第30話 与えられた魔力



 どれほど、辛かっただろう。

 まだ幼いユリウス様がそのような目にーーそれも、自らのお母様によって、合わされてしまったなんて。

 魔力を持たなかったユリウス様にとって、身に余る魔力を体に強引に押し込まれることがどれほど苦痛なのか、想像するだけで怖気がするぐらいに、恐ろしい。

 自分の子供にそのような呪いを与えなければいけないぐらいに、王妃様は追い詰められていたのかしら。


「苦しかったですね、ユリウス様。どれほどお辛かったでしょう」


 どれほど言葉を紡いでも、ユリウス様の心を慰めることなんてできないだろう。

 それでも何か伝えたくてやっと絞り出した言葉は、あまりにも空虚だ。

 私に何ができるだろう。

 ユリウス様のために。

 もしかしたら、できることなんて何もないのかもしれない。今はただ、手を繋いでいることしかできない。

 ユリウス様は、優しく私に微笑んで下さった。


「辛い話を聞かせて、すまない」


「良いのです。私は、ユリウス様のことが知りたい。私の知らないユリウス様のこと。教えてください」


「……あぁ、ありがとう。……あれは、四歳の頃だっただろうか。賢者の石を身の内に受け入れた俺は、人の形を保っていられずに、不恰好な泥人形のようになった。魔力が身に馴染むまで、半月ほどはかかっただろうか。その間、ニーナは国から連れてきた己の味方の魔導士たちや侍女達と結託して、俺を後宮の奥に隠していた」


「……ユリウス様は生まれつき特別な魔力をお持ちだと、今は皆、知っています。それなのに、そんなことが……」


「公には、生まれつきの魔力量が多すぎて、魔力が暴走するのを抑えるために、それを自ら制御できるようになるまで魔導士たちの管理下に置かれた、ということになっている。ニーナは上手く立ち回ったのだろう。ニーナというか、ニーナの側近たちが賢かったというべきだろうか。誰も、それを疑うようなことはなかった」


「ユリウス様が我が家にいらっしゃったのは、私が十歳の頃、ユリウス様は十一歳の頃、でしたね」


「君は気づいていただろうが、俺はニーナから、聖女アリアネと婚約しろと命令をされていた」


「ええ、なんとなくは。王家としては、国のためにアリアネちゃんを王家の近くへと置いて置きたかったのでしょう。ユリウス様も、アリアネちゃんを婚約者にするためにいらっしゃったのだと思っていました。そうしたら、私がユリウス様の婚約者になっていたので、驚きましたけれど」


 このことについてユリウス様と話をしたのははじめてだ。

 もちろん私は、ユリウス様からの婚約の申し込みをありがたく受け入れていたけれど、不思議には感じていた。

 それをユリウス様に伝えるというのは、あまりにも礼儀知らずだろう。

 だから不思議だとは思いはしたものの、私は何も言わなかった。


「俺は、リコリスに恋をした。リコリスとどうしても、結婚したかった。ニーナに刃向かったのは、あの時がはじめてだったな。聖女と結婚して地位を盤石にしろと言って半狂乱になるあの女はまるで、化け物のようだった。化け物から生まれた俺もまた、化け物なのかもしれない」


「違います、ユリウス様。それは、違う。ユリウス様は優しい方です。どこまでも優しくて寛大で、頼りになって、お強くて、それから、繊細で……、素敵な方です」


「君の言葉は、まるで甘露のように俺の心に染み渡り、いつでも癒してくれるのだな。……あの時、君と初めて会った時、俺を天使だと言ってくれた君の言葉が、俺を化け物から人間に戻してくれた」


「でも、どうして記憶を消す必要があったのです? アリアネちゃんが、ユリウス様を悪魔だと指摘したからですか?」


「あの時はああするしかなかった。アリアネが俺を悪魔だと指摘したことや俺を攻撃したこと、聖女の力の暴走を、公式の記録に残すわけにはいかなかったし、俺の肉体変化の力も、聖女の魔力暴走から身を守れるほどの異様な自己回復能力も、単純に魔力量が多い、と判断するには行き過ぎている」


「たとえば、レヴィナス様派の方々に知られたら、よくないことが起こる……?」


「あぁ。異様な魔力量に疑問を抱き、クラインシュミットの賢者の石にまで辿り着かれたら、厄介だと考えた。自己保身と、それから……、俺にはどうしても欲しいものができてしまった。そのためなら、なんでもすると心に決めた。……記憶を書き換えるようなことして、すまなかった」


「どうしても、欲しいもの……」


「それは、君だ。リコリス。誰にも君を奪われたくない。そのためには、王になることが一番の近道だと考えた」


 今までユリウス様が下さったたくさんの愛の言葉が、途端にひどく重く深いもののように感じられた。

 それが、今はとても、嬉しい。


「君が俺を認めてくれたから、俺は自分を認めることができた。君は俺の支えだった。君を傷つけないために、身に余る魔力が暴走しないように体を鍛え、思うまま扱えるようになった。人前で魔力を使うことを、恐れなくなった」


「……ユリウス様は、一人で、沢山悩んで、辛い思いもされていたのに、他者に優しくできる、懐の深い方です。王座に着くのに相応しい方だと思います」


「それは君が俺を、肯定してくれたからだ。……このような話は、君には伝えないつもりでいた。けれど今は、体がとても軽い気がする。このままずっとここで、君と一緒にいたい。立場も肩書も全て捨てると決めた今、やっと、君に俺の秘密を打ち明けることができた」


「教えてくださってありがとうございます。……ユリウス様、私は」


「恐ろしいと思うか? 俺の身のうちにあるのは、数多の命を犠牲にして作られた、偽りの魔力。俺自身も、それを醜悪だと感じる。君と出会うまでは、力を使うことを考えるだけで、吐き気がした」


「恐ろしくなんてありません。私は、ユリウス様が……」


 私はユリウス様の両手から手を離し、そっと精悍な頬に手を添えた。


「……好きです」


 ユリウス様は俄かに目を見開いた後、瞳を潤ませる。

 泣き出しそうな顔をしているユリウス様に、私は口付けた。

 私たちを祝福するように、流れ星が空から無数に落ちる。

 海を輝かせるのは夜光虫だろう。

 幻想的な世界の中で、私たちは二人きり。もう誰も、ユリウス様を苦しめたりしない。

 今この瞬間が永遠になれば良いと、思わずにはいられなかった。


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