4.黒龍

 龍。アジアで古くから伝わる伝説上の生き物。

中国では皇帝の象徴とされ、その鳴き声は雷雲を呼び、竜巻となって天に昇るという。

 また深蝕種は、というのが近年の通説だ。実在しない生物の型はない。そう思っていた。

そう、高を括っていた。

 もう一度言うが、龍はである。

しかし現在、ネクストと舞の二人は『龍』と対峙していた。


「ネクストさん!これって───」

「検索結果:該当データなし。新種の深蝕種である可能性大。

作戦変更:鳥型深蝕種の撃破から、未確認深蝕種からの生存、及び帰還へ。

救難信号……送信完了。救援と合流し、最寄りのゲート……4番へ向かってください」


 二人同時に龍から背を向けて駆け出す。当然後ろから追いかけてくる音が聞こえるが、振り向くことはない。

明らかに向こうの方が速い。ゲートに辿り着くより追いつかれる方が先だろう。

ならば、とネクストは対峙する。鋼鉄のブーツが地を削り、迫る龍との相対速度を落としていく。


「ネクストさん!?」

「命令:行ってください」


無機質な機械音声が、今はただ辛い。

この人を置いて、逃げることしかできない自分を深く恨んだ。


「解説:私の身体は人間より遥かに頑丈です。どちらかが囮になるしかないのなら、より確実に片方が助かる方を選ぶべきです」

「……ッ!」


確かに舞が囮を務められるとは思えない。

しかしネクストを犠牲に生還したとして、果たして合格と胸を張れるだろうか。


 思い出せ、早鉦舞。お前は何を求めた。

やっと平凡から片足を上げたのに、また平凡な人間で燻っている気か?

深界ここでもまた、平凡な人間として生き、そして死ぬのか?


───違う。非凡ヒーローに憧れたなら、それらしく振る舞え。

他でもない、自分の為に。


 ここで賭けられない命なんて、捨ててしまえ。


「それでも……ッ!!」


踵を返し、真正面から龍に斬り込んでいく。


「ハアァァァ!!」


黒鉄の鱗に神血の刃が襲い掛かる。

バキン、と金属の破断するような音を立てて舞は弾かれてしまう。

正に、蟷螂の斧。

しかし、刀も心も、折れてはいない。


「質問:何故逃げなかったのですか」

「あなたを死なせて逃げたくない」


強く答える。生きて帰るなら、二人で。


「……命令違反は大幅減点です。

警告:ここから先、命の保証はありません」

「上等だ……!」


 啖呵を切ったはいいものの、舞の刀もネクストの拳も黒龍に傷一つ付けられていない。

黒き鏡の如き黒鱗が、その一切を拒絶していた。


「グガアアアァァァァァォォオ……!!」


龍が天を仰いで咆哮する。天から数本、ピシリと電流が走る。


───来る!


降り立った時と同じように、辺りに雷鳴が轟く。

先の電流はのようなものらしい。


「撃ってくるみたいですね!雷!」

「解析結果:回避可能と判断。状況を継続します」

「でもこれ、ジリ貧ですよ……向こうに全く効いてないんじゃあ……!」


 龍の行動パターンは二つ。

一、大口を開けてこちらへ突っ込んでくる。

二、天高く嘶いてからの雷撃。

どちらも回避は難しくない。

それどころか向こうから来てくれるのだ。攻撃も十分当たる。

しかし、決定的に決定打に欠けていた。


「解答:救難信号は送信済みです。

このまま距離を保ちながら、上官の到着を待つのが最も生存率が高いでしょう」

「詩熾さんとか、来てくれんの?」

「否定:詩熾上級指揮官は滅多に出撃なさりません。

私より実力が高く、有事に最も敏感な上官……例えるなら───」


 突進する龍の横っ面を、弾丸の如き飛び蹴りが吹き飛ばす。


炉鶴院ろかくいん上官、彼女が最も適役でしょう」


「第94代炉鶴院家次期当主、炉鶴院 煌世こうぜ!救難信号に応答いたしますわ!」


 金色の絹糸のような長い髪。

サファイアを嵌め込んだような青い瞳。

八塩折のロゴがついた礼服に、深紅のマントを掛けた女性が高らかに宣言する。


「ネクスト!隣は噂の『研修生』ね?」

「肯定:早鉦舞研修生です」

「舞さん、よろしくお願い致しますわね!」

「よろしくお願いします……ッ!」


ふと煌世を見た隙に飛んできた雷撃を、間一髪で躱す。


「とは言えこれは……数人で何とかなる話じゃないですわ!」


煌世の動きは、所作の一つ一つが優雅だった。

それでいて人間を超えた機動のネクストに一切引けをとらない。


「分析:これまでの戦闘データを基にするならば、退却は可能かと」

「さっきと言ってることが違っ……!」

「最悪の事態を予測した結果です。とはいえ、憶測で結論を急いだのは謝罪します」

「言っている場合ではありませんのよ!

三人いれば十分ターゲットを分散できますの!散開して適宜迎撃しつつゲートに急ぎますわよ!」


煌世の華麗な踵落としが龍を地に叩きつける。

三人がそれぞれに走り出す。一つのゴールを目指して。



 身体を起こした龍が猛追を始めた。

やはり誰より速い。

しかし追いついたとて、斬撃、蹴撃、打撃に勢いを殺される。

即興のフォーメーションにしては上手くいった。

これなら逃げ切れる───




「うわ〜、本当に龍だね」


誰一人欠けることなく辿り着いたゲートの入り口では、見覚えのある男が突っ立っていた。


「お〜い!早く入って入って!」

「発見:詩熾上級指揮官です」

「見りゃ…わかります……」


長身の男は呑気に手を振っている。


「見てないで…助けてくださいよ……!」

「ごめんね。外せない会議があってさ」


息切れで声が掠れ気味だが、しっかりと応えてくれた。

三人がほぼ同時にゲートへ雪崩れ込む。


「さてと……」


詩熾が突然その場から消える。

ワンテンポ遅れて、疾風が舞たちの目に入った瞬間、黒龍が大きく仰け反った。

眼帯を外した詩熾の蹴りが、それの鼻柱を蹴り飛ばしている。


「お帰り願いますか」


龍を正面に見据え、空に立つ。

左眼の光が更にその輝きを増していく。

ピシリ、と詩熾の背後の

それは瞼が開くように、菱形の裂け目となる。

中には目玉が入っており、正に目と呼ぶに相応しい。

が幾つも幾つも、彼の背後に壁を建てるように出現した。


「───魔眼開放」


黒龍の姿が消える。

遥か後方に、辛うじて吹き飛んでいくのが見えた。


「……ま、とりあえずはこれで」


詩熾は地面に降り立つと、ゲートを閉めた。

……強すぎる。一歩も動かずに、あの龍を撃退してしまった。

本当に同じ人間なのだろうか。舞は、目の前の男が空恐ろしかった。


「賞賛:流石です」

「『不変の最強』、『魔眼の王』、相変わらず大袈裟な二つ名ね。

……こんなものを見せられると、認めるしかないのだけれど」


煌世が感嘆だけではないため息をつく。

最強。この軽薄な男はどうやら、器に収まるのが大嫌いらしい。


「強くなったって責任ばっかでんなっちゃうよ。みんなは程々にね」


軽口を叩く詩熾を先導に、ロッカーを後にする。


「疲れてると思うけど、報告お願いね」


私も流石に気になっちゃうし、と詩熾が呟く。


「あとあれ、時間稼ぎみたいなもんだから、作戦会議もね」


詩熾以外、誰も口を開こうとしない。

次こそは、倒す。

リベンジの決意を新たに、四人は作戦室へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る