3.深界
(寝れねぇ…………)
現在の時刻は午前一時。案内された寮で寝支度を済ませ、床に就いたは良いものの、全く眠気がやって来なかった。
無理もない。今日一日どころか数時間で、舞の人生はガラガラと崩れ、フィクションの形に再構築されてしまったのだから。
(深界……どんな所なんだろうな……)
詩熾によると、深界は一面モノクロの荒野であるという。
深蝕種も同じく色を持たないものがほとんどで、奇襲には十分注意が必要らしい。
(ンな事言われたって……)
舞はまだ、自分のイコル汚染を扱いきれていない。あれから少し試してみたが、刀を出すのに時間は掛かるし、そもそも失敗することの方が多かった。このままでは深蝕種はおろかただの動物、また人間にも後れを取るのは必至だ。
宛先のない不安ばかりが募っていく。
気づけば、意識はようやくやってきた眠気に連れ去られていった。
騒々しい電子音が耳を劈く。喚き立てる目覚ましを止め、身体を起こす。
もう朝か。支度を済ませてレストランで朝食を済ませた。
詩熾によると、研修は別の人が担当らしい。
集合場所である作戦室の扉を開けると、一人の若い女性が立っていた。
青く輝く長い銀髪に、黒い目隠しを着けていた。舞より少し背が高く、凛とした印象を受ける。八塩折の人間は皆、目にイコル汚染を受けているのだろうか。
「───質問:あなたが『早鉦舞ですか?」
口を一切動かさず、女性の声が彼女から流れてくる。
「えっ?あ、はい」
「私は『ネクスト』。今日はあなたの研修を監督させていただきます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします……」
機械のシステムボイスみたいだ。声から感情が一切感じられない。
ネクストと名乗る女性は、舞の手を握りブンブンと振り回す。かと思えば肩をバシバシと叩く。かなり痛い。
「安心してください。深界は危険に満ちていますが、私がいれば大丈夫です」
ビッと親指を立てる。どうやらかなり愉快な人らしい。
「えっと、俺たちこれから深界に行くんですよね。どうやって行くんですか?」
「解答:徒歩です。八塩折の本部は深界の入り口と直結しています」
「へ〜」
「説明:本研修では、舞研修生の深界初探査を目的としています。内容としては、深蝕種数体の撃破、深界への順応です。質問はありますか?」
「ネクストさんも、目にイコル汚染を持ってるんですか?」
作戦室を出て、深界の入り口へ向かいながら質問をしてみる。共闘する仲間の能力くらいは知っておきたい。
「解答:私はイコル汚染を持っていません」
「えっ、そうなんですか?」
「肯定。私は適合手術とは別の手術で純粋に身体強化を行ったものです」
「そんなこともできるのか……」
「補足:この手術を受けたのは記録上私だけです」
ネクストは自慢げに胸を張る。独特な喋り方も手術の副産物であろうか。
少し歩くうちに、一際重々しい扉のある部屋に辿り着いた。おそらくこの先が深界だろう。
いくつかあるロッカーから手早くナイフ数本と手榴弾を装備する。
「あなたも装備することをお勧めします」
「あ…はい」
ロッカーを開けると、ナイフや手榴弾、拳銃などサブアームが一杯に並んでいた。
「でも俺、使い方知らないですよ」
「解説:右手で持ち、左手でピンを抜き、投げます。慣れないうちはピンの固さに注意してください」
ジェスチャーも交えての説明が入る。他にも拳銃のセーフティの位置や、ナイフの抜き方や構え方についても簡単に教えてもらった。
「謝罪:私はイコル汚染については素人同然です。ですが、戦闘技能に関しては多少自信があります。準備はいいですか?舞研修生」
「はい……!行きましょう……!!」
2番ゲート、開放。速やかに出撃してください。
アナウンスと共に、橙の回転灯が部屋を照らす。
研修開始だ。
眼前に広がる新世界は、灰に覆われていた。
空も、草も、土も、あるべき色を失って、濃淡と影だけがその輪郭を隔てている。
───静かだ。
風もなく、虫一匹いない。田舎の草原とはまた違う、不気味なまでの静けさ。
気圧される舞を横目に、ネクストは歩き出す。それに遅れまいと、彼も前へ足を運ぶ。
「舞研修生、イコル汚染を展開してください。この先、敵対的な深蝕種と戦闘を行います」
「……その、深蝕種ってどんな形なんですか?」
「…………確認:詩熾上級指揮官から何か聞いていませんか?」
驚いたようにこちらを振り向く。
「いえ、全く……。強いて言えば俺の家をぶっ壊した鳥しか……」
ネクストは頭を抱えてしまった。まさかここに来て一日の奴がいきなり実戦式の試験を受けているとは夢にも思わない。
「……解説:深蝕種は地球上の動物を模した形をしています。鳥型もその一つです。他にはオオカミやイノシシ、ゾウなど多岐に渡ります。未だ見つかっていない型もあるでしょう」
「……ありがとうございます」
そうこう言っているうちに、二十匹程度のイノシシ型の群れをネクストが発見した。
「70%は私が請け負います。舞研修生は残り30%を」
そう言うとネクストは地を蹴って駆け出してしまった。
疾い。流れる銀髪がもう小さな点になりつつある。
「ちょっ……!」
舞もワンテンポ遅れて走り出す。そういえば、イコル汚染を発現してから身体が軽くなった気がする。両腕に力を込めると、するりと刀が現れる。成功だ。
猛進する二人に気づいた群れが、向きを変えてこちらに突っ込んでくる。
「報告:先手を仕掛けます」
「はいっ!」
先を走るネクストがくるりと一回転して飛び上がった。そのまま地面に踵を叩きつける。
イノシシ型の足元に地割れが走り、ちょうど七割ほどを地面ごと吹き飛ばした。
「私は残りを処理します。出来る限りで構いません、全力を見せてください」
「了解です!」
先の一撃で群れに空いた隙間へ滑り込み、二本の刀を横薙ぎに一回転。
思ったより斬れ味が良い!骨すら感じさせないほどあっさりとイノシシ型を両断できた。
そして何故だろうか。刀の使い方を、身体が覚えている。
一つ、二つと彼らの首を落とし、胴を貫き、三枚に卸していく。牙は刀で逸らし、突進には脳天への突きで対応する。
ものの数分。イノシシどもから一撃も貰うことなく、その全てを地に伏せる。初めてにしては上出来じゃないだろうか。
───尤も、向こうに比べればまだまだ青二才もいいところである。
イノシシ型を殴り、蹴り、時に振り回して八面六臂の大活躍。
こちらがアクションRPGに対して、あちらは無双ゲームでもプレイしているかのような差だ。経験による知識。それに基づいたパターンの攻略によって、攻撃をいなすまでもない。
「そちらはもう終わっていましたか。早期決着かつ無傷での撃破、高評価です」
「いえ、ありがとうございます」
予想以上に褒められてしまった。
嬉しい反面、やはりネクストに比べると実力不足を感じる。
「提案:次は鳥型と戦闘を行います。巣の位置は特定済みなので、着いてきてください」
「了解です」
刹那。舞の目の前で、一条の光が天地を縦断する。
落雷。天候の存在しない深界では起こり得るはずのない、異常。
それに気づいたのはネクストのみ。
何かが起こる。そう確信した。
経験ではない。直感、勘と呼んでもいい。根拠のない、確信。
身構えている彼女が見たのは、空の彼方から舞い落ちる一筋。
自由自在に空を泳ぐそれは、戦闘機連隊よりもずっと速い。
遥か上空でも輪郭がわかるほどの巨体をくねらせて、こちらへ向かってくる。
轟轟と空気を切り裂く音で舞もようやく上を向き、その存在を認識した。
叩き割るように雲を突き抜け、深き世界に現れたのは───
───幾本もの曲角を冠の如く戴く、黒洞々たる巨龍だった。
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