第39話 青竜の漢女
とりあえず、詳しい話はマグロ丼を食べながら行おうということになった。
蛍マグロを肩に担ぎ上げて運ぶルーベンス先生の広背筋に見惚れながら、私はキャンプ拠点へと戻った。
ヴィルヘルムはユリウス様の腕の中ではなくて、今度はユマお姉さんこと、青竜ユイマールの腕に抱えられている。
ヴィルヘルムは嫌がったけれど、ユマお姉さんが「久々に兄弟に会ったんだから、抱っこぐらいさせて」と、ヴィルヘルムを抱き上げて離そうとしなかったのである。
確か、ヴィルヘルムが青竜は水に強いというようなことを言っていた気がする。
確かにルーベンス先生も、ユマお姉さんも、海から現れたのに全く濡れていない。
私の白竜の衣装も、水の中に直前まで入っていても、濡れた形跡も残さずに乾いてしまうので、もしかしたらルーベンス先生の衣服も、青竜の戦衣なのかもしれない。
どうしよう。お揃いね。
ルーベンス先生と、お揃い……!
だらしなくにやにやしそうになる頬を、両手を当てて引き締める。
「これが、君たちのキャンプ地なのだな! よく整えられている。特にこのカマドとテーブルは素晴らしい。職人の心がよく込められている一品だ!」
「それは、ユリウス様が作ってくださいました。テーブルや椅子や食器は、すべてユリウス様が」
「愛情がこもっているな、ユリウス君!」
「ありがとうございます。リコリスへの愛なら誰にも負けない自信があります」
「マーベラスだ、ユリウス君! 人を愛する心。それは、何よりも素晴らしいものだ。人でも、動物でも、大自然でも良い。何かを愛した時、世界の美しさに気づことができる」
「師匠……! あなたは俺の心の代弁者なのですか? まさしくその通りです。俺はリコリスにであって初めて、生きる意味を知りました。世界は鮮やかに輝き出し、食事の味も、風の心地よさも、日差しの暖かさも、理解できるようになったのです」
「リコリス君は君の運命の人なのだな」
「ええ、その通りです。リコリスこそが俺の生きる意味。この地で二人で生きていくと決めたのです」
「私もいますわ、お義理兄様」
「俺もいるぞ、ユリウス」
ユリウス様とルーベンス先生が仲良く話している。
アリアネちゃんとヴィルヘルムが不満げに口を挟み、ユマお姉さんが私の頭をよしよしと撫でてくれた。
「リコリスちゃんは大切にされているのね。それもこれも、あなたがキャンプを愛していたからね、きっと。キャンプを愛しているリコリスちゃんの深いキャンプ愛が、世界を救ったのよ」
「世界を?」
「私たち神竜が乙女を選定するとき。それは、世界の秩序が乱れる予兆があるとき。つまりは世界の危機」
「ヴィルヘルムも確かそんなことを言っていましたね」
ユマお姉さんの腕の中のヴィルヘルムが、厳かに頷いた。
「世界の危機よりも今はマグロ丼だ、リコリス。マグロ丼」
世界の危機の話は、マグロ丼に対する欲求に負けた。
とりあえずマグロをさばこう。ヴィルヘルムの食欲を満たすために。
「そういえば、ユマお姉さん。私は神竜の乙女ですけれど、神竜の乙女という名の魔法少女には、女性しかなれないのかと思っていました」
「それは古い考えね、リコリスちゃん。今の時代は、男も、神竜の漢女に選ばれるのよ。ルーベンスは、漢は己を磨くことから始めなければいけないとかなんとか言って、滅多に神竜の力を使わないけれど」
「私は思う存分使ってしまいました……、ルーベンス先生に嫌われてしまうでしょうか」
「そんなわけないわよ。女の子は別よ。ルーベンスは幼い子供と主婦の味方だもの。リコリスちゃんが生き抜くために、ヴィルヘルムの力を使ったとして、使えるものはなんでも使え! としか言わないわよ」
ユマお姉さんのルーベンス先生のモノマネは、吃驚するほど良く似ていた。
私はほっとしながら、神竜のサバイバルナイフで蛍マグロをさばこうと思い、蛍マグロを囲んで話をしているルーベンス先生とユリウス様の元へ向かった。
アリアネちゃんは聖女ミラクルパワーを使って疲れたのか、長椅子で休んでいる。
小鳥たちがアリアネちゃんに飲み物を運び、うさぎさんたちがアリアネちゃんのマッサージに勤しんでいる。
アリアネちゃんが離れたからだろうか、蛍マグロは完全にただの蛍マグロに戻っていた。
いえ、元々蛍マグロは蛍マグロでしかなかったのだけれど、微妙な変化があるのだ。
「マグロ丼を作るのだな、リコリス君」
「はい、先生。蛍マグロを切り身にします。ただ、お米がないので、どうしようかと思って」
お米がない、と言った途端に、蛍マグロの横にどさどさと米俵が届けられた。
米俵は世界一足が速いと言われている、脚長森林トラが背中に乗せて運んできてくれたらしい。
低い男性の声で「聖女のためです」と言って森に帰っていく森林トラさんは、胸がキュンとなるぐらいに男前だった。
「これが聖女アリアネ君の力か。森の動物たちが手助けをしてくれるんだな」
「これではキャンプとは言えませんでしょうか、ルーベンス先生」
「そんなことはない。キャンプとは、型にはまらない自由なものだ。これがキャンプだと思えば、それはキャンプなんだ。例えば、屋敷のベッドで寝ていたとしても、キャンプをしていると思えば、そこはキャンプ地となる」
「師匠の心は、常に自由なのですね」
ユリウス様が言う。
「そうでありたいと願っている」
「たとえば、窮屈な城の中にいても?」
「あぁ、そうだ、ユリウス君。そこが窮屈だと思えば、その場所は君にとっては牢獄のように窮屈な場所なのだろう。しかし、キャンプ地だと思えば、城はたちまち、潮騒の聞こえる海辺のキャンプ地となる」
「なるほど、すべては心の持ちよう、ということですね」
「あぁ。そうして一週間頑張って、週末キャンプを楽しむのもまた、良い。さぁ、リコリス君。俺が蛍マグロをさばこう。せっかくこうして出会えたのだからな、皆にマグロ丼をふるまわせてくれ」
そう言うや否や、ルーベンス先生は蛍マグロを空高く放り投げた。
宙を舞う蛍マグロに向かい、目にも止まらない速さでルーベンス先生は腰に下げていたサバイバルナイフを抜く。
次の瞬間、蛍マグロは骨と切り身に離されて、頭と尻尾だけついた骨は食材置き場の葉っぱの上に、綺麗な赤い切り身はユリウス様が作ってくださったお皿の上に、綺麗に並んで収まった。
アリアネちゃんと森の動物たちがぱちぱちと拍手をしている。
ルーベンス先生はアリアネちゃんに向かって、サムズアップをして応えた。
私は完全に心酔してしまい、拍手をするのも忘れていた。
ユリウス様も同様に、ルーベンス先生を尊敬の眼差しで見つめていた。
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