第38話 キャンプの神とアシスタントのお姉さん



 アリアネちゃんは見事にルーベンス先生一本釣りを行った。

 釣り糸を引き上げると、ルーベンス先生は綺麗な三回転半捻りを決めながら岩場に着地し、ルーベンス先生の腰にしがみついていた、メスティン・ユマお姉さんも一緒に三回転半捻られていた。

 私は初めてお会いしたルーベンス先生の神々しさに立っていられず、岩場に平伏しそうになる。

 ユリウス様が私を支えてくださる。

 岩場では蛍マグロがビチビチと跳ね回っており、アリアネちゃんが一匹だけ残してあとはリリースするように、森の動物たちに指示している。

 せっせと海に投げ戻される蛍マグロの皆さんは、よほどアリアネちゃんの血となり肉となりたいのか、動物さんたちに捕まるまいと、先ほどよりも元気よく跳ね回っている。

 お魚は、動物たちと違ってあくまで魚なのが救いだ。

 これで魚まで動物たちみたいに二足歩行を初めて、人語で歌を歌い始めたら、とても食べることができない。


「こんにちは、皆さん! 海から急に来てびっくりしたわよね。初めまして、私はメスティン・ユマ。それから、こちらはルーベンス先生です」


 メスティン・ユマお姉さんは、今日も完璧なキャンピングスタイルだ。

 きっちりキャンプブランドの服で身を固めていて、露出がほぼない。

 前髪の短いベリーショートの海のような青い髪に、青空のような瞳をした、すらりとした長身のお姉さんである。

 にこやかに私たちに挨拶をしてくださったメスティン・ユマお姉さんの隣で、ルーベンス先生は、腕を腰に当てて、堂々と胸を張った。

 迷彩柄のズボンに、裸エプロンが眩しい。残念ながら褌ではなかった。

 むしろ褌でなくてよかった。

 初めましてのルーベンス先生が褌だったら、私は興奮のあまり卒倒していただろう。


「海から急に現れてすまない。驚いただろう」


 ルーベンス先生の初生声を聞いた私は、興奮のあまり挙動不審になりながら、ユリウス様の軍用コートをぐいぐいひっぱった。

 リリースされた蛍マグロの皆さんと、ルーベンス先生を乗せてきてくれた鯨が沖へと帰っていく。

 アリアネちゃんは両手で大きな蛍マグロを抱きしめながら(蛍マグロはとても嬉しそうだ)、私の隣に戻ってくる。


「はじめまして、ルーベンス先生! そして、ユマお姉さん。私はリコリスです。そしてこちらが妹のアリアネちゃんと」


 何から話して良いかわからないけれど、ともかくまずは自己紹介だ。

 私は慌てて口を開いた。

 それから、ユリウス様をどう紹介しようか一瞬悩む。


「ユリウス・ヴァイセンベルクと申します。お会いできて光栄です、ルーベンス師匠」


 ユリウス様は綺麗な所作で礼をした。

 王太子殿下なのに、まるで偉ぶらないユリウス様には、感心してしまうわね。

 レヴィナス様はどことなく近寄り難い印象があるのだけれど、腹違いとはいえ兄弟でも真逆である。

 それにしてもーー師匠?


「ルーベンス先生、ユリウス・ヴァイセンベルク様といえば、この国の王太子殿下ですよ」


「おお、そうか! ユリウス君と、ヴィルヘルムの乙女、リコリス君と、聖女アリアネ君だな。よろしく頼む」


「ルーベンス先生、王太子殿下と、聖女と、ヴィルヘルムの乙女ですよ。私の話聞いてました?」


「三人とも、素晴らしいクジラ一本釣りだった、非常にマーベラスだ!」


「先生、私の話聞いてます?」


 メスティン・ユマお姉さんがのんびりした口調で、ルーベンス先生を注意している。

 ルーベンス先生がビシッとサムズアップしてくださるので、私は内心きゃあきゃあ言いながら、サムズアップしてかえした。

 あぁ、どうしよう、ファンですとか言って良いかしら。

 良いかしら、良いわよね、隠し事は良くないものね。


「ルーベンス先生、ずっと、昔からファンでした……! お会いできて嬉しいです……!」


「それはどうもありがとう、リコリス君。そう畏まらなくても良い。キャンプを愛するもの同士、仲良くしよう。大自然を前に人は皆自由であり平等なのだから」


「は、はい……! ゆ、ユリウス様、アリアネちゃん、ルーベンス先生の生格言ですよ……! 生きていて良かった!」


「良かったですわね、お姉様」


「流石は師匠、素晴らしいお言葉です」


「お義理兄様はいつの間にルーベンス・レンブラント先生の弟子になりましたの?」


「リコリスに、裸エプロンで、素手で魔物を捕獲してきてほしいと可愛くお願いされた時から、ルーベンス先生は俺の師匠となった」


「お姉様、そんなことをユリウス様にお願いしましたの?」


「したような、しないような」


 アリアネちゃんに尋ねられて、私は首を傾げた。

 ユリウス様にそんなお願いをしたかしら。ルーベンス先生のようになってくださったら嬉しいと、つい言ってしまったような記憶はあるわね。


「裸エプロンで素手で魔物を捕獲してほしいなら、そう言ってくださいまし。アリアネの聖女ミラクルパワーなら、いつでもどこでも、裸エプロンで魔物を捕獲ができましてよ」


「アリアネちゃん、気持ちは嬉しいですが、アリアネちゃんは女の子なので裸エプロンは良くありません」


「聖女鉄壁素肌ガードの加護で、絶妙に見えない自信がありますわ」


「そういう問題ではありません」


 私としたことが、ルーベンス先生の前で裸エプロンの話に花を咲かせてしまった。

 はっとしてルーベンス先生を見上げると、先生は満足気な表情で、うんうんと頷いていた。


「分かるぞ、リコリス君。素肌にエプロンとは、漢の正装。特に海辺においては、褌に素肌エプロンに限る。そういうことだな!」


「どういうことですか、先生。脱がなくて良いです」


 ベルトに手をかけようとするルーベンス先生を、メスティン・ユマお姉さんがにこやかに止めた。

 それから、ユリウス様の腕の中にいるヴィルヘルムを穴か開くぐらいに無言でじっと見つめて、深いため息をついた。


「ヴィルヘルム、先ほどからものすごい知らん顔してるけど、私の顔を忘れてしまったの?」


「誰だ、お前は」


「確かに、創世の時代に一度会ったきりだから覚えていなくても仕方ないのかもしれないけれど。ヴィルヘルムは、おじいちゃんだから、耄碌したのかもしれないし」


「急に海から出てきていきなり失礼な女だな。おい、リコリス。蛍マグロを捕まえたのだろう。早くマグロ丼を食わせろ。もう昼過ぎだ」


「まぁ、女の子になんて口の聞き方をするのかしら。ごめんなさいね、リコリスちゃん。礼儀のなっていない神竜で」


「いえ、ヴィルヘルムは可愛いところがあるので大丈夫です」


 何故かメスティン・ユマお姉さんが、ヴィルヘルムのかわりに謝ってくる。

 私は大丈夫だと、両手を振った。


「ヴィルヘルムは全くこれっぽっちも気づかないようだけれど、私は、神竜の一体、青竜ユイマール。メスティン・ユマとは仮の姿。ルーベンスと契約を結んだ、神竜よ」


「お前、ユイマールか!」


 メスティン・ユマお姉さんの自己紹介で、ヴィルヘルムはやっと気づいたように、大きく目を見開いた。

 ヴィルヘルムには申し訳ないのだけれど、ユマお姉さんの言うように、長生きすぎて記憶が曖昧なのかしらと、ちょっと心配になってしまった。




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