2.神血
「…………あの」
「ん?」
「ここ、何処ですか?」
脚が長く、一歩が大きいにも関わらず早足な詩熾。それを追いかけるので精一杯な舞は、やっとの思いで抱えていた疑問を詩熾の耳に届けた。
「…………」
ゆっくり首をこちらに向け、ピタリと脚を止める詩熾。
(まずいこと訊いちゃったか……?)
「……あぁ〜ぁ……言ってなかったね……」
ただ、忘れていただけだった。また背を向けて歩き始める。
「ここは
設立理念をつらつらと述べる詩熾は「格好良いでしょ」とでも言いたげだ。
「そして今から向かうのは我ら八塩折が誇る、大!レストランだ!!」
ガラス戸の向こうには小洒落たレストランが広がっていた。
「うちの仕事は命懸けだからね。飯くらい良いものを、って設立の時に建てたんだ。
さ、好きなのを頼むといい。おすすめはカレーだね」
「じゃあそれで」
「はいよ。シェフ!カレーを二つ、中辛で」
言い終わるが早いか、カレーが二皿トレイに載って渡される。
それを持って二人はテーブル席に、向かい合うように腰を下ろした。
「さて……どこまで話したっけ……」
「深界と深蝕種の話は聞きました」
「あそうそう、そうだったね」
水を一口飲むと、さっきより少し真面目な顔で説明を再開した。
「んで、
懐から金色に輝く、透き通った液体の入った小瓶を掲げる。
「深蝕種の血。私たちはイコルって呼んでる。神の血さ。これがとんでもない代物でね。なんと燃料として超優秀、気体液体固体を問わずどんな温度でも燃焼可能、おまけに燃焼効率も最高と来たもんだ。凄いだろ?」
「……はい……凄い、んですね」
語気から並々ならぬ熱意を感じる。本当に凄いんだろう。
しかし舞には化学がわからぬ。学校の勉強など受験を終えたらすっかり抜け落ちてしまった。
「そ。凄いのよ。でも一個、致命的な欠点があってね」
こちらがあまり乗り気でないのを察し、少し口調が冷める。
「ちょっとでも身体に入ったらアウト。微量の吸入、誤飲、点滴でも何でも、最悪死ぬ。
で、あろうことかこれを身体に注射した奴がいて。しかも他人に。どうなったと思う?」
「……亡くなった……?」
「まあそう思うよね。でも結果はこれさ」
詩熾がするりと包帯を解く。
普段隠している左眼が現れ、そのままゆっくりと瞼を上げる。
「綺麗だろ?」
そう笑う彼の左眼は煌々と、火花を散らしていた。
美しい鮮紅色の瞳に、その光が乱反射して透き通る。
例えるなら、星々を散りばめた銀河。
例えるなら、闇夜に揺らめく導火。
例えるなら、夕日を飲み込む水平線。
その眼に美の粋を閉じ込めたような「絶作」
舞は息を呑む外なかった。
「『斯くして人類は、深蝕種に対抗する力を、皮肉にもその血から手に入れたのであった』……ってね。さっき鳥を射抜いたのも、君を気絶させたのもこの眼さ」
……空恐ろしい。視線は人を殺すと言うが、本当に殺せてしまうとは。
「イコルを身体に取り込み、傷一つ負わない人間がいる。イコルに適合した人間だ。
その者はイコル汚染と呼ばれる異能に目覚め、身体にイコルで汚染された部位を持つことになる。」
私の場合この眼だね。と包帯を巻き直す。
「最初は狂った化学者の妄言だと思ったよ。でも本当だった。
法も倫理も通用しない奴らが秘密裏に実験・研究を進め、やっと安定してイコル汚染を覚醒させる適合手術が確立された。もちろん多くの犠牲の上でね」
詩熾は少し悲しげに目を伏せる。
「でも、君は適合手術を受けていない」
包帯の奥から視線を感じる。喉元に刃を突きつけられたような気分だ。
「適合手術を受けた人間はこのチョーカーの着用が義務付けられてる。イコル汚染の無許可使用を感知すると…ドカンだ」
確かに詩熾の首元には黒いチョーカーが嵌められていた。
「適合手術無しでイコル汚染を扱うどころか覚醒できる人間は、いないと言っていい。
君はね、イレギュラーなんだよ。舞くん」
「っ……」
イレギュラー。平凡な舞には一生縁のない言葉だと思っていた。信じ難い事実を突きつけられた、思わずたじろいでしまう。
「さて……大方話は終わりかな。何か質問は?」
こちらに身体を詰め寄せていた詩熾が一気に背もたれへ寄りかかる。
舞は胸を撫で下ろし、先の緊張は解けていった。
「えっと……このあと俺はどうなりますか?」
「今日一日の記憶を消して、日常に帰ってもらう」
「………………」
嫌だ。退屈な日常から、せっかく一歩抜け出したんだ。
もう逆戻りは、したくない。
「あの、」
「ん?記憶編集は義務だから、どうしてもパスは出来ないよ」
肩にかかる毛先の紅い黒髪をクルクルと弄びながら返事をする詩熾。
「いえ、俺を八塩折に入れてください」
「そっか。いいよ」
「えっ」
あまりに呆気ない返答に拍子抜けしてしまう。
「良いんですか!?もっとこう、入隊試験みたいなのは……」
「明日研修するから、生きてたら合格ね」
「えっ」
やっぱりダメかもしれない。
「さて、親御さんに連絡しないとね。番号わかる?」
「あ……親はいないんです。叔父と暮らしてて、放任主義なので大丈夫ですよ」
「……すまないね」
「いえ、最初からいないので。そこまで気にしなくて大丈夫ですよ」
叔父も仲が悪いわけじゃない。口下手なだけで、しっかり愛されていた自覚がある。
どうせ春から家を空けるのだ。少し早まったと自分で言えばいい。
「じゃ、寮まで案内するから。ちゃんと寝て明日起きるように」
「はい。ありがとうございます」
両手に秘められた刃の往く宛ができ、少し腕が震えた気がした。
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