怖くて‥‥」
「あぁ、そうですね、痴漢されて間もないですからね。それは仕方ないことです。‥‥あっ、こちらの窓際席に座った方がよろしいですかね? 席、交換しますか?」
「ち、違うんです。その、痴漢されたから怖いんじゃなくて‥‥昔から、なんです。小さい頃から、男の人がどうにも苦手で‥‥自分の近くに来るだけで、身体が震えて、動けなくなっちゃうんですぅ。ですから、グラビアの撮影の時も、いつもカメラマンは女性の方を指名していましたぁ‥‥」
「なる、ほど‥‥そうだったんですか‥‥。男性恐怖症‥‥というやつでしょうか?」
そう口にすると、穂乃果はコクリと頷いた。
「小学校五年生の頃、男の子に嫌がらせされたことがあって。机の中に虫を入れられたり、上靴を隠されたり‥‥その時の影響か、男の人がすっごく怖くなっちゃったんですぅ‥‥ご、ごめんなさい、迷惑を掛けてしまって‥‥変な子ですよね、私ぃ‥‥」
怯える彼女に対して、オレは優しく微笑を浮かべる。
「いいえ、大丈夫ですよ。誰しも、苦手なものはあるものです。穂乃果さんはそれが男性だっただけのこと。何も変ではありません」
「あぅぅぅ~~!! お、お姉さまぁ~!! ありがとうございます~~~っ!!!!」
ポロリと瞳から涙を溢すと、穂乃果はガバッと、オレの身体に抱き着いてきた。
な、何とは言わないが、と、とてもご立派なものをお持ちで。
あと、オレの胸のパッドがずれないかとても怖いが‥‥この空気の中、彼女を突き放すことなどできはしないしな。
勝手に女性の身体に触れるのは気が引けるが―――オレは恐る恐るといった様子で、彼女の肩をポンと優しく叩いた。
「あ、あの、穂乃果さん。む、胸が苦しいので、離れてくれると助かります‥‥」
「あっ、わ、私ったら、ごめんなさいっ!! 制服にシワ寄っちゃいますよね!! すいません、お姉さま!!」
照れた様子でえへへと笑い、彼女は頬を掻く。
天真爛漫で元気で明るく、男性が苦手な少女――――柊 穂乃果、か。
男性が怖いという彼女に対して、性別を偽らないといけないこの状況には、流石に申し訳ない気持ちでいっぱいになるな。
これから始まる学校生活では、できるだけオレと接さない方が、穂乃果のためなのかもしれない。
お姉さまと呼んで慕っていた同級生が、実は女装した男でしたーなんて展開、彼女にとってはトラウマ以外の何物でもないだろう。
『次は、花ノ宮女学院前ー、花ノ宮女学院前ー』
バスのアナウンスが鳴り、目的地である花ノ宮女学院にまもなく到着することが知らされる。
初登校日だというのに、随分と遅刻してしまったが‥‥まぁ、やむを得ない事情もあったため、教師陣も許してくれることだろう。
‥‥‥‥香恋の話によると、この学校でオレの正体を知っているのは、彼女のメイドと、理事長と、担任教師だけらしい。
担任教師はできる限りオレのサポートをしてくれる予定らしいが‥‥男のオレが女子高に通うことをどう思っているのだろうか。
何だか、オレを男だと知っている人間に会うのはかなり気が引けるのだが―――最早この状況では、そうも言ってられないか。
「あっ、お姉さま、見えてきましたですよっ! 花ノ宮女学院!!」
その声に窓へと視線を向けると、そこには、だんだんと近付いて来る中世ヨーロッパの城のような建造物の姿があった。
一応、キリスト系の高校ではあるらしいから、異国情緒溢れる雰囲気の校舎となっている。
純白のような真っ白な校舎に、三角形の屋根。ゴーンゴーンと鐘が鳴り、校庭には広大な庭園が広がっている。
あそこにある、ベルバラの世界に出てきそうな学校が‥‥これからオレが通うことになる、『花ノ宮女学院高等学校』だ。
全国から芸能人の卵たちがやってくる――――
オレのような万年童貞野郎の変態女装男には、場違いな世界が、そこには広がっていた―――――。
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