第40話 蛍マグロのマグロ丼



 蛍マグロの切り身を、お米が炊き上がるまで氷の貯蔵庫に入れておいて、神竜の土鍋でお米を炊いた。

 ルーベンス先生の話では、ユマお姉さんも本体が巨大な青竜のためか、よく食べるらしい。

 そのため、土鍋はかなり大きめのものを準備した。

 土鍋が武器になるのか、という疑問は、釣り竿が武器と認識される時点で愚問なので、抱かないことにしておいた。

 カマドに土鍋をおいてお米が炊き上がるまでの間、ユリウス様とルーベンス先生は砂浜で筋肉トレーニングのための模擬試合を行ない、私は火の番を代わってくれると言うアリアネちゃんの優しさを、申し訳ないけれどお断りして、カマドの火の調節を行なっていた。

 アリアネちゃんが火の前に立ったら、アリアネちゃんのお世話をしている動物さんたちが、炎に飛び込んでしまうかもしれないし。


「お前、どうしてそのような姿をしているんだ、ユイマール」


 私がカマドの火加減の調節をしていると、ヴィルヘルムを抱えたユマお姉さんが隣にやってきた。

 しばらく三人で静かに炎を見つめていたけれど(私は炎を見ながらちらちらルーベンス先生を見ていたけれど)、ヴィルヘルムが沈黙に耐えかねたのか、それとも退屈だったのか、口を開いた。


「ユマお姉ちゃんと呼んでも良いのよ、ヴィルヘルム」


「呼ばない。そもそもユイマールも俺と共にラキュラスが創ったのだから、俺と年齢は一緒だろう」


「今の私はキャンプアイドル、メスティン・ユマお姉さんなのよ。ちなみに二十四歳よ」


「二万四千歳の間違いでは」


「もっと若くても良かったんだけど、キャンプアイドルはあまり若すぎると、キャンプ愛好家の皆様から支持して貰えないらしくて」


「俺の話を聞いていたか、ユイマール」


「年齢の話はともかく、以前ルーベンス先生と共にこの地にキャンプをしにきた時、ヴィルヘルムは私に全く気づかなくて、ルーベンス先生が私の漢女だということにも気づかなくて、私はとっても寂しかったのよ?」


 ユマお姉さんが悲しそうだ。

 そういえばヴィルヘルムは、ルーベンス先生がキャンプをしている姿を見てから料理に興味を持ったんだったわね。

 つまり、ルーベンス先生には一度会っている。

 同じ神竜と、その漢女なのだから、気配とかでわからないのかしら。


「ルーベンスのことは覚えているが、お前もいたのか?」


 わからないらしい。


「いたわよ。アシスタントとして、一緒にいたわよ?」


「覚えていない。お前が人間体になどなっているから悪い。何故俺たちよりも下等な人間の姿に」


「ヴィルヘルムだって、幼体じゃない」


「俺はマスコットキャラクターだからな」


「私もアイドルだからとしか答えようがないわね」


「ええと、ユマお姉さんはアイドルになりたかったんですか?」


 視線の先に、爽やかな汗を流すルーベンス先生とユリウス様。

 どちらにときめいたら良いか分からなくなってやや混乱していた私は、心を落ち着かせるために疑問を口にした。


「なりたかったというか、ルーベンス……、いえ、ルーベンス先生と契約をしてから、色んな場所に連いていくのに、人間の姿の方が都合が良くて。人間体でルーベンスのそばでキャンプの手伝いをしていたら、気づいたらキャンプアイドルになっていたというわけなの」


「そんなことがあるのか? 太古の神竜が? 俺がおじいちゃんなら、お前もおばあちゃんだろう」


「ヴィルヘルム、何もわかっていませんね。ユマお姉さんとは、週末仕事疲れのおじさまたちや、キャンプ愛好家の皆様、それからファミリーも一家全員揃って笑顔で見ていられる、爽やか癒し系のキャンプアイドルなのですよ」


「褒め上手ね、リコリスちゃん」


「私の目指すべきキャンプアイドルの姿だと、思っていました。今までは」


「今までは?」


「はい。でも、ルーベンス先生に会うという夢が叶ってしまいましたので、今の私はソロキャンアイドルではなく、神竜の乙女であり、ユリウス様の婚約者のリコリスです」


「恋ね!」


「はい……!」


 私は力強く頷いた。

 こんな時、物申しそうなアリアネちゃんは、長椅子で心地よさそうに眠っている。

 まるで天使のように可愛い。アリアネちゃんの周りに動物たちが寝そべり、涅槃を形成していた。


「ヴィルヘルム、邪魔をしては駄目よ」


「どうして俺が邪魔をしなければならない」


「だってヴィルヘルムだって男じゃない。リコリスちゃんに片想いしたり、ユリウス君から奪おうとするかもしれないじゃない」


「俺がリコリスを? あり得ない」


「ヴィルヘルムは食欲しかないので大丈夫だと思いますよ。ユリウス様は渡しません」


「リコリス、残念な知らせだ。俺の人間体は、ユイマールなど目ではないぐらいに麗しいぞ。俺がひとたび人間体になれば、お前もユリウスもたちまち俺にゾッコンになるだろう」


「表現が古いわよ、ヴィルヘルム」


 ユマお姉さんは「ゾッコンとか、いにしえ?」と指摘している。


「それなら、お前ならどう表現するんだ?」


「メロキュン?」


「ごめんなさい、ユマお姉さん。私もゾッコンの方が、馴染み深いです」


「リコリスちゃんはお嬢様だものね」


 話をしている間に、土鍋からプツプツと泡が出始める。

 私は火力を弱めた。

 この間に、蛍マグロを薄切りにしながら、人数分の器を準備する。

 マグロ丼のための丼は、ルーベンス先生とユリウス様が模擬試合を始める前に、すごい勢いで木彫りで作ってくださったものだ。

 ルーベンス先生とユリウス様に作っていただいた器に入ることができるなど、お米もマグロも幸せだろう。


「ご飯が炊けましたね」


 テーブルの上に準備が整ったところで、土鍋の蓋を開ける。

 ふわりと立ち上る湯気の向こう側に、ツヤツヤと輝くお米の姿がある。

 久々のお米に、私の心は浮き足だった。

 アリアネちゃんはうどん派だけれど、私は白米が好きなのである。

 サバイバルキャンプでは食べられないと思っていた白米が、目の前に。

 これも全て、アリアネちゃんやユリウス様、ヴィルヘルムやルーベンス先生、ユマお姉さんのおかげだ。

 私はこの場にいるみなさんに感謝の祈りを捧げた。

 ありがとう、白米。キャンプで食べる、カマド炊きの白米。輝いてる。

 白米を器によそい、少し冷ました後に蛍マグロの切り身を乗っける。

 彩に森で摘んできた野ネギを散らした。


「すまない、俺が作るつもりが、すっかりユリウス君との漢同士の拳の語らいに夢中になっていた。リコリス君、醤油ならあるぞ!」


 私がマグロ丼を準備していると、ユリウス様とルーベンス先生が戻ってきた。

 ルーベンス先生が腰に下げている調味料セットから、黒い液体の入った小瓶を取り出して渡してくれる。


「お醤油! ありがとうございます、ルーベンス先生!」


「それが醤油か!」


 やはりマグロ丼に醤油がないと味気ないものである。

 私は久々に見るお醤油に色めきだった。

 ついでにヴィルヘルムも、知識だけは知っている醤油を実際に目にして、嬉しそうに瞳を輝かせた。


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