第3話 悪女との契約

 叔母が帰宅した後。


 とりあえずオレは、彼女が置いて行った女子高の制服に袖を通してみた。


「‥‥ルリカちゃん、どうだい? お兄ちゃん、女の子に見えるかい?」


 自室で姿見の前に立ち、妹にそう問いを投げてみる。


 すると、花ノ宮女学院の制服を着たオレに、愛しの妹ルリカが率直な意見を言ってきた。


「ごめん、おにぃ、ルリカにはただの変態にしか見えないです‥‥」


「ですよねー」


 確かに、ただ制服を着ただけでは、変質者にしか見えないな。


 ふむ。問題はこの短い髪の毛と、足のすね毛と‥‥ガニ股立ちと見た。


 すね毛は剃刀で剃れるからまだ良いとして――――やはり一番の問題点は、この短い髪の毛、か。


 流石に短髪だと、どう見ても男にしか見えないのは問題点だな。


 ある程度の、髪の長さは必要だろう。


「まぁこうなると当然、長毛のカツラを被るしかないのかな。‥‥はぁ、本当、何でオレこんなこしてるんだろ。改めて考えると頭が痛くなってくるな‥‥」


「お、おにぃ、大丈夫? いくら叔母さんの命令とは言っても、素直に聞かなくても良いんじゃ‥‥」


「いや、今、あの人の機嫌を損なわせるのはマズイと思うよ。金とヤクザを武器にする花ノ宮家だ。経済援助してもらっている間は大人しく、叔母さんの言うことには素直に従っておいた方が賢明さ」


「で、でも‥‥でも、おにぃが傷付く姿なんて、ルリカ、見たくないよ‥‥」


 そう言ってルリカはオレの胸に飛び込んでギュッと抱き着いてくる。


 オレはそんな彼女の頭を優しく撫でると、静かに声を掛けた。


「前にも言ったけど、オレが高校卒業するまでの間は辛抱だから。花ノ宮家の世話がいらなくなったら、彼らの力が及ばない海外にでも出て一緒に暮らそう。だからお前は何も心配せずに、全部お兄ちゃんに任せて勉強していろ。な?」


「‥‥ぐすッ。ルリカ、海外に行ったらおにぃと結婚するぅ」


「あははは、嬉しいお誘いだけれど、外国に行っても兄妹は結婚できないよ。‥‥でも、そうだね。二人で仲良く平穏に暮らすことができたら、それは何よりも幸せなことには違いないね」


 ――――日本財界を牛耳る大企業、『花ノ宮グループ』。


 オレたち兄妹は、たまたまその家の血を引いてしまったせいで、現在、鳥カゴの中での生活を余儀なくされている。


 花ノ宮が所有する高層マンションの一室に閉じ込められ、四六時中監視され、進学先や就職先、結婚相手までも家の意向によって決められてしまっている。


 妹はあと四年して十八歳を迎えたら、何処かの四十も離れた社長と結婚させられてしまうらしい。


 所謂、政略結婚というヤツだ。


 この令和の時代に何とも時代錯誤なことだが‥‥花ノ宮の血というのは、この国の権力者たちにとってはどうやら喉から手が出るほど欲しいもののようで‥‥大財閥家との繋がりを深めるために、皆、躍起になってこの家との親交を深めようとしているのだという。


 そんな、大人たちのくだらない権力争いに利用させられて、妹は何処ぞの知らないオッサンに嫁ぐのだ。


 ‥‥そんなこと、兄貴として認められる訳が無い。

 

 許せるはずがない。

 

 大企業だろうが何だろうか、ドが付くほどのシスコンに勝てると思うなよ、金持ちどもめ。

 

 オレは必ず、この鳥カゴの中から妹と共に出てみせる。

 

 必ず、自由を手に入れて――――そして妹と一緒に、平穏な暮らしを手に入れてみせる。

 

 それが、オレ、柳沢楓馬の目指す、将来の絵図だ。


「‥‥ルリカ。お兄ちゃん、頑張るからな。絶対に、花ノ宮家になんかには負けないよ」


「うん。私も一緒の気持ちだよ。私もおにぃを、酷い目になんか遭わせたくなんかない」


 そう呟き、ルリカは腕の中からこちらに潤んだ瞳を見せてきた。


 オレはそんな彼女に微笑みを向ける。


 そんな、兄妹の絆を再確認していた、その時。


 ふいに、部屋の入り口の方から人の声が聴こえて来た。


「――――パシャリ。うーん、我ながら良い写真ね。この写真のタイトルは‥‥そうね、『禁断の愛』、といったところかしら」


「へ?」


 声がした方向へと視線を向けると、部屋の入口に、見知らぬ黒髪の美少女が立っていた。


 彼女はスマホを確認して頷くと、こちらに紅い瞳を向けて、ニヤリと笑みを浮かべる。


「初めまして、柳沢 楓馬くん、瑠璃花さん。勝手にお邪魔させてもらっているわ」


「あ、あんたいったい‥‥てか、鍵は? どうやって入った?」


「このマンションは、花ノ宮家が所有しているものよ。自由に出入りできるということは‥‥私が何者かもう既に、分かっているのではなくて?」


「‥‥花ノ宮家の人間、か」


「はい、正解。拍手~パチパチパチパチ~」


 そう言って馬鹿にしたように拍手をした後、彼女はドアを閉め、腕を組み、不敵な笑みを浮かべてこちらを見つめてきた。


「私の名前は『花ノ宮 香恋』。現花ノ宮グループ総帥である『花ノ宮 法十郎』の孫にあたる存在よ。まぁ、簡単に説明するならば、貴方たちと私は従兄にあたる関係ね」


「‥‥花ノ宮家のお嬢様が、オレたち兄妹にいったいどんなご用件でしょうか?」


「昨日、愛莉叔母様がやってきたでしょう? その件についてよ。‥‥それにしても――――」


 プッと噴き出すと、香恋はオレの姿を見て、突如お腹を抱えて笑い出した。


「プッ、クスクス‥‥柳沢 楓馬。女装した今の貴方は、正直、ただの変態にしか見えないわねっ! 普通に顔が整っている分、シュールすぎて笑いが止まらないわ! あははははははっ!! 真顔でスカートを履く変態!! やだ、お腹痛い~!!」


「いや、あんたら花ノ宮家がオレにそう指示したきたんでしょう‥‥何故、笑われなきゃいけないんだ‥‥」


 そう言って頭を振った後、未だに笑い続けている香恋に対して、オレはある問いを投げた。


「あの‥‥質問なんですが、何でオレを女装させてまで、花ノ宮女学院へ入学させたいんですか? そもそも、その目的の意味が未だに分かっていないですし、他の生徒にバレたら、花ノ宮グループの沽券に関わるような問題事に発展しかねないとも思うのですが‥‥」


「クスクスクス‥‥。そうね、目的ね。まずはそれを説明しなければならないわね」


 目の端に浮かぶ涙を拭い、花ノ宮 香恋は、まっすぐとオレに視線を向けてくる。


 その見る者を威圧するような紅い瞳にオレはゴクリと唾を飲み込み、彼女と視線を交差させた。


「今、花ノ宮女学院には、広告塔となる華がいないのよ」


「華、ですか?」


「ええ。あの学校が産む利益、最大の商品。それが貴方には何か分かるかしら?」


「商品‥‥花ノ宮女学院といえば、女優やアイドルといった、芸能人、ですか?」


「正解よ。全国でもトップレベルで、数多くの名女優を産み出している芸能科の学校、それが、花ノ宮女学院。女優こそが、夢見る凡夫どもを客寄せする撒き餌になるのよ」


 そう言って大きくため息を吐くと、花ノ宮香恋はオレの勉強机へと向かい、椅子を引いて腰かけた。


 そして足を組み、再びオレたちへと顔を向けて、口を開く。


「ここ数年、あの学校から華のある女優が産まれていないの。どうやら、あまり良い人材が入学してこない年が続いているみたいでね。その結果、年々、花ノ宮女学院の入学者数が減りつつあるのよ」


「なる、ほど‥‥。香恋お嬢様が、華である女優を欲している理由は分かりました。でも、それとオレが女装する件は、いったいどういう繋がりがあるんでしょうか?」


「決まってるじゃない。貴方はかつて、その子供離れした演技力で芸能界を震撼させた天才子役―――柳沢楓馬よ? 貴方が女装してあの学校に通えば、広告塔になること間違いなしだわ。入学者数も復活するはずよ!」


「いや、あの、盛り上がっているところすいませんが、オレが子役として名を馳せたのは五年くらい前の昔の話ですよ? 稽古も辞めた今のオレじゃ、広告塔などになるわけがないと思うのですが‥‥」


「いいえ。貴方は素晴らしい演技をする名俳優よ。私は貴方の演技を、幼い頃、劇場で直に見たことがあるの。あの時の衝撃は‥‥凄まじいものだったわ。あの才能が、五年やそこらで枯渇するわけがない。だから―――もう一度舞台の上で踊ってもらうわよ、柳沢楓馬。役者の申し子、魔性の怪物さん?」


 口角を吊り上げ、微笑む香恋。


 まさか、過去のオレを知っていたとはな‥‥いや、花ノ宮家の人間ならば当然の話、か。


 オレはボリボリと後頭部を掻きながら、香恋に向けて口を開く。


「‥‥‥‥あの、もし、もしもですよ? もし、オレが広告塔になり得なかった、その時は‥‥流石に女装は止めさせてもらえるんですよね? 元の学校での生活に戻してくれるとありがたいのですが‥‥」


「貴方の才能が万が一にでも枯れていたとしたら、その時は―――――この写真をネットにばら撒くわ」


 そう言って、香恋はスマホの画面をオレへと向けて来た。


 そこに映るのは‥‥女装した変態男と抱き合う、悲しそうに瞳に涙を貯めるルリカの姿。


 事情を知らない他人が見たら、確実に一発でアウトな瞬間の写真だった。


 顔を青ざめさせるオレに、香恋は目を細め、嗜虐の笑みを浮かべる。


「社会的に死にたくなかったら、私の命令通りに―――――花ノ宮女学院の花形たる女優になって貰えるわよね? ね? 柳沢くん?」


 その言葉に、オレは、力なくうなだれることしかできなかった――――。

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